3 631、出庫します
鉄道が交通の花形であるロードスには、当然のことながら多くの機関士がいる。
しかし自分の機関車を所有している機関士は、そう多くはない。
機関車はそれなりに値段が張る代物だ。
さらに車庫を借りたり整備をしたりと、その維持には何かとお金がかかる。
実力者や幸運な例外を除けば、ほとんどの機関士は他人の、だいたいが企業所有の機関車を運転している。
フランツは幸運な例外の一人だ。
といっても、機関車を自分で買ったわけではない。祖父の機関車を、形見にゆずり受けただけだ。
ともかく彼は自分の愛車が、空色の中型機関車〈テア号〉がとても好きだった。
性能こそパッとしないタンク式機関車だが、いろんな思い出が詰まった、かけがえのない相棒だ。
「足は……いいみたいだね。さっきもチェックしたし」
彼は相棒の足回りを、黒光りする三軸の動輪をサッと確かめると、運転席へ続くハシゴに手足をかけた。
動輪というのは、動力が伝わる車輪のことだ。これの数が多いほど、引っぱるパワーが強い機関車だと思って間違いはない。
ちなみにロードスでは、車輪の数を軸の本数で表すのが一般的だ。
一つの軸と二つの車輪を合わせて〈連輪子〉と呼ぶ事もある。三軸なら車輪の数は、左右合わせて倍の六個になる。
テア号には、さらに小さな後輪が二つ付いている。
こちらはロードス流に言うなら従輪一軸ということになる。
フランツは三メートルほどのハシゴを登り、スライド式の小さなドアを引き開け、とても狭い運転席に文字通りすべり込んだ。
機関車の運転席というのは、だいたいが狭いものだと決まっている。
いろんな機械が詰まった機関車で、ここだけが無駄なスペースだとばかりに狭くされてしまう場所だからだ。
テア号にしても、機関車の長さが十メートル近くあるのに、運転席の広さは奥行き二メートルに幅一メートルちょっとだ。
高さにいたっては一メートルにもならない。
「よっこい、せっと」
フランツは小さなシートに座るというか、ピッタリとはまり込むような形で落ちつく。
彼は点検のため、運転席の中をざっと見わたした。
正面と左側の上半分は強化ガラスの風防窓になっていて、上面は蝶つがいで開く天面窓になっている。
テア号の窓はあちこちに窓枠が走っていて、視界はけっしていいとは言えない。
正面の風防窓の下には、計器(メーター)や開閉器(スイッチ)が並ぶ計器腕板があった。
手の届く所には、操作のための機器が所狭し並んでいる。
右手側には調整弁(バルブ)のたくさん並んだ蒸気調整箱が大きく飛び出す。
その下に隠れるように、手動制動機の赤い操作輪(ハンドル)がのぞく。
中央では、脚の間から蒸気加減用の、俗に逆転機とも言われる蒸気操作梃子が飛び出している。
さらに左手側には、電気動力を制御する動力梃子の、半円形目盛板と握り子(レバー)が見える。
まさにぎっちり詰め。
運転席の中は、フランツが入るのにギリギリのスペースしか空いてない。
これでさらに、足回りには左右に三個ずつ、計六個の足踏み板が飛び出しているのだから大変だ。
「本当に狭いんだから」
フランツは一人つぶやいて、シートの脇から茶色のコードを引っ張り出す。
コードの先端についた平らな金具を、裏に表に丹念に確かめてから、フランツは首の金属リングのスリットに差し込んだ。
途端に、背筋にぞくっとする寒気が走る。
続いて、今度はピリピリとした感触が首から背中へと、さらにお尻のあたりまで広がって消える。
数秒後、機関車の奥から低く唸るような音が響くと同時に、計器腕板の計器が一斉に明るくなる。
並んだ針がてんでばらばらに動きだし、丸も、四角も、縦長も、とにかく全ての計器がなにがしかの値を指し示した。
(……――)
フランツの後頭部にさわっとした、誰かが触ったような感触が伝わる。
さらに耳の奥に、子供のようなコロコロとした声が響く。
それは言葉ではなく、何か笑うような囁くような、強いて言えばイメージそのものだった。
「おはよう、テア」
フランツが誰にともなく声を上げると、今度は首筋に、ゴロゴロというまるでネコが喉を鳴らすような感触が弾けた。
「調子がいいみたいだね」
フランツは開閉器をパチパチと切り替えながら、ふたたび誰かに優しく語りかけた。
その返事もまた、彼の耳の奥で弾けた。
(…………!)
