閑話その32-3〜『王』としてするべきは〜
ジューク視点ラストです。
よく考えたらジューク視点、全部一万字軽く超えてら……。
調べものの合間に、食事や飲み物を運んでくれるアルフォードから、調査の報告を聞きながら。
――気付けば、日はかなりの高さに昇っていた。
何度目かの訪れとなったアルフォードが、難しい顔をして切り出す。
「ジューク。一つ、相談があるんだが」
「何だ?」
「この案件に、外宮室の協力を要請しないか?」
思ってもみなかったアルフォードの提案に、ジュークは思わず手を止め、彼を凝視してしまう。
視線を受けて、アルフォードは頷いた。
「今、主に動いているのは、王宮騎士の中でも過激思想の保守派に近い者たちだ。そいつらの動きを陰からこっそり探るだけなら、国王近衛で充分事足りる。が、ジュークが知りたいのはむしろ、この件を企てた貴族たち――というより、官吏だろう?」
「あぁ……、そうだな」
「となると、文官側の協力者はやっぱり必要だと思う。下手な相手には頼めないが、外宮室なら気心も知れてるし、何より優秀な人員揃いだ。それでいて、王宮の上層部からはほとんど注視されていない。秘密裏に事を運びつつ、逆転の策を錬るのなら、彼らほど頼りになる存在はいない」
アルフォードの言葉はもっともだ。誰も犠牲にせず、この事態を解決するため、できる限りのことをするならば。協力者を増やすことも、重要な一手である。
しかし。
「マリス前女官長のときとは違う。今回は騎士団が動いているんだ。戦う術のない外宮室の者たちが万が一見つかれば、危険に晒される可能性もあるのではないか?」
「そりゃ、こうなった以上確実な安全なんてのはないだろうよ。――けどな、ジューク。文官だって武官だって、己の職務に誠実であろうとするなら、自ずと戦う覚悟は備わってる。ただ、戦う場所が違うだけだ」
彼らが、本物の官吏であるならば。命の危険なんかに臆さないだろうと、アルフォードは断言した。
彼の強い視線を受け止めて――ジュークは、ゆっくりと首を縦に振る。
「分かった、アルフォード。外宮室に話を通してくれ。――ただし一つ、条件がある」
「何だ?」
「協力の要請を、『王命』にするな。あくまでも俺個人の『頼みごと』に留めてくれ。受けるか受けないか、決めるのは外宮室だ」
それは。『王』としては異例の『条件』だった。
アルフォードの目が大きくなる。
「正気か?」
「至って正気だ。今の俺に……こんな物知らずの若造に、王権を振りかざして他者の行動を強制する資格なんてない」
『クレスター伯爵家』について、調べれば調べるほど。考えれば、考えるほど。
自らの無知を、蒙昧さを突きつけられ、ぞっとしてしまう。
これまで信じていたものが崩れ、自らが立つ足元すら覚束ない……それは圧倒的な恐怖だった。
たとえば、調停局に収められていた、かの家に関する様々な証言。そして、歴代の当主たちの言葉。
たとえば、かの家の領地と、そこで生きる人々の姿。そして、一族が『治めている』土地。
歴史を紐解いていくことで浮かび上がる、『クレスター伯爵家』――。
「知らなかった、で済まされることではないんだ」
「ジューク?」
「疑問を持てば、考えれば、分かったことも多かったはずだ。教えられたこと全てを『正解』と思い込んで、その裏側や別の角度から、もう一度見直してみようとしなかった。『知識』は受け身で得られるものじゃない。最初の入り口こそ他人に与えられていても、その内容を理解して、あらゆる角度から検証して、それがどういう意味を持つのか。それに対して自分はどう感じ、どう考えるのか。そこまで深く追求してようやく、『知識』は手に入るんだ」
考えることを、疑問を禁じられていたなんて、そんなものはただの詭弁だ。ジュークは別に、その手足に枷を付けられ、物理的に行動を制限されていたわけではないのだから。
