第15話 観測
2026年9月30日 水曜日 午後6時52分
久世透は、武蔵小杉駅から徒歩数分の貸し会議室にいた。
予約時間は午後7時から9時。
開始8分前。
机。
椅子。
ホワイトボード。
電源。
窓はない。
部屋の隅に時計。
透は室内を一度見回した。
仕掛けに使えそうなものは置かれていない。
当然だ。
今日は、
『自分が何か仕込んだと思われないこと』
が重要だった。
スマートフォンを三脚に固定する。
撮影範囲を確認。
机全体。
自分。
澪。
対象物。
すべて入る。
時刻。
18時56分。
透はノートを開いた。
『第三者観測実験』
『観測者:水城澪』
『目的:能力の存在を第三者に確認させる』
その下。
『注意:説明より先に現象を見せる』
先入観を与えないためだった。
澪に「念力」と言えば。
念力らしいものを探し始める。
逆に。
何も説明しなければ。
澪自身が現象をどう解釈するか観察できる。
スマートフォンが震えた。
『着いたよ』
澪からだった。
透は立ち上がる。
*
午後6時59分
「こんばんは」
水城澪が立っていた。
「こんばんは」
淡い色のブラウスに、細身の黒いパンツ。
肩には小ぶりのバッグを掛けている。
髪は下ろしていて、部屋へ入ってきた勢いのまま毛先が肩の上で揺れた。
派手な服装ではない。
それでも、すっきりとした細身の体型と整った顔立ちのせいか、自然と目に入る。
澪は部屋を見回した。
「……ほんとに会議室なんだ」
「はい」
「なんか余計怖いんだけど」
「人目を避ける必要があるので」
「そういうこと言うから怖いの」
「すみません」
「謝られるともっと怖い」
澪はバッグを椅子へ置いた。
そして。
透を見る。
「で」
「はい」
「何を見せるの?」
「その前に、一つ確認します」
「はい」
「今から見せる現象について、現時点で俺は原理を説明できません」
「うん」
「軽量物を扱う範囲では、危険性は低いと判断しています」
「低い」
「ゼロとは言いません」
「そこは言わないんだ」
「分からないので」
澪が少し笑った。
「久世さんらしいね」
「それから」
透は続ける。
「見たあとで、これ以上関わらないという選択をしても構いません」
澪の表情が少し変わる。
「そんなに?」
「はい」
「昨日言ってた危険って、これに関係ある?」
「あります」
「警察も?」
透は一瞬だけ止まった。
「関係しています」
「……」
「ただし、俺が何か犯罪をしたという意味ではありません」
「じゃあ何?」
「それは、見てもらったあとで説明します」
「また後で」
「はい」
澪はしばらく透を見る。
やがて。
椅子に座った。
「分かった」
「いいんですか?」
「ここまで来て帰ったら、たぶん一生気になる」
「合理的ではないですね」
「研究者だから」
「理由になっていますか?」
「私の中では」
澪が笑った。
「で、何すればいい?」
*
午後7時06分
「まず、バッグの中から何か一つ出してください」
「何でも?」
「危険物でなければ」
「持ってないよ」
澪はバッグを開ける。
ボールペン。
ハンドクリーム。
小さな手帳。
イヤホンケース。
鍵。
いくつか机に置いた。
「この中から一つ選んでください」
「どれでも?」
「はい」
澪は少し考え。
ハンドクリームを取った。
「これ」
「重さは分かりますか?」
「知らない」
「そのままでいいです」
透はキッチンスケールを取り出した。
澪が笑う。
「持ってきたんだ」
「必要なので」
「準備いいなあ」
測る。
42グラム。
「次です」
透は自分の椅子を机から1メートル離した。
「それを机の中央に置いてください」
澪が置く。
「俺は触りません」
「うん」
透はハンドクリームを見る。
少し緊張している。
自分でも分かる。
第三者へ能力を見せるのは。
友人以来。
2人目。
しかも。
澪は能力の存在を知らない。
「始めます」
「どうぞ」
透は対象を認識する。
位置。
形。
そこにある。
――右。
何も起きない。
澪が見る。
「……?」
透は再試行。
――右。
ハンドクリームが。
約2センチ。
滑った。
「……え?」
澪の目が止まった。
透は何も言わない。
――左。
今度は。
反対方向へ動く。
「……」
澪が。
机の下を見る。
透は待つ。
ハンドクリームを持ち上げる。
裏を見る。
「磁石?」
「違います」
「糸?」
