18 白い少女、〈白い油〉を語る
そこには〈白〉が立っていた。
まさに〈白〉としか呼べない。〈白〉としか表現しようがない。
そんな少女が立っていた。
純白にベージュの織り柄入りシングルブレザーに、足下まで届く真っ白なティアードスカート。頭には女性用の白いシルクハットを乗せ、染みひとつ無い手袋は、雪白のステッキを握っている。
肌も透きとおるように白く、頬には血の色が薔薇赤の陰を差す。
トルコ石にも似た青く大きな瞳が、強い意思を感じさせる、ちょっと吊り上がった眼窩にはまっていた。
「え……と」
ホームに降りたそのままの姿勢で、フランツは白い少女を見つめた。
背はリンテと同じくらいか、朝の陽射しに、しゃんと立つ姿がとても美しい。
整った顔立ちといい、すらりと細い体つきといい、間違いなく十人中十人が振り向く絶世の美少女だ。
口を半開きにして立ちつくすフランツに、少女はだしぬけにステッキの握りを突きつけ、形のいい眉を吊り上げた。
「機関士さん。失礼じゃありません? レディの顔をジロジロと眺めて」
銀の握りに彫られた小鳥が、くちばしでフランツのあごをなぞる。
小鳥の眼がまばたきしたように見えたが、それは象嵌されたルビーが光を反射しただけだ。
「機関士さん? お返事はどうなさったの?」
ようやくフランツは我に返り、あわてて少女に頭を下げる。
「す、すみません……失礼、しました」
冷静になるなり、フランツは自分がとんだ間違いをした事に気がつく。
(白い服なんて、たぶんとんでもない大金持ちだぞ! 機嫌を損ねたら、何されるかわかったもんじゃない!)
白い服を白いまま着られる。
ロードスでは、それは資産家だけができる事だ。
普通の暮らしをしていては、白い服など三日もたたずに真っ黒に汚れる。そもそも亜布には白に近い布はあっても、真っ白な布はない。
少女の服はおそらく、天然繊維を使った目が飛び出るほど高価な服だ。
冷たい汗がフランツの首を伝う。
ロードスの社会は金次第だ。
金を持つのは、権力を持つのと同じ事。もし彼女がフランツを苦しめようと思えば、その手段はいくらでもあるだろう。
たとえばこのステッキでフランツを殴ってもいい。それを咎めようとする者は、ここにはいないはずだ。
しかし少女はそれ以上何もせず、軽く鼻を鳴らすとステッキを引く。
「よろしい、素直に謝るのは、大変よい事です」
口元が笑っているところからすると、どうやら許してくれたようだ。
フランツはほっと胸をなで下ろした。
少女がステッキの石突きで、ホームの床をカツンと鳴らす。
「ところで機関士さん、ちょっと頼み事がありますの」
「はい?」
フランツが顔を上げると、低くシニョンに巻いたプラチナの髪を揺らして、少女はテア号に歩み寄る。
そして車居の後部、ハシゴの横にある小さなドアをステッキで指す。
「私、雑務室に乗りたいの。ドアを開けてくださる?」
「えっ? ……あ、あいにくですがお客――いえ、お嬢さま、機関車に乗客は乗れない規則です。後ろの客車に――」
言いつつ少女に寄ろうとしたフランツの鼻先に、ヒュッと風を切って、ステッキの先端が突きつけられる。
「はわっ!?」
「あちらの方が、乗ってよいと言ってくれましてよ?」
フランツの眼前から石突きが横に滑り、駅舎の方を向く。
それを目で追ったフランツは、駅舎の窓に大汗をかいて頭を下げる駅長を見つけた。横ではさっきの青年駅員まで、帽子を手にすがるような視線をこちらに向けている。
(うわぁ、さすがお金持ち。規則なんて関係なしですね)
「……わかりました」
渋々うなずくフランツ。しかし心の中では少女に対して、んべっと舌を出す。
「話がわかってもらえて嬉しいわ、ありがとう」
少女が微笑んで、フランツに丁寧に頭を下げる。
フランツはポケットから鍵を取ると、それで雑務室のドアを開けた。
ドアの奥には、天井の低い奥行き三メートルほどのスペースが空いている。これが雑務室だ。
機関車の後部、車居の中にある部屋で、位置的には運転席の下になる。
中型や大型の機関車なら必ずあるスペースで、荷物入れとして使われることが多いが、本来は交代要員が乗る場所だ。
「気をつけて、段差があります。中は狭いですから……」
「大丈夫、慣れてるわ」
フランツは手を貸そうとしたが、少女はそれを無視して一人でドアをくぐる。|
雑務室に立つと、彼女はすぐにフランツをふり返った。
「機関士さん、外を見られる窓はないのかしら?」
「突き当たりに、手で開く窓があります」
