22 黒地に白の計画書
「許可できるわけがなかろう!!」
トタン張りのカウンターを、岩のようなゴツゴツした声が激しく揺らす。
ここは保安隊のエルザブリュック駐屯事務所、その受付室だ。
駐屯事務所は機関庫の中にあるコンクリート造りの、色気も素っ気もない建物だ。飾り窓もおしゃれな破風もないのに、なぜか周囲にいばり散らすような雰囲気がある。
広い受付室は、四階建ての事務所の一階にあった。
幅の狭いカウンターで部屋を分けていて、カウンターに鉄格子がついている所など、まるで銀行そっくりだ。ただし銀行と違ってほとんど人がいない。
保安隊にしても鉄道側にしても、お互いに用事がないからだ。
しかし今は違う。
カウンターをはさんで数人が向かい合う。まわりには騒ぎを聞きつけた野次馬、機関士や整備員たちがパラパラと集まっていた。
部屋の入り口側にいるのは、フランツをはじめとする、さっきまでオフィスにいた四人だ。ハンスは苦い顔で、オーラフは足で床をコツコツ鳴らしながら、そしてマテウスは目を吊り上げて怒っている。
そんな彼らに対するのは、カーキ色の制服の上に、分厚い鎧を身につけた男が二人。
一人は若い男で、デスクに座っておろおろと四人を見ている。彼は今日の受付担当官で、フランツが名前も知らない新米帯剣官だ。しかしもう一人、その後ろに立つ男については、フランツはいやというほど知っていた。
短く刈り上げた黒髪に、太すぎるほど太い眉毛。顔を縁どる短いヒゲと、細くカールしたナマズヒゲ。
妙な平らな印象の顔には、鋭すぎる細目がらんらんと光っている。
オレンジの肩帯に数え切れない勲章をぶら下げるこの人物、名前をトニ・レクラマイオという。
エルザブリュック保安隊、つまり
〈氏族鉄道保安部隊 エルザブリュック駐屯部隊〉
のトップに座る男だ。
トニは大人としては小柄な体格だったが、威圧感だけはたっぷりとある。
彼は不機嫌もあらわに、カウンターに置かれた書類をバンバンと叩いた。
「このような計画書、我が輩は断固として認めん! さして緊急性のない列車に、我が屈強なる帯剣官を同乗させるなど、認める理由がどこにも見当たらんわ! さっさとお引き取り願おう!」
時刻は午後二時を過ぎたあたり。
この時間に受付にトニがいようとは、四人にとっては想定外の誤算だった。
トニはとても融通が利かない男だ。普通なら受付に立つような事はないが、今日は気まぐれを起こしたらしい。
ここぞという時に邪魔をするのは、彼の特技のようなものだ。とはいえ、トニの厄介さを知っているフランツは、ちゃんと対抗策を用意していた。
彼は持ってきた〈白い油〉入りのビンを、静かにカウンターに置く。
「理由ならここにあります、トニ大隊長。これが積まれている〈白い油〉です。リンテがそれと知らずに、これが積まれた列車を回送しています。そして、それが密輸団に狙われている可能性が高い」
トニはフンッと鼻を鳴らしてビンを取り、ぞんざいな手つきで確認する。
「確かに、〈白い油〉に間違いないようだな。しかし、これがどれほどの証拠になる? 禁輸品の密輸など、それこそ日常茶飯事ではないか。これが旅行者のカバンの中からでも出てきた物でないと、どうやったら証明できる?」
「そいつは確かに貨車にあったもんだ!」
フランツを押しのけてマテウスが前に出る。
彼は机に置かれた、できたてほやほやの運行計画書を指差す。
「詳細はこれに書いた通りだ! その〈白い油〉は確かに貨車から出てきたし、密輸団だって、ラッツが言うんだから間違いは無いぜ!」
顔を真っ赤にして怒るマテウスに、しかしトニは冷ややかな笑いを浮かべた。
