30●ヒットしそうなラノベの類型:21世紀のトレンド「難病or死別もの」と最高傑作『アメリカン・パイ』
30●ヒットしそうなラノベの類型:21世紀のトレンド「難病or死別もの」と最高傑作『アメリカン・パイ』
●「難病or死別もの」
※難病、闘病、あるいはその他の要因で死別する若い男女の悲恋を描くもので、最近とみにコンテストで受賞し、ヒットを記録しているジャンル。
これ、20世紀の国内ではそれほど注目されない、ごくマイナーなニッチだったのですが、『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001)のメガヒット以来、ヒット打率の高い有望ジャンルに成長したようです。
にしても、この国の若者たち、そんなにも「美しい死」が大好きなんだろうか? 若い身空で人生を急ぎ過ぎてはいないかと、解せないのですが。
古くは……
『愛と死をみつめて』(1963)…軟骨肉腫で21年の生涯を閉じた彼女と、その彼氏との三年間の往復書簡集。実写映画が1964年に公開。
映画『愛と死の記録』(1966)…広島の原爆に起因して1966年時点で早逝する青年と、彼女との交流を描く。実話に基づく脚本とされる。
『二十歳の原点』(1971)…20歳で自ら命を絶った彼女の最後の日記。
※以上がありますが、いずれも国内の「実話か、実話に基づく」作品です。フィクションの小説作品はあまりヒットした例がないようですね。
むしろ昭和30年代あたりにヒットしたのは「心中もの」でした。映画の『ガラスの中の少女』(1960、原作小説は1959)、『泥だらけの純情』(1963、原作小説は1962)が代表格。つまり「許されぬ恋=ロミオとジュリエット」タイプなのです。
愛し合い、その愛の深さゆえに追い詰められ、共に死を選ぶ……という物語。
どちらの作品も「格差社会」を背景としていて、「深窓の御令嬢と貧乏青年」の、この世では結ばれることなき悲恋が描かれます。
これが70年代になりますと、『愛と誠』(漫画は1973-76、実写映画は1974)となって、心中こそしませんが、スレスレその寸前、誠君の方は生死が危うい状態となります。
にしても、21世紀の格差社会では、そもそもこういった「格差アベック」が最初に出逢うことすら不可能に近くなり、ドラマとしては非常に成り立ちにくくなりましたね。悲しいことです。
さて「難病or死別もの」の“フィクション作品”で戦後の昭和に大きくヒットしたのは、海外作品でした。
まずは歴史的鉄板の、映画『ロミオとジュリエット』(1968)。
オリビア・ハッセー嬢の主演で、もう可憐なことこの上なし、男たちはハッセー様見たさに劇場へせっせと詣でたものです。瞬殺的バストポロリのシーンもあるという噂が立ってなおさらでしたし。ハッセー様は十年後の宮崎アニメのクラリス様と並ぶ、楚々としたお美しさ。
ただしこちらは明らかに「心中もの」のジャンルですね。
そして続いて、現代ドラマの劇場映画……
『ラブ・ストーリー ある愛の詩』(1970、エリック・シーガル著 映画も1970に公開)が登場します。
こちらは大学生ペアで、彼氏の方がお金持ちのボンボンで、彼女は庶民派という設定でした。もちろん難病で亡くなられるのは彼女の方。……ということで、男どもの関心は低く(ボンボンのオロオロ看病なんて見たくもない)、代わって世の若き淑女の皆様がこぞって劇場へ押しかけたのです。
それゆえ「難病or死別もの」が定番化したのは、少女漫画の世界でした。
60~70年代の少女漫画雑誌では、毎号のように「薄幸の少女」が昇天なさっていました。アンデルセンの『マッチ売りの少女』以来、幸薄い少女がそのささやかな願いもむなしく天に召される……というお話は、昭和の時代でもすたれることはなかったのです。それも、フィクションというより、社会の片隅に隠された、冷酷な現実の一面を映す鏡として……
「小公女」のように最終回近くで一発逆転のハッピーエンドとまではいきませんが、どこか「ハイジ」的な展開でガッチリと記憶に残っているのは、ちばてつや先生の漫画『ユキの太陽』(1963)、アニメ化はなりませんでしたが、のちに宮崎駿監督が手掛けられたパイロットフィルムが公開されましたね。これは「死ぬ」お話でなく、「死にそうなほどの」逆境に明るく抗う、至極ポジティブな元気物語でした。今からでも遅くないから、昭和テイスト満載でアニメになってほしいものです。
ここでひとつ、絶対に忘れてはならない最高傑作が国内の漫画に出現します。
萩尾望都先生の『アメリカン・パイ』(1976)。
「難病or死別もの」の最高峰として必読です。百回読んで百回泣ける感動作。
少女リューが最初に歌うカットでは、目頭がグッと熱くなります、たぶん絶対に。
しかも彼氏役のグラン・パが冴えない外見のアンチイケメンであること。そもそも「グラン・パ」なんて愛称ですから、ね……。作中で「顔は長い」「顔が悪い」と散々で、しかもボンビーなアングラ歌手、しかし思いやりあふれた性格の良さはイケメン以上。このキャラ設定は最高でした。人間の外見ではなく内面に、肉体よりも魂へと、ストーリーのスポットライトの向きが変わってゆくのです。
「……愛の本に、バイブルに、神さまにロックにダンス、なにが魂を救えるかわからんです」と彼が述懐するセリフ、……ああ、それが真実なのだと、胸を打ちます。地位もおカネもあるイケメンお坊ちゃまでは、同じ言葉でも説得力がありません。
凄いのは、少女の命を奪うことになる病名を最後まで詳らかにしないこと。
不治の病、ということだけです。それが作品の普遍性をはるかに高めたのでは。
病名を出した途端につきまとう枝葉末節な情報がスッキリと排除されたことで、症状がどうとか、その処置や治療法がどうとかいった細かなリアリティに拘泥されず、「いずれ訪れる人の死」だけに焦点を絞って描かれたことで、物語が透き通るようにピュアな空気感を獲得したと思います。
ただ、あまりにも完成度が高すぎて、何一つ足す必要も引く必要もない完全作品であることが、唯一の欠点といえるでしょう。
つまり、それ以降の作品が霞んでしまうのです。
『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001)から今日までの「難病or死別もの」の小説作品は、ことごとく、『アメリカン・パイ』の後塵を拝しているように見えてしまうのですよ。もう、天と地の差があるとしか……。あ、あくまで個人の感想ですけれど。
21世紀の今、出版社様がなさるべきことは、『アメリカン・パイ』の完全天然色復刻豪華本の刊行ですよ。それに尽きます。
さて、『ラブ・ストーリー ある愛の詩』が大ヒットして「難病or死別もの」の、ひとつの道筋を作ったところで……
傾向は異なりますが、「死別」というテーマでユニークなヒット作が出ました。
『マディソン郡の橋』(小説は1992、映画化は1995)
不倫だけど、純愛。しょせん老いらくの恋だ、年寄りの冷や水だとコキ下ろされたらそれまででしょうが、これもひとつの「愛の真実なのだ」と気づかせてくれる佳作ですね。
とくに印象に残るのは、「故人の遺灰」に対する、尊厳ある向きあい方が作品のシンボリックな場面を成していたこと。
遺灰となったとき、故人はどこへ撒かれたいのだろう?
「人の死」を考えるとき、その点に思いをはせる作品だったことが、日本人の、特に女性の心の琴線に触れたようです。
そこで、『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001)のメガヒットが生まれたのではないかと、私個人は思います。
故人は遺灰となってから、どこへ連れて行って、撒いてあげるのがいいのだろう?
故人との、本当の意味で最後の別れは、どこで、どのように?
『アメリカン・パイ』の主体はあくまでも少女のリューでしたし、葬儀がどうの、遺灰がどうかといった世俗的な事情よりも、「魂のありかた」を重視しています。
逆に、『世界の中心で、愛をさけぶ』の主体は、彼女を見送る彼氏の方でした。だから「遺族中心」となり、遺灰というものが大きな意味を持ったのだと感じます。
日本人の皆様、遺灰の行方をものすごく気にしているんだろうな、と思います。
「墓」という概念が変わりつつあり、宇宙を含めた広大なエリアにおける散灰に注目が集まる時期の作品でもありました。
「遺灰となったら、あそこへ行きたい」
そんなお話でもあるのかと……
なお付言するならば、『世界の中心で、愛をさけぶ』は2001年の書籍でなく、2004年の映画化で極端に部数が伸び、大化けのメガヒットに至ったことです。
そうなんです。あくまで個人的な感想ですが、珍しいことに、原作よりも映画の方が、「よくできたお話」になっていたのです。まるで別物のように。
まあ私は、自分の遺灰は「どこへなりと適当に撒いてくれ」と家族に言っておりますが……
死んだ後の自分のことで、残される家族にあれこれ注文をつけるのは一切やめておきたいものです。私の親父が亡くなる直前、自分の葬儀次第を事細かに、あーしろこーしろと、ピラミッドを建てるファラオの如く指示して逝ったものですから、(本人はこれで安心、準備万端用意周到とばかりにご満悦でしたが)こちらは大変困ったのですよ。願望だけを述べるのでなく、「できることと、できないことがある」現実をわきまえて、言い残してもらいたいものです。ね、あの世の親父殿よ。