フランツが奥を指差すと、少女はすいっと雑務室の中を動く。突き当たりの壁に触れると、彼女はすぐに換気窓を開く掛け金を見つけた。
「あら、これね?」
「それはいったん下に――」
フランツの言葉が終わる前に、少女は掛け金を正しく外して、手早く窓を全開にする。
「慣れてるわ。心配しないで」
もはや言葉も出ないフランツをよそに、少女は窓から顔を出して笑った。
(慣れてるって……確かにすっごく慣れてるみたいだけど)
この困った乗客にどう対応するべきか、フランツは白い背中をにらみながら、顔には出さずに途方に暮れた。
直後に、遠くから乾いた汽笛が響く。対向列車が駅に近づいたようだ。
「お嬢さま、そろそろ出発なので閉めますよ。余計なお世話でしょうけど、そこら辺の機械には触れないでくださいね」
「ええ、わかったわ」
フランツは雑務室を閉めると、急いで運転席に上がる。
手早く出発準備を進めながらも、フランツは足下が気になって仕方がない。
床一枚へだてた雑務室からは、少女のものだろう軽やかな足音がときどき聞こえてくる。
「妙な事になったね、どうも」
一人つぶやくフランツ。
しかし、これ以上気を揉んでいられるような時間は残っていない。前方からは対向のトラム列車が駅に進入してくる。
郊外トラムは線路一本だが、駅の構内はすれ違うために対向で二本の線路が通っている。となりの線路をゆっくりとやってきた列車は、テア号とななめに顔をつきあわせる形で停まった。
さっきの駅員が外を走っていき、停まった機関車から通票を受け取ると、今度はフランツの所へ走ってくる。
「はい通票、確かに渡したよ」
「受け取りました。019、進行準備完了」
駅員から通票を受け取ってドアを閉め、フランツは窓越しに駅員たちの動きを見る。
ほどなく、先頭に立った駅員が、合図の旗を振った。
「発車します、揺れるから注意してください!」
雑務室に聞こえるように大声で言うが、返事はかえってこない。
だからといって確認しに行くわけにもいかず、フランツは大きくため息を吐くと、列車を動かした。
数分後、テア号は快調に蒸気を上げて、ゆるく上下する丘の間を進んでいた。
街に近づく軌道に入り、周囲には砂より土、そして土より草が目だちはじめる。人里離れたら草も木もないような荒れ地ばかりだが、街の近くには緑がある場所も多い。
しかし今のフランツに、風景をながめる余裕はない。
さっきから足下で、何やらガタゴトと不安な音がしている。まともな機関車の音ではなく、例の乗客が何やらやらかしている感じの音だ。
そして突然。
「あ、ようやく開いたわ」
足下の床が下へと開き、そこから少女が顔を出した。
「ちょ、なに勝手に通用口あけてるんですか?!」
フランツの抗議もむなしく、シルクハットを脱いだ少女は、彼を下から見あげて唇を曲げる。
「時間がかかったわ、思ったよりややこしい作りになってるのね」
「そういう問題じゃないですから、っていうか、危ないからそこ閉じてくださいよ」
「いいじゃない、ちょっとお話ししましょうよ」
「そんな、乗務中です勘弁してください」
思わず情けない顔になるフランツ。
彼女が開けたのは、運転席と雑務室をつなぐ通用口だ。狭いハッチで、機関士が交替するときなどに使われる。
「それにしても、この通用口は狭いわね。あなた通れるの?」
少女は断固フランツと話すつもりのようだ。フランツは説得をあきらめて、外を見落とさないように注意しながら少女に答える。
「……シートを下げないと、僕でも通れません」
「それは不便ね。設計の不備かしら」
「設計もなにも、このテア号は〈六コ車〉です。車居と運転席は別物をくっつけたって、前の持ち主は言ってました」
「なるほど」
少女は何かを納得したのか、顎に手を当てると、通用口からぐるりと運転席を見回す。
〈六コ車〉とは、六台の機関車の部品を使っている事を表している。
機関車の新造はとてもお金がかかるため、安い機関車は使える部品を組み合わせてでっち上げる事が多い。
テア号は六台分ツギハギなので〈六コ車〉。リンテのパオロ号なら、四台分だから〈四コ車〉と呼ばれる。
「たしかに別物を使っているみたいね。でもセンスがいいわ。この通用口はいただけないけど、この運転席の配置、ちゃんと使いやすいように考えられてるわ」
「それはどうも」
動力梃子を片手に、ぞんざいな口調で答えるフランツ。
対して、少女は心外そうに口に手を当てる。
「あら、本気で言ってるのよ?
この機関車、見た目だけではとても合成車には見えないわ。部品選びのセンスといい、組み合わせの技術といい、ちょっとした芸術品ね」
愛車を褒められて嬉しくならない機関士はいない。
金持ちは好きになれないが、フランツは少し声の調子を柔らかくした。
「それ聞いたら、きっと祖父は喜びます。これは祖父が特注した機関車ですから」
「特注、それは凄いわ。お祖父さまはどちらにお住まいなの?」
「もういません。二年前に他界を」
「そう……失礼な事を聞いたわね。ごめんなさい」
素直な様子で頭を下げる少女。
そのしおらしい姿に、とたんにフランツは少し自分が恥ずかしくなる。
金持ちといえば全員、人を人とも思わない連中だと思っていたが、中には例外もいるようだ。
この少女は多少ワガママだが、すくなくともフランツを見下してはいない。
「いいんです、顔を上げてください。そうだ、一ついいですか?」
「何かしら?」
「お嬢さんは、もしかして機関車関係の方ですか? お詳しいみたいですし、もしかして家が機関車を作ってらっしゃるとか?」
さっきから少女に感じていた疑問を、フランツは思い切って訊ねてみる。
雑務室の窓や通用口を簡単に開けられたり、機関車の設計センスに話を向けてみたりと、少女は機関車に対して深い知識を持っている。
もしかすると、機関車製造企業あたりの令嬢なのかもしれない。
しかし少女はさらりと首を横に振る。
「いいえ、家業は鉄道関係だけど、機関車を作ってはいないわ。詳しいのは……そう、趣味みたいなものね。それがどうかして?」
「ああいえ、もし機関車関係なら聞いてみたい事があっただけです、変な事を聞いてすみません」
フランツの答えに、少女は興味がありそうな様子で、通用口から身を乗り出す。
「どんな質問かしら、答えられる事なら、答えてもよろしくてよ」
「えっと、じゃ…………白っぽい機械油を知りませんか? 粉っぽいというか、青白い粉が混じっている感じで。それ以外は全然、ふつうの機械油みたいなんですけど」
何秒か下を向いた少女は、顔を上げると疑わしそうな表情をこちらに向ける。
「その白っぽい機械油のこと、聞いてどうするつもりなの?」
「あの、昨日……荷物に紛れていて、正体がわからなかったから。もし知ってればなぁって」
「すぐに通報しなさい、保安隊に」
ぼかしたフランツの答えに、少女は固い口調で返した。
思わずフランツは聞き返してしまう。
「はい?」
「通報しなさいって言ったの。私、同じことを二度言うのは嫌いなのよ? ともかく、それは〈禁輸品〉よ」
「き、〈禁輸品〉? それって輸送も売買も禁じられている物ですよね? あの油って、いったい何なんです?」
少女は困ったように顔を伏せ、指をおとがいに当てる。
そしてちらりとフランツを見て
「知りたいの?」
とつぶやく。
それにフランツがうなずくと、少女は小さくため息をついて、フランツをまっすぐ見た。
「そう、なら言うわね。それは〈水素化金属〉というものよ。見た目そのままに〈白い油〉とも呼ばれているわ。特一級禁輸品で、氏族の許可無しに持っていれば、即、死刑になるわ」
「し、死刑? 持ってるだけでですか?」
「ええ、もっとも、ちゃんと保安隊に届け出れば、殺される事はないでしょう。とにかく〈水素化金属〉は厄介な代物なの」
フランツは、厄介な代物、という言葉にごくりと唾を飲む。
「どうして厄介なんですか?」
