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 パチパチと火がはぜる音で、カイは再び意識を取り戻した。目を開けると、土の壁に囲まれた暗い部屋の中にいた。やわらかい布がいくつも体にかけられていて、カイの冷え切った体を温めていた。


「○△×□……」


 人の声のようなものを聞いて、カイは体を起こした。

 部屋の中には、厚い服を幾重にも着込んだ男女が、焚き火に当たりながら座っていた。カイが起き上がったのを見ると女性が近づいてきて、なにやらカイに話しかけた。そして、器に入った白い液体をカイに飲ませた。不思議な味のする液体だったが、それを飲むとほっと気持ちが落ち着くのがわかった。


「助かったのか……」


 カイが呟くと、女性はしわのある赤ら顔をにっこりとさせた。

 部屋の中には、刈り取った動物の毛が山のように積まれ、赤い土器が所狭しと置かれていた。どうやら動物の毛を刈って織物をしたり、土器を作ってそれらと交換することで糧を得ている老夫婦なのなのだろう。

 薄い服一枚で寒い高原の真ん中に倒れていたカイを見つけて、さぞかし驚いたことだろう。

 すると男性のほうがカイに近づいてきて、なにやら語りかけ、部屋の入り口を指差した。そこにはさっきの鷹がいて、こちらをじっと見ていた。

 カイは飛び起きて鷹の前に這いつくばった。鷹は一瞬翼を広げて後ろに飛び退いたが、そのあとは羽をしまって、じっとカイのほうを見つめた。


「ソルエさま?」


 鷹に話しかけるカイを見て、老夫婦は怪訝な顔をした。鷹を見つめるカイの目に涙が溢れてきた。鷹はそんなカイを優しく見守るように、カイの方を向いていた。


 カイはそのまま、老夫婦の家の働き手として暮らすことになった。

 夫婦は毛を取るためのたくさんの家畜を飼っており、その動物たちの餌場を求めてときどき移動しながら暮らしていた。移動した先で質のよい粘土が取れる場所を見つけると、土器を作って食料と交換するのだった。

 暖かく湿った森と違い、寒く乾いた高原の暮らしはカイにとって最初は辛いものだった。しかし優しい老夫婦のお蔭で段々とその暮らしに溶け込んでいった。そして老夫婦の使うことばも徐々に覚えていったのだった。

 カイの傍らにはいつもあの鷹が寄り添っていた。その鷹と巫女ソルエに何か繋がりがあるか、確かなことは分からないが、カイの命を救い、今も傍で見守ってくれるその鳥はソルエなのだと、カイは信じて疑わなかった。


 そうして、森での出来事は幻だったのではないかと思うほどに、のどかで穏やかな暮らしが続いていった。しかしそんな安穏とした生活をしていくうちに、カイの中にひとつの疑問が生まれた。


―― ソルエとの約束……鍛冶村の『しるし』を刻んでいくという約束は、どうしたら果たせるのだろうか。 ソルエはどんな場所にも『しるし』を刻むことができると言っていたが、何もない高原で果たしてどