9 私、諦めないから
「ねぇ、ティアナ。これ食べてみてよ、私が作ったんだよ!」
朝一番、そう言って満面の笑みでエリーゼが差し出してきたのはサンドイッチだった。
「……ありがとう」
俺はそれを一応礼を言いながら受け取る。多分、このサンドイッチが本日の朝食なんだろう。
何かを期待する眼差しで、エリーゼは俺を見つめている。多分、味はどうなのかとか感想を欲しているのだろう。気持ちは察せないではないが、正直視線が鬱陶しいという感想の方が勝る。
けれど、それは流石に口にせずに俺は無言でサンドイッチにかぶりついた。
「ねぇ、美味しい?」
ずいと、エリーゼが俺に向かって身を乗り出しながら訊いてくる。
「……まぁ、うまいな」
サンドイッチを咀嚼しながら、俺は答える。嘘を吐く必要はないので、返答は俺の本音だ。
このサンドイッチは……、まぁ、それなりにうまい。少なくとも不味くはないと思う。
具材は茹でた卵とレタスのような葉菜。何の変哲もないサンドイッチだ。特に変わったものが入っているでもなく、シンプルで素朴な中身だと思う。
勿論、それは感動するほど美味いとか、特別な味がするとか言う代物ではない。だから、俺の感覚で言えば、それは普通に美味いサンドイッチだった。特に不満もなければ、賞賛するようなものでもない。
強いて不満を挙げるとすれば、量が足りないところくらいか。まぁ、森の中で野宿した翌朝と思えば、それも仕方がないことなのだろう。こんなところに具になるようなものがあったりはしないだろし。むしろ、朝食を口にできているだけでも幸せと言える。
だから、俺は特に文句を言うでもなく、黙々とサンドイッチを口に運んだ。
そんな俺の目の前で、エリーゼは「へへん」と腰に手を当てて小さな胸を目一杯張っている。まるで美味しいのが「当然!」とでも言わんばかりだ。
「そのサンドイッチの卵は私の魔術で茹でたんだよ」
自慢するようにエリーゼが告げる。
「最新の注意を払い、茹で始めから茹で上がるまで細かく火加減を調整しながら茹でました! だから、絶妙な茹で具合でほんのりトロリとしていて美味しいでしょ?」
お前は料理番組のレポーターなのかと言いたくなるようなことを、エリーゼは俺につらつら説明する。けれど、正直魔術で火加減を調整したと言われてもピンと来ない。
例えば、圧力釜で炊いた米は美味いという話は前世でも聞いたことがある。が、料理が特別得意だったわけでもなく、グルメを名乗れるほど味にこだわりがある訳でもない俺に火加減の話をされたって困る。俺には「へー」という感想以外は浮かびやしないのだ。普通のゆで卵よりも美味いかと問われれば、そうかもしれないと思うだけである。
自分で作ったゆで卵を目一杯宣伝したエリーゼは、最後にトドメのようにこう付け加えた。
「私と友だちになれば、いつでもどこでも美味しいゆで卵が食べられるよ!」
だから、私と友だちになって、とエリーゼは明るい声で言い切る。
「……俺は普通のゆで卵で十分だ」
対する俺の返答は以上だ。我ながら簡素な答えだと思うが、一体これ以上何を言えというのか。まさか分かりましたと答える訳にもいくまい。
というか、この馬鹿娘は本気で俺がゆで卵くらいで釣られると思っていたのだろうか。だとしたら、馬鹿にされている気分である。まぁ、おそらくこの極楽娘は単純に何も考えていないだけだろうから悪気はないのだとは思うが。
それよりも、俺としては昨晩の「友だちになりたい宣言」が続いていたことの方が驚きだった。
昨夜、乗合馬車の中で俺はエリーゼに『ティアナの友だちになりたい』という宣言を受けたのは確かだ。けれど、俺は間違いなくそれをすげなく断った筈なのに。
※※※
「……俺がお前の友人になるとして、それで何か変わるのか?」
友だちになりたいと告げたエリーゼに対して、俺はそう切り捨てた。
お前と友人になったとして利点はあるのか。ないのならば、友だちごっこをする必要性がどこにある?
