八月六日⑫
『早川病院』
岩木から届いたメッセージ通りに向かった病院に、三上はる菜は居なかった。受付に関係者だと申し出ると、未払いの会計を立て替える羽目になった。
病院と聞いて落ち着かない思いだったが、動けると言うことに玉置は少し安堵した。
三上はる菜が今何処に居るのか、催促のメッセージを岩木に送って一五分。待ちの行列を見て、タクシーの会計を済ませた事に少し後悔もした。
いや、居場所が分からないのなら乗っても同じ事か。ポケットの中で携帯が震える。岩木からのメッセージだった。
『おれも移動中でなかなかスマホを開けないから少し待ってくれ。だいたいあの女にそれほどの価値があるのか?』
人を助ける事に、価値があるかどうか。そんな淡白な等式と結びつかないように、玉置は目を閉じた。
偽善でも、ちっぽけな正義感でもかまわない。
抗えない感情から生じる原動力で、おれはあの人を助けたい──。
「この女にそれほどの価値があるのか?」
同じ写真部員の山口さやかを男達が取り囲むようにしている。中学生の自分に比べて身体も大きく、少なくとも三十人は居る高校生の集団からの視線に、クラスメイトの小林は「玉置、やめようぜ。謝って逃げよう」と右肩にしがみつき膝を震わせている。
夕闇に照らされた河川敷は人通りが少なく長閑で、向かい合う集団はそれを打ち消すように剥き出しの敵意を浴びせてくる。
中心に座った男は、煙草を吸いながら笑い、言った。
「お前の女か? 最近のガキはませてるな。ただこいつの姉ちゃんに連絡がつかないから何処に居るのか聞いてるだけだ。ガキが首突っ込んでくるな」
横にいる山口さやかへ顔をやり「なあ?」と平然とした態度で聞いている。
山口さやかの口元は震え、言葉にする事も出来ないようだった。左頬が赤く腫れている。こいつら。
「小林、ありがとう。あとは一人でなんとかするから帰ってくれ」
右肩にしがみつく小林の指をほどきながら言った。
「待て玉置。おれこいつら知ってるぞ。最近この辺で出来た『風』ってチームだよ。高橋兄弟って言ってあの真ん中に座ってるのが弟で、兄貴が頭だ。こいつらやべえって有名だよ。謝って一緒に逃げようよ」
そう言えば、ここのところ近くのゲーセンやコンビニの前でたむろしている集団を見かけ、気をつけろ、とイチ兄が言っていたな。高橋兄弟ねえ。
「大丈夫だ。なんとかしてみるから、小林は帰って、な?」
「なんとかってどうするんだよ、この人数相手に」
「こいつらって誰に向かって言ってんだ!」集団の誰かが言った。
それが引き鉄となって、四方八方から怒鳴り声がぶつけられる
「舐めてんのかクソガキコラ」
「攫うぞてめぇら」
「フクロにすんぞ」
「すみませんすみません」と謝る小林の肩を押し「ありがとう、また明日学校でな」と離れる事を促す。
「でもお前……」
「大丈夫だって。話せばわかってくれるよ」
「こそこそ何してんだクソガキ共」
「ヘタレは早く消えろボケが」と止まらない怒号に「わかった。わかった。玉置無事でいろよ」と小林は河川敷を走って行った。
「お前は逃げないのか?」真ん中に座った高橋という男は、煙草の火を地面に押し付けながら軽薄に言う。
「山口を帰してくれよ。嫌がってるだろ」高橋を見据える目に、自然と力が入る。
誰にタメ口聞いてんだ、マジで攫うぞこのガキ、と周りが一層色めき立ち、ボスの一声で今にも飛びかかってきそうな獣の群れのようだ。
「面白いな、お前。そんなに言うなら根性見せてみろ。ここに居る何人かから一発ずつ殴られてみろ。全員とは言わない。おれの気が済むやでだ。最後まで耐えたら女を解放してやるよ」高橋は立ち上がり、顎で周りに指示を出す。
その言葉を横で聞いていた山口さやかは目に涙を浮かべ、必死に「止めて」と抗議しようとしている。
がたがたと震えた唇からは息が漏れるだけで言葉を紡げていない。
血管に流れる血が全身の先端を突き、握る拳が熱い。怒りの水位がみるみる上がって来る。クズが。
「それが『風』ってチームの流儀か? 分かった。それで山口を解放してくれるんだな? やってみろよ」
高橋が笑ったかと思うと、容赦もなく、近くにいた男から拳が飛んできた。
十人からの暴行を受けた時、山口さやかは解放された。泣きじゃくりながら「ごめんね」と言いその背中が小さくなった時、玉置は膝から崩れた。
多分鼻も折れ、鼓膜も破れているかもしれない。一発で済まず数発続けて殴ってきた奴までいた。大の字に倒れ、口の中に血が溜まっていく。
「お前根性あるなあ。面白いガキだ。名前は何て言うんだ?」としゃがみ込んだ高橋が覗き込むようにして聞いてくる。
「……がふっ」
口の中に溜まった血のせいで、答えられない。
「あ? なんだって?」耳に手を当て、ニヤけた顔をさらに近づけてくる。
汚ねえ面だな。と思う。これが女に手をあげるような下衆の面か。
その指を掴んで、思い切り反対方向に捻じ曲げた。膝に力を入れて、ゆっくり立ち上がる。
激痛に悲鳴を上げ悶えている高橋を掴み、その反対方向に折れた指をもう一度折った。悲鳴がさらに強くなり、目を力一杯閉じて暴れ悶えている。
両耳から音が聞こえている。鼓膜は平気そうだ。口の中の血を吐き出し周りを見渡すと、怒鳴りながらも怖気づいているのか、誰も飛びかかったりしてこない。
静まって来た耳鳴りに、どこからかクラクションの音が聞こえてくる。
音の方向を探ると、河川敷の向こう岸から、絶え間なく段々と近づいて来る。
この音は……。正体を知って、頬が緩む。
「おまえら、ダッセェ」と意気消沈しかけた獣の群れに投げかけると、同時に、向こう岸から日産のブルーバードが空を飛んできた。
スローモーションのように見える運転席にイチ兄。ハル兄とシュウ兄まで見えた。
「はは。イチ兄、やりすぎ」口角がさらに上がり、玉置は意識が遠のいていく──。
「お客さん、お客さん」
携帯の振動に目を開けると、タクシーの運転手が「乗るの?」と後部座席を開けていた。後ろに並んだサラリーマンからも「乗らないんですか?」と声をかけられる。
呼びかけられているのはおれか。
「あ、すみません。乗ります」と慌ただしくタクシーに乗り込むと「何処まで?」と行き先を聞かれる。
そうだった。鳴った携帯を開くと、ちょうど岩木からメッセージが来ていた所だった。
岩木、ナイス。と心の中で功績を讃え、進む先がかちっとはまった原動力が声をみなぎらせた。
「宮ヶ瀬ダムまで、お願いします」