「ありません」
「机、傾いてる?」
「確認しますか?」
「する」
即答。
澪は立ち上がった。
机。
脚。
床。
ハンドクリーム。
天井。
壁。
そして。
透の手。
左右から見る。
「手、出して」
「はい」
透が両手を出す。
澪がじっと見る。
「袖」
「はい」
「まくって」
透は袖をまくる。
澪が確認する。
「……何したの?」
「もう一度やります」
「待って」
「はい」
「今度は私が決める」
透の目がわずかに動いた。
「何をですか?」
「全部」
「……」
「物も。置く場所も。動かす方向も」
「構いません」
「久世さんは触らない」
「はい」
「私が指示するまで、何もしない」
「はい」
澪が。
ハンドクリームを机の中央へ置く。
数秒。
考える。
「右」
動く。
「……」
「左」
動く。
「奥」
動く。
「手前」
動く。
澪が息を止めた。
「止めて」
透は能力を止める。
沈黙。
5秒。
10秒。
澪はハンドクリームを見る。
透を見る。
またハンドクリームを見る。
そして。
「もう一回」
「はい」
「違う物で」
「分かりました」
「あと、私が選ぶ」
「はい」
「久世さんは後ろ向いて」
「はい」
透は立ち上がる。
「……水城さん」
「何?」
「信じるんですか?」
澪が。
一瞬だけ止まった。
「まだ」
そして。
机の上の物へ目を戻す。
「だから、もう一回」
透は。
黙って後ろを向いた。
*
午後7時17分
「こっち向いて」
透が振り返る。
机の上には。
ティッシュが一枚。
何かに被せられている。
「何が入っているか分かる?」
「分かりません」
「場所は?」
「ティッシュの下です」
「それだけでいける?」
「試します」
「待って」
澪が止める。
「位置、もっと正確に言った方がいい?」
「その方が成功率は上がると思います」
「じゃあ……」
澪は机の端を基準に。
位置を細かく説明した。
透は頭の中で。
机。
ティッシュ。
その下。
位置を構築する。
「やります」
「うん」
『ティッシュの下にある物』
――右。
カチャ。
「……!」
澪が。
すぐにティッシュを取った。
鍵。
さっきまでの位置から。
数センチずれている。
「……もう一回」
「はい」
「次は条件変える」
「どうぞ」
2回。
3回。
正しい位置。
成功。
4回目。
澪が。
わざと違う位置を伝える。
失敗。
「……」
5回目。
正しい位置。
成功。
6回目。
位置を曖昧にする。
失敗。
7回目。
詳細な位置。
成功。
澪は。
途中からほとんど喋らなくなった。
スマートフォンに記録する。
試行条件。
結果。
対象。
指示。
10回目。
終わる。
澪がペンを置いた。
「……面白い」
声が。
少し低かった。
「何がですか?」
「全部」
澪は記録を見る。
「いや、待って」
自分で言って。
首を振る。
「面白いで済ませたら駄目だ」
透は黙って待つ。
「偶然だけで説明するのは、かなり厳しい」
「はい」
「少なくとも、私が今見た範囲では、久世さんの意図と物体の運動に対応がある」
「はい」
「でも仕掛けの可能性は残る」
「残ります」
「この場所、久世さんが予約したから」
「はい」
「次は私が場所を決める」
「同意します」
「物も私が用意する」
「お願いします」
「それから」
澪の目が。
完全に研究者のものへ変わっていた。
「久世さん自身にも、次に何を指示するか知らせない」
透の口元が。
わずかに上がる。
「俺も同じことを考えていました」
「……」
「何ですか?」
澪も。
少し笑った。
「やっぱり面白い」
「何がですか?」
「久世さん」
「俺?」
「うん」
澪は。
すぐに記録へ視線を戻した。
「あと、その能力も」
*
午後7時31分
「それで」
澪が言った。
「何ができるの?」
「現時点で確認できている範囲では、物体の移動、回転、静止」
「浮かせるのも?」
「はい」
「見えてなくても?」
「条件次第では」
澪が止まる。
「見えてなくても?」
「対象の位置を正確に把握できていれば、作用する場合があります」
「……待って」
澪が。
手を上げる。
「それ、めちゃくちゃ重要じゃない?」
「重要だと思います」
「どうやって分かったの?」
透は。
これまでの実験を説明する。
箱。
見えない対象。
正しい位置。
誤った位置。
正しい情報では成功。
誤情報では失敗。
澪は途中から。
