9 翠と蒼、黒と白
太陽がひときわ高くのぼる頃、エルザブリュックは一日の最高潮を迎える。
この街には、周辺から多くの人がやってくる。
街にいくつもある工場や、鉄道関係に働きに来る労働者もかなりの数になる。それ以上に多いのが、買い出しに来る客と、売りにくる行商だ。お昼時には大通りのほとんどが露店で埋まり、買い物客でごったがえす。
ロードス大陸では、人の動きはそのまま鉄道の動きになる。
トラムは今日も今日とて大忙しだ。あっちからこっちに、こっちからあっちへと、小さな列車が街のあらゆる場所から人を乗せて、あらゆる場所で人を下ろす。
そしてトラム鉄道が大賑わいなら、いっしょに忙しくなるのが機関庫だ。あっちで給水して、こっちで転車台を回し、故障が出れば代わりの車を手配してと、お祭りさながらの大騒ぎになる。
家事を片付けたフランツは、休みにも関わらず機関庫へと顔を出した。
まず彼が向かったのは整備場だ。五つある大車庫の一つで、主に普通の点検整備に使われている。フランツたちが借りている車庫より遙かに天井が高く、扇形の建物内には大小様々な機関車が並んでいる。
その隅にテア号が停まっていた。
フランツは顔見知りの整備員をつかまえて、テア号の整備結果を聞いた。幸いにも、返ってきた答えは問題ないとのことで、フランツはほっと胸をなで下ろすと、眠っている愛車を撫でてから整備場を出た。
テア号の調子を確かめたのは、フランツにとって実はついでだった。
彼が機関庫へ来た本当の理由は、昨日運んできた貨車を確かめることだ。ブレーキが故障しているのは知っていたが、フランツはそれだけでは納得できない、何かを感じていた。
フランツは機関庫の角にある、お昼時でもわりと静かな場所についた。
ここには〈一次置き場〉という、味も素っ気もない名前がついている。となりには修理工場や鋳物工場が立ち並び、塀に囲まれた三列の線路からは、各工場へ向けて分岐が伸びている。
ここは大きな修理が必要な車両を、とりあえず停めておくのに使われていた。
一次置き場の通用口をフランツがくぐると、最初に若草色の機関車が目に飛び込んでくる。
リンテの〈パオロ号〉だ。
昨日の晩に一時置き場へ貨車を運んだあと、ついでに調子を見るためにと、停めっぱなしにされていた。さえぎる物のない日の光を浴びて、パオロ号は丸くなった子猫のようにゆったりと座りこんでいる。
フランツは近づくと、パオロ号の水タンクに手を伸ばしてポンポンと叩いてみる。
パオロ号の水タンクは、罐胴の上に覆いかぶさるように、アーチ状の断面をもって設置されている。この形は〈サドルタンク〉と呼ばれる。ちなみにサドルとは馬の鞍の事だ。
パオロ号の色は若草色一色ではない。水タンクの縁と後部胴体――車居には、薄いバラ色の線が挿してある。
買ったときにリンテが、ダダをこねて塗らせたものだ。
横をまわりながらフランツは車台の下を覗く。
車輪は全部で四軸、つまり八輪だ。軸数だけならテア号と同じだが、動輪の数は一軸減って二軸でしかない。そのかわり動輪の直径はテア号より一回り大きいし、一軸の先台車がついていて、カーブでの動きを滑らかにしている。
ちょっと目にはずんぐりしているパオロ号だが、その正体は中型機関車には珍しい高速車両だ。最高速度、加速共にテア号よりずっと速い。荷物を多く運ぶよりも、少ない荷物を高速で引っ張るのに向いていた。
販売業者の話によれば、ベースの一部にはレース用機関車の部品を使っているそうだが、フランツに言わせれば眉唾ものだ。
と、パオロ号を眺めるフランツに、よぉ、と明るい声がかかる。ふりむけば、砂地を歩いてくるのは褐色の肌に赤い作業服。マテウスだ。
「何してんの?」
と聞くマテウスに、フランツはここへ来た理由を手短に説明した。
「へぇ、そんな事でわざわざ? 気になって見に来たわけだ? 休日つぶして?」
フランツより背の高い彼は、まるで子供を撫でるようにフランツの頭に手を置いた。
「……ラッツ、そろそろお前、仕事好きがビョーキの域に入ってるぜ?」
その手を払いのけて、フランツはため息をつく。
「病気って、ずいぶんな言葉をどうも。……でさ、どうなのマット?」
マテウスは黙ってフランツを手招きした。
二人は連れだって、一時置き場の反対側へ向かう。そこには白塗りのホッパー貨車が八台、並んで停車していた。マテウスはその中から、一番手前に停められている貨車へと向かう。その車両だけ連結器まわりがひどく壊れている。
