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少年機関士と白い油 "JungFyhrer un VajxOyl"  作者: じんべい・ふみあき
3章 〈白い油〉と密輸団の罠
21/31

20 謎は解けたが


 リンテが密輸団の罠にはまってから一時間ほど後。

 午後一時を過ぎた頃、フランツは機関庫に戻ってきた。


 彼はテア号を車庫に戻すなり、すぐに機関庫の事務棟、三階のオフィスへと走った。

 ロビーを横切り、狭い階段を二段とばしで駆け上がる。曇りガラスのドアをいくつも飛ばして、彼は突き当たりの部屋に飛び込んだ。


 そのオフィスは、ひどく散らかっていた。

 窓際に置かれた机のまわりには、小物が山のようにつみ重なっている。

 四メートル四方の部屋には、書類棚とロッカー、それと簡易ベッドが入っていた。書類や洗濯物があっちこっちに散らばっていて、せっかくの個人オフィスなのに足の踏み場もないありさまだ。


 そして部屋の主、マテウスは電話で何やらわめいている。

 右手に受話器を握って、黄色いコードを左手で落ち着きなくいじっていた。


 「いや、だからさぁ……そんなん一方的じゃねーの? 大家さん頼むよ」


 マテウスはフランツに気づくと、受話器を示してから頭を下げた。どうやら取り込み中のようだ。

 フランツは胸に渦巻く不安をぐっと押さえ、大きく息をついて柱に寄りかかる。


 「だから、いきなり値上げなんて言われてもさ……ちょっと、もしもし、もしもーし!」


 一方的に切られたのか、ため息をつき、マテウスは受話器をガシャンと叩きつける。そのはずみで書類の山がくずれ、机の上を紙の束が埋めつくした。


 「ちきしょう! なんてこった!」


 「ど、どうしたのマット?」


 「家賃を値上げするんだとよ、うちの部屋。払えないなら出てけだとぉ、くっそ守銭奴の金に汚いババアが!」 

 声を荒げて電話機に八つ当たりするマテウス。


 さすがのフランツも心配になり、自分の不安もそっちのけでマテウスに訊ねる。

 「マットは値上げされても払えるの?」


 マテウスはブンブンと首を振った。


 「無理だよ、今の家賃で精一杯だ。どうすっかなぁ、当分はここでいいとして」


 「いやよくないでしょ? ここはオフィスなんだし、これ以上……散らかしちゃまずいんじゃない?」

 オフィスと呼ぶには生活臭に溢れる室内を、フランツは両手でマテウスに示す。


 「まぁ、なぁ。公社の上司にも何とかしろって言われてんだよなぁ。新しい部屋ぁ探すしかないか。でも正直、あそこよりイイ部屋ってねえんだよなぁ」


 途方に暮れた様子のマテウス、しかしフランツの脳裏には、突然きらめく一つのアイデアが浮かび上がる。

 マテウスだけでなく、フランツたちすら救うアイデアだ。


 「あ、そうだ、そうだよ……マットいい考えがあるよ!」


 「あに? いい考えってなんだよ?」

 やる気なさそうに机の上を片付けながら、マテウスは肩を落としたままだ。


 「マット、新しい部屋って、ちょっと遠くてもいい? たとえば工場区の先とか……」


 フランツは部屋の物を蹴飛ばさないように気をつけながら、マテウスに近寄る。


 「工場区? 貧民街(エーレンダィ)じゃなきゃ構わねぇよ。部屋がそこそこ広くて、機関庫(ここ)まで三十分かからねぇなら大丈夫だ」


 「部屋は広くないけど、二部屋なら自由に使える。同居人はいてもいい?」


 「手癖の悪い奴じゃなきゃな。あ、女だったら大歓迎だぜ」

 具体的な話に乗り気になったのか、マテウスが身を乗り出す。

 

 そのとき彼の手元で、書類の下から小さなビンが転がった。そのビンを見たとたん、フランツの胸に、重い不安が一気によみがえる。


 「そんな場合じゃなかった!」


 叫んで、フランツはひったくるようにビンを取る。


 「おいおい! なんだよお前、いきなりえらく慌てやがって、部屋の話は?」


 「それは後でゆっくり話すよ!」


 窓の光に、フランツはビンをかざす。

 中には昨日と同じように、ドロッとした液体が入っている。しかしその色は、もう明るい青白色ではない。不気味に黒ずんだ灰色だ。


 (『本物なら、一晩と経たずに劣化して、灰色になるわ』)