俺の発言に、エリーゼは大きな瞳をぱちぱちと瞬かせた。多分、予想外の言葉に対して返事に窮しているのだろう。
「えーっと……」
顎に手を当てながら、エリーゼは唸る。如何にも一生懸命現在考え中です、という感じだ。
三十秒ほど唸った後、エリーゼは何かを思いついたらしく、ピンと右手の人差し指を顔の横で立てながら笑顔で告げた。
「魔術が見れます!」
「それは友だちにならなきゃ見れないものって訳でもないだろ」
その条件で行くのなら、初めてニダヴェリーで会った瞬間から俺はエリーゼの友人だということになる。ついでに言えば、俺だけでなくあの時あの場に居合わせた全員がエリーゼの友人と言ってしまえるではないか。
呆れたように言えば、エリーゼは困ったように眉を八の字に変えた。
「えっと、じゃあじゃあ! 夜寝るときに子守唄を歌います!」
「要らん」
「こう見えて、私結構器用なの。王都に戻ったら私が編んだぬいぐるみをもれなくプレゼント!」
「欲しくない」
「あう……」
それからもエリーゼは『王都の近くの眺めの良い丘の場所を教える』とか『暑い夏の日にも魔術で雪を降らせる』とか『疲れてるときに肩たたきをする』など、細かなことからどう考えても俺に必要のないことまで色々とアピールを繰り返した。
それに関して、俺の答えは最初から変わることはない。俺はエリーゼと仲良くお友だちごっこをするつもりなど毛頭ないのだから。
「そもそも、友人なんてなろうと思ってなるもんじゃないだろう」
「それはそうかもしれないけど……」
俺の言葉にエリーゼは言葉を詰まらせる。
恋人になるのには告白は必要かもしれないが、友人になるのに宣言は不要なものだろう。友人なんて、気がついたらなっているものだと俺は思う。
「第一、今はアルを救うのが最優先の筈だ。お前は友人を作るためにわざわざ聖王国を離れたのか?」
「……違う」
「だったら、今のままで十分だろ」
そう、今のままで十分だ。俺は心の中で、もう一度そう呟く。
俺は二人と対等な協力関係でありたい。友人などという生温い関係にはなりたくない。
守り守られ、頼り頼られる関係は理想だろう。それはきっととても幸せな関係で、そこに憧れが全くないと言えばきっと嘘になる。
辛い時に寄りかかれる場所は心に安心を生むだろう。だが、同時に隙だって作るのだ。
隙なんて作れる余裕は俺にはない。元々、俺の未来はほぼ詰んでると言ってもいいようなものだ。そんな未来に、余計な火種はこれ以上欲しくない。
もし仮に世界を救う手段が俺が死ぬ以外ないという結論しか出なかったら、その時は俺は世界の全てを相手にして戦うつもりだ。
俺は世界なんて形のないあやふやなもののためには死ねない。他に手段がないと断言されても、最期まで俺は足掻くことを諦めないだろう。嫌だと叫び続けるだろう。
そう、それこそ世界中の全てを敵に回しても。
そして、その世界中の全ての中には、目の前の能天気娘やどこまでも甘いその兄たちも当然のように含まれている。
自ら枷を増やしてどうする。最後まで俺を守ってくれるのは、俺だけなのだ。俺を裏切らないと確信を持って言えるのは俺だけなのだ。俺が心から頼れる存在は俺以外には有り得ない。
現に、今の俺の両親だって俺のことは諦めている。血の繋がりさえも何の楔にはならなかった。赤の他人に、それを求めるのは酷だろう。その先に待っているのは後悔だけだ。
と同時に、一度受け入れてしまえば、その先にあるのは暗闇だと知っていても、手を伸ばしてしまいたくなるだろうとも思う。孤独とは恐ろしいものだから。一人きりのこの手を握る者が現れたら、俺はきっとその手に縋りついてしまう。
だから、俺は誰の手も握ってはいけない。
俺は決して強くはない。
強くはないが、強くあらねばならない。強くなければ生きていけない。俺を弱くする要因なんて、俺は何も欲しくない。
エリーゼは俺に『強がらないで』と言う。それは俺に死ねということと同義だということを、この能天気馬鹿娘は微塵も気がついていない。
「……この話は終わりだ」
俺はエリーゼにそう告げると、そのままエリーゼに背を向けて横になった。目を閉じてしまえば、もう何も見えない。眠りについてしまえば、もう何も聞かずに済む。
俺を誘惑する悪魔の姿も声も、返事をしなければ闇に消えていく。
※※※
御者や馬の具合がかなり良くなったこともあって、昼前には乗合馬車は何とか再出発を果たした。これなら、予定よりも多少手間取ったが何とかイザベルまでは辿り着くことが出来そうだ。
俺は乗合馬車の中では車窓近くに腰をかけて、相変わらず外の景色を眺めていた。
今日の天気は快晴。昨日の雨がまるで嘘のようだ。路面はまだ濡れているものの、昨日とは打って変わって空気が澄んでいると思う。
そんな俺の横に当然のようにエリーゼは堂々と席を陣取った。
「わぁ、今日はいい天気だね、ティアナ! 私、雨の日も嫌いじゃないけど、晴れの日がやっぱり一番好きかなぁ。ティアナはどんな天気が一番好き?」
「……」
「そう言えば、昨日食べた焼き菓子美味しかったよね。あれ、ニダヴェリーの特産品なんだって。また行く機会があったら今度はもっとたくさん買っちゃおうっと! これから行くイザベルにも、美味しい食べ物あるかなぁ?」
「……」
エリーゼは俺に先程から、あれこれと話しかけてくる。天気の話から始まって、昨日の焼き菓子。特産品の話。それから、聞いてもいないのにエリーゼの好きな食べ物の話や趣味の話にまで話題は移り変わる。
俺はそれらに絶対に返事をすることなく、ひたすら無言で窓の外を眺めていた。
それでも、エリーゼはめげることなく俺に言葉を投げ続けてるので、他の乗客たちの視線は俺たちに釘づけだ。ニダヴェリーを出る前になるべく目立たないようにしたいと述べた俺の要望は、きっとエリーゼの頭からはすっかり抜け落ちているのだろう。
俺たちに向けられる視線の多くはエリーゼに同情的で、俺に対して『返事してあげればいいのに……』という批判的なものも含まれる。
先日の戦闘の際に活躍を見せたエリーゼは、その後の負傷者の治療や救助でも大いに役立ったらしい。おかげで、現在乗合馬車の乗客は概ねエリーゼに好意的だ。
そのせいで、俺は完全にアウェイである。居心地が悪いことこの上ない。
そんな俺たちの様子を見ながら、俺の向かいの席ではクラウスが笑っている。
こいつ、絶対にこの状況を面白がってやがる。覚えていやがれ、と俺はクラウスを横目で睨みつけるが、クラウスは優雅に微笑むばかりだ。ムカつく。
そうこうしている間も、エリーゼの会話(と呼べるのだろうか、一人で話しているだけなのだが)は続く。
「私、ティアナの趣味も知りたいなぁ」
いつまでも放たれ続ける能天気の言葉と無言の圧力に、俺の堪忍袋の尾が切れるのも当然と言うものだろう。
俺はバッとエリーゼの方に向き直ると、人差し指をエリーゼの眼前に突きつけた。
「お前は鳥頭なのか? 馬鹿なのか? 脳みそスカスカなのか? その頭には脳みその代わりにはんぺんでも詰まっているのか? 昨晩、俺が言った言葉を覚えていないだろう!」
とうとう俺は耐え切れなくなり、前述のような言葉をエリーゼに向かって吐き捨てる。
けれど、鳥頭呼ばわりされた当人のエリーゼは俺の言葉に怒るでもなく、表情をぱぁっと明るくすると。
「やっとティアナが口聞いてくれた!」
と、本当に嬉しそうに無邪気に笑った。
エリーゼの反応に、俺は何だか脱力してしまう。ここまで話の通じない人間は初めてだとすら思った。
一体、何なのだこの娘は。宇宙人か、異世界人か。それを言ったら、異世界人は俺の方だった。
「……っぷ、ははは」
そんな俺たちを見ていたクラウスが耐え切れないという感じで笑い声を漏らす。そして、そのまま腹を抱えて顔を伏せた。それで堪えているつもりか。
俺はこみ上げる怒りを抑えるために、ゆっくりと深く息を吐いた。
それから、エリーゼを見下ろしながら告げる。
「……昨晩、言っただろう。俺はお前と友人にはならない。なる気もない。この話は終わりだって」
「うん、言ったね」
エリーゼはあっさりと俺の言葉に頷いた。どうやら、忘れていたという訳ではないらしい。
でも、とエリーゼは俺を真っ直ぐに見上げた。
「私はそれを了承してない」
だから、諦めるつもりはないとエリーゼはきっぱりと断言した。
俺はそんなエリーゼに呆れるしかない。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど、エリーゼは本当に大馬鹿ものだ。ここまで邪険にされて、こんな面倒なヤツと望んで友人になりたいだなんて。一体、何がエリーゼをここまで駆り立てるのだろうか。俺には理解不能だ。
そんな俺たちの横で、ようやく笑いを収めたらしいクラウスは涙を拭いながら言う。
「早く諦めた方がいいですよ、ティアナ様。エリーゼは本当に頑固者なんです。一度言いだしたら絶対に折れませんから」
そのせいで俺も苦労したことがあったなぁ、とクラウスが懐かしむように目を細めた。
俺はそんなクラウスにもエリーゼにも返事をせず、二人に背を向ける。付き合ってられるか。そんなことを思いながら、俺の視線は窓の外だ。
エリーゼがどれだけ頑固者であろうと、諦めが悪かろうと俺には無縁の話である。話しかけたければいくらでも話しかければいいさ。俺はそれにもう返事はしない。勝手にすればいい。
お前がどれだけ俺と友人になりたいと駄々をこねようと、俺に向かってアプローチしようと、その努力は無駄なんだ。俺は絶対にお前の友人になんか、なるつもりはないのだから。
そう腹の内で考える俺に向かって、エリーゼは決して大きくはない声で、けれど強く宣言した。
「私、諦めないから」