フランツはその貨車に見覚えがあった。
「……〈ボッチ君〉じゃない? これが?」
「ボッチって……リンの奴だな…………まーいいや、とにかく、こいつが全ての元凶っつーところだ。まぁなんだ、こっちにしゃがんでくれ」
邪魔にならないように肩掛けカバンを横に置いて、フランツはマットに誘われるまま車台の下にしゃがみ込む。
輪台車という、二軸の車輪がついた台車のすき間からは、通っている配管が見えた。フランツから手の届く所には調整弁の握り子が何本か飛び出している。おそらくは制動機の調整弁だろう。
「ここが壊れてるの?」
黒い配管を触ってみるフランツ。表面はサビ止めの油でベタベタだ。
しかしマテウスは首を振って、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「それ以前の話さ。……気が付かねぇか? お前も知ってるだろ、保安隊の連中が見に来るまで、事故車の状態は触れねえって規則だぜ?」
マットのほのめかしに、フランツはすぐにピンと来た。
「……調整弁の向きが変だね」
見える位置にある握り子が全て締切位置、つまり進行方向に対して直角になっている。これは全ての調整弁が閉まっていることを示していた。事故車の状態がこのままだということは、つまり……
「最初から……制動機が動かないように……してあった?」
「そーだよ」マテウスは仏頂面でうなずく。
「まったく、どこの馬鹿野郎がこんなことをしてくれちゃったんだかなぁ。非常制動機は最初に配管圧がかかってねぇと作動しねぇんだ。こいつの配管が閉まってたばっかりに後ろは全滅だよ。おまけに車両番号まで違ってんだから、気が付かねぇ機関士もボンクラなら、これを手配したフェルナの整備士どもは底なしのマヌケか、さもなきゃトンデモねぇクソ野郎だな」
大げさな身振りでわめくマテウスの言葉に、フランツは引っかかりを感じた。
「車両番号? これの車両番号が?」
「おうよ、こいつの車両登録番号は〈EVG/2508FBET〉……まあちっと長ぇから〈2508〉ってことにしとくよ。ともかく提出された運行計画書では、五両目は〈2508〉じゃねぇ、〈3039〉だ」
マテウスが車台の銘板を叩く。そこにはたしかに〈EVG/2508FBET〉という文字列が打刻してあった。
「事故処理に呼ばれた奴が言うにはだな、横転したやつの中に〈3039〉があったらしいぜ。ってことはよ、三両目か四両目か、どちらかとこいつを繋ぎ間違えたんだろうよ。よくあるミスっちゃ、まぁよくあるミスだ。でもよりによって、何でこいつなんだ?」
フランツは黙って、銘板と調整弁を交互に見る。
(貨車の繋ぎ間違い……制動機の作動を止める……どちらもこの貨車に限って……偶然そうなるなんて、いくら何でもおかしくないか?)
「案外さ……これはミスじゃないんじゃない?」
「……あん? わざとやったってのか?」
うなずくフランツに、マテウスは手を振って否定する。
「いやいやそりゃねーよ。だいたい冗談じゃねぇよ。制動機を閉じるなんて、自分から事故起こします、なんて言ってるようなもんじゃねぇか」
「いやそれは……事故は偶然だと思うよ。でもほら、こんなにしつこく調整弁を閉じてるんだよ? まるで誰かが、わざとやったみたいだ」
「誰かが、わざと、ねぇ…………誰が、何でだ?」
フランツはカバンを取ると、とびきりの笑顔を作りながら、親友の肩をポンと叩いた。
「そこはほら、マットが探してよ。今日、僕は休みなんだし」
「…………あのなぁ、俺、暇じゃねーのよ?」
呆れたように、ジトッとフランツを見るマテウス。
「今度いい娘を紹介してあげるからさ、ね、お願いマット」
フランツは自分が一番かわいく、かつ少女っぽく見える角度で、マテウスにパチッとウインクをしてみせた。
親友は彼の悪ふざけを見慣れているはずだが、なぜだか急に、首を明後日の方に反らした。気のせいか頬が赤いようにも見える。
(効いてる効いてる……これだからマットは楽でいいんだよね。チャラいフリして、結構ウブなんだから)
もちろんフランツとて、自分の魅力? だけで要求を通すつもりなどない。
マテウスが仕事柄、女性との出逢いに飢えている事は知っている。フランツも仕事で言えばあまり出逢いはないが、なにせこの見た目だ。一度でも知り合いになれば、それなりに気に入られるし付き合いもできる。女性の知り合いの数でいけば、マテウスより遙かに上だ。