 白い少女の言葉が、フランツの耳に遠くこだまする。

 

 ギリッと奥歯を噛みしめるフランツ。耳の後ろに生暖かい汗が流れた。


 「どったの? 怖い顔しちまってさ。そいつ、まだ見せてねえぞ。例のくわしい奴が今日は休みなんだ」


 全身に鳥肌が立つのを感じながら、フランツは冷静になろうと頭を振った。

 これだけでは信じられない。いや、信じたくない。


 彼は一瞬にして干上がった口を、ゆっくりと動かした。

 「部屋の暖房はどこ?」


 「暖房? ストーブならそこだが、どうしたってんだ?」

 フランツに面食らったように目をしばたかせながら、マテウスが壁際に据えつけられた、ギザギザに放熱板の並ぶストーブを指差す。


 フランツはそれをじっと見た。

 (この建物なら、機関庫の蒸気管から蒸気を取ってるはず。信じたくないけど、でも信じなきゃいけないなら証拠がもう一つ必要だ)


 フランツはその辺から汚れた布を取る。無言でビンの口を開けて、彼は中身を布に少し染みこませた。


 「ラッツいったいどうしたんだ? 説明してくれよ」


 「黙って、あと、離れて」


 肩をつかんだマテウスの手をほどいて、フランツはストーブに近寄った。


 (『もちろん劣化したからといって、蒸気に当てては駄目よ』)

 少女の言葉を思い出し、フランツは足下にあった長いスパナを拾う。彼がストーブの蒸気調整箱(シャッハテロ)を探ると、目当ての物はすぐに見つかった。


 「……あった」

 蒸気の逃がし弁に繋がる、斜めに切れたパイプが指先に触れる。フランツはそっと、根本のネジをゆるめようとした。


 そこに大きくドアを鳴らして、誰かがオフィスに入ってくる。

 「マット君、ここにいるかい?」


 ふり返れば、ドアに立つのは見なれた顔ぶれだった。

 禿げた頭とフサフサのあごヒゲの中年、褐色の肌に笑顔がまぶしいハンス。そして後ろに、背の高いアイスブロンドの紳士、オーラフが静かに続く。

 

 「トラム増発の件だがねぇ、ウチとしては当番以外の割り当てを増やしても利益が…………ん? ラッツじゃないか? どうしてここにいるんだ?」

 フランツを見つけて、不思議そうにヒゲを撫でるハンス。

 横でオーラフが静かに片眉を吊り上げる。


 「フランツ君、今日の業務報告がまだ上がってない。ここで何を――」


 オーラフの声が止まる。彼は鋭い目で、こわばったフランツの顔をじっと見つめ、やがて静かに問いかけた。

 「私たちも、見た方がいいか?」


 「……ぜひお願いします。マット、毛布を用意して」


 「毛布? これでいいか?」

 マテウスが簡易ベッドから灰色の毛布をつかむ。


 フランツはスパナの先に、白い油を含んだ布を巻き付ける。そして、蒸気を浴びないように体を反らすと、慎重に逃がし弁のネジを緩めた。


 プシッ、と空気の逃げる音がする。続いて一気に、かん高い笛のような音を立てて、蒸気がパイプから噴き出した。

 フランツはスパナの先端をゆっくりと近づける。


 反応は素早く、そして激烈だった。


 蒸気の白い筋に布が触れた瞬間、シャウッという、まるで鍋で油が跳ねるような音が鳴る。それがパチパチと弾けたと思ったとたん、布から炎が立ち上がった。


 フランツはすぐに蒸気からスパナを引き、レンガ床に放りだした。

 しかし炎は消えない。赤とも赤紫とも言えない不気味な色の炎が、白い油の染みから、ゆらゆらと揺れている。


 「……ウソだろ、おい。なんで燃えてんだよ!?」

 マテウスがうわずった叫びを上げた。

 ハンスら二人も目を丸くして、不気味に揺れる炎を見つめている。


 そして当のフランツすら、あまりのショックに言葉を出すことができない。


 (これではっきりしたけど、でも……これは)