バッグから手帳を取り出していた。
「つまり」
書きながら言う。
「視覚入力そのものは必須じゃない」
「現時点では」
「でも、現実の対象位置と久世さんの内部モデルが一致してる必要がある」
「俺もそう考えています」
「内部モデル……」
澪が。
少し考える。
「それなら身体所有感の話と繋がるかもしれない」
「はい」
「自分自身は?」
「うまく作用しません」
「身につけてる物は?」
「作用できます」
「じゃあ」
澪がペンを止める。
「身体所有感を変えたら?」
透を見る。
「通常は『自分』として処理している身体の一部を、外部対象として認識させる」
透は答えない。
同じ可能性を。
考えていた。
「それができれば」
透が言う。
「自分自身にも作用できる可能性があります」
「……うん」
澪の目が輝く。
透は。
初めて少しだけ笑った。
「やっぱり水城さんに話して正解でした」
澪が。
一瞬止まる。
「……そういうこと言うんだ」
「何か変でしたか?」
「いや」
澪は一度、透から視線を外した。
それから。
耳にかかっていた髪を指先で直す。
「今の言い方、ちょっとずるくない?」
「何がですか?」
「……分かってないならいい」
さっきまで透を真っ直ぐ見ていたのに。
今はなぜか。
手帳へ視線を落としたままだった。
「そうですか」
「そうです」
透には。
その理由が分からなかった。
*
午後7時42分
「でも」
澪が顔を上げる。
「一個問題」
「何ですか?」
「この能力が神経系と関係してるかどうか、まだ全然分からない」
「はい」
「久世さんの脳活動を測りたい」
透の目が止まる。
「脳波ですか?」
「まず思いつくのはね。でも」
澪はすぐ続ける。
「大学の設備を勝手に使うのは無理」
「当然ですね」
「正式な研究としてやるなら、研究計画も必要だし、内容によっては倫理審査も必要になる」
「能力の存在を説明することになります」
「そう」
「現時点では避けたいです」
「私もそう思う」
澪は腕を組む。
「市販の簡易EEGもあるけど……」
「買います」
「待って」
「何ですか?」
「なんで今もう買うことになったの」
「必要なら」
「必要かどうかをこれから調べるの」
「では今調べます」
透がスマートフォンを取る。
澪がその手を押さえた。
「待って待って」
透が止まる。
澪も。
止まった。
自分の手を見る。
透の手を見る。
「あ」
離す。
「……とにかく」
「はい」
「今日は買わない」
「なぜですか?」
「機種も精度も何も調べてないから」
「合理的ですね」
「でしょ?」
「分かりました」
澪が小さく息を吐く。
「久世さん、放っておくと研究費全部自腹で出しそう」
「必要なら出します」
「やっぱり」
澪が笑った。
「ほんと研究者向き」
「研究者ではありません」
「もうそれいいよ」
*
午後7時51分
「もう一つ話しておくことがあります」
透が言った。
「まだあるの?」
「あります」
「今日情報量多いな……」
澪が椅子へ座り直す。
「どうぞ」
「この能力は、人間に作用したことがあります」
澪の笑みが消えた。
「……どういう意味?」
「暴行しようとしていた男の動きを止めました」
「いつ?」
「9月12日です」
「触らずに?」
「はい」
「怪我は?」
「確認できた範囲ではありません」
「意識は?」
「ありました」
「どこを止めたの?」
「当時は身体全体を固定したつもりでした」
「当時は?」
「今は、同じ現象でも別の説明があり得ると考えています」
「神経系への作用とか?」
「候補の一つです」
澪が黙った。
「その人は?」
「その後、動けるようになっています」
「どのくらいで?」
「正確には分かりません」
「なんで?」
「その場に残っていないので」
「警察は?」
「来ました」
澪の視線が。
透に固定される。
「昨日言ってた警察って、それ?」
「それもあります」
「……疑われてる?」
「分かりません」
「久世さん」
「はい」
「それ、かなり重要じゃない?」
「だから、能力を見せたあとで説明しました」
「そうなんだけど……」
澪が額に手を当てる。
「私がこれ知ってることで、警察に何か聞かれる可能性は?」
「ゼロとは言えません」
「どのくらい?」
「数値化できません」
「そういう意味じゃない」
「すみません」
澪は深く息を吐いた。
「……まあ」
顔を上げる。
