アネモネ/上
早くこの暑さから逃れたくて自転車で立ち漕ぎをしていた。汗で服がびしょびしょになっており気持ち悪い。この丘を越えるとあとは下り坂だけ。丘の頂上に近づく度にペダルが重くなる。高校生の時から使っているこの自転車は、ギイギイと嫌な音を立てながら坂を上っていった。
「ハァ、、ハァ、、、ハァ、、、、、」
やっと登り切った。この通学路を5年使っているが、この丘の坂道だけは一向に慣れない。坂を最後まで下っていくと俺の家がある。商店街の真ん中の花屋だ。一階が花屋。二階が家。素早く自転車を停め、店の入り口付近にある花壇に当たらないように気をつけながら店に入っていった。
「ウィーーーン、チリンチリン~~」
ベルが音を出しながらドアが開いた。
「ひゃー涼しい~。やっぱ文明の利器ってすげえな。先人に感謝だな~。むぎ、ただいま~」
「ワンッ」
「こんなに暑いのにお前は元気だな~」
今は八月。外は、溶けるような暑さだ。アスファルトからの熱が靴越しでも伝わってくる。夏の間はむぎも店内で涼んでいる。汗が目に入らないようにシャツの上部で拭く。こんなに暑いのに蝉は元気に鳴いている。今日は大学が早く終わったので、父がやっている花屋の手伝いをする。街の花屋。都会でもないし、田舎でもない街にあるごくごく普通の花屋。おじいちゃんの代から花屋をやっていたらしい。店内はお世辞にも広いとは言えない。親父が言うには、花の種類の多さがこの店の自慢らしい。
「おう、凪、帰ったのか。水やりと茎のカット頼んどくぞ。今日は暑いから多めにな。じゃあ、俺は配達に行ってくるから後は頼むぞ」
「はい、はい、行ってらっしゃ~い」
父はたまに花の配達に行く。ホテルや病院、葬式など、に届けているらしい。いつもレジにいるお袋がいないな。まぁビニールハウスで花の世話でもしてるんだろう。
「よしやるか」
枯れている葉や花の部分を整える。大きめのじょうろに水を入れ、いつもより多めに水をやる。じょうろから出る水を見てると自分も浴びたくなってくる。
「よし。とりあえずは終わりかな。さむっ。お客さんいないし着替えてくるか」
ぬれていた服で冷房の効いた部屋にいたから服が冷たくなっていた。軽快な足取りで階段を上って行った。
俺は脱いだ服を洗濯機に投げ入れた。古臭いタンスから半袖の白いシャツをとって着る。
「カランカラン」
お客さんかな。急ぐといい事ないのでゆっくりと階段を降りた。
「いらっしゃいませ〜」
20代後半だろうか。スーツを着たサラリーマン風の男性がいた。メガネをかけていて、いかにも真面目って感じだ。背は高くほっそりとしており、モデルのように見えた。店に入ってから、メガネの縁を何度も指先で直している。現在時刻は18時。おそらく、仕事終わりに来たのだろう。男は、ひとしきり店内を見回った後、こちらに近づいてきた。
「あのーすみません、花を選んでもらいたいんですけど」
「喜んで選びます!!誰かにプレゼントするんですか?」
「今度、彼女にプロポーズするんです」
「いいっすね〜。喜ぶと思いますよ!めっちゃ綺麗な花を選びますね!」
「よろしくお願いします」
俺には特殊能力?みたいなのがある。人の顔を見ると、花が脳裏に思い浮かぶのである。チューリップだったり、パンジーだったり。おそらく、共感覚と同じ類のものだろう。原理はわからない。だが、俺はこの能力をあまりよく思っていない。幽霊と同じで、触れられないものは信じない主義なのである。
今日のお客さんを見ると、「青いアネモネ」が脳裏に浮かんできた。だがしかし、そのまま従ってしまうと、負けた気になって悔しいのである。まずはお客さんの好みを聞こう。話はそれからだ。
「ど定番なんすけど、薔薇なんてどうすか?108本で結婚してくださいという花言葉になるんすよ。108本もあると、迫力があってとても綺麗っすよ!」
俺はプロポーズの花でお馴染みの薔薇をおすすめした。確かに、薔薇は綺麗だ。プロポーズに相応しい。しかし、今までの経験上、俺の脳裏に浮かんだ花を絶対に選んでいくのである。こちらが他の花をどんな方法でおすすめしようとだ。
