五、新たなる旅路(37)
第三王子ウェルティクスの帰城より、数日が経過。
宛われた部屋の中で、イルクは荷物の整理をしていた。
愛剣の手入れも済ませ、それを鞘へと仕舞う。
はらり。
最後の包帯を外し、丁寧にそれを畳むと小さな荷物にそれを加える。
身体は――問題なく動くようだ。
ファングとの戦いで受けた傷は、宮廷法術士による治療でほぼ完治していた。
加え、その間にパニッシャーからの襲撃もない。
それは――即ち。
彼の人物を無事王宮まで送り届けるという、イルクの役目が終了したことを意味していた。
「……ふむ」
手荷物を剣の鞘紐へ括り、肩へとそれを背負う。
ざっと部屋を一望し、何とはなしに天井を見上げた。
たった、ほんの数日。寝泊りしただけの部屋。
しかし――何故だろう。
まるで、長いこと世話になった部屋を離れるような、そんな錯覚に陥っていた。
イルクは思わず苦笑して、それから――
脳裏に浮かんだある人物の顔。心を振り切るよう、首を横に振った。
「――まこと、変わったな。俺も」
誰に届けるでもなく、ちいさく呟きを落として。瞳を静かに閉じる。
短い沈黙、それから。
イルクは肩にさげた鞘紐をぐいっと引いて、荷を背負い直した。
――感慨に耽っている時間はない。見つからぬ内に出発せねば。
内から急き立てる声に背中を押し出され、扉へと足を向ける。
きぃ、と軽い音。
廊下へと一歩踏み出した、一般人より一回り以上大きなその足が――
ある一点を凝視し、不意に、停止した。
イルクの視線の先には、壁に背を預け佇む人影がひとつ。
「一言の挨拶もなく、とは……
貴方らしくありませんね、イルク」
して、どちらに?と。
穏やかに問いかけてくる見慣れた姿に、イルクはしばし絶句し、立ち竦んだ。
「ウェル、ティクス殿……何故、」
やっとのこと搾り出した声。
くす、と。目の前の人影――ウェルティクスは、可笑しそうに瞳を細め。
「――さて、何故でありましょうね」
片目瞑って、ふふ、と笑みを零した相手。よくよく見れば、既に旅姿である。
「……貴公こそ、何をされておるのだ」
「これから丘へハイキング……という風貌にでも見えますか?」
至極真面目な顔で、とんでもないことを言ってのける。
何処まで本気で何処まで冗談なのか、計り知れないものがあっただろう。
「い、いや……そのような、」
目を白黒させるイルクを、暫し穏やかな瞳が眺め。
それから、
「それで――どちらに?」
何事もなかったかのように、話を戻す。
狼狽しながらも口を開こうとしたイルクを、しかしよく通る声が遮った。
「剣を捧げる――と、貴方の声が仰っていたように思いましたが。
はて、私の聞き違いでしたでしょうか。
うっかり祝福を与えてしまいましたが、だとしたら申し訳ないことをしましたね」
しゃあしゃあと並べられる口上に、イルクはますます言葉を失う。
「しかし、奇遇でしたね。
私も丁度、所用ができたところです」
「きぐ――ッ、」
言いかけて、続く言葉を呑み込む。
返す言葉を持たぬ相手に、ウェルティクスは満足そうに、ひとつ頷いた。
その背中が壁を離れ、靴の爪先は裏口の方向へ向けられる。
「では――参りましょうか」
ふわり、
心地好い微風にも似た微笑が、場を支配して。
それから――足音がふたつ、静かに廊下を抜けていった。
すべては新たなる騒乱の幕開けにしか過ぎなかったのだが、それはまた、別の物語。
歴史書には綴りきれぬ、『彼等』の戦いの物語――。
『クロスブレイド 紫電の剣士』(N6184B)にて続編をご覧いただけます。