「今、整備の人が蒸気を入れてくれてるよ。すぐ動けるかな?」
(~~~~?)
帰ってきたのはノンビリとした、あくびにも似たイメージだ。
フランツはついクスッと笑ったあと、計器腕板の上をポンポンと優しく叩く。
「帰ってきたばかりだけど、もう一働きよろしく、テア」
(!)
拗ねた子供のような響き。
この声なき声の主は、機関車の中にいる。
罐胴と呼ばれる、機関車の大部分を占める円筒の中、その中心部に取り付けられた、直径六十センチ、長さ一メートル半ほどの、銀色をした物体がそれだ。
一般には〈ケルナクラフト〉、または略して〈ケルノ〉と呼ばれている。
ケルノは奇妙で、そして便利な物体だ。
特殊なコードで人間と接続されると、勝手に驚くほどの高熱を発生させる。
燃料はまったく必要ない。排気ガスや有害な副産物も発生しない。
ロードスでは数百年も前から使われていて、今やいちばんポピュラーな動力源だと言っていい。
パッと聞き、理想的な動力に思えるケルノだが、欠点も少なくない。
たとえば、重量が見かけよりはるかに重いので、小さなものには積み込めない。自動車が一般的ではない理由の一つがこれだ。
そして他にも欠点はあるが、中でも極めつけとして、ケルノは製造できないという点がある。
大昔に作られたという言い伝えはあるものの、それすらおとぎ話に等しい。
今やケルノが何であり、どうやって作るのかを知る者は、誰一人いない。大陸で使われているケルノは全て、太古の遺跡から掘り出したものなのだ。
(……?)
テア号に積まれたケルノが、フランツに何かをささやく。
欠点か特徴か、人によってとらえ方が違うが、ともかくケルノは接続している人間に話しかける性質を持つ。全てのケルノが話せるわけではなく、どちらかといえば少数派の、やや珍しい方の個体差だ。
ちなみにどうも、テア号のケルノは自分のことを「テア」という名前の人間だと考えているらしい。テアは基本的に無口なのだが、ときおり、気まぐれに話しかけてくる。
そんなテアも、フランツにとっては友達のような存在だ。
「うん、電気をよろしく」
そう返事をして、フランツは計器腕板にある〈主供給〉と書かれた開閉器を跳ね上げた。
とたんに、ヒューンという高く鋭い音が運転席まで伝わってくる。
機関車は蒸気を噴きだすため、もっぱら蒸気機関車だと思われれている。
しかしロードスでは、それは半分の正解でしかない。
ケルノの出す熱を〈熱電対発電〉という仕組みで電気に変え、電気モーターで走るのが、今日のロードス式機関車。
すなわち〈熱電機関車〉だ。
蒸気機関車でも半分正解なのは、普通の蒸気機関も一緒に使うためだ。
ロードスで作れるモーターはいまいち非力なので、場面に応じて蒸気機関と電気モーターを使い分ける必要がある。
こうすることで水の効率がグンとよくなって、少ない水で長い距離を走ることができた。
そして〈熱電機関車〉の動力、つまり蒸気と電気という二つの力を、調整弁と開閉器で自在にあやつるのが、機関士の仕事だった。
「まだ……かな?」
フランツはちょっと顔を上げて、窓越しに整備員の動きを確認する。|
罐胴の上には誰もいない。しかし水タンクの上では、まだ整備員が何か作業をしていた。おそらく、タンクの注水がまだ終わっていないのだろう。
テア号は罐胴の左右に、流線型の水タンクがくっついた形をしている。
こういう形は〈サイドタンク〉と呼ばれていて、コンパクトな中型車に多い。
フランツのいる運転席は左のタンクの後ろに位置していて、注水口も運転席の正面にある。
「仕方がないか、先にこっちを……」
作業が終わりそうにないので、フランツは計器腕板の上にある無線機に手を伸ばす。
周波数を管理局の出発管制に合わせて、彼は丸っこいマイクを右の壁から取る。
「こちらEEBK0―52C631、管理番号FRT631、一号車です、出発管制どうぞ」
スピーカーが一瞬、ザリザリと雑音を拾ったあと、すぐに若い女性の声を返してきた。
