鍵屋玉屋③
「そう、花火師になりたい」
「おお、そうか。喜一郎は花火師になりたいのか。素晴らしい夢じゃないか」
少年時代、自分の夢を学校の先生や友達に語ると、その度に、かっこいいね、良いね、と言ってもらえた。
まるで、夢に向かってスタートを切ったんじゃないか、踏み出したんじゃないかと錯覚するような特別さに高揚をかさねて、自分なりにささやかな誇りだった。
中学を卒業し、公立高校のわずかな授業料がウチを逼迫するほど家計が火の車と知った時、頭の出来がわるい自覚から進学を諦め、就職することに決めた。
学歴を問わず、雇って貰えて、寮付きであれば何でもよかった。
どんな仕事が出来るのかな、コンビニで求人情報誌を読み漁る。
十六歳で寮付きの仕事となると、だいぶ限られている事が分かった。
そのうち条件に添った業種は建築業だけで、ある程度篩にかけた中から『雪音建設』という鳶職の会社に決めた。
何と読むのか分からない会社名だったが、他の、難しい漢字を使った会社と比べて、堅苦しくなくて良いな、と単純だった。
コンビニに設置してある公衆電話から担当者の番号に電話すると、「はい、すすねけんせつ」と野太い男性の声が出た。
ゆきね、かなと思っていたので少し恥ずかしくなった。
「あの、ガテンを見たんですけど」求人ペーパーの名前を告げる。
「お、もしかして社員募集の?」野太い声が少し柔らかくなったような気がした。
「は、はい。あの、一六歳なんですけど、寮に入りたくて」
「大歓迎。住所を言うからメモ出来ますか?」
「あ、はい」と答えて、すぐにまずい、と思う。書き留める物が一切無い。
口頭で教えて貰う住所を、必死に頭に刻みつける。ここからそう遠くない場所で安堵した。
「それじゃ、十八時半に事務所に来て。」さっそく面接の催促をされた。
「はい、わかりました。お願いします」とぺこぺこしていたらボックスの天井に頭をぶつけた。
ペンと履歴書を買いに、急いでコンビニに戻り、覚えている限りの項目をタウンページの上でしたためた。
教えられた住所は歩いても行ける距離で、訪ねると二階建ての、少し大きな一軒家ほどの建物だった。一階の片隅に時計屋さんが入っていた。
紺に白字で『雪音建設』と書かれた看板がある。求人ペーパーに載っていた会社名と同じだ。うおおお。面接ってなにすんだ。めっちゃドキドキする。
脇の階段を上がって、ノックをする。
力加減が弱すぎて、音がしなかった。
もう一度、今度はしっかりとノックをする。
ガチャ、と内側からアルミ枠の扉が開き、見るからに柄の悪い、金髪の若い男がぬっと出てきた。
「誰?」と聞いてくる。
鋭い視線にたじろぎ、モゴモゴしていると、「面接だ。通してあげて」と電話口に聞こえた声が、事務所の奥から聞こえた。
ああ、面接ね、どうぞどうぞと無愛想に通してもらった事務所の中には、金髪と同じように柄の悪い、従業員らしき数人が所在なげに立ち話をしていた。
「ほらお前らもう帰れよ」電話の主の言葉で水を打ったようになり、全員が階段を降りて行き、ぞろぞろと帰って行った。
電話の主は、声の輪郭から想像したそのままの、がっちりとした体型で、三〇代半ば、といった風貌だった。
案内された椅子に座り、履歴書を机に出す。
せっかくしたためた履歴書を一瞥すらせず「明日から来られる?」と打診してきた男は、会社の代表だった。
あのスピード面接は業界では当たり前の出来事だったんだな、と知った頃、入社から二年が経っていた。
「なんで雪音って言うんですか?」社長の苗字でも無いし。同業他社と比べると不思議で、一度聞いた事があった。
すると社長は「ウチの子供がな、一番最初に覚えた漢字なんだよ」くしゃっと笑った。
「喜一郎は一緒に上でバラシな」作業計画書と危険予知シートに、その日の作業内容とそれに伴う危険箇所を記入しながら、五つ年上の先輩が言った。
マンションの外壁塗装やタイルの張り替え工事が終わり、無用の長物となった外部足場の解体作業だった。
組み立てることを〈架け〉と言い、解体することを〈払い〉と業界では言った。
最上段から忙しなくバレていくブレスや枠を先輩の所まで持っていくと、まとめてロープで降ろしていく。そのロープさばきは、カッコよく、みんな、「ロープならあいつが一番速い」と言っていて、後輩である事を嬉しく思った。
「速いというか、みんなみたいに溜めないだけだよ」
五、六本のブレスにとっくりをかけ、上端でいわしを切りながら、「こうやってバレて来た物を、ただコンスタントに降ろしていく」
「それが一番無駄がないと思うだけだよ。チームワークの賜物だ」そう言う先輩はやっぱりカッコよかったし、じっさい、どの現場の解体作業よりも速く終わった。
昼の休憩時、昼飯を忘れた事に絶望しうずくまっていると、タッパの蓋の裏に、色々なおかずを乗せた先輩がやって来た。
「みんなに寄せ弁してもらった、食え」と目の横に皺を作る先輩を見て、涙が出そうになった。
「マジっすか〜」普段は怖いけれど、なんていい人達なんだと全員に感謝して周った時には、恥ずかしさが勝ってお辞儀した顔をあげられなかった。