「そうね……要するに、それがあれば燃料ガスを手軽に作れるから、かしらね。燃料ガスをどうやって空気から取り出すか、ご存じかしら?」
「いえ……知りません」
「そう。なら説明してあげる。
燃料ガスはね、空気の二酸化炭素を、高温にしたある種の金属に吹き付けて作るわ。その仕組みはとても大がかりで、巨大な工場を必要とするの。
この街にもあるわよね、公社の燃料ガス工場。とても大きいでしょう?」
「確かに、大きいですね」
駅公社の燃料ガス工場を思い浮かべるフランツ。それは工場区でもひときわ大きく、機関庫とほぼ同じ広さがある。
「〈水素化金属〉があれば工場は不用よ。家ほどの施設で燃料ガスを作れるの。
密造には最適ね。あれは闇市場なら、コップ半分の量で、邸宅が買えるくらいの値はするわ」
「燃料ガスを密造……だから〈禁輸品〉なんですね?」
「ええ、それに〈水素化金属〉は輸送するのも難しい。
すぐに酸化してダメになるし、水、特に水蒸気に反応して燃え上がるから、列車での輸送には特別な手段が必要よ。だから取り締まりやすいの」
「ちょ、ちょっと待ってください、燃えるんですか?」
あわてて聞き返すフランツに、少女はコクリと肯く。
「ええ、粉の状態なら間違いなく。油に溶かしても、高温の蒸気に晒されれば真っ赤な炎を上げて燃えるわ。それは綺麗な炎を上げて、ね」
見た事があるような口ぶりで、少女は笑いながら語った。
「といっても、あなたが見たそれが、本当に〈白い油〉だとは限らないから、一つ見分けるポイントを教えてあげる。
光に当ててみなさい。本物なら、一晩と経たずに劣化して、灰色になるわ。もちろん劣化したからといって蒸気に当てては駄目よ。その状態でも燃えるから」
そして最後に、少女は鋭い目つきでフランツを睨む。
「ともかく、本物だとわかったら、すぐに保安隊に届け出ること。一人ではなく、信用のある人を証人に付けること。面倒に巻き込まれたくないなら、絶対にそうしなさい」
「は、はい!」
その有無を言わせぬ雰囲気に気圧され、フランツは反射的に肯いた。
すると、少女はころっと表情を変え、きれいな歯を見せて晴れやかに笑う。
「久しぶりに長く話したから喉が渇いたわ。お茶はあるかしら?」
「水なら」
フランツが差し出した水筒を受け取ると、少女は軽く礼を言って雑務室へと引っ込んだ。
残されたフランツは、黙って考えをめぐらせる。
(あれが〈白い油〉だとして……あのタンク一杯分、とんでもない価値じゃないか……それなら密輸団が血相変えるのもわかるし、そう簡単にあきらめるとも思えない)
窓の外を標識が通過する。
それに気がつき、フランツは急いで減速操作を始めた。
「楽しい会話をさせていただいたわ。また機会があったら、ご一緒しましょう? それでは機関士さん、ごきげんよう」
次の駅で、白い少女は列車を降りる。
去っていく背中を見送って、フランツは黙ってハシゴに足をかける。なぜだか胸騒ぎがする。黒服たち、密輸団のことが、妙に気にかかる。
「……とにかく、戻ったらマットに話そう」
つぶやいて、ドアを閉めようとしたフランツは、駅舎の窓に白い背中を見つける。
待合室に佇む少女に、人ごみを抜けて誰かが歩み寄る。窓枠に隠れて顔は見えないが、紺色のジャケットと、灰色の乗馬ズボンが小さく見える。
その人物に見覚えがあるような気がしたが、フランツが確かめようとする前に、駅員が出発の旗を振った。
フランツはドアを閉じ切って、握り子に手をかけた。