「薔薇ですか、、とても綺麗なんですけど、定番すぎると言いますか、定番すぎて逆に特別感が減ると言いますか、、」
「確かに薔薇はありきたりすぎて特別感が減るかもしれないっすね。特別感か〜」
「これはどうすか?特別感がありますよ」
俺は、茶色い栗みたいなものを渡した。
「これは何ですか?」
「チューリップの球根っす。球根で求婚、なんつって笑」
「ハハッハ、面白いこと言いますね。洒落ですか。一緒に球根から育てるのもいいですが、今のままでは少々、地味な気がしますね。」
そうっすよね〜。まぁ当然ちゃ当然か。
「彼女さんはどんな色が好きなんすか?」
「青ですかね。海の色がとても好きと言ってましたね」
ギクッ、青か、まずいな。やはり今回も、脳裏に浮かんだ花を選ばれていくのか。何だか気味が悪いな。
「青ですか〜。それなら、この、青いデルフィニウムはどうすか?」
デルフィニウムは、結婚の約束に相応しい花として人気だ。透き通ったような海の色。
「綺麗な青ですけど、彼女のイメージと合わないんですよね。すみません、せっかく選んでもらっているのに、なかなかピンとこなくて、、一度、家に帰って考えてきます。」
「プロポーズの花は直感でピンときたやつがいいっすもんね。決まったら気軽にきてくださいね」
サラリーマン風の男は軽く頭を下げ、出口へと向かって行った。男の足が出口の少し手前で止まった。あれ?むぎが邪魔で出れないのかな?そう思った。
「あの、、この花は何て名前の花ですか?」
やっぱりこうなる。
「アネモネっすね。」
「これをください。」
即決だった。別に脳裏に浮かんだ花を買っていって欲しくないわけではない。気味が悪いから、お客さんにオススメしないだけだ。目に見えないものは信じない主義なのだ。おばけや心霊現象が怖いわけではない。本当に怖いわけではない。いや、まじで、怖くない。まじで、、、
「絶対成功しますよ。俺応援してるっすから」
「ありがとね」
男は満足した顔で青いアネモネを買って行った。
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よし!ユミにあげる花を無事に買えてよかった。プロポーズは明日。モデルの仕事が軌道に乗って慌ただしくしていたので、久しぶりの休日だ。ユミは水泳部の顧問をしている。明日はプールのメンテナンスを行うらしく部活は休みらしい。指輪もスーツも花束もある。あとは、勇気だけだ。
僕は家に帰った後、自分の部屋のクローゼットに花束を隠した。ユミが帰ってくるまで、ご飯を作って待っている。得意料理の生姜焼きと、味噌汁、サラダに白米。ユミが帰ってくる時間に合わせて、料理を作る。そろそろ帰ってくるかな?
「ただいま〜。いつも忙しいのにご飯作ってくれてありがと。今日生姜焼きじゃん。やった!!」
「おかえり」
ユミは、小走りでキッチンに向かい、手を洗った後、素早く椅子に座った。リュックを背負ったまま座ったところを見ると、相当お腹が空いているようだ。今にもよだれが垂れてきそうだった。
「いただきまーす」
「いただきます」
うん。ちゃんと味見したから美味しい。ユミも、ニコニコしながらご飯を口に運び入れている。
「今日ね、村田さんのタイムが3秒も縮んだんだ!!3秒だよ!3秒!!フォーム研究したり、筋トレしたり、頑張ってたから、結果に出てよかったな〜。」
「3秒も縮んだのめっちゃすごいじゃん。」
俺は水泳について詳しくない。3秒早くなったことが、どれだけ凄いことなのかわからない。ただ、ユミが楽しそうに話してくれるのが好きだった。
「ごちそうさまでした〜、美味しかった!作ってくれてありがと。片付けは私がやるから、先お風呂入ってて」
「あ、ユミ。明日で付き合って5年目になるよね。それで明日、もしよかったらイタリアンのお店に行かない?」
「ほんとに!?覚えててくれたの?もっちろん行くよ」
よし!!とりあえず明日の約束はできた。心の中でガッツポーズをした。
「アッハハ、なにそのポーズ笑、恐竜みたい笑」
僕は、無意識にちっちゃくガッツポーズしていたようだ。
準備は完璧。その日は、なかなか寝付けなかった。