ということで、「難病or死別もの」のラノベは21世紀の大きなトレンドに成長しています。
※以下の作品は全て国内作品のフィクション。
『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001、実写映画は2004だが内容はかなり別物)
『半分の月がのぼる空』(2003-06)
『君の膵臓をたべたい』(2015)
『君は月夜に光り輝く』(2019)
『今夜、世界からこの恋が消えても』(2020)…これはやや特殊な展開のお話。
『桜のような僕の恋人』(2021)
『わたしはあなたの涙になりたい』(2022)
『きみは雪をみることができない』(2022)…これは死別しませんが。
※コンテストで賞を得た作品も続々と登場、2023年の今、書くなら「難病or死別もの」が最も有望かも! 知らんけど(関西弁)。
※『世界の中心で、愛をさけぶ』以降、物語中で難病に罹患するなどして亡くなるのは、原則的に女性の方。おおむね美少女ですね。そして彼女を愛し、寄り添い、悲しんでくれるのは、期待通りのイケメン男子ということでしょう。
読者は圧倒的に、中高生の女子だとか。
悲劇のヒロインに自分を重ね合わせることで、「こんな風に愛されたい」という願望が具現化されるのでしょうか。うーん、レオ様の映画『タイタニック』(1997)がメガヒットした理由もわかるような。あれも「死別もの」ですね。
私は男性なので、いささか理解が及ばない面もあります。たしかに、いずれの作品も美しい。コンテストの選者が“「審査なんかとんでもない。美しい物語をありがとう」と、本作へ最大級の賛辞を送った。”(amazon等の照会文より)とされるものもありますが……。
しかし「美しさ」が骨太に強調され、高く評価される一方で、物語として論理的につじつまが合わないとか、登場する誰もが「上級国民的に」豊かで優しすぎるとか、その他、納得のいかない展開があったとしてもスルーしているような印象も、なきにしもあらず、ですね。
「美しさ」を重視する作品であることがいけないとは思いませんが、コロナ禍では救急車に来てもらえず、寝床から動けないまま、自分の吐瀉物と排泄物にまみれて死んでいった高齢者もおられたわけですし、ウクライナでは筆舌に尽くしがたい虐殺が行われている、それが現実なのですから、ファンタジーの中の「美しい死」というものに、実際、どのような意味があるのだろうかと、心に引っかかるモヤモヤも否定できません。
美しいお話だけど、読めば読むほど現実との乖離がきしむわけです。
「死」に美学を求めるがゆえに「死は美しくなければならない。美しくなければ死ぬ資格がない」と本気で考える主人公が出てきても不思議はないという気がします。そういうシニカルな作品があってもいいかもしれませんが……。
やはりこうした作品は、実話に感動します。『愛と死をみつめて』(1963)とか『二十歳の原点』(1971)は、決して綺麗事ではありません。それだけに黙々と、ひたひたと胸にせまるものがあるのです。
とはいえ……こうも毎年、難病で命を削る少女と、優しいヒーローである少年のお話(少年の方が逝去するケースも含めて)が続々と刊行されますと、どうだかなあ……な気分も少しばかり、してきます。
そろそろ、アイデアが打ち止めにならないだろうか? と、老婆心な心配。
難病の種類も、白血病から始まって、心臓弁膜症、膵臓がん、身体が発光する病、塩になる病、記憶が一日しか保てない病、突然死、冬眠に類似した眠り病……と、ヴァリエーション豊かになってきました(犯罪による、巻き込まれ死もありましたが)。そのうち世界中の難病を網羅してしまうでしょう。
しかし一方、現実世界では容赦なく、日々、人が亡くなっていきます。なにかをついうっかり、喉に詰まらせたり、転んだ時の打ちどころが悪かったり、そんな些細なことでも……。
死はいつも突然で、そんなに美しくはない。この厳粛な現実を前にして、フィクションにできることは限られる……ということを、承知しておいた方がいいかもしれません。
※最高傑作の『アメリカン・パイ』のほかに、個人的に「死別もの」で劇的に感動し、また衝撃的だったのはトム・ゴドウィン作のSF短篇『冷たい方程式』(1954、邦訳は同名の短編集に所収)。“死”というものがいかに突然で不条理な訪れ方をする運命であるのか、その悲しみが、この短い作品ですべて語られているように思えます……
【次章へ続きます】