本気で知りたければ。『教育係』なんかに頼らず、自分で書庫なり資料室なりに行って、調べてみれば良かっただけの話ではないか。彼らの言葉を疑問に思い、けれどそれをぶつけることを禁じられていたのなら、自力でその疑問を解消するべく、動けば良かったのだ。
自嘲ばかりが、浮かんでくる。
「知れば、知るほど。望む『王』は遠いな」
「だから……命令はしたくないのか?」
「それもある。本当なら、俺がただの『ジューク』として、外宮室まで頭を下げにいくのが筋なんだろうが……」
ジュークが誰にも見つからずに外宮室まで辿り着ける可能性は、限りなく低い。見つかったら最後、二度とこの部屋には戻れず、保守派と革新派から総攻撃を受けるだろうことは、ジュークとて予想がつく。
アルフォードも同じことを考えたようで、首を横に振った。
「気持ちは分かるが、やめとけ。『王』が行方不明だからこそ、奴らが思うように動けていない面もあるんだ」
「そうなのか?」
「もともとが、ほぼ独断専行だからな。王から後追いで許可が出れば問題ないが、逆に王から物言いがつけば、一気に立場が悪くなりかねない」
「最近の俺は、正妃を紅薔薇にしようか悩んでいるそぶりで、貴族たちと接していたと思うが。その俺が紅薔薇の捕縛に頷くと、彼らは本気で考えているのか?」
「よっぽど、お前の心がシェイラ様にある確信でも得てるんだろうよ」
そこから浮かび上がるのはやはり、後宮内にいる者の関与だ。後宮内での紅薔薇――ディアナの様子を注意深く探れば、ジュークとの間にあるものが愛ではなく、一種の仲間意識であることは、何となくでも感じ取れるだろう。無闇に噂を煽りたいわけではないから、ジュークも別に、敢えてディアナを夜訪ねるなんてことはしなかったし。
「この騒ぎが起こるより前に、お前が所在を眩ませていたのは、本当に不幸中の幸いだった。王の考えが読めないうちは、よからぬ事を企む貴族たちも、思い切った手は打てないだろうからな。現状、最も効率の良い時間稼ぎになる」
「俺の思いつきも、たまには役に立つな」
「自虐は止せ。……じゃあ俺は、外宮室に行ってくる」
「済まないな。よろしく頼む」
「それから……」
アルフォードは少し躊躇って、続ける。
「もし、外宮室の協力を取り付けることができたら。ここにキースを寄越したい。構わないか?」
「キースを?」
いつも冷静で、王相手でも堂々と意見を述べ、それでいてジュークの決断を尊重してくれるキースを、ジュークは密かに気に入っている。確かに彼ならば、信頼はできるが。
「お前は……どうするんだ?」
アルフォードの行間を、ジュークは正しく理解していた。しばらく自分がジュークの用事をこなすことができなくなる。その代役としてキースを選びたいと、アルフォードが言いたいのはそういうことだろう。
問われたアルフォードは、静かに嘆息して。
「俺も……本当に僅かだが、俺にしかできないことがあると思う。俺が動いて何がどう変わるか、そればかりは出たとこ勝負だけどな。けど、打てる手は打っておきたいんだ」
「そのために、ここを離れるのか」
「そう長い時間じゃない。具体的に話せないことは、申し訳ないが。……しばらく傍を離れること、許してくれないか」
頭を下げるアルフォードに、ジュークは微笑みかけた。
「俺に許しを得る必要はない。お前は、お前が必要だと思うことをしてくれ」
「ジューク……」
「ずっと、ずっと。……悪かったな、アルフォード」
何となくではあるが、彼がしようとしていることは、ジュークにも予想がついた。……ディアナが後宮にやって来てからの彼を思い返せば、考えれば、答えはすぐそこにある。
もしも、この推測が正解なら。自分はどれだけアルフォードを傷つけ、苦しめてきたのだろう。
(本当に俺は……どうしようもない)
アルフォードが去り、一人になった部屋の中。
乾いた息の音が、思っていた以上に大きく響いた。
***************
外宮室の『答え』は、それからそう経たないうちに明らかになる。