 燃えているのはスパナでも、亜布(あふ)でも、そして油でもない。燃えるはずがない物が、怪しく赤紫の炎を上げる理由は、もう一つしかない。


 「これは……〈白い油(ヴァイシュオゥル)〉だ」 


 つぶやいて、フランツは左手をマットに向けて合図する。

 「マット、毛布」


 見なれない炎に縮み上がっていたマテウスだったが、しかし素速く手に持った毛布をスパナにかぶせる。

 二人はしばらく、火が消えるまで毛布を上から踏みつけた。


 「……消えた、か? ふぃぃっ……手品にしちゃ、ずいぶんドッキリさせられたな。フランツこいつは?」

 溶けてパリパリになった毛布を床からはがしながら、マテウスが息をついた。


 二人に近寄ってきたハンスが、ヒゲをわしわしと撫でつける。

 「ラッツ、何だそれは? ワシにはさっぱりだ」


 その横にすいっとオーラフが立つ。彼はメガネの奥から、厳しい視線をフランツに向ける

 「それは、禁輸品の〈白い油(ヴァイシュオゥル)〉だな? 私も見るのは初めてだが……何か事情があるようだ、フランツ君?」


 オーラフに促されて、フランツは紙とペンを取ると机に向かい、取り囲む三人に説明を始める。


 「これは……」




 積み荷が〈白い油(ヴァイシュオゥル)〉である確証を得た今、フランツは数日間の出来事をかなり詳しく分析できた。


 事の発端は密輸だ。

 三日前の事故列車、FBT412便は、密輸団に足として利用されたのだろう。

 おそらく整備経由で密輸用の偽物タンクを貨車に取り付けて、制動機(ブレムソ)を無効にすることで、蒸気に触れないように運ぶつもりだったはずだ。


 ところが一昨日の夕方、あの事故が起こった。


 密輸団にとって、いやフランツたちにとっても不運な事故だ。

 原因はまだ調査中らしいが、たぶん故意ではなく、事故そのものは偶然だろう。ところがその偶然が、一気に事態を複雑にしてしまった。


 全ては、この一文に集約される。


 密輸に使われた車両、すなわち〈ボッチ君〉は何両目だったのか?


 密輸団に会ってからこの方、フランツがずっと腑に落ちなかった事がある。

 なぜ密輸団は「貨車をすり替えられた」などと思ったのか。つまり、彼らの意図した車両から、なぜ積み荷を発見できなかったのか。

 

 それを解く鍵は、FBT412便の行き先にあった。

 FBT412便は、貨車のみ十二両の編成だ。後ろ八両は、最初からエルザブリュックで切り離される予定で、残り四両はさらに線路を上りに進み、ヴァスマウロ・シュタットが終点となる。

 

 密輸の目的地はおそらく終点だ。

 だから事故が起こったあと、彼らは事故現場を確認しに行ったはずだ。そして脱線した車両、三両目(・・・)四両目(・・・)を調べ、積み荷がないことを知ったとき、すり替えられたと焦ったのだろう。

 

 なぜフランツが目的地を断定できるのか。

 逆接になるが、それこそ密輸団が発見できなかったからだ。

 つまりフランツたちが止めた五~十二両目に密輸団が注目しなかった、という事実が、彼らが〈ボッチ君〉を一~四両目のどこかにつないだという証拠になる。そこから、行き先は自ずと明らかになる。

 さらに一両目と二両目は無事だったので、翌日には目的地に送られたという事実から、〈ボッチ君〉は三両目か四両目、どちらかということになる。


 ところがここで、フランツは大きな疑問にぶつかった。


 密輸団が〈ボッチ君〉を三、四両目につないだとしたら、何で暴走車両の先頭に〈ボッチ君〉がいたのか。当然脱線しているべき車両が、なぜ脱線もせずに走りつづけたのか。


 その答えは〈ボッチ君〉自身が握っていた。

 昨日、フランツは二回も〈ボッチ君〉を観察したし、さらに朝には、マテウスから気になる話も聞いた。

 「車両登録番号(レーギステ)が前の貨車と入れ替わっている」のは、繋ぎまちがいのせいではない。前後の連結器(クッペレーロ」)が激しく壊れていたのも、偶然ではない。


 フランツがたどり着いた結論。

 〈ボッチ君〉は四両目だった(・・・)


 その後ろに、次の文が続く。


 横転した貨車は三両目と五両目(・・・)だ。


 信じられない話かも知れないが、先例がないわけでもない。脱線したからといって、前から順にレールを外れるわけではないからだ。

 

 これはフランツの推測だが、転轍機(ヴァイヒェロ)で泣き別れ、つまり二つの線路を踏んだ三両目は、四両目、〈ボッチ君〉の連結器(クッペレーロ」)横にへし折り(・・・・・・)、そのあと横転した。