『こちらEBK出発管制、FRT631、感明良好です』
「631より出発管制、こちらも感明良好です。出庫までの残り時間を教えてください」
『出発管制より631便、予定時まではあと四分あります。しかし状況が切迫しているので、できる限り急いでくださるようお願いします』
「631了解、できる限り急ぎます。オーバー」
ふう、とため息をついて、フランツはマイクを戻した。
(四分か、思ったより時間がないな。急いでいるのか、それとも出発が詰まっているのか……どっちにしても、給水が早く終わらないと)
フランツは整備員を見ながら、ソワソワと手動減速機に手をかけた。
計画書に全てが書いてあるとはいっても、機関庫や駅から出る時には、その施設の出発管制の指示が絶対となる。
彼らは常に列車を監視していて、構内で事故がないように誘導しているからだ。
だから、あと四分と言われれば、きっちり四分後には車庫を出ていなければいけない。
操作輪にかけた手を、フランツがいったん引っ込める。
と、いきなり後ろから、ドスンという軽い衝撃が車体を揺らした。
計器腕板の上で黄色の電気ランプが点灯する。
連結器の確認表示灯だ。どうやら後ろにいるリンテの愛車、若草色の機関車〈パオロ号〉がこちらに連結したらしい。
フランツは開閉器を一つ押し下げて、連結を固定した。
確認表示灯が消えるやいなや鳴る、呼び出しのベル。
フランツはマイクを取った。
「リン? どうしたの?」
『ごめんラッツ。パオロの機嫌が悪くて、まだ蒸気が使えないみたい。しばらくテアで引っぱって』
「あー、わかった」
そこで、コツコツと窓を叩く音にフランツは顔を上げる。
外で整備員が水タンクを軽く叩いてから、フランツに向けて拳を握った。満水を示す合図だ。
「ありがとうございます」
フランツが手を振ると、整備員は軽く笑ってから地面に飛び降りた。
下で別の整備員が、フランツに白旗を振る。
いよいよ出庫だ。
車庫の大扉がスルスルと全開になる。
すっかり日が落ち、機関庫は薄闇の中に沈んでいた。信号灯の光があちこちに灯って、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「よし、行こうか」
『いつでもいいよ!』
リンテからの返事を待つことなく、フランツはマイクを置くと手動制動機を右手で全開にまで緩める。
車体を止めていた力がゆるんで、ガタンと軽く揺れた。
ここからは、一連の動作をすばやくこなさなくてはいけない。
蒸気の調整弁を全開に、ついでシリンダー排水弁も全開にする。
すぐさま、テア号の下面からブッシュフゥゥゥゥッ! と勢いよく蒸気がほとばしる。蒸気機関からの水抜きだ。
蒸気機関、特にシリンダーには、どうしても駐停車で水が溜まる。
これを放っておくとシリンダーを傷める原因となるので、必ず水抜きをしなくてはいけない。
一秒も待たずに、フランツは排水バルブを閉め切り、すぐさま蒸気操作梃子を前にめいっぱい倒した。
ガチガチと目盛り金が鳴るや、テア号全体をガツンと大きな振動が揺さぶる。
フランツはマイクを取る。
「出発管制、こちら631、出庫します」
『出発管制了解。
631、転轍機15と6を通って、三号転車台へ前進してください』
「631了解。転轍機15と6を通って、三号転車台へ向かいます」
交信の間にも、シリンダーが高圧蒸気の力で押されてギリギリと鋭く鳴り続ける。
そして、その力が頂点に達した瞬間、シュリッと動輪が空転した。
空転は一瞬で、すぐに車輪がレールを捕らえる。鈍い音で線路を噛み、全ての車輪が落ちついて回転を始めた。
ゆっくりと、そして力強く。
煙突から高々と蒸気を吐き、前へ前へと。
フランツとテア、リンテとパオロ。
二人の機関士と、二台の機関車は、薄闇の線路へと進み出した。
テア号の計器腕板で、時計が六時三十分を指した。