「失礼いたします、陛下。……これはまた、随分と持ち込んだものですね」
外の騒ぎなど一切感じさせない風情で、最後に話をしたときと変わらない様子のキースが、ジュークの籠もる部屋へとやって来てくれたのだ。ジュークは静かに、キースを見る。
「キース・ハイゼット外宮室室長補佐。……そなたたちは『これ』で、構わないのか」
「――陛下。良い目をなさるようになりましたね」
眼鏡の奥で、キースの瞳が柔らかな光を宿したのが分かる。
部屋の床に積み上げられた資料の合間を縫って、彼はゆったりと近付いてきた。
机の前で立ち止まり、――けれどキースは、頭を下げない。
「アルフォードから、外宮室を望むのは『王』ではなく『ジューク』だと聞きました。故にこれは命令ではなく、あくまでもただの協力要請だと」
「あぁ、その通りだ」
「陛下は、このような事態になり、一歩間違えば己の身が破滅することすらも承知の上で――それでも、誰も犠牲にすることなく、救うべき者を救い、裁くべき者を裁くため、最後まで足掻かれるおつもりとか」
「今更……とは思うがな。気付いてしまった以上、これまでのような愚かな振る舞いはできない」
「――その陛下のお覚悟を前に、尻尾を巻いて逃げ出すような臆病者は、外宮室にはおりません」
優雅な仕草で、キースが床に跪く。それは、古来から変わらぬ、臣下が王に忠誠を示す礼――。
「お待ち申し上げておりました。――我らが、王」
「……やめてくれ。私……俺に、その礼を受ける資格はない」
「陛下がご自分のことをどのように思われているかは、関係ございません。私は、陛下の覚悟を知り、この王にこそお仕えしたいと思った。故に私の礼はただ一人、ジューク・ド・レイル・エルグランド国王陛下にこそ、捧げるべきものなのです」
迷いのない、力強い声。『文官にも戦う覚悟がある』というアルフォードの言葉が、嫌というほどよく分かる。
王への直訴権が与えられない、そんな不平等の中で。民のため、与えられたものの中で精一杯の工夫を凝らし、力を尽くしている官吏。そんな彼の礼に報いることができるような『王』に、ジュークは果たして、なることができるのだろうか。
(自信は、なくても。愚かな己に、絶望しても――!)
今、ここで持つべきは、ただ一つ。
「――そなたの心を、受けよう。勇猛なる志を抱く、ハイゼットの末裔よ」
彼を受け入れ、彼を裏切らない。――その、絶対なる覚悟だけだ。
頭を上げるよう促すと、キースは流れるように立ち上がった。その表情は、希望に満ちて、しかしそれ以上に厳しい。
「……お疲れでしょうね」
「そう見えるか?」
「アルフォードの話では、昨夜から一睡もしていらっしゃらないとか。本来なら臣下として、休息を取って頂くよう、進言するべきところなのですが……」
その前置きだけで分かった。何か動きがあったのだと。
「構わぬ。申せ」
「はい。――内務省の一部官僚、王宮騎士団数名の連名で、側室『紅薔薇』、ディアナ・クレスター伯爵令嬢の処刑願いが出され、調停局の調停員数名によって、即日許可が出されました。明日正午、王宮前広間にて、紅薔薇様の処刑が執り行われる予定です」
窓は閉まり、暖炉は赤々と燃えて、部屋の中は暖かいのに。
その言葉の意味を理解した瞬間――全身が凍り付く錯覚に襲われた。
自制する間もなく、ばん! と両手が机を叩く。
痛みを自覚するより先に、ジュークは叫んでいた。
「勝手なことを! 紅薔薇は、側室であることを除いたとしても、れっきとした貴族位にある娘だぞ。貴族の処刑には王の許可が必要なことすら、奴らは忘れたか!!」
「肝心の陛下の行方が杳として知れないため、仮の許可と思われますが」
「仮であったとしても、許されぬ。そもそも紅薔薇が、シェイラの誘拐について関与しているという、確かな証拠でもあるのか?」
「そんなわけがないでしょう。やっていないことの証拠があるわけがない。せいぜいが、捕らえられた者たちの『紅薔薇様の権勢を確かなものとするため』という妄言くらいです」
