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ラノベ残酷物語  作者: 秋山完
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34●金字塔の方程式…「投資+情報」でヒット作爆誕!? 『戦国自衛隊』にガンダムとヤマト。

34●金字塔の方程式…「投資+情報」でヒット作爆誕!? 『戦国自衛隊』にガンダムとヤマト。



       *


◆秋山完による「金字塔:メガヒット作」の方程式


  作品力(土台+新機軸)×社会力(投資+情報)=金字塔(メガヒット作)


       *


 ここでは「社会力(投資+情報)」が物を言った事例を考えてみましょう、

 ここで言う「メガヒット」とは、商業的に「記録破りなヒット」のことです。

 「作品力(土台+新機軸)×社会力(投資+情報)」なのですから、「作品力」がいくら凄くても、「社会力」がゼロだったら、その作品はヒットしません。

 その逆に、「作品力」が発揮されていなくても、「社会力」が猛烈に強化されたら、メガヒットが成立するわけです。


 「社会力(投資+情報)」とは……

 作品を売りたい出版社が、おカネをかけて広報宣伝すること。

 作品を売りたい本屋さんが、POPなどに手間をかけて宣伝すること。

 映画化、アニメ化などメディアミックスを推進して、相互作用で売ること。

 本の帯に、著名人からの推薦文をもらうこと。望ましいのはソーリに「休暇のさい、別荘へ持って行って読む」と記者会見でポロッと発言してもらうこと。

 SNS等の口コミでバーッと全国拡散されること。

 それらのためにも、コンテストで大賞を獲ること。


 そういった一連の販売促進策をもって、作品に「投資」し、「情報」戦略を進めることを言います。


       *


 実例としましては……


 『戦国自衛隊』(小説は1971発表→映画は1979公開)。

 小説作品は文庫に収められましたが、中編ということもあり、文庫の表題は別作品の『わがふるさとは黄泉の国』でした。そのためか目立つことなく、ひっそりと月日が過ぎていきました。もちろんコアなSFファンには熱く支持されていましたが……


 つまり「作品力(土台+新機軸)×社会力(投資+情報)」の「社会力(投資+情報)」が極めて少なかったわけです。

 『戦国自衛隊』の作品力は抜群でした。その「土台」は、戦国を描く「時代劇」であり、これはNHKの大河ドラマにみるように、重厚なファン層を有しています。

 これをベースに、「新機軸」として「タイムスリップ」というSF要素と、「自衛隊」というミリタリー要素が上載せされたのです。そのアイデアの斬新なこと、読んでは目からウロコです。SFファン、欣喜雀躍。

 しかし哀しいことに、「新機軸」が斬新すぎたのです。

 『戦国自衛隊』が拓いたのは、SFの設定で歴史改変を扱う「架空戦記」の分野でした。SFマガジンに掲載された1971年には、ほぼ同時に故・高木彬光先生の『連合艦隊ついに勝つ』(1971)が発刊されています。これ、戦後ニッポンにおける架空戦記ジャンルの、まさに開闢かいびゃく期にあたる名作でした。

 『戦国自衛隊』はその点、極めて先駆的だったのです。

 それゆえに、読者の想像力を超えた側面がありました。従来の歴史小説ファンの想像の枠外にはみ出した作品だったのです。戦国時代に自衛隊が飛び込むなんて、伝統的な歴史小説ファンにとってみれば、突然変異的で非常識な作品に見えたでしょう。

 ではミリタリーの側面からどうかといいますと、1971年当時はまだ、自衛隊は憲法九条とのからみで、社会的に微妙な評価がなされていました。あからさまなミリタリー小説として打ち出すと、「戦争賛美」「軍国主義」と、善良な市民から指弾される空気感すら漂っていた時代だったのです、その良し悪しは別として……。

 作品力の「土台」「新機軸」ともに斬新で奇想天外なアイデアだったのですが、おそらくSFを読みなれたコアな読者を除いては、突拍子過ぎたということでしょう。

 しかし作品の理解者は徐々に増え、八年にわたって読み継がれたところで、映画化の話が持ち上がったのです。


 映画『戦国自衛隊』の公開は1979年。

 ウィキペディアによると「角川春樹は、UFOや映画『スター・ウォーズ』などのSFブームに合わせて、ハリウッドの大作に対抗するには、日本の風土と生活に根ざした独自のSFを作るしかないと考え、時代劇にSFを加味して、角川の意図で青春映画として製作した」とされます。

 映画の製作費は11億5000万円。当時の大卒初任給が10万円ちょっとで現在の半分程度ですから、制作費は現在における20億円以上に相当するのでは。大作映画として大々的に広報宣伝が展開されました。


 それは、映画と原作小説をコラボさせた、メディアミックス戦略の嚆矢でもありました。

 映画『人間の証明』(1977)、『野生の証明』(1978)で確立されたばかりの角川戦略が、『戦国自衛隊』に白羽の矢を立てたことになります。

 この幸運に恵まれて、続編やコミックなどに作品世界が拡大してゆき、SFファンだけのカルトな作品でなく、一般大衆が誰でも知るところとなったわけです。


 『戦国自衛隊』の小説作品が発表された1971年の時点では、「作品力(土台+新機軸)×社会力(投資+情報)」の「社会力(投資+情報)」が極端に不足していたところ、8年後の1979年に、「社会力(投資+情報)」が一気に充足され、その後、息の長いヒットにつながっていったものと思われます。

