十三:プレパレーション・フォー・トラベル(後編)
「え? 馬も乗れないんですか?」
「いや、普通乗れないから。っていうか乗ったこともないから」
「乗馬なんて嗜みでしょう?」
「そんなわけあるか、お嬢様かよ」
「そうですけど?」
あっさり首肯されると、それはそれで反応に困る。
え? 嘘、ほんとにお嬢様なの? ……まさかね。
「そんなことはどうでもよくて……。うーん、貴方がウマに乗れないのは予想してませんでした……不覚です」
今から向かう所は、馬で行かなくては到底一日で行って帰って来ることはできないらしい。
コロニーの出口に準備されていた、筋肉隆々の二頭の馬を前に、僕たちは早速足踏みをしてしまった。
「はぁ、しょうがありませんね……。仕方ありません、後ろに乗ってください」
「……二人乗りってこと?」
「それしか方法がありませんからね」
「いいの?」
馬に二人乗りをするってことは、それなりに密着しなくてはいけないのではなかろうか。
僕は構わないけど、雫がそれを良しとするとは思わなかった。
「背に腹は代えられませんし、他に選択肢もありませんし……、まぁ止むを得ないと言いますか、苦渋の決断と言いますか、苦虫を噛み潰した挙句の果てに砂も噛む思いと言いますか――――」
「おっけー、分かった。それくらいでやめておこうか」
全く持って雫にとって楽しい選択ではないということは良く伝わった。
次までには乗馬の練習をしておこう。
この子じゃ二人乗りは無理ですね……、と他の馬に取り換えてもらった後、雫は手っ取り早く鞍や馬装を二人乗り用の物に付け替えてくれた。
馬に小さな声で語りかける雫は、なんというかとても絵になって、家にいる時とのギャップに僕は苦笑いがこぼれた。こういうの、内弁慶っていうのかな? ちょっと違うか。
やがて一通りの準備を終えると、何故か雫は僕からザックを受け取って、それを背負った。
そして小さな三脚の上に乗り、ひらりと馬にまたがり、上から僕を見下ろして言った。
「じゃぁ、乗ってください」
「うん…………………………………………ねぇ、これどうやって乗るの?」
近くに来て初めて気づいたんだけど、馬って大きい。
特にこの馬は二人乗りにも耐えられるくらいの馬力があるから、更に大きい。
僕の身長と同じくらいの所に鞍がある。足をかける鐙はそこから垂れ下がってはいるんだけど……これに足かければいいの?
「もう……何してるんですか……ほら、まず三脚に乗って、左足を鐙に……あぁ、馬の腹を蹴らないようにしてくださいね。そう、そうです。で……はい、手、握ってください」
「あ、ありがとう……」
「そっと座ってくださいね。びっくりしちゃいますから」
一挙一動を雫に教えてもらいながら、僕はどうにかこうにか鞍にまたがる事が出来た。
ふくらはぎから太ももにかけて、ほのかに温もりを感じる。ウマ、あったかい。
「っていうか今更なんだけど、僕が前なんだね……」
だから雫が荷物を背負ったのか。てっきり逆だとばかり思っていた。
「当たり前じゃないですか、振り落とされたいんですか?」
「いや、何となくイメージで後ろに乗ると思ってたから……」
「本当に乗馬経験がないんですねー」
「……」
「どうかしました?」
「いや……」
雫の声が近い。
近すぎる。
顔が見えないのに、耳元で声と息遣いが聞こえる状況に、不覚にも胸の鼓動が早くなる。
「よっと……失礼しますね」
「お!」
「お?」
「お腹すいたね」
「さっき食べたばかりでは?」
手綱を握るため、前かがみになって僕に密着した雫の何某が背中に当たる。
柔らかい何某の存在が、僕の何某を何某。
雫、あったかい。
……じゃなくて! よ、よし、こんな時こそ僕の能力の出番だよね!
邪な気持ちをコントロールして、ようやくいつもの僕に戻る。
「それじゃぁ出発しましょうか。乗馬は重心が大事です。もっと後ろに寄って下さい」
「こう?」
「もっとです……あぁもう、何恥ずかしがってるんですか、男子高卒業したてで合コンに来た大学生ですか」
「ち、ちちち違うわ!」
共学だったし! 女子と喋ったことくらいあるし!
なんなら妹もいたからね!
