27
夕方。
村の広場には、灯りが吊るされていた。
木の枝から下がる小さな提灯が、ひとつ、またひとつと火を灯されていく。
焚き火の煙が、ゆっくりと空へ昇る。
焼けた肉の香ばしい匂い。
パンを焼く甘い香り。
人々の笑い声が、広場いっぱいに広がっていた。
ラティアは、広場の入口で立ち止まる。
目を丸くして、周囲を見渡した。
「……すごい」
ぽつりと呟く。
歌う人。
踊る人。
料理を並べる人。
結界の中では見たことのない光景だった。
カイルが隣で笑う。
「そんなに珍しいか」
ラティアは素直に頷く。
「うん」
サラが優しく言った。
「今日は収穫祭だそうですよ」
ラティアは灯りを見上げる。
「……お祭り」
その響きを、小さく繰り返す。
前世にも、祭りはあった。
もっと眩しい灯り。
もっと大きな音。
人であふれた通り。
途切れず流れる音楽。
それも賑やかで、きっと楽しいものだったのだと思う。
けれど——目の前の祭りは、まるで違った。
火の灯りはやわらかく、
人の声は近く、
笑い声も、焚き火のはぜる音も、
夜の空気に温かく溶けている。
同じ“祭り”なのに、こんなにも違うのかとラティアは思った。
胸の奥へ、静かに沁みこんでくるような賑わいだった。
ユリスは何も言わない。
ただ周囲を一度見回してから、短く言った。
「迷うな」
ラティアが顔を上げる。
「え?」
「人が多い」
それだけ。
ラティアは少し考えて、こくりと頷いた。
四人が広場へ足を踏み入れた、そのときだった。
「勇者様!」
明るい声が響く。
若い村娘が、笑顔でユリスの方へ駆け寄ってきた。
「さっきはありがとうございました!」
距離が、少し近い。
ラティアはその様子を見ていた。
胸の奥が、ほんの一瞬だけ——ざわっとする。
理由はよくわからない。
ただ、なんとなく落ち着かない。
ユリスは短く言った。
「俺ではない」
娘はきょとんとする。
「え?」
ユリスは視線だけで、ラティアを示した。
「熊を止めたのは、あいつだ」
ラティアの心臓が跳ねた。
「え?」
娘の目が、ゆっくりラティアへ向く。
近くにいた村人たちも、つられるようにこちらを見る。
ラティアは慌てて手を振った。
「ち、違う! 止めたっていうか……」
言葉を探す。
「撫でただけ」
沈黙。
カイルが吹き出した。
「いや、それ止めてるだろ」
サラもくすりと笑う。
村娘の目が、ぱっと輝いた。
「聖女様でしたか!」
「違う!」
ラティアが即答する。
顔が一気に熱くなる。
視線が集まる。
どうしていいかわからない。
そのとき——
ユリスが、ほんの少しだけ前に出た。
自然に、ラティアの前へ立つ形になる。
村人たちの視線が、ユリスへ移った。
ラティアはその背中を見る。
広い背中。
さっきまで自分に集まっていた視線が、少し遠くなった気がした。
胸の奥のざわざわが、
すっと落ち着く。
村娘は少し照れたように笑った。
「でも、本当にありがとうございました!」
ラティアはまだ赤い顔のまま、小さく手を振る。
娘は友達のところへ戻っていった。
ラティアはその背中を見送る。
胸の奥のざわつきは、
さっきとは少し違う形で残っていた。
カイルが横で言う。
「どうした」
ラティアは慌てて首を振る。
「え?」
「顔」
カイルがにやっと笑った。
「変だぞ」
「変?」
「嫉妬か?」
「ちがう!」
ラティアが即答する。
サラが優しく言う。
「初めての場所は、いろんな感情が動くものですよ」
ラティアは小さく頷いた。
(……たぶん、そう)
そういうことにした。
そのとき、屋台の方からいい匂いが流れてくる。
焼きたてのパン。
串焼きの肉。
甘い菓子。
ラティアのお腹が小さく鳴った。
カイルが笑う。
「聞こえたぞ」
ラティアは慌てて顔を隠す。
「ち、違う!」
「飯だな」
カイルは屋台を指さした。
「まず食う」
サラも微笑む。
「そうしましょう」
四人は広場の屋台へ向かう。
人の間を通るとき、
ユリスがラティアの腕を軽く引いた。
「こっちだ」
それだけ。
でも。
その一瞬で、
ラティアの胸の奥のざわざわは、
静かに落ち着いた。
広場の灯りが揺れる。
笑い声が響く。
前世で知っていた祭りとは違う、
やわらかくて、温かい夜。
ラティアの初めての祭りの時間が、
静かに始まった。