言葉こそ丁寧なものの、発言の内容はかなり過激なキースである。ジュークは深く、頷いた。
「まさかとは思うが。紅薔薇を嵌めようと画策している者たちは、そんな馬鹿げた発言を証拠にして、娘一人の命を奪うつもりなのか?」
「今のところは、そのようですよ」
「愚かな!」
行方を眩ませている場合ではない。この処刑を止められるのはそれこそ、王権を持つジュークだけだ。
立ち上がろうとしたところで、ジュークは。正面に立つキースの、思慮に満ちた眼差しに気付いた。
身体をゆっくりと椅子に戻し。ジュークはキースに問い掛ける。
「キース。何か、気になることがあるのか?」
「彼らが今、こんな手を使ってきた理由を考えております。……もちろんあの者たちにとって、紅薔薇様が邪魔な存在であることは、疑いようもありませんが」
言われて、ジュークも考える。
わざわざ、処刑の時間を『明日正午』に設定して。……止めようと思えば止められる、そんな時間を公言して。
――まさか、彼らの狙いは。
「俺……なのか? 居場所の分からない『王』が出てくるのを、奴らは待っているのか?」
「私も、その可能性が高いと思います」
「しかし! 私をおびき出して、何を企んでいる? 私が奴らの言うままに、紅薔薇の処刑を許可するとでも思っているのか?」
「思っているのでしょう。……陛下。内務省の過激保守派には、陛下を『保守派の王』に育てたという、無駄な自信がございます。私は正直、彼らのやり方が成功していたとは、即位直後の陛下を拝見しても思えなかったのですが」
「いや……。あの頃の俺は、彼らの操り人形だった」
「本当に陛下が、保守派の意のままに動く操り人形だったなら。そもそも後宮なんてものは存在せず、陛下は彼らに言われるがまま、ランドローズ侯爵令嬢をご正妃様にお迎えしていたのでは?」
思ってもみなかった言葉に、ジュークは知らず、目の前のキースを凝視していた。
表情の薄い彼の内心を読み解くのは難しいが、キースがジュークを非難しているわけでないのは雰囲気で分かる。
「陛下は無意識ながら、彼らの糸に気付いておられた。そして、絶対に譲れない部分の糸だけは、彼らに明け渡さなかったのです。――己が繋がれている糸を自覚できる者を、人形とは申しませんよ」
「……励ましてくれているのか」
「私は事実しか申せません。融通が利かない性格であることには定評がありまして」
キースは細く、息を吐いた。
「私やウチの室長には、陛下はそのように見えていたのですが。『王を育てた』と鼻高々のご歴々は、よほど己の教育に自信があるらしい。今でも、顔を合わせて話しさえすれば、陛下を言いくるめられると思い込んでいるのでしょう」
「その思い込みを粉砕しに出向く――というのは、悪手か?」
「悪くはありませんが、個人的には時期尚早かと。外宮で完全に陛下のお味方に付いているのが、外宮室だけではね。権を使って理を押し通す、力技が使えませんから」
下手をすると、ジュークの身まで危険に晒されかねない。キースは遠回しに、その可能性を指摘してくれている。王を操り人形にしようなんて考える輩にとって、『ジューク』は必要ないも同然だろうから。
(命が惜しい、わけではないが……)
軽かろうが重かろうが、たった一つしかないものだ。その使いどころを間違えてはならないとは思う。
この策略を、自信満々で推し進めようとする者を、断罪するために。ジュークが彼らと直接対決する以外に、打てる手はないか。
(要は、紅薔薇の無実が証明できて、紅薔薇を罠に嵌めた者たちの罪が明らかになれば――)
そこまで考えて、ジュークは何気なく、机の上に視線を降ろす。
クレスター家の領地に関する報告書、その系譜、歴史書、調停局の記録……思いつくままばらばらに読んでいたそれらを、見回して。
――眩い光が、脳裏を超高速で駆け抜けた!
椅子を蹴立てて、ジュークは目に付いた紙束を次々とめくる。机の上のものだけでは足りず、特に調停局の古いものを中心に、対象の記述を探していった。
(これじゃない! あぁ、どれだった……!)
「お探しのものは、こちらでは?」
冷静な声が横からかかる。驚いて振り向けば、キースが古びた冊子を、当然の顔で差し出してくれていた。
「調べものに熱心なのは結構ですが、折を見て資料をきちんと整理するのも大切ですよ。今のように確認したいものが出てきたとき、探す時間が短縮されますからね」
「あ、あぁ……」
頷いて受け取った冊子は、まさにドンピシャ。知りたいことが記録として、しっかり残されている。
国の重要な方針を審議するため、国内の全貴族を集めて開かれる、貴族議会。案件がないときは開かれないため、王によっては議会を経験しない者もいる。ジュークの父がまさにそうで、逆にジュークの祖父、先々代の王の治世には、外つ国とのつき合いをどうするべきか、台頭する有力な民についてなど、頻繁に議会が開かれた。
そして、この貴族議会には。もう一つの顔がある。
王族の、断罪――。
罪を犯したとされる王族について、その真偽を明らかにし、罪の重さによって刑を決める。
アズール内乱の終息を最後に、王族が罪を問われることはなくなった。それ故に廃れ、王であるジュークすら文献を確認しなければ確信できない『役割』ではあるが……貴族議会は、王族の『裁判所』の側面があるのだ。
ディアナは側室であり、厳密に言えば王族ではない。
しかし、『紅薔薇の間』を与えられ、正妃不在の現後宮において頂点に立ち、公式行事の場で正妃代理を任される娘だ。二百年ほど前、正妃になる直前の貴族令嬢が罪を犯したと訴えられた際、当時の王は特例で貴族議会を招集している。前例がある以上、ディアナの『罪』を理由に議会を開くことは可能のはず。
該当の箇所を食い入るように眺め、確認を求めてキースを見ると……有能な官吏は全てを察していたらしく、しっかりと頷いてくれた。
「この状況で、『側室『紅薔薇』を断罪する』という名目で議会を開くことは、不自然ではありません。紅薔薇様の処刑に確たる論拠が欲しい保守派も、彼女の処刑に反対する革新派も、自らの意見を述べることができる議会に反発する可能性は低いでしょう。――何よりこの手なら、陛下のご意志がどこにあるのか、限界までぼかすことができる」
「あぁ、その通りだ。俺の考えを悟られないように、紅薔薇を狙う者たちへの反撃の下地を整えるため……『王』の権限で打てる、一手だ」
ディアナの処刑を目論む者たちは、ジュークが自らを操る『糸』に気付き、そこから抜け出そうとしていることを知らない。別段知られても構わないとは思うが、彼らは『王』が『人形』だと信じ切っているからこそ、こんな常軌を逸した振る舞いを仕掛けているのだろう。自らが無能だと思われていることで相手の瑕疵が増え、結果として敵を追い詰める道が開ける可能性があるのなら、侮られることくらいどうもない。……そもそも侮られてしかるべき存在だ、これまでの『ジューク王』は。
貴族議会を開くのは、『王』のみに与えられた権限の一つ。ディアナを正妃にと迷う演技をしていたジュークなら、突然の『紅薔薇捕縛』の報に驚き、議会でその真偽を計れと命を下したとしてもおかしくはない。
ジュークから『紅薔薇処刑』の正式許諾が欲しい者たちは、これ幸いと議会に足を運ぶはず。最悪議会がどう転ぼうと、『王』の許可さえ降りれば処刑はできる。ジュークを侮るからこそ、彼らは議会を拒絶はしまい。
そうやって、卑怯者たちを『正当な審議』の場に誘き出し――証明するのは、ディアナの無実と彼らの罪だ。
