12 迷路の破壊者
フランツとリンテ、そしてゾフィーの三人は、昼食の片付けを手早く済ませて、黒服の男たちの後を追った。
先頭に立つのはゾフィーだ。
彼女はわざと黒服たちから距離を開けて、木立に紛れるように慎重に尾行する。
物陰に隠れるときもあれば、大胆に距離を詰めるときもある。一度などは、いったん黒服たちを追い越してから、茂みの中をこっそりと引き返した。
その動き、もはや公園の地図が頭に入っているとしか思えない。フランツは心の中で舌を巻いていた。
「ゾフィってさ、まさかいつもこの方法でやってんの?」
小声でのリンテの問いかけに、先頭を行くゾフィーが肩をすくめてとぼる。
「手慣れた尾行ですね、誰か先生でもいるんですか?」
フランツのヒソヒソ声に、ゾフィーはちらっとふり返ると照れくさそうに笑った。そしてひと言、「お祖母ちゃん」とだけ答える。
(……どんなお祖母ちゃんなのやら)
そうフランツが思った瞬間、森の遊歩道を歩く黒服たちが、クイッとわき道に逸れた。
「この先は……まずいわね」ゾフィーが立ち止まる。
「ゾフィ?」
フランツが声をかける。
鼻に指を置いて、ゾフィーは地面を見つめてつぶやく。
「この先って迷路なのよね。中は見通しがきかないし、そのうえ出口が三つあるのよ。距離をつめたら怪しまれるし、かといって見張ろうにも……」
彼女は転がっていた石で、素速く地面に見取り図を書いた。
黒服たちが曲がっていった先には、生け垣でできた迷路があるらしい。
ゾフィーの図によると、迷路自体は単純らしいのだが、出口は三方向に開いている。これではどこから出てくるのか、見当が付かない。
「出口三つだから、三人で手分けしたらいいんじゃない?」
軽くそう言うリンテに、ゾフィーは首を横に振って否定する。
「気づかれたかどうか、今のところ五分五分で自信がないのよ。こっちをまくために、入ったと見せかけて入り口から出て行くかもしれないわ。だから見張るなら、入り口も入れて四つじゃないと」
「こっちと、それからこっちは開けてる?」
フランツは見取り図の上と右を指差した。彼の不確かな記憶によると、そこには小さな芝生広場があるはずだ。
ゾフィーはすぐにうなずいて、見取り図に広場を書き加える。
フランツは広場の端、迷路の出口がギリギリ見通せる場所を指して
「ここに一人、陰になってる出口にもう一人でどうかな? 一人は黒服の後をつけて迷路に入る。距離を取って、もし引き返してくるなら迷路の出口付近に隠れる」
石を拾って、フランツは見張りを立てる場所にバツ印を入れる。
「だいたい……三分待ってから見張り役は交替する。二回交替しても黒服が出てこないなら、その時は入り口に集合すればどうだろう」
フランツの説明はいくぶん早口だったが、ゾフィーはパチッと目配せで答える。どうやらお気に召していただけたらしい。
リンテはよく分からない、と顔に書いていたが、これ以上説明に回す時間はない。時間が経てば経つほど、黒服たちとの距離は開く。
「僕が黒服を追いかける。小柄で目立ちにくいから」
「わかったわ。リンちゃん、最初は左に回って。私は広場の方に行くわ」
「りょ、りょーかい。ラッツ気をつけてね」
言葉を交わすと、三人はバラバラに走りだした。
フランツが追いついた時には、黒服たちはちょうど迷路に入る所だった。
いったん立ち止まると、木の陰に隠れてしばらく様子をうかがう。出てこないのを確認してから、彼は迷路の入り口に駆け寄った。壁になった生け垣に、そこだけぽっかりと口が開いている。
慎重に顔を出すと、角を曲がる黒い背中がチラッと見えた。フランツは足音を立てないように、柔らかく芝生を踏みながら迷路に入る。
生け垣の壁は、フランツの背の倍はあるだろう。地面は芝生で覆われて、どちらを見ても緑しか見えない。空からはドームの格子模様が影を落とし、緑はまだらな光に彩られていた。
最初の角に近づき、さっきと同じように黒服が曲がるのを確認してから後を追う。
次の角にフランツが取り付いたその瞬間。
「うらぁッス!!」
だしぬけに大きな声が上がった。
フランツが反応するより速く、角に潜んでいた太っちょ黒服が彼にのし掛かり、強引に地面へ引き倒す。
フランツがうつぶせに転がると、その両腕を太い手ががっしりとつかんで、上に締め上げた。
「兄貴! 捕まえたッス!」
太っちょ黒服が威勢のいい声を上げる。それに呼ばれるように、突き当たりに潜んでいた黒い靴が、すうっとフランツの方へ進み出る。
フランツは靴の持ち主を見あげた。
痩せぎすの男、もう一人の黒服に間違いない。
前から見ると、男たちの服装はさらに異様だ。黒スーツに黒ネクタイ、靴も黒の布靴で、羽織ったコートや低いハットまで真っ黒だ。唯一、胸元に飾られた女物の宝石ブローチだけが、ものの見事に浮いている。
痩せぎす男は、ヤギよろしく尖ったあごひげを撫でると、下品そうな笑いを浮かべた。
「よくやったぞヤーコプ、えらい、お前はえらい」
「大したことないッス。こんなチビ、おいらでもすぐに捕まえられるッス」
ガサガサした野太い声が、ヤギ男のに応えて自慢げに笑う。おそらく太っちょ黒服の声だろう。名前はヤーコプというらしい。
フランツは抵抗しようとして、しかしすぐに動きを止めた。
「抵抗は身のためにならんぞお嬢ちゃん…………いや、お坊ちゃんか?」
ヤギ男がニタリと笑い、にぶい銀色に光る機械を握る。ゴツゴツと不格好な箱から生えた短い筒が、フランツの眉間にまっすぐ向けられた。
(〈電翔銃〉! それも密造拳銃か……)
フランツは驚きと焦りで顔を引きつらせた。
〈電翔銃〉は電気の力で金属を飛ばす武器だ。薄い鉄板を貫通する程度の威力があり、もちろん、生身に当たれば痛いではすまない。本来はとても高価で保安隊や金持ちでもなければ持つことはできない。しかしごく一部の業界、つまり裏社会では密造が横行していた。
(拳銃を持ってるなんて……こいつらまさか……)
内心で歯がみするフランツの前で、ヤギ男が首をかしげる。
「服だけ見れば男か? いや、最近は女でもズボンが普通だからな…………うむ、男か女か分からん。ヤーコプ、お前どっちだと思う?」
「確かめた方が早いッス!」
ヤーコプがフランツの胸を鷲づかみにする。同性の、それも脂ぎった手で胸板を撫で回され、フランツは気色の悪さに小さくうめきを上げた。
「ほほぉ、こりゃ見事なちっぱいッスねぇ…………兄貴、こいつは女の子ッス。こんな可愛い娘が女のわけがないッス」
「はぁ……? いや、ヤーコプ、お前は何を言ってるんだ。結局どっちなんだよ?」
ヤギ男が頭を抱える。
ヤーコプの手が離れたことに安堵するフランツ。
(触られたのが下でなくてよかった……あぁ、気持ち悪かった)
ところが安心したのもつかの間、ヤギ男の拳銃が彼のおでこに突きつけられる。
「考えてみれば本人に聞いた方が早い。ガキ、お前の名前は?」
引き金にかかった指がわずかに震える。
猶予無し。そう悟ったフランツは、素速く考えを決めた。
相手の誤解は最大限に生かす。より油断を誘うべく、フランツはわざと声を高く作り、か弱ささえにじませる。
「フラン……です」
「なるほど、たしかに女だな。よしフランちゃん。ここに何しに来た?」
「ただの、散歩です」
「ウソ付くんじゃないッス!」
怯えたフリをしたとたん、ヤーコプがギリギリと腕を締め上げる。
フランツはか細く「ううっ」と声を上げたが、もちろん演技だ。不機嫌全開の寝起きリンテに比べれば、女だと思っているだろうヤーコプの力は、特にどうって事はない。