「それも含めて聞くって決めたの、私か」
「はい」
「そこは否定してよ」
「事実なので」
「久世さん、ほんとそういうとこあるよね」
「よく言われます」
「誰に?」
透が止まる。
「友人です」
「……名前は?」
「本人に、あなたへ名前を話していいか確認していません」
澪が瞬きをする。
「そこまで?」
「俺との会話で名前を出していいかどうかは別の話なので」
「……」
「何ですか?」
「いや」
澪が少し笑った。
「そういうところは、ちゃんとしてるんだなって」
「そうですか」
「褒めてる」
「ありがとうございます」
*
午後8時06分
「もう一件あります」
「まだ!?」
「はい」
「……聞きます」
9月19日。
泌尿器科。
体調を崩した男性。
支えた。
速い脈。
『楽になればいい』
と思った。
直後。
男性が。
急に楽になったと訴えた。
同時に。
透自身に強い疲労。
澪は。
途中から一切口を挟まなかった。
「だから」
透が言う。
「最初に水城さんへ、人間の自然治癒について聞きました」
「……なるほど」
「一時は治癒能力の可能性を考えました」
「今は?」
「治癒とは断定していません」
「うん。それでいいと思う」
澪が即答する。
「症状が軽くなっただけなら、原因そのものが改善したとは限らない」
「あなたに言われて修正しました」
「記録してる?」
「はい」
「見せて」
透の手が止まる。
「全部ですか?」
「見せられる範囲でいい」
透は考える。
ノートには。
能力特性だけではなく。
覚醒条件についても記録している。
性交経験。
自慰経験。
射精経験。
そこまで。
今見せる必要はない。
「能力特性の記録だけなら」
「それでいい」
透はタブレットを出す。
データは分けてある。
重量。
距離。
成功率。
疲労。
対象認識。
位置情報。
第三者協力時の結果。
澪が読み始める。
数分。
「……久世さん」
「はい」
「何回やったの?」
「総試行数ですか?」
「うん」
透が答える。
澪が顔を上げる。
「やりすぎ」
「必要なので」
「これ、一人で?」
「一部は友人に協力してもらいました」
「対照条件まで取ってる」
「はい」
「試行順も変えてる」
「はい」
「失敗も全部残してる」
「はい」
澪は。
少し笑いかけて。
やめた。
「……本気なんだ」
「だから相談しました」
澪は。
またデータへ目を落とした。
*
午後8時24分
「じゃあ」
澪が言った。
「私からも条件」
「何でしょう」
「今後、人体に関係する実験をするなら、一人で勝手にやらない」
「同意します」
「自分の身体も含む」
透が少し止まる。
「危険性が低い場合は――」
「久世さん」
「はい」
「それ、自分だけで決めるの禁止」
「……」
「第三者が必要なんでしょ?」
透は。
言い返せなかった。
合理的だった。
「分かりました」
「あと」
「まだありますか?」
「ある」
澪は真面目な顔になる。
「頭痛とか疲労が急に強くなったら実験中止」
「基準は?」
「……」
「曖昧だと判断できません」
「そういうとこ!」
「必要です」
「分かった。じゃあ数値化しよう」
即答。
透が止まる。
「主観症状を10段階」
「はい」
「暫定で、頭痛5以上なら中止」
「5の根拠は?」
「暫定って言ったでしょ」
「はい」
「データが増えたら修正」
透は少し考える。
「合理的です」
「でしょ?」
澪が笑う。
透も。
少しだけ笑った。
*
午後8時38分
澪が記録を見直していた。
「質問していい?」
「どうぞ」
「これ」
能力データを指す。
「いつから誰かに話したかった?」
透は考える。
「話したかった、という感覚はあまりありません」
「じゃあ、なんで私に?」
「最初は専門性です」
「最初は?」
透が止まる。
澪が。
じっと待っている。
「……今は」
「うん」
信頼。
その言葉が浮かぶ。
だが。
まだ知り合って。
1週間程度。
信頼と断定するには。
早い。
「あなたなら」
透が言う。
「俺が間違っていたら、間違っていると言うと思ったので」
澪は。
黙った。
「それ、褒めてる?」
「はい」
「……そっか」
澪が。
少しだけ嬉しそうに笑う。
「じゃあ」
「はい」
「遠慮なく間違ってるって言うね」
「お願いします」
「そこ即答なんだ」
「そのために話したので」
「……ほんと色気ないなあ」
「何がですか?」
「なんでもない」
澪は答えると、ふいに透から視線を逸らした。
耳にかかった髪を指先で直す。
そのまま手帳へ目を落とす。
数秒。
「……何?」
「いえ」
「じゃあ見ないで」
「見ていたつもりはありません」
「見てたじゃん」
「水城さんが急に黙ったので」
「もういい」
澪は手帳へ視線を戻したまま、小さく息を吐いた。
透には、なぜ澪の機嫌が少し悪くなったのか分からなかった。
*
午後8時47分
二人は会議室を出た。
エレベーター。
人はいない。
澪が言う。
「まだ信じられない」
「動画があります」
「そういう意味じゃなくて」
澪は自分の手を見る。
「世界って、ああいうのが存在する場所だったんだなって」
「現時点では、俺の周囲でしか確認できていません」
「そうだね」
「他にも存在するかどうかも分かりません」
「じゃあ」
澪が言う。
「分からないままにしとこ」
透を見る。
「今は」
「はい」
「面白いからって、証拠より先に行ったら駄目でしょ?」
透は。
少しだけ笑った。
「水城さんがそれを言いますか」
「何その意味」
「今日、目がかなり輝いていたので」
「……見てたの?」
「観察はしていました」
「そういうの普通本人に言う?」
「事実なので」
「もういい」
澪は前を向いた。
耳が。
ほんの少しだけ赤い。
透は気づいた。
だが。
会議室が暑かったのだろうと判断した。
*
午後9時12分
武蔵小杉駅。
別れ際。
「水城さん」
「はい」
「今日見たことについて」
「誰にも言わない」
即答だった。
透が少し驚く。
「いいんですか?」
「今日の時点ではね」
「理由は?」
「データが足りない」
澪が笑う。
「人に話したところで『何言ってんの』で終わるし」
「それもあります」
「それに」
少し間。
「久世さんが、私に選ばせたでしょ」
「何をですか?」
「見るかどうか」
透は黙る。
「だったら」
澪が続ける。
「今度は私が決める」
「何をですか?」
「しばらく一緒に調べる」
透の目が。
少し開いた。
「危険性は――」
「聞いた上で決めた」
澪が遮る。
「約束したでしょ?」
透は思い出す。
『どの程度危険なのか教えて。その上で、続きを聞くかは私が決める』
「そうでした」
「じゃあ決まり」
「……ありがとうございます」
「うん」
澪は改札へ向かう。
数歩。
止まる。
振り返った。
「久世さん」
「はい」
「次、いつやる?」
「まだ決めていません」
「決まったら連絡して」
「分かりました」
「あと」
「はい?」
澪が少しだけ迷ってから、口を開いた。
「もう水城さんじゃなくて、澪でいいよ」
透が止まった。
「なぜ?」
「そこ理由いる?」
「……」
「いや、そんな真剣に考えなくていいから」
「分かりました」
澪が少し待つ。
「……」
「何ですか?」
「呼ばないの?」
「今ですか?」
「今」
透は一瞬考えた。
「澪さん」
「……さん付けなんだ」
「呼び捨てにする理由がないので」
「そこにも理由いるんだ……」
澪は呆れたように笑った。
けれど。
どこか嬉しそうにも見えた。
「まあ、いっか。じゃあ次からそれで」
「分かりました」
「あと、次は私が実験組むから」
「構いません」
「たぶん今日より厳しいよ」
「望むところです」
澪の笑みが少しだけ深くなる。
「やっぱり面白いなあ、久世さん」
「俺がですか?」
「さあ?」
そのまま。
今度こそ改札の向こうへ消えていった。
*
午後10時42分
透は今日の記録をまとめていた。
『第三者観測者:水城澪』
そこまで書き。
止める。
消す。
『共同検証者:水城澪』
書き直した。
能力の存在。
第三者による再現確認。
次の実験。
身体所有感。
脳活動。
生体への作用。
そして。
まだ説明していない。
最大の仮説。
『覚醒条件』
透はページをめくる。
『性交経験なし』
『自慰経験なし』
『夢精の記憶なし』
『射精経験なし』
『性的欲求極めて弱い』
「……これはまだいいか」
知り合って。
まだ1週間程度。
女性に話す内容としては。
あまりにも個人的だった。
それ以上に。
能力との関連性すら。
証明できていない。
透はページを閉じた。
話す必要が生じれば。
話す。
今は。
まだその段階ではない。
ただ。
能力を一人で調べる時間は。
今日で終わった。
次からは。
自分の仮説を。
自分以上に疑う人間がいる。