「はっ、たかが一機関士の、それも子供の報告だけで間違いないと? 見れば貴様もずいぶんと若いじゃないか。保安隊は子供のイタズラに付き合っている暇などない!」
「しかしですな」今度はハンスが出る。
「詳しい事情はどうあれ、うちの機関車と連絡が取れんのですよ。せめて確認のためだけでも、その救援列車に了承をいただけませんか。同行して欲しいとは言わんですから」
フランツはハンスを見あげ、目を合わせて彼の考えを確認する。
救援列車というのは、特殊な扱いを受ける列車だ。
一般の運行計画に割り込んで運用される列車で、一応、事故災害への復旧補助が名目になる。実際には前もって運行スケジュールに空きが設定してあり、そこに埋め込む形になるのだが、予定にないのは確かなので、管理と保安、両面からの了承が必要になる。
管理の方は、管理局に出せばだいたい右から左に了承される。
しかし保安の方はちょっと面倒で、いちいち保安隊の受付に持っていき、ちゃんとした了承を得る必要がある。
今回、四人はちょっとした保安上の理由をでっち上げ、了承ついでに帯剣官を数人、用心棒代わりに借り受けるべくここに来た。
しかしトニの登場で、この案は早くもご破算となった。
頭の固いトニが、ちょっとした理由程度で了承するはずもないし、実際了承する気もないようだ。
そこで、どうやらハンスは作戦を変えたようだ。帯剣官の同行を取り下げる代わりに、了承のサインだけでも手に入れる気らしい。
ところがハンスに対して、トニはサインのためにペンを取るどころか、まるで馬鹿にしたように口をへの字に曲げる。
「ハンス・フロッシュか…………かつては豪快だった貴様も、ずいぶん心配性になったものだな。
貴様も知っていよう、山岳予備線はよく無線機が壊れる場所だ。またいつもの故障であろうよ。定時運行を脅かしてまで、この小僧の機関車を走らせる理由はない。
子供に踊らされるなど、ついにヤキが回ったようだな?」
「トニ! あんたっ!」
普段はかなりおとなしいハンスが、このときは怒りも露わにデスクを叩いた。
そのまま殴りかかろうかという彼の肩を、スッと伸びてきたオーラフの手がつかむ。珍しく不機嫌を顔に出したオーラフは、小さく首を振った。
「ハンス、落ち着け……何か手を考えよう」
オーラフがハンスごとフランツたちを引っぱる、ところが。
「待ちたまえ諸君」
意外にも、引き留めたのはトニだった。
「この〈白い油〉の出所について教えてもらおうか?」
最初に反応したのはマテウスだった。
彼は一度向けた背をくるりと返すと、受付担当官がゴミ箱に投げ込もうとしていた書類を引っつかむ。
「だからそれは――」
「黙れ小僧!」
大きく一喝するトニ。
彼はまるで、ならず者を見るような目で、マテウスとフランツを睨み付ける。
「自分たちが疑われているのが、わからんと見えるな」
トニがカウンターに付いたベルを鳴らす。
奥の扉が開くや、数人の帯剣官が部屋に走り込んできた。
電翔銃すら弾く重装甲に身を固め、切れ味と重さを両立させた大剣を手に、彼らは野次馬を押しのけると、すばやく四人を取り囲む。
「これはどういう事だトニ!」ハンスが叫ぶ。
トニは平手をかざして、ハンスを制する。
「黙っていてもらおうハンス。さて、小僧ども。貴様らは少量とはいえ禁輸品を持ち込んだのだ。戯れ言で謀ろうとは見あげた根性だが、我らがそれに引っかかるわけもあるまい?」
どうやら、証拠として持ち込んだ〈白い油〉が、かえってトニの勘違いと思いこみに火を付けたらしい。
フランツとマテウスを、密輸団の手先と思っているようだ。
