13 白い油
まさに鉄の殿堂。
機関庫に併設された〈エルザブリュック駅公社付属 総合車両整備基地〉――いつもは大整備工場といわれるが、ここは見わたす限りの鉄の山、スクラップの王国だ。
区画を二つも占める広い建物の中には、使わなくなったくず鉄が天井まで積みあげられている。
その全てが、いずれは鋳つぶされて部品へ変わり、再び線路の上に出て行くのだろう。しかし今は折り重なって、人には聞こえない寝息を立てている。
フランツはくず鉄の山に開けられた、かつては機関車の罐胴だっただろう狭いトンネルを、中腰で進む。
大整備工場は裏口からでも入れるが、だからといって入りたがる者はいない。
長年積みあげられてきたスクラップの山が、工場を二分する壁になっているせいだ。一応、通路は確保されているものの、それはただ通れるというだけの鉄山のケモノ道でしかない。
なぜフランツはわざわざ裏口から入ったのか。
それは昼の一件のせいだ。
フランツとリンテ、それにゾフィーの三人は、密輸団二人をを叩きのめしてしまった。実際にやったのは謎の大男なのだが、密輸団が素直にそっちを追うと思えない。だいたい、面が割れているのは三人の方だ。
ということで、三人は早々に公園を後にして、にぎやかな商業地区へと移った。
人ごみに紛れてしまえば、いくら密輸団でも、そう簡単に見つけることも、手を出すこともできないだろう。
そこで女子二人と別れて、フランツは機関庫へ向かった。
しかし入り口に着いたところで、彼は嫌な予想が当たったことを知る。
黒服を着た男たちが、さりげなく出入口を見張っていた。例の二人ではなかったが、同じ仕立ての服装に趣味の悪い宝石ブローチまでつけていれば、十中八九仲間に間違いない。
顔がばれているフランツとしては、この上素性のばれるような行動、つまり機関庫の出入りを見られるのは得策ではない。彼は一計を案じて、普段は人の出入りのない大整備工場の裏口を使うことにした。
幸い裏口に見張りはおらず、ひとまず作戦は上手くいっている。
そして今。
「下敷きになったら、ペチャンコじゃ済まないよね」
部品で組み立てられた狭いアーチをくぐりながら、フランツはそびえ立つ鉄の山を見てつぶやく。サビが浮いているものもあれば、油にまみれたもの、塗料が残っているものもある。全てに共通しているのは、どれもフランツをつぶせるほど大きいということだ。
「……どうか崩れてきませんように」
フランツはそう願いながら、おそらく車居の一部だろう、傾いた箱を抜けた。
外に顔を出せば、壮観な光景が広がっている。
広い場所に何層にも足場が組まれ、その中に包まれるようにして様々な貨車、機関車が並んでいる。大整備工場の心臓部、整備台だ。
あちこちから火花が散り、鉄のぶつかり合う騒音で空気が満たされている。整備員たちが忙しく駆け回り、あちこちで怒鳴り声が飛び交っていた。
フランツはざっと見わたして、すぐにお目当ての人物を見つける。
トレードマークの赤い作業服を着たマテウスだ。
〈ボッチ君〉と思われる白いホッパー貨車の足下に立ち、何やら作業に没頭している様子だ。
鉄山に敷かれた足場代わりの板を駆け下り、フランツはマテウスに声をかけた。
「マット!」
「……ん? ラッツか? ちょうどいい、こっちに来いよ」
手招きするマテウス。
フランツはそこら中に転がる道具箱や部品を引っかけないように、そろそろと足場の下へ移動する。貨車を乗せたレールは頑丈な桁で支えられ、その下では作業員が立って作業できるようになっている。
配管や整備装置を避けてマテウスに近づくと、彼は作業の手を止めて振り向く。
「よおラッツ、さっきは脅してすまん…………まぁなんだ、ああいう事は滅多にないんだが、たまにはこっちにも凄いお客が来るもんなのさ」
「いいよ、気にしてないし」
心から済まなさそうなマテウスに、フランツは手を振って答える。
「そっか、助かるわ…………そういやお前、いま裏口の方から来なかったか? あっちは大変だったろ、どうした?」
フランツは一瞬迷ったが、すぐに肩をすくめて、昼から今までの出来事をマテウスにざっと話して聞かせた。
「……密輸団かよ。またずいぶんな奴らに目ぇつけられたもんだな」
聞き終わったマテウスが、神妙な顔でフランツの両肩に手を置く。
「ま、マット?」