そういう事情もあって、マテウスの中で帳尻があったのだろう。何秒か難しい顔をしたあと、彼はおもむろに深々とため息をついた。
「わーったよ。じゃ、こいつ修理する時にいろいろ調べてみるわ。……一応、夕方にもう一回顔を出してくれよ」
「ありがと、恩に着るよマット」
フランツは優しく、マテウスの腕にきゅっとしがみついた。
彼はあわててフランツを振り払う。
「やめてくれって! お前がやるとなぁ、冗談じゃすまねぇんだよ!」
しっしっと手を振るマテウス。
フランツは一瞬、傷ついたふうに顔をしかめてみせるが、すぐに笑顔で手を差し出した。マテウスもニヤリと笑い、二人はがっしりと握手を交わすと、大きな笑い声を上げた。
その時だった。
一時置き場の入り口、機関車用の大扉がきしみを上げて開かれる。続けて作業員が何人も入って来て、手にした白旗を振った。
「おろ、お客さんか?」
マテウスがボッチ君の下から顔を伸ばす。
「お客?」
フランツも体を反らせて大扉を見た。
そこへ作業員に迎えられて、機関車が後ろ向きに入ってくる。
綺麗な緑色の、大型の機関車だ。
タンク式ではなく、水タンク車をつないだテンダー式。力強さを感じさせる、黒い四軸の動輪は、パオロ号のものよりも大きい。パッと見、車輪だけでフランツの背丈を超えているだろうか。全体が輝くようなエメラルドグリーンで塗られ、さらにブドウ色の細い縁飾りが施されている。
ボッチ君の下から出ながら、マテウスが口笛を吹く。
「スッゲーな……全部で七軸かよ。大貨物型か?」
「でも流線設計がしっかりしてるよ。あの子はスピードも出そうだね……」
フランツも貨車の横に立ち、緑の機関車の、なだらかな曲線を描く罐胴まわりを見ながらつぶやいた。
「おい、もう一台来るぞ」マテウスが大扉を指差す。
バックしてくる機関車の先に、さらにもう一台、ほぼ同じ大きさの機関車が連結していた。緑の機関車に似ていたが、詳しく見ればまったくの別物だ。
動輪の数は同じだが、その直径はさらに一回り大きい。おそらく二メートルはありそうだ。まるで突風を思わせる、滑らかというより尖った感じの流線型。サファイアブルーの塗装はキラキラと細かく反射して、まるで宝石を塗ったような仕上がりだ。
二台の機関車は作業員たちの笛に合わせて停車すると、合わせて高く蒸気を吐き出した。
扱う圧力が高いのだろうか、離れているにも関わらず、ここまで高圧ポンプの規則正しい音が響いてくる。
「しっかし……まるであれだな、お前らコンビの豪華版って感じ?」
左を見せて停まった重連の機関車たちを見ながら、マテウスがフランツを肘で小突く。
言われてみれば色の取り合わせは一緒だ。重連の順番と向きも、昨日の二人と同じである。
(でも、あればぜんぜん違う……)
見なれない機関車を食い入るように見つめて、フランツは心の中でつぶやいた。
つややかな塗装、大きさと力強さ、そして何より気品がまったく違う。細かい所まで丁寧に仕上げられ、まるで一流の芸術家が手がけた彫刻のように美しい。おそらくどちらか一両だけでも、テア号とパオロ号を合わせたより何倍、下手すると何十倍も高価なはずだ。
取り巻きの作業員の中から、書類を片手に持った青年が走ってくる。
「マルモァ管理助士! こちらにいてよかったです!」
フランツと十歳は離れてそうな青年は、マテウスに向けてビシッと礼を取る。そして持っていた書類を手渡した。
「特別便XTK225、車庫が空いていなかったので、こちらにお通ししました。確認をお願いします!」
そのしゃちほこ張った対応に、フランツは苦い笑いを隠せない。
マテウスは駅公社の正規職員だ。駅公社というと鉄道関係だけに聞こえるが、実際はエルザブリュックの行政や管理を掌握する一大組織である。その正規職員ともなれば、待遇も身分も他の雇われ職員とは段違いだ。当然、それなりの威厳や態度があってよさそうなのだが……
「うぇ……あーはいはい、貸してくれ」
これでも正規係員なのだろうか。
マテウスはなげやりに、かつ面倒くさそうに書類を受け取った。良い意味で飾らない、悪い意味でだらしない。そんなマテウスの行動に、若手や機関士からは賞賛が、駅公社からは苦情が上がっているとも聞く。
「おっ?」
やる気なさげに書類をめくっていたマテウスが、ある所で手を止め、小さく声を上げた。