「さあ、いったい誰にそんな知恵を吹き込まれた? どこでこれを手に入れた? 正直に吐くがいい!」
この状況を招いたことを、フランツはとても後悔した。
(ここまで来ると勘違いも清々しいな。といっても、これは最悪の状況だ。まさかここまで厄介な男だとは……どうする? どうすればいい)
背後で野次馬たちがざわついている。その中の誰かがぼそっとつぶやいた。
「あーあ、ほんとに〈クマ罠のトニ〉だわな。踏んだら災難、離しちゃくれない。あいつらもかわいそうだね」
他人事めいた言い方に思わずカチンと来て、野次馬をにらんだフランツ。
そこで彼の目は釘付けになった。
剣を構える帯剣官たちも、見知った野次馬も飛び越えた向こうに、身長が二メートルはありそうな人物を見つけたからだ。
赤銅色の肌に岩のような顔。濃い紺色の乗務服に、制帽のようなつば付き帽子。昨日、公園でフランツのピンチを救った大男に間違いない。
大男はフランツたちの騒ぎに構わず、横にいる誰かと話しているようだ。そっちは背が低く、フランツからは見えない。
ドガッ、と激しくカウンターを叩く音に、フランツはすぐに正面へ向き直る。
トニが青筋の浮いた顔でこちらを見ていた。
「よそ見をするな小悪党が! さあ、いますぐ吐かねば尋問室へと連れて――」
背後で上がったどよめきが、トニの言葉をさえぎる。
振り向けば、そこには例の大男が立っていた。手には書類大の、黒い石板のようなものが握られている。
同じようにふり返ったマテウスが目をかっぴらく。そしてうめくようにつぶやいた。
「アンタ、まさか昨日の……てか〈シーフォ〉だろ、それ」
(昨日? 昨日って、何でマットが……)
一瞬その部分に気を取られたが、フランツは次の単語にも反応した。〈シーフォ〉、その言葉を受けて、フランツは思わず石板もどきを凝視する。
〈シーフォ〉とは愛称だ。
本来は〈総合表示石板器〉といわれる〈異質機械〉、つまりケルノの同類、失われた技術の結晶だ。ケルノと違い、今でも東線区のどこかで作られていると聞く。
このあたりで目にする機会はほとんど無いので、フランツも名前以外の詳しい事はまったく知らなかった。
しかし、大男は周囲に驚く時間を与えない。無造作にハンスらを押しのけると、シーフォをトニに突きつける。
トニが目を剥いて大男を見あげる。
「な、なんだ貴様!?」
「許可しろ」
大男は深く、重い声でそっけなく言う。
かろうじてフランツから、シーフォの表面が見えていた。
艶のある黒の面に、青白い光が踊っている。よく見ると、それは表面が光っているのではなく、ほんの数ミリだけ盤面から浮いた、光の粒子の集まりだ。
光は文字列を形作っていて、その内容はフランツの位置からではよくわからない。
「……ふん、この運行計画書を了承しろと言うのか?」
トニがシーフォに目を留めてから、挑発するように大男を見る。
さすがに保安隊の大隊長ともなると、〈異質機械〉の一つや二つでは動じないらしい。そのトニによると、どうやら文字の内容は運行計画書のようだ。
「時間がない、早くしろ」
「やかましい! どこの馬の骨か知らんが、いきなり持ってきて了承しろなどと、偉そうに……」
トニの反論を気にすることなく、大男がシーフォの表面に指を滑らせる。
フランツの目の前で、光の文字列がめまぐるしく切り替わった。
どうやら、このシーフォは書類の代わりらしい。指を滑らせるとページをめくった事になるようだ。
「た……ぁ?」
なおも何か言おうとしたトニ。だが開きかけた口は、まるで凍り付いたように動かなくなる。視線はシーフォに釘付けだ。
(いったい何を見たんだ?)