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プロポーズ当日。現在時刻13時。ユミとカラオケに来ている。
「さつまいもパフェとフライドポテト、あと、スイートポテトください。」
ユミは部屋に備え付けの電話で料理を注文した。それにしても、イモのオンパレードだな。
「まず何歌おっかな〜」
ユミは、パフェを食べながらタブレットで選曲をしていた。
「これにしよっ」
ユミはbacknumberの水平線を歌った。
ユミが歌っている間、僕は盛り上げ役に徹した。
「あぁあ〜楽しぃ〜。久しぶりのカラオケ最高!!日頃の疲れがぜーんぶ飛んでっちゃう」
ユミ曰く、カラオケが一番ストレス発散になるらしい。
「よっ、流石ユミちゃん、福岡の歌姫!!もっと聞かせて君の声を!!もういっちょ!」
僕がわざとらしく盛り上げに徹するのにも深い理由がある。そう。音痴なのだ。
「次は、真ちゃんの番ね。はい。どうぞ。」
ユミは僕の目の前にマイクを差し出した。
「いや、まだいいかな、その、、今は喉を温存してるよ」
とりあえずは、意味不明な言い訳のおかけで歌わずに済んだ。蓄えたって、喉のコンディションがいい音痴になるだけじゃないか。豚に真珠、僕にのど飴だな。
「あそう、じゃあまだ歌おっかな」
音痴レベルを1から10で表すと10のレベルなのだ。いや、この言い方だと、1と10どっちの方が酷い音痴なのかが、ややこしくなるな。音痴界の底辺と言ったらいいのか頂点といったらいいのか、、、
まぁ、とにかく、ジャイアンと同じレベルにいると言うことだ。
ユミはパフェと歌を交互にこなしていた。しかし、二人で来てることもあり、歌わないのにも限界がやってきた。
「喉が疲れた〜、交代交代。真太郎選手にマイクを授与します!」
ユミは、メダルの授与式のような口調で僕にマイクを渡してきた。
「じゃあどれにしようかな」
なにを歌おうか。カラオケは久しくきてないし、人気の曲とかわかんないな。
ユミからカラオケに誘われたことは、何度かあった。しかし、全て理由をつけて断ってきた。だから、僕の音痴をユミは知らない。中学校の頃はこの音痴もよく馬鹿にされたものだ。その影響なのかはわからないが、曲というものをあまり聴いてこなかった。ただ、学生時代からこの曲だけは、ずっと好きだった。
音痴治ってたりしないかな?という淡い期待は簡単に崩れた。小学生以来歌ってないが、意外と覚えているものだな。
MONGOL800の「小さな恋のうた」
この曲は小学校の時に合唱コンクールで歌った。恋を歌っている曲らしい。
ユミは、もう一つのマイクをモニター横から取った。
もしかして、、、
曲も終盤。ユミが、途中参戦してきた。デュエットってやつだな。ハモリをやろうとしていたが、僕の音痴で困難を極めていた。それはそれは酷いハモリだった。
「真ちゃん、めちゃくちゃ音痴じゃん」
にんまりとした表情で彼女はそう言った。
僕は音痴と言われても、嫌な気持ちはしなかった。小学生の僕なら落ち込んでいただろう。
「でも、真ちゃんオリジナルな感じ良かったよ」
あ、タレ眉になってる。ユミは、僕を小馬鹿にするときタレ眉になる癖がある。面白いから、本人にこの癖は伝えない。あと、子供っぽくてかわいいから。
歌ってる途中にニヤニヤしすぎて、なんて歌ってるか分からないし。
その後も、ユミが歌ったり、一緒にデュエットしたりした。あまりの酷さにツボってしまって、曲の中盤までしか歌えないこともあった。
カラオケがこんなに楽しいものだったなんて知らなかった。笑ったときの八重歯、横顔、髪を耳にかける仕草、歌っているときの表情。狭いカラオケボックスで起きる全てのことに幸せを感じた。
「あーー歌った歌った。最高に楽しかったね!」
食った食ったみたいにいうなよ。最高に楽しかったには、同意だ。
「楽しかった。たまにはカラオケっていうのといいもんだね。ユミがこんなに歌上手いなんて知らなかった」
「シンチャンモウマカッタ」
また、眉毛が下がってる。
「馬鹿にしやがって〜このやろ」