何事かと思い、フランツは横から書類を横からのぞこうとする。しかしさえぎるように、マテウスは素速くサインを書くと、書類を勢いよく閉じてしまった。
「これでいいな? よかったら管理局に持っていってくれ」
マテウスは書類を返し「くれぐれも失礼のないように」と低く念を押した。
「はっ、では!」
整備員は早足で戻っていく。
マテウスは何を考えているか、いつになく真面目な表情で大型機関車たちを見ている。
「……マット?」フランツは探るように声をかけた。
「ラッツか……何でもねえよ。……〈氏族〉がお一人、お着きってだけだ」
「氏族が? ここに?」
フランツはまじまじと、二台の機関車を見直した。
〈氏族〉というのは、つまり支配者だ。
おとぎ話でいうところの王様とか、大貴族なんかが近い。
ロードスには国がなく、そのかわりに〈氏族線区〉――線区と呼ばれる区切りがある。線区はザックリと言えば巨大な鉄道会社で、氏族とは経営者とその家族だ。
ちなみにエルザブリュックは〈ヴァスマウロ線区〉に含まれている。ヴァスマウロ線区は〈エルツ氏族〉の統治下にあるので、普通なら氏族というとエルツ氏族の事を指す。
(あの機関車に、エルツ氏族の誰かが乗っているのか――)
好奇心から身を乗り出そうとしたフランツを、後ろから伸びたマテウスの手が止める。
彼はそのまま強引に、フランツを横にある物置小屋のかげに引っぱりこんだ。
「何するんだマット――」
「いいから! やめとけ。関わり合いになるな」
「そんな……」
それでも見ようとするフランツを、再びマテウスが強く止める。彼はフランツの手を引っ張って、反対方向へと歩き出した。
「ふり返んなよ」
ぶっきらぼうに言うマテウス。フランツは物置小屋からも機関車たちからも離される。
「ちょっとは、教えてくれてもいいじゃないか」とフランツ。
「ダメったらダメだ。教えらんねぇ」
マテウスはとりつく島もない。
断固としてフランツを引っぱるマテウスだが、口からかすかにぼやく声が流れる
「……なんでクライスが? 女二人連れて、遊びにでも来たのかよ……」
フランツは小さく息をのむ。
(クライス? 今クライスって言ったか?)
フランツの聞き間違えでなければ、機関車の主はヴァスマウロの主たるエルツ氏族ではなく、隣国〈ヒューゲルフルト大線区〉の〈クライス氏族〉だということになる。
クライス氏族は、大陸に名だたる〈七大氏族〉の頂点に君臨する、支配者の中の支配者だ。
「言っとくけどな……」
マテウスがチラリとふり返る。
「誰にもしゃべんなよ? 余計な事に巻き込まれたくねーだろ?」
「わ、わかった」
フランツはうなずく。
普段は陽気なマテウスの声が、いまは低く抑えられ、ドスが効いている。
一時置き場の反対側、出入り用の裏口まで来て、フランツはようやく手を離してもらえた。マテウスは、フランツを押し込むように裏口に追いやり、サッと扉を閉めてしまう。
しかし閉まったとたんに、フランツは好奇心に負けて辺りを見回した。
おあつらえ向きの大きなシャシュ箱を見つけ、フランツはそれをヤードを仕切るレンガ塀に立てかける。
「いくらマットでも……」
フランツはそっと上に登る。
そのまま壁の上から顔を出して辺りを窺うが、マテウスの姿はどこにも見あたらない。
フランツは視線を上げた。遠くに例の機関車が見える。整備員たちは引き上げたのか、足下には二人の人物が立っているだけだ。
遠目ではよくわからないが、一人はずいぶんと大柄で、黒っぽい服を着ている。もう一人は逆にずいぶんと小柄で、まわりの物から考えて、フランツと同じくらいの背丈だ。白い服を着て、小さなシルクハットを被っている。
二人は緑の機関車を見あげている。
視線をずらせば、運転席から身を乗り出した三人目に気がつく。機関士だろうか、紫色のマントを羽織った肩が、ドアの陰からのぞいている。
と、いきなり
「フ、ラ、ン、ツ、ちゃん?」
「うわっ!」
フランツがおどろいて下を見ると、マテウスが塀にピッタリと貼りついて見あげていた。どうにも、行動はお見通しだったようだ。
彼はしょうがねえ奴だと言いたげに、片方の眉を吊り上げる。
「二度は言わねえ、さっさと、どっか、行きやがれ!」
「ご、ごめんマット!」
あわてて箱から飛び降りると、フランツは小走りでその場を離れた。
(結局、気になる事が減るどころか、増えるばかりじゃないか)
そう思いながら。