「今日から夜道に気をつけろよ。お前かわいいから、お持ち帰りされたら大変だぞ。おムコに行くまで清い体でいた――」
「何の話かっ?!」
拾ったスパナによる、フランツの容赦ないツッコミがマテウスに炸裂した。
安全帽ごと、痛打された頭を撫でながら、マテウスが涙を浮かべて反論する。
「いってェ……何だよぉ、俺はお前の事を心配して言ってんだぞ? 主に貞操についてだがな」
「心配の方向性が間違ってんだよ! ああもう、マットに話すんじゃなかった」
頭を抱えて横を向くフランツに、しかしマテウスは真剣な調子で続ける。
「マジメな話、保安隊に言った方がいいんじゃねぇの? 密輸団となれば問答無用で〈帯剣官〉の出番だろ?」
〈帯剣官〉は保安隊の役職名だ。常に鎧に身を固め、剣を下げているのでこの名が付いた。地球で言えば警察官、あるいは軍人といったところだろうか。
犯罪者の取り締まり、特に鉄道関係については、彼らの専門だ。
しかしフランツは、苦い思いで首を横に振る。
「それは考えたけど、物証も無いのに保安隊が動いてくれると思う? せめて密輸品でも見つかれば別だけど…………って、そのことを聞きに来たんだよ、何かわかった?」
マテウスは、はたと手を打つ。
「ああ、そうだ、調べるんだったっけ?」
「おい?」
再びスパナを振り上げるフランツ。マットがあわてて手を振る。
「冗談、冗談だって! さっきちょうどいいって言ったろ? 今しがた、いろいろわかってきた所なんだよ」
上にあるボッチ君の配管スペースを、マテウスは両手で指差す。
「そこが?」
まだ不機嫌にスパナで平手をパシパシと叩くフランツに、マットは「いいからそこに置け」と泣きそうな顔になった。
フランツはしぶしぶスパナを手放すと、下から配管スペースをのぞき込む。何本ものパイプに囲まれて、ずんぐりした圧力タンクが鉄さびの浮いた表面を覗かせていた。
「思った通りだったよ。やっぱり、こいつが全ての元凶だった」
マテウスは得意そうな顔でタンクをペシペシと叩く。
「実はこのタンクな……ニセモンだ」
「……はぁ?」
マテウスの顔を、フランツはまじまじと見た。正直なところ、今の言葉の意味が分からない。
(タンクに本物と偽物があるの?)
そんな心の声が聞こえたわけではないだろうが、マテウスは足下に置かれた別のタンクを、つま先でコーンと鳴らした。
「こっちが本物だ。このタイプの貨車に使われる純正品、つまり本物だ」
言われて、フランツは二つのタンクを見比べる。
大きさは同じで、付いている取り付け口の数にも違いはない。たぶん並べられたとしても、フランツには違いがわからないだろう。
「分かんねぇよな。ほれ、ここを見な」
そう言ってマテウスは、いわゆるニセモノの取り付け口の金具を示した。
薄暗い中、フランツはつま先立ちになって目をこらす。
(どっちも普通の…………ん?)
「あれ? こっちの金具、ナットが妙に丸いね」
「だろ?」
ようやくフランツにも、マテウスの示した理由がわかった。
本物の方は、ちゃんとネジが切られた金具になっているが、ボッチ君の方は、金具と言うには作りが甘い。よく見ればタンク本体に付けられた飾り物だ。
おそらく、これでは配管につないでも役には立たないだろう。
「……これってさ、繋がってるように見せてるだけ?」
「大正解、その通りだ。……あ、でも、この二つだけは本当に金具だぜ」
マテウスが指したのは、本来なら外気取り入れ配管につながっている部分だ。配管自体は取り外したらしい。金具の調整弁は閉まった状態だ。
「この貨車の調整弁をいじった野郎は、こいつに圧力を送りたくなかったようだな。……といってもこんなニセモノ、圧力かかった日にゃすぐ弾け飛んじまって、どのみち故障確定だな」
「なるほど、それで〈全ての元凶〉ね」
フランツは偽物タンクの表面に触れて、それから軽くノックしてみた。カン、と中身の詰まった固い音が返ってくる。
「……中には何が?」
「それは、これから確かめるのさ」
スパナを手に、マテウスが作業用の足乗せ台に乗る。弁を開けようとした彼を、しかしフランツは止めた。
「マット、ちょっと待って」
「何だよ? 中身知りたくないのか?」
手近にあった空きビンを取って、マテウスに差し出す。
「たぶん中身は密輸品だよ? 変な物だったら危ないよ……これで受けた方がいい」