処刑嘆願を出したくらいである。彼らはもう既に、側室『紅薔薇』の罪状をでっち上げ、調査報告書もまとめていることだろう。議会がディアナの処刑を公に認めさせるためのものだと信じ切って、やって来るに違いない。
しかし。ジュークの、議会を招集した『王』の狙いは。
「貴族位にある者なら、誰でも自由に発言できるのが貴族議会だ。――当然、クレスター伯爵家の者たちも、あの場所でなら王宮の地位を気にせず堂々と動ける」
ディアナを害そうとする者を確実に囲い込み、ディアナを救おうとする者が思う存分動ける場所を提供する。――そのための、『王』にしか打てない布石である。
ジュークの言葉にキースは頷くかと思いきや、無表情の中にもどこかジュークを案ずる様子を覗かせた。
「……よろしいのですか?」
「何がだ?」
「彼らは『処刑』を王宮の名で――陛下の御名で執り行う心積もりのはず。この状況で、クレスター家が自由に動けるようにしてしまうと……」
「俺も『彼ら』の怒りの対象になる、か?」
落ちた沈黙は肯定の証だ。ジュークは少し、苦笑した。
アルフォードといい、キースといい。自分の周囲には、過保護なお人好しが多い。
「仮に『彼ら』の照準に俺が含まれても、それならそれと受け入れるしかなかろう」
「しかし、陛下」
「……むしろ、彼女にした仕打ちを考えれば。『彼ら』はよくこれまで黙って、俺のすることを見ていてくれたものだとすら思う」
誇張でも、何でもなく。『クレスター家』を調べれば調べるほど、正直なところジュークは、どうして自分が今も『王』の座にいるのか分からない。もっと早くに見限られ、離反されていてもおかしくないのに。
首を捻るジュークに、どこか憮然とした声が落ちてくる。
「まさかとは思いますが。愚か者どもを道連れに、自滅なさるおつもりで?」
「それも一つの手だとは思うがな。足掻いて足掻いて、するべき事をし尽くして、それでもどうしようもない場合における最後の手段にしておこうと思っている」
ディアナを、シェイラを犠牲にするくらいなら、玉座など要らない。死ぬことでしか、断罪されることでしか『王』を辞められないのなら、それも一つの選択だ。
けれど、たった二人でも『ジューク王』に心からの忠節を誓う臣下がいるのに、安易に滅びを選択するわけにもいかないだろう。信じてくれた者に対する、これほど酷い裏切りはない。
ジュークの覚悟が伝わったのか、キースの声が柔らかくなった。
「クレスター家がどのように出てくるかも含めて。全て背負われるおつもりで、議会を開かれるのですね?」
「俺の立場など、この際大した問題ではないだろう。シェイラを無事に救出し、紅薔薇の濡れ衣を晴らし、彼女たちを薄汚い罠で絡め取ろうとした卑怯者たちの罪を暴く。行うべきはそれであり、今の俺にできることは、それを確実に遂行できる者たちが最大限の力を発揮できるよう、場を整えることだ。その余波が己に及びかねないからと守りに入って、そもそもの目的を見失うほど、愚かなことはない」
「陛下御自ら卑怯者たちを断罪することは、考えていらっしゃらないので?」
「正直に言えば、そうしたい気持ちもある。しかし……」
部屋の中と、自らの立ち位置。……そして、『敵』がジュークを舐めきっているという、この状況。
総合的に判断して、ジュークが、『王』が出ることは、あまり良策とは考えられなかった。
「俺は、紅薔薇を捕らえた者たちの動きを、アルフォードからの又聞きでしか知らない。紅薔薇の処刑は明日の正午、あとたった一日だ。この短い時間で、人手も圧倒的に不足している現状で、俺が秘密裏に動いて真相を究明し、証拠まで見つけ出すのは無理がある。それよりは、降って湧いたこの現実に動揺して、無い頭で必死に議会を開くことを思いついて、あたふたしていると思わせておいた方が……首謀者たちに対する、良い目眩ましにもなるだろう」