ヤーコプをたしなめるように、ヤギ男が手を上げる。
「こらヤーコプ、女性はもっと丁寧に、紳士的に扱うもんだ」
ヤギ男は拳銃を引っ込めると、かわりにしゃがんで、フランツのアゴに指を這わせる。
「さてフランちゃん? 散歩だと言ったねぇ……でも、さっきまでお友達といっしょじゃなかったかい? 二人はどうしたのかな? まさか迷路の向こう側で、見張ってたりはしないのかな?」
「それは……」
フランツはとっさに言葉に詰まる。どうやら、ゾフィーの自己申告は五分五分のハズレの方だったようだ。尾行はバレていた。
背中にのし掛かるヤーコプが、ドラ声を張り上げる。
「ふん! とぼけようったってそうは行かないッスよ! 素人がコソコソつけ回して、怪しいったらこの上ないッス! おいらたち〈ユーヴェルキステ密輸団〉を舐めてもらっちゃ困るぶむぎゅぐ――!」
「ヤーコプ! このボケナス!」
ヤギ男があわてふためいてヤーコプの口をふさぐ。
しかしすでに遅い。フランツは驚いたフリはそのままに、今聞いた名を頭に刻み込む。
(〈ユーヴェルキステ密輸団〉ね、はっきり憶えたよ。それにしても〈密輸団〉が関係してるとは、ハチの巣を突いちゃったかも)
〈密輸団〉とは読んで字のごとく、物をこっそり運んでは不正な儲けを上げる、おおむねならず者の集団だ。正体がわかったところで、フランツはさらに考えを進める。
(昨日の列車、あれに密輸品が入っていたのか? でもホッパー車だ。物を隠せるスペースなんてない……)
「あー、コホン、フランちゃん、このバカの言うことは忘れろ」
再び拳銃をフランツに向けて、ヤギ男がせき払いをする。
「とにかく、おじさんたちは荒事のプロなのだよ。残念だがね、お嬢ちゃんたちの尾行など最初からお見通しというわけだ。だから観念して、おとなしく誰に頼まれたかしゃべってしまうといい。んん?」
この状況で、まさか興味本位でとは言えない。
フランツはうつむいて黙るが、それを拒否だと勘違いしたのか、ヤギ男はさらに拳銃をフランツの額に押しつける。
「いいかいフランちゃん。おじさんたちだってバカじゃない…………そこのは別だが、ともかく、〈あれ〉はどこにあるのか、それを言ってくれればいいんだよ」
「〈あれ〉? それは何のことで――」
「とぼけるなッス! 積み荷入りの貨車をすり替えへぶっ!」
ヤギ男の拳がヤーコプに飛ぶ。
「ヤーコプ!! マヌケが黙ってろ、次に何か言ったらお前の頭を先に撃ち抜くぞ!」
上で展開される間抜けなやりとりに、しかしフランツがかまっている余裕はない。今聞いた情報だけでも、まとめるために必死だ。
(〈あれ〉――おそらく積み荷だろうけど、その場所を知らない? 貨車をすり替えただって? いったい何がどうなって――)
しかしそれ以上考える前に、ヤギ男がペチペチとフランツの頬を打つ。
「大した度胸だねフランちゃん。でもね、口を割る手段なんて、いくらでもあるんだよ。例えばお友達に話してもらうという手もある。そろそろ様子を見に来るんじゃないか?」
「それは……!」
言われてフランツは、心の底から焦った。
誰も迷路から出てこないと知れば、リンテたちは迷路に入って探しにくるだろう。さしものリンテも銃が相手では不利だし、ゾフィーに至っては言わずもがなだ。
フランツのうろたえた様子に、ヤギ男が勝ち誇った顔で眼を細める。
「なんなら、三人まとめてアジトにご案内するという手もある。その後どうなるか……賢いフランちゃんなら分かるだろう? ひどい目に合いたくなかったら素直に――ごぶっ!!」
ヤギ男が言葉の途中で、突然、横向きに吹き飛ぶ。自分から飛んだのではない。生け垣を突き破ってきた何かが、横っ面にクリーンヒットしたからだ。