そんな休憩中、ロープの縛り方や結び方を、弁当片手に指南してもらっていると、本当にこの人はロープの扱いが上手いんだなと感心した。それから、うずうずと性が出た。
「先輩のこと会社で一番ってみんな言ってますよ。この勢いじゃ日本一になっちゃうんじゃないですか」思った事を、口にせずにはいられない性だ。
「バカ言え、競争じゃないんだ」
「ありえなくないですよ。他の会社の人もみんなロープは先輩に教えてもらった方が良いって言ってますもん」
「おれが教えられることは教える」
「なりたくないんですか、日本一の鳶」先輩が朝早くに作ったという、しょっぱい玉子焼きを味わいながら詰め寄った。
「誰が決めるんだそんなもん」
「社長っすかね。それとも全国鳶ロープさばき選手権ですかね」
「んなもんねえだろ」と先輩は笑った。「あぶねえ」
「たしかに。みんな焦りすぎてめっちゃ落としそう」つられて、笑った。
「でも」と先輩は、箸の手をあぐらの右足に休めて言った「なりたい日本一は、ある」
その年の暮れも無事に終わり、松の内を過ぎた土曜日に先輩の送別会があった。
年末ぎりぎりまで出張に行ってた自分としては、「本当は年内にやりたかったんだけど忙しくてな」と言って忘年会を先送りにした社長の思いやりが身に沁みた。
歩いて数分の居酒屋で開催され、従業員総出の送別会だった。
ビール片手に談笑するみんなを横目に、出てくる料理を片っ端からウーロン茶で流し込む。
事務員のお姉さんが隣に座って、特に何も語るでもないのに少しそわそわした。
腹を満たしたあとは、「第一万二千回、雪音建設大新年会のビンゴ大会を始めます」と常務の石川さんがお調子者を演じ、ビンゴカードを配った。
賞品に釘付けになり、有効穴を揃えることに血眼になった。一人一枚配られるビンゴカードなのに、二枚持っていたのは、先輩がくれたからだった。
「まったく欲がない奴め」と先輩の肩を叩く社長は、少し残念がっているようにおどけてみせた。
宴もたけなわ、新年会も兼ねた送別会は三本締めでお開きになり、店を出て各自ばらばらに歩き出した。
お腹いっぱいだ、眠いし帰るか、と寮に向かって歩いていると、後ろから肩を組まれてよろけた。
「挨拶なしとは、ずいぶんだな」先輩だった。
その時になって、抑えていたものが溢れた。悲しくないわけない。寮の中でも隣の部屋で、現場でもずっとお世話になった。ただ泣いて見送るのが一番嫌だった。消去法に、若さが出た。
「なんだまた泣いてるのか」言ってくれるな。そう言われると、もうとめどないのだ。
「本当、おれ、先輩にお世話になりっぱなしで、お礼、全然、出来てなくて」熟語を続けさせまいと、横隔膜が邪魔をしてくる。
「お前のセンスが良かったから、おれも助かったよ」
「辞めて、何するんですか。どこの、会社行くんですか」
「どこの会社にも行かないよ」また、笑いながら言った。
「喜一郎お前、花火師が夢だったと言ったよな」突然の言葉に、へやあ、と変な声が出た。
「何ですか、急に」涙を拭いて先輩を見る。
「昔の鳶職はな、打ち上げ花火の前で踊ったり、人払いしたり、人が足りてなければ一緒に手伝ったりもしたらしいぞ」
「え、そうなんですか」知らなかった。
「おれの好きな本に、こんな言葉がある『君たちの後ろには、過去という一本道がある。君たちの前には、未来という交差点がある』どうだ、良い言葉だろう」めずらしく胸襟を開いた先輩は、酒くさかった。
「さすが直木賞だ」と目尻にしわをよせた。
すると店のほうから「おーい主役が帰るとは何事だー」と先輩を呼ぶ声が飛んできた。
数人の声に振り返って、あ、やべえ、と漏らす先輩に、「早く行ってきてくださいよ。おれが怒られますから」ほらほら、行った行った、と肩の手をほどき促した。
だな、行ってくるわ、と歩き出して数歩、こちらに向き直って、じゃあなと手を振った。
「今までありがとうございました」深くお辞儀をすると、余計に先輩との思い出が加速した気がした。
うつむいたまま、顔を上げられずにいると
「なってみろよ、花火師。日本一の花火をおれに見せてみろ」
ばっと顔を上げて見た先輩は、真剣ではあるけれども、寄せ弁をしてくれた時と同じ濡れたような眼だった。
休みの日曜日に、こっそり浅草や両国にも行ってみた。都会は行くだけで緊張した。
家督で継ぐものだから、その年じゃ資格も取れないしね、今は人が足りてる。どこへ行ってもけんもほろろに玄関払いを食らった。
割り振られた人生がある。おれには無理だ忘れようと一本道に置いてきた鼓動を、後ろから拾ってくれたようだった。これ落としたぞ。
胸の鼓膜が破れたかのように、どんどんと込み上げて来る想いの休符に「おれが、なれると、思うんですか」となんとか言葉にした。青になったんですか、交差点は。
「当たり前だろ。笑わせんなよ」と先輩は笑った。
あとな、と続けて、今度は仕事の時の、熱く渇いた真剣な眼で先輩はこう言った。
「おれも日本一になってやるから、見てろ」