 雌伏八年。

 それもひとえに、すぐれた「作品力」あってのことでしょう。


       *


 TVアニメ『機動戦士ガンダム』(1979)も、ギリギリで幸運に恵まれたタイプです。

 その「作品力」の「土台」は、TVアニメ『マジンガーZ』(漫画、アニメともに1972)以来の、パイロット搭乗型ロボットの世界、これに「新機軸」として本格的ミリタリーの概念が上載せされたわけです。

 『機動戦士ガンダム』放映当初の1979年では、大きくヒットしたとはいえず、全52話の予定が43話に短縮されて終了、しかしその直後から中高生のファンレターが殺到したといいます。

 それまでの「ロボットなんて小学生以下のお子様向け」という常識を打ち破って、中高生を取り込むことに成功していたのです。

 そして再放送と劇場映画化(1981-82)で、ブームは爆発しました。

 もうひとつ、ブームに至った大きな要因に、家庭用VTRの普及があります。

 ソニーのベータマックスの発売は1975年、翌年の1976年9月にはビクターがVHS方式を発売しました。当時、価格は20万円以上もしていましたが、「家でビデオ録画して観られる」のはコペルニクス的転回ともいえる革命的な文明の進化でした。それまで過去作品を観たければ、16ミリフィルムと映写機を借りて、何万円もかけて上映会を催さねばならなかったのですから。

 『機動戦士ガンダム』初回放映の1979年は、アニメファンが奮発して続々と家庭用VTRを購入していた時期、これでファン同士がアニメ作品を気軽に共有できるようになり、それがブームの大きな原動力になったはずです。

 つまり「作品力」は高かったものの、「社会力」が積み重なってくるまで、二、三年のタイムラグを要したということですね。

 作品が忘れ去られる前にブームに着火できたことで、ガンダムシリーズは世紀を超えたメガヒットを実現できたことになります。


 これに対して、苦労したのは『宇宙戦艦ヤマト』(1974)でした。

 作品があまりにも斬新すぎて、「土台」となる先行例が全くなかったのです。

 「作品力」の「土台」としてあえて考えられるのは、いわゆる「戦記物」で、TVアニメ『アニメンタリー 決断』(全26話 1971)が挙げられるでしょう。

 終戦間近、戦艦としてはただ一隻で沖縄へ特攻し、思い果たせず途中で撃沈された戦艦大和。それを未来世界に復活させ、宇宙戦艦として地球防衛に出撃させ、今度こそ生還させる……という、当時としては、やや右寄り的に解釈される発想が組み込まれていました。

 主題歌で、ささきいさお氏が「♪必ずここへ 帰って来ると」と歌い上げる歌詞の意味は、ついに還ることのなかった帝国海軍戦艦大和への追悼でもあるのでしょう。

 ということで、放映当時はSFファンに大歓迎された一方で、「軍国アニメ」として白眼視する大人もいたことを、うっすらと記憶しています。

 ということで、「作品力」の「土台」は「戦記物」で、「新機軸」は「宇宙活劇スペースオペラ」と考えられます。

 しかしこれも、斬新すぎる新機軸でした。『スター・ウォーズ』(1977)よりも三年早いのです。放映は全39話のところ、26話に短縮されてしまいました。

 波動エンジンもワープの概念も、ビーム攻撃を交わす艦隊戦も、アニメとしてはこの作品で初めて見た人ばかりでした。一般大衆の観客がこの世界についていくだけでも、時間を要したことと思われます。

 しかも当時はまだ家庭用VTRのベータもVHSも発売前でしたから、ファンの情報共有は、もっぱら紙媒体でした。『月刊OUT』の創刊2号(1977年4月発売)で60ページに及ぶヤマト特集を敢行、飛ぶように売れたとか。

 しかし、なによりもブームの原動力になったのは、毎回放映時のオープニングに表示される「監督 松本零士」のテロップでした。1964年のSF漫画『スーパー99』に始まり、1970~75年にかけて漫画『男おいどん』『ガンフロンティア』『スペース開拓者 ワダチ』『ザ・コクピット』を発表された故・松本零士先生が連綿と構築されてきた、“松本宇宙”とでも呼びたい世界観がSFファンにこよなく愛され、『宇宙戦艦ヤマト』の隠し味になっていたのです。

 そして初回放映の1974年に、松本先生の直筆による漫画『宇宙戦艦ヤマト』が雑誌連載されました。これがヤマトブームの火種になったと思われます。1977年に『宇宙戦艦ヤマト』の劇場映画が公開されて社会現象を巻き起こし、その後、世紀を超えたメガヒットにつながった「社会力(投資+情報)」は、松本零士先生の執念にも似た熱意の賜物であったのでしょう。


 『宇宙戦艦ヤマト』は単体では「社会力」が限られていましたが、松本零士先生の漫画作品群が社会に広く認知されるにつれて、“松本作品”のひとつとして大衆から高く評価され、「社会力(投資+情報)」が満たされていった例であろうと思います。

 この場合の「社会力」はいわば「松本ブランド」だったのですね。

 『宇宙戦艦ヤマト』のオープニングテロップに松本零士先生のお名前が無かったら、『宇宙戦艦ヤマト』の評価は『宇宙空母ブルーノア』(1979)と同等レベルにとどまっていたかもしれません。



   【次章へ続きます】



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