「つまり、議会を開こうとしている陛下ご自身を、紅薔薇様救出に動く方々から目を逸らさせる、『囮』となさるおつもりですね?」
「俺が見苦しく足掻いたところで、どこまで効果があるかは分からんがな」
己を『人形』にしたい者たちの思惑を察してしまった今、ジュークの自己評価はゼロを振り切れてマイナスだ。――しかし、もとから無い評価なら、却って気負わなくて良い。ダメで元々くらいの心持ちでいられる。
そんなジュークに何を思ったのか、キースの唇が僅かに動いて笑みの形を作った。
「陛下のお心、しかと承りました。勅命書をくだされば、我らが動きましょう」
「……大丈夫なのか?」
王への直訴権がない外宮室に、王の勅命書が渡る。そんなことをすれば、外宮室が一気に王宮中の注目を集めてしまうのではないかとジュークは危ぶんだが、応えるキースは涼しい顔だ。
「私どもにも多少のツテはございますので。どさくさ紛れに要求を通す手腕にかけてなら、自慢ではありませんが、我らの右に出る者はおりませんよ」
「……そうか。いつも苦労をかけているな」
「お気になさらず。我々のことより、勅命書です。陛下の執務室に気付かず戻るのは……」
「あぁ、それなら問題ない。念のため、普段の執務に使う道具類は一式持って来ている」
調べもののために籠もることにしただけだが、「何があるか分からないから」と言ってくれたアルフォードの言葉を受けて、ここでも執務ができるよう整えていたのだ。本当に、何から何までアルフォードには助けられている。
キースの助言を容れながら勅命書を作成し、できあがったものを彼に託す。一度外宮室に寄って、情報交換と今後の段取りを組んでから戻ってくると言うキースは、こんな場合にもかかわらずどこか晴れやかだった。
「随分と張り切ってくれているな?」
「それは、もちろん。自らの官吏生命を賭けてでも、王国の有事に力を尽くせる。何もできないと蚊帳の外で指を咥えて見ているより余程、官吏にとっては有意義な時間にございます」
何事にも動じない、冷静沈着な外宮室室長補佐は、実は意外と好戦的なのだとジュークが知った、一幕であった。
***************
――時間は飛ぶように過ぎていく。キースが外宮室の室員たちを取りまとめ、どういう手段を使ってか自分たちは表に出ないまま貴族議会を開く準備を整えて。その途中で帰ってきたアルフォードは、国王近衛騎士団を動かしながらキースと密に繋ぎを取ることで、外宮室がスムーズに動けるよう補佐をしてくれた。
ジュークはそんな彼らから報告を受け、ときには指示を出しつつ、当初の目的であった『調べもの』を続けて……。
(これが……『真実』か)
ついに、一つの結論へと辿り着いた。
外はもう、とっくに日が暮れている。日没までは『国王探し』に忙しかった者たちも、そろそろ静まっている頃だろう。
誰にも見つからないよう、目的地までの道を近衛に確認してもらい、念には念を入れて見張ってもらってから。
――ジュークはアルフォードを連れ、そっと部屋を抜け出した。
(不気味なほどに、静かだな……)
それでも、何か話す気にはなれない。無言のまま歩き続けて。
やって来た場所は、見張りのいない、地下牢の入り口――。
「本当に……誰もいないな」
「さすがに夜は、見張りを置こうとしたみたいですけどね。『酒でも飲もうぜ』って誘われてサボるくらいなんで、見張りを命じられた兵士が『中』のことを知っている可能性は、限りなく低いかと」
アルフォードが冷静に返す。どこに人目があるか分からないからか、いちおうの敬語だ。