フランツは好奇心にかられて、つま先立ちでシーフォをのぞき込んだ。
いくつかの文と図表は、白と黒が反転している以外、紙とインクの計画書と変わりない。一番下に責任者のサイン欄があるのも同じだ。
今、そこにはサインではなく、代わりに幾何学的な多面体で示された、紋章が描かれている。
フランツは、紋章に息をのむ。
(この紋章って……!)
「エ……エルツ氏族の紋章だと?! 貴様……いや、貴方はいったい……」
トニがうわずった声を上げた。
大男は黙ったまま、いつまで待たせる気だ? とでも言うようにアゴをしゃくる。
「ヒッ」と声を上げ、トニが弾かれたようにシーフォに触れる。鈴のような、チリリという小さな音がフランツに聞こえた。
シーフォを手元に戻し、大男が何かを確認する。
と、今度はそれをフランツたちに示した。
「許可が下りた。同行してもらう」
フランツだけでなく、ハンスやマテウス、オーラフまでもがしげしげとシーフォを見る。黒い表面には、運行計画書の項目が白黒反転で映し出されている。
必要機材と人員の項目だ。マテウスが眼を細めて文字を読む。
「使用機材……機関車三台……お、おい? これってテア号じゃねえの? しかもこの人員ってラッツだろ?」
彼に肩を叩かれるまでもなく、フランツもそれに気がついていた。
三つ並んで書かれた車両番号、真ん中にあるのはテア号の番号だ。さらにその下には、フランツのフルネームが光る文字ではっきりと書かれていた。
「ど、どういう事だよラッツ……」
「僕が知るわけ無いだろ?」
言葉を無くしてシーフォを見つめる四人。
大男がじれったそうにガツンと、床を踵で打った。
「正式な計画書だ。詳しい事は――」
「お待たせしましたぁ」
野次馬の後ろから、鼻に掛かった感じの甘い声が響く。
「ごめんなさい、とおります」と声が上がり、野次馬が道を空ける。書類を手にそこを通り抜けてきたのは、これまたフランツには見覚えのある人物だ。
「駅公社と、管理局の方に話を通してきましたぁ」
紫のハーフマントを揺らして、オレンジ色の四角い乗務帽を正す女性。
公園で転んだあの女性だ。チョコレート色の顔に、大きすぎるメガネが特徴的で見間違いようがない。
「助かる、フィー」
大男が、そこだけ妙に優しく女性にうなずく。
女性は四人にぺこっと頭を下げると、手に持った書類をハンスとオーラフに差し出した。公園で会った時とはまるで別人のような、ずいぶんはつらつとした動きだ。
「えっと、ハンス・フロッシュさんと、オーラフ・レストーさんですね? こちらは正規の乗務員、および機関車の借用書状になります。事後で構いませんので、サインをお願いします」
ハンスたちが信じられない顔で書類を取る。
彼らは目を通すか通さないかのうちに、驚きで顔全体を引きつらせた。あのオーラフすら目をこすって二度見している。
「……フランツ君?」
ややあって口を開いたのは、オーラフの方だった。気まずい顔でフランツを見てひと言「行ってくるといい」と漏らす。
「はい? うわゎっ!」
目を丸くしたフランツの襟を、大男が乱暴につかむ。
「これ以上は待てん! フィー、用意は?」
「完了です」
女性が特大の胸をしっかりと張った。
それ見ていたマテウスの鼻の下がだらんと伸びるが、フランツはそれをどうこう言える状況にはない。彼は小包よろしく、大男のわきに抱えられてしまった。
意外な客は二人して、その場にくるりと背を向ける。
呆然としたフランツと、マテウスたちの目が合う。なぜだか三人とも、いやトニまで含めた四人が、具合の違う神妙な面持ちでフランツを見ていた。
「……いったいぃぃぃぃぃっ――」
大男が駆けだし、フランツの声は間延びしたまま遠ざかる。
運ばれていくフランツに、マテウスが気の毒そうに、いつまでも手を振っていた。