「なるほど、そりゃそうだ」
マテウスがビンの蓋を開け、取り付け口にあてがう。
「……んじゃ改めまして」
何が出てきてもいいように身構えるフランツ。
マテウスがスパナで弁をゆるめる。プシッという、空気の入る小さな音がしたが、それ以上は何も起こらない。
拍子抜けした顔でマテウスがふり返る。
「何も出ねえみたいだな」
「いや、マット見て。ほら」
取り付け口を見ていたフランツは、先端から何かが滴るのに気がついた。
液体がビンの中に一滴、ぽたりと落ちる。さらにもう一滴。かすかに糸を引きながら、ネバついた液体が少しずつ、ビンの底に溜まっていく。
「何だ、油か?」
「油みたいだけど、この色は変だね」
ビンの底に三センチほど溜まった液体を、フランツは下から観察する。それは機械油のようにドロッとしていて、何とも言いようがない、不思議な青白い色に濁っていた。
「もういいな?」
マテウスが弁を閉じる。
ビンの中には、全部でコップ一杯ほどの液体が溜まった。
マテウスからそっとビンを受け取ると、フランツは顔を近づけて臭いをかいでみる。しかし何の臭いもしない。フタを閉めて振り動かしてみても、液体はのったりとした機械油そのものの動きで、ビンの内側にへばりつくだけだ。
「やっぱり油だな…………これが密輸品か? 値打ち物には見えねぇぞ?」
見ていたマテウスが頭をひねる。
「……変な色ってだけだよね。マット、これに心当たりはないの?」
フランツは天窓からさし込む光に、液体を透かしてみる。
どうやら不思議な青白さの正体は、細かい粉のようだ。それが透明な油に混じっているので、青白く濁って見えるのだろう。
「さっぱりだ。ラッツ、そいつ預かってもいいか? 油に詳しい知り合いに、明日にでも見せてみるわ」
これ以上見たところで、正体が分かるわけでもない。フランツはあきらめて、ビンをマテウスに渡した。
「じゃあその……白っぽい油について何か分かったら教えて」
そこでふと気になって、フランツは頭上のボッチ君を指差す。
「ちなみに、この貨車はどうなるの?」
マテウスは足乗せ台から下りると、腰に手を当てて面倒そうに顔をしかめた。
「こいつは、フェルナ・ブルッハイ鉱業公社の貨車なんだよ…………だから今夜にでも仮修理して、明日にゃ回送で送り返さねえと」
腕組みをして、マテウスはボッチ君を見あげる。
「鉱業公社の奴らはケチだからな。自前で修理したがるんで面倒くせぇ。このタンクも、これ以上手を付けない方がよさそうだし。ブレーキ故障って事で書類出すしかねぇな」
「なるほど、ね」
フランツは納得してうなずく。
貨車はほとんどが、どこかの会社の持ち物だ。
修理や整備は持ち主の責任になるが、運行に問題がある場合には、出先の駅が勝手に修理することも許されている。
とはいえ、勝手な修理でお金が余分にかかるのを嫌がる会社も多いわけで、実際には故障したまま送り返すというのもよくある話だ。
「おっといけねぇ、もうこんな時間じゃねえか」
足場に吊された時計を見て、マテウスは急いでビンをポケットにしまう。
「そろそろ戻らんと、運行管理の遅番が入っちまう時間だ。遅れたら今度こそヤバいんだよ。すまんラッツ、俺そろそろ事務所に戻るわ」
「そっか、がんばってね」
二人は互いに手を上げ、別々の方向に歩き出す。
そこでフランツは何気なく立ち止まり、レールのすき間からボッチ君を見あげた。
車台に赤い印が打ってあるので、たぶん後部だろう。ここから見える連結器は、大きく斜め上に反り返っていて、連結腕板はひどくねじれていた。
「なるほど、これじゃ連結も外れるわけだ」
一人でそう言ってから、フランツは引っかかるものを感じて、ふたたびその部分をよく見る。
(これって後ろの連結器だよね? 前が脱線したからって、後ろもこんなに壊れるものか?)
どうにも気になるが、訊ねようにもマテウスはもういない。別の整備員を捕まえようにも、皆忙しく動き回っていて、とても声をかけていい感じではない。
解決できない疑問は脇に置くしかない。フランツは解決を棚上げして、機関庫の方へ出ようとした。が、黒服の事を思い出し、クルリと向きを変える。
見あげる先には、スクラップ山が立ちはだかっている。
「……しょうがない、再挑戦だ」
フランツはがっくりと肩を落とし、再びくず鉄に足をかけた。