ヤギ男は頭から芝生の上を転がり、生け垣にもたれてそのまま動かなくなる。手足がピクピクと震えている所からすると、死んではいないようだ。
「カルステン兄貴!」
ヤーコプが叫ぶ。
フランツは目の前の何かを、黒くて太い物体を見つめる。
それは腕だ。黒いピッチリとした長袖と、その先端には赤銅色の拳が見える。岩を思わせるガッチリとした豪腕が、生け垣からニョッキリと生えているのだ。
と、次の瞬間、バリバリと音を立てて、生け垣が内側から弾け飛ぶ。
中から現れたのは、とても大柄な男性だ。
その背丈は、フランツは言うまでもなく、オーラフとすら並ぶほどだ。おそらく二メートルに迫るだろう。上下にピッチリとした、黒というより濃い紺色の服を着ている。
男は体に付いた枝や葉っぱをふるい落とす。そして、つば付き帽子の下から、ギロリと鋭い視線をこちらに向けた。
「ひっ!」
ヤーコプが身じろぎして腰を浮かせる。
重い体重が消えた、そのチャンスをフランツは逃さなかった。
いきなり現れた大男はとりあえず無視し、フランツは手をひねってヤーコプの拘束から引っこ抜く。そして自由になった腕で、腕立ての要領で一気に体を起こした。
「あらっ、へぶふっ!!」
押しのけられ、バランスを崩したヤーコプに、黒い風が突き刺さった。
大男の回し蹴り、それも信じられないような速さだ。足はヤーコプの頬にめり込む。それでも止まらず、ヤーコプを反対側の生け垣へとはじき飛ばした。
上半身丸ごと生け垣に刺さったまま、ヤギ男に並んでヤーコプも動かなくなる。
フランツは呆然とそれを見つめ、それから気がついてふり返る。
「あ、ありがとう、ございます」
おっかなびっくりのフランツの言葉に、男が応えるようすはない。彼は黙ったまま、岩山のような険しい顔をフランツに向ける。
「え、えっと……」
「注意深くなれ、そして去れ」
男が太く低い声でぼそりとつぶやく。
わけが分からず、フランツが聞き返そうとしたそのとき。
「煙が行きますぅ!」
どこからが若い女性の声がした。続いてフランツの足下にコロンと、平たい缶詰のような物が転がってくる。
「……はい? 煙って、うわぁっ!」
フランツが思わずそれをのぞき込んだ。とたん、缶詰モドキはパカッと蓋を開くと紫の煙を噴出させる。
煙は異様に濃く、吸い込むとノドがチクチクと痛くなる。
あっという間に視界を奪われ立ちすくむフランツ。その腕を、誰かががっしりとつかみ、力強く引っぱった。
「誰ッ!?」
「あたしだよ!」
返ってきたのはリンテの声だ。
とにかくフランツは、引っぱられるままに走る。迷路の出口を抜けると、そこにはゾフィーが待っていた。
彼女は紫の粉まみれになった二人を、心配と興味の入り交じった顔で迎えた。
「すっごい煙だったわね! どこも怪我してない? 燃えたりとかも?」
「いえ、どこも……」
「うえっ、ぺっぺっ! ……もーなんなのアレ!」
ノドを押さえるフランツのとなりで、リンテが全身についた粉をはたき落とす。
「ゾフィ、なんで、ゲホッ、リンテが?」
「ラッツ君が出てこないから心配して、リンちゃん飛び込んでいったの。そしたら煙がブワーッて上がって…………何があったの?」
フランツは頭を振る。ノドがジリジリして、これ以上声が出せそうにない。
「と、とりあえず離れよう?」
リンテが二人の手を引く。三人は中央広場へ向かう道を走りだした。
◇
それを遠く離れて見つめる人物が二人。
野リンゴの木陰に、白のドレスと紺色のジャケットが揺れる。
「……困ったことに、なっているのかしら?」
「手は打ってあります。二人はうまくやってくれるでしょう」
言葉を交わすと、二人は影にとけ込むように姿を消した。




