健さんの休日
弦月庵の店主である健さんは、休日になると食べ歩きに出かける。
行きつけの喫茶店でモーニングを食べ、人気のスイーツ店を覗いては新作をチェックし、その日の気分でおしゃれなカフェや馴染みの定食屋などに立ち寄って、ゆっくりと昼食をとる。
その後は商店街をぶらついて、肉屋の熱々コロッケを頬張ったり、古くからあるパン屋や洋菓子屋で何かしら購入したりして、日が暮れる頃になると家路につく。
その日、健さんが店舗と自宅を兼ねたビルへ戻ってくると、シャッターが下りた弦月庵の前に、紙袋を持った若い男性が佇んでいた。
「今日は定休日だよ」
健さんが声をかけると、青年はちょっと面食らったような表情になる。
「あ、俺はここの店主なんだ。怪しいもんじゃないよ」
青年は、店の看板と健さんを交互に見てから
「あの、以前ここにあった『もみじ食堂』は無くなっちゃったんですか?」
と尋ねた。
「ああ、もみじ食堂の親父さんなら、今は田舎で隠居暮らししてるよ。ここの土地を売った金で、悠々自適の老後ってやつだ」
健さんの答えに、青年は安堵の表情を浮かべた。
「良かった……! お店が潰れて困ってるんじゃないかって、心配だったんです」
「あんた、親父さんの知り合いかい?」
「いえ、向こうは僕のことなんか覚えていないと思います。昔の客の一人ってだけですから。客って言っても、もみじ食堂の方じゃなくて、親父さんが店の端っこに作った『こども食堂』のコーナーでタダ飯を食わしてもらってただけだから、お金なんか払ったこと無かったけど」
「いいんだよ。『こども食堂』のコーナーは、『腹を空かした子供達に、タダでいいから飯を食わせてやりたい』っていう親父さんの願いで作られたんだから。金を払ってなくたって、立派な客だよ。俺だって昔、こども食堂の世話になってたんだぜ」
「そうなんですか? それじゃあ僕たち昔、あの店で会ったことがあるかもしれませんね」
「どうだろうなぁ。お兄さん若そうだし、俺はでっかくなる前に施設へ放り込まれちまったからな。でも、ここの親父さんの親切は忘れたことがなかったし、ずっと心の支えだったよ」
健さんの言葉に、青年も頷く。
「僕もです。引っ越した後も、ずっとずっと心に残ってて……就職が決まったら、菓子折り持ってお礼の挨拶に来ようって決めてたんです。……ちょっと遅かったみたいですけど」
「そんなこたぁねぇよ。死んじまったわけじゃねぇんだから」
そう言うと、健さんは携帯を取り出して青年の方へ差し出した。
「これ、親父さんの連絡先。わざわざ行くには遠いから、手紙出すなり電話するなりして、お礼の気持ちだけ伝えときなよ。きっと喜ぶから」
「ありがとうございます!」
青年は連絡先の画面を携帯で撮影すると
「これ、よかったら……」
と言って菓子折りの入った紙袋を健さんに手渡し、何度も頭を下げながら帰っていった。
健さんは自宅に入ると、菓子折りの賞味期限を確認した。
日持ちするなら、親父さんのところへ送ってあげようと思ったのだ。
賞味期限がだいぶ先だと分かると、健さんは菓子折りを紙袋に戻し、ガムテープで封をして、宛名と住所を書き始める。
そして差出人のところには、自分の名前の下に『昔、親父さんの世話になったっていう若い兄ちゃんが、お礼にって置いてったよ』と書き添えた。
「これでよし!」
健さんはペンを片付けると、貴重品をまとめた袋から銀行の預金通帳を取り出し、残高を眺めた。
「これじゃまだ、心もとないなぁ」
残高に記載された金額は、八桁に届いている。
けれども健さんの目標金額には、まだ到達していない。
かつて、腹を空かした自分に手を差し伸べてくれた親父さんのように、いつか自分自身も「こども食堂」を運営したい。
それが、健さんの密かな目標だ。
そのためには、もう少し潤沢な資金が必要になる。
誰かの支えになりたいと願うなら、まずは自分の足場をしっかりと固めなければならない。
株で資産を増やしながら、餃子屋の店主として地域の人々と交流を深める日々。
困った時は、みんなで支え合う。
そんなふうに、周囲の人々と助け合える関係が築けたらいいな、と健さんは思っている。
そう遠くない将来、弦月庵には大人達の声だけでなく、こども達の賑やかな笑い声も響き渡っているかもしれない。