国王近衛騎士団は、そのほとんどが保守派の家から選出されたとジュークは考えていたが、実際のところ、家は保守派でも本人の思想はそこまで偏っていない者が多く、交友関係も広いらしい。「見張りを遠ざけて欲しい」というジュークの希望に、「ちょうど今日夜勤の友人がいるんで、頼んでみます」と即座に一人から返ってきたのには驚いた。
――本当に。知らないことばかりだと、思い知らされる。
「アルフォード。……ここを、頼む。誰も通すな」
「御意」
信頼する側近に入り口を任せ、ジュークは一人、薄暗い階段を下っていく。永遠にも思えた螺旋階段は、実際はそこまでの深さでは無かったのだろう。目の前に開けた空間を真っ直ぐ歩むと……目的の少女がいるところは、すぐに分かった。小さな橙色の光が、吹き込んでくる風に煽られてか、不規則に踊っている。
「……紅、薔薇」
かつん、と足音を立てて止まり、冷たい鉄格子の向こう側にいる、その人を呼んだ。夜も更けた時刻、育ち盛りの少女なら、眠っていてもおかしくはないのに。
「――陛下」
太陽の如き黄金の髪を、天窓から零れる星の光を受けて煌めかせ。
美しい立ち姿のまま、命育む蒼海の瞳で天を見上げていたそのひとは、くるりと振り返って――。
「必ずおいでになると、信じておりました」
ここが、牢の中だということも。
自らの命が、風前の灯火だということも。
全てを感じさせないほど鮮やかに、笑ってみせた。
真っ直ぐで曇りのないその微笑みに、膝から崩れ落ちそうになるのを、必死に堪える。
這い蹲って謝罪して、それで楽になるのはジュークの気持ちだけだ。そんな自分勝手な感傷のために、ここまで来たわけではない。
大きく息を吸い込んで。――一歩を、踏み出した。
「眠れないのか?」
「……さすがに。わたくしの読み不足のせいで、今も安否不明の方がいらっしゃいます。その方の無事を確認するまでは、眠れそうにありません」
「シェイラのことならば、そなたが気に病むことではない。そもそも、最初から全て――俺の、罪だ」
後宮という、その場所も。
シェイラを、このような立場に追い込んだのも。
全てジュークが考えなしに、動いた結果――。
「いいえ、陛下。全てが、陛下の罪ではございません」
ゆっくりと、彼女の唇が動く。
「今の後宮がこのような形になってしまった。その一因は、確かに陛下にもあるのでしょう。しかし少なくとも、此度の件に関しては、陛下がご自分を責めてはなりません。――責められ、裁かれるべきは、このような悪事を計画し、平然と実行した、その者たちであるはずです」
「俺が愚かだったから。そのような者が湧いて出たとは、考えないのか」
「いかな賢王でも、不心得者を完全に除外することはできませんわ。悪事を企む者、その存在の責任まで背負われては、陛下がお倒れになってしまいます」
「そなたは……本当に、優しいな。こんな地下牢に押し込められてまで、俺を庇い、支えようとしてくれる」
謂われ無き罪で処刑されようとしていること、まさか知らないわけではないだろう――?
そう尋ねたジュークに、彼女は――ディアナは、困ったように微笑んだ。
「さすがに、処刑まで持ち出されるのは初めてですが。身に覚えのない罪や悪評を立てられるのは、割と慣れておりますので」
「そうだったな。他人の不幸が何よりの娯楽、悪名高い『氷炎の薔薇』――」
静かに呟いて。
ジュークは、真正面から、ディアナの瞳を射抜いた。
「苦しくは、なかったか? いくら古からの約束事とはいえ、そのような悪評の中、誤解されるままに、貴族社会で生きるのは」
その、瞬間の。
ディアナの表情の変化は劇的だった。
瞳が極限まで見開かれ、その視線はジュークを越えた何かを見て。
数秒の後――浮かんだ感情は。
「陛下――!」
紛れもない、歓喜だった。
次回、最大の伏線回収回。