 四両目は反対側へ振られ、おかげで横転した三両目のわきを通り抜けられたのだ。 しかし五両目はそうも行かず、倒れた三両目に接触し、おそらく転がる三両目に下から突き上げられて、斜め上(・・・)に吹っ飛んだ。

 〈ボッチ君〉の後部連結器(クッペレーロ」)斜め上(・・・)にねじれていたのはそのせいだ。


 五両目に接触したことで、三両目もおそらくずれたはずだ。

 だから六両目から後ろは、接触することなく通過できた。結局、脱線横転は二両で収まり、四両目である〈ボッチ君〉と、六両目から先の貨車が暴走したわけだ。


 密輸団も、そしてフランツたちも、脱線したのは三、四両目だと思いこんでいた。だから密輸団はすり替えを疑い、フランツたちは密輸品入りの貨車を五両目・・・として機関庫に持ち帰った。


 密輸団がエルザブリュックをうろついたり、機関庫を見張ったりするのは、たぶん横取りを警戒しての事だ。

 肝心の積み荷は行方不明でも、すり替えだとすれば怪しいのは鉄道関係者だ。この街を見張っていれば、いずれボロを出すと踏んでの行動だろう。 


 しかし、現実はフランツに味方している。

 なにせ、こちらは現物を押さえている。あとは簡単な話で……




 「……あとは簡単な話です。今すぐ保安隊(シュトレジ)に通報しましょう。現物があれば彼らも……?」


 そこまで説明したフランツは、オーラフが顔を強ばらせていることに気づいて言葉を止めた。

 他の二人も、まずいという風に顔を見あわせている。


 「皆さん、どうしました?」


 「いや……その、ボッチ君なんだがなぁ……」

 マテウスが頭をワシワシとかきむしる。彼は言いにくそうに顔をしかめながら、ぼそっとつぶやいた。

 「もう出ちまった。回送に」


 「えっ?」


 「たしか九時ごろだったか、ラフ?」

 つるっとした頭に手を当てて、ハンスが緊張した顔でオーラフをふり返る。


 オーラフはオーラフで、落ち着きなくトントンと床を鳴らしながら答える。

 「午前九時五分発、FRT151便。回送貨車八両に機関車一両。乗務はリンテ君一人。山岳の第一から予備を迂回して、フェルナに入る回送路線だ。目的地まで、五時間二十五分の予定だが……」


 「リンテが!?」

 フランツは泡を食って時計を見た。針は一時二十五分を少しまわっている。

 (到着まで残り一時間、もうそろそろ、予備線からフェルナの機関区に入る頃だ。でも待てよ……密輸団がフェルナで密輸の仕込みができたって事は、向こうの機関庫には奴らの……)


 同じ事を考えたのだろう、マテウスが慌てて受話器を取り上げる。

 回したダイヤルは管理局(トゥルモ)の直通回線だ。


 「もしもし俺だ! マットだ! 悪いがFRT151便に連絡が取りたい、大急ぎ、大至急だ!」


 それから数秒のあいだ、四人は黙って顔を見あわせた。

 フェルナ・ブルッハイの機関庫に密輸団の協力者がいるなら、当然回送の情報は向こうにも漏れていると思って間違いない。

 エルザブリュックなら、それも機関庫の中なら保安隊(シュトレジ)の目があるから安心だ。

 しかし向こうは、それに線路の上は? 残念だが、まったく安全とは言えない。特に山岳予備線で何か起こった場合、それに気づくのにも、駆けつけるのにも時間がかかりすぎる。


 管理局トゥルモから返事があったのか、マテウスは静かに受話器を置くと、重い表情でフランツの方を向く。


 「ラッツ、落ちついて聞いてくれ。一時間ぐらい前から、リンの機関車と無線が通じなくなってるらしい」


 「そん……な、管理局(トゥルモ)は対処してないの?」

 「予備線だからって、あいつら真剣に考えてねぇな。いつもの故障だと思ってやがる」


 フランツの横で手を揉み、歯ぎしりするのはハンスだ。

 「なんてこったい……もしリンちゃんに何かあったら、ワシはラヴになんて言えばいい? なんとか確認する方法はないのか? 無線が無理なら人を出すか……」


 頭を抱えるハンスとマテウス。


 その横で、じっと考えるオーラフ。

 そのオーラフが、ふいに鳴らしていた足を止めると、両眉をスッと持ち上げてフランツを見つめる。その視線から、フランツは彼の考えを読み取った。


 フランツはゆっくりとうなずいて、机に手を置くとハンスとマテウスに切り出した。


 「……僕が行きます。だから、力を貸してください」

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