「はい、これくらいですね。で、多分一番姿勢が難しいのは常足と速足……比較的ゆっくりのペースの時だと思います。体が跳ねるタイミングが、馬の上下の動きと連動してないと、馬がすぐに疲れてしまうので、私の動きを意識しててください」
「動きを意識」
「はい。まぁ私が後ろから抱え込んでいるので、それに合わせてください」
「後ろから抱え込んでいるので」
「そうです。駆足と襲歩、馬が走ってる時は意外と揺れないので、多分大丈夫だと思います。じゃぁ行きましょうか」
ゆっくりとウマが歩き始めた。
確かに思ったよりも大きく揺れる。気を抜くと体がボンボンと跳ねて、馬に嫌がられやしないかと不安になる。
コロニーを出て最初のうちは中々慣れなかった。
時折、耳元で雫が
「楓さん、もっとタイミングを合わせて」
とか
「まだ少し固いですね……私の動きをもっと感じてください?」
とか、
「そうそう上手です。そのまま頑張って」
だとか、やけに優しく囁いてきたけど、特に何も感じなかった。
正確には、これはやばいと思って、「そのあたりの感情」は全部シャットアウトしただけなんだけどね。
割とおいしいシチュエーションであることは自覚していたけれど、邪念に捕らわれていたら落馬しかねない。僕はただ黙々と雫の指示に従った。
そんな冷静な思考の中、僕はふと、何かを教える時だけは雫の罵倒の言葉が減る事に気が付いた。
だからなんだ、と言う話だけどさ。
◆◆◆
休憩を挟みつつ数時間、僕らはコロニーからだいぶ離れたところまで来ていた。襲歩になってからは雫の言う通りだいぶ楽になって、周りの景色を楽しんだりしていた。
僕らの居たコロニーはもう豆粒みたいに小さくなっていて、同じく米粒みたいな大きさの別のコロニーが見えて来ていた。
「あっちは私たちが『アブドメン』と呼んでるコロニーですね。何度か行った事がありますが、放牧、農業何かを盛んに研究、実践しているようです」
「コロニーに名前とか付いてたんだ」
「まぁ全部コロニー、では味気ないですし訳分かんなくなりますしね」
「確かに……。じゃぁ、僕たちが住んでいるところは?」
ぐいっと伸びをして、雫は大きく息を吐き出した。真っ白な煙がふわりと立ち上っていく。
反り返った時に強調された胸元に目線が行きそうになって、僕は慌てて目を逸らせた。
ニットはずるいと思う……だから、じゃなくて!
はぁ……何してんだ僕。
どうも自分で思っているより、乗馬の際に密着されたのが尾を引いているらしい。
時折思い出したように顔をのぞかせる邪念を、よいしょと抑え込む。
「『カプト』です。そう呼ばれてると知ったのは、私も最近ですけどね」
「変な名前」
「同感です」
一体何に由来しているのか見当もつかない。
いつ、誰が付けたのか知らないけど、もっと「ホッカドー」とか「トッキョ」とかにしてくれればいいのに。
「さて、そろそろ行きましょうか。後一~二時間で着くと思います」
「おっけー」
その辺に落ちていた大きめの石を、うまい事使って馬にまたがる雫を眺めていると、アイが言った。
【アブドメン、と言うのは、どうやらラテン語で「腹部」を意味するようですね】
「お腹? なんだったまたそんな……」
ちょいちょいと雫に手招きされ、僕も雫の真似をして石を使って乗馬する。
が、途中石から転げ落ちそうになって、結局雫の手を借りてしまう。
「じゃぁ、カプト、は?」
一向に上達しませんね、センスが皆無です。うるせぇこれから上手くなるんだよ。
という軽口を交わしている間に、再び馬が走り始める。
【カプトは、頭部。頭を意味します】
「頭に腹……人の器官の名前……?」
【かもしれません。現在ネットワークにつなぐことができませんので、詳細は不明ですが】
コロニーの近くでなければ、CMSUはネットワークにつなぐことができないらしい。
メールの送受信も、電話も同様だ。つまり僕たちは今、コロニーにいる人間と連絡を取る手段がない。
例えばこの広大な大地で一人、コロニーも見えないような場所で一人さまよっていたらと思うと、背筋が凍る。
ここしばらくはコロニーの中にいたから忘れかけていたけれど……コロニーの外に一歩踏み出せば、そこはもう自分を守るものが何もない、厳しい自然が待ち構えている。
人類の衰退を、僕は改めて強く実感した。