僕はユミの頭をこれでもかと撫で回した。
気づくと時計は、17時を指していた。レストランの予約は19時から。一旦、家に帰って着替えもしてからレストランに行くか。名残惜しいが僕たちはカラオケ屋を後にした。
僕たちは、家に帰りレストランに似合いそうな服を選んでいた。ユミはクリーム色のロング丈のドレス。友達の結婚式にも着て行ったらしい。僕は黒の襟付きシャツに黒のズボン、紺色のジャケットを着て行った。
余裕を持って店に着くことができた。
事務所の社長から高級イタリアンに何度か連れて行ってもらったことがある。基本的なマナーもわからないし、何が良くて、何がダメなのかがわからずに緊張した覚えがある。今日はその日と比べ物にならないぐらい緊張している。
「パンッッッ!!よしゃあぁ〜!」
震える足に気合を入れて、店のドアを開けた。
「格闘家の試合前か」
彼女のツッコミも聞こえないぐらい緊張していた。
「チャリンチャリン」
高級そうな扉を開けると、西洋風のライトが整列して吊るされているのが目に入った。直接、目で見れるぐらいの明るさだった。店内は月で照らされていて、料理を食べるには十分な明るさであった。真っ白なテーブルクロスにワインレッドカラーの椅子。上品なおじさま、おばさま。おしゃれすぎる空間に呑まれそうになった。緊張していることを悟られないように平然を装い、受付の人に名前と予約していることを伝えると、スタッフの方が席まで案内してくれた。歩き方も忘れ、足が絡まりそうになった。危なかった。緊張すると足が絡まる癖治さないとなぁ。
席に着くと、メニュー表を渡してくれた。何を頼むかはユミと一緒に家で考えてきたので、すんなりと言えた。
「シェフおまかせイタリアンフルコースを2つお願いします」
「かしこまりました。お苦手なものやアレルギーは、ございますか?」
運のいいことに僕もユミも何のアレルギーもない。
「いえ、特にありません。」
「左様でございますか。ありがとうございます。それでは、シェフが腕によりをかけてご用意いたします」
丁寧にお辞儀をして、キッチンの方に消えていった。
店内は、静かだが静寂というわけでもなく、ピアノの生演奏がされており、プロポーズをするには最高な雰囲気だった。
ユミと一緒に店内のムードを楽しんでいると一品目がきた。
「お食事前の軽い一皿でございます」
ガスパチョというスープとフルーツを使ったカクテルが運ばれてきた。
ガスパチョは、トマトをベースにした冷たいスープだ。
一口飲むと、トマトの酸味と塩がマッチしており、サラサラと喉を通り抜けた。冷たく、飲みやすいので、今の季節にぴったりのスープだ。めっちゃうまい。皿ごと持って飲みたいところだが、、大人しくスプーンを使って飲む。
「めっちゃうま。これ、声出していいんだよね?」
ユミは、小声でそう言った。確かに、難しいところだ。どこまでいいのか僕もわからない。
「極端に大きな声じゃなければいいよと思うよ。このスープ飲みやすくて美味しいね」
フルーツのカクテルからは、桃の甘い匂いがふわりと香っており、飲んでみると、甘酸っぱく、食欲をそそった。
次にどんな料理が来るのか、待ち遠しい。
「チャリンチャリン」
突然、店の入口から女性の叫び声が聞こえた。
「キャーーーーーーーー」
叫んだ女性は、その場から逃げ出した。
入口付近には、身長180cmぐらいで包丁を持っている筋肉質な男性がいた。目は充血しており、興奮状態であった。服は、ヨレており、何日も着替えてないように見えた。男性はこう言った。
「息子を、、息子を殺したやつを出せぇぇ」
包丁を持っていることがわかると、レストラン内は、たちまちパニックになった。ある客は窓から逃げ。あるスタッフはキッチン奥に逃げ。数秒前まで、食事を楽しむ声と、ピアノの繊細な音色が店内に響いていたが、今は、混乱の声で埋め尽くされていた。
入り口にいる警備員が男を捕まえようとした。しかし、包丁を持っているため、そう簡単に手出しできない状態であった。
「お前らが、、お前らが殺した」
男は、包丁を振りかざしながらキッチンに向かってそう言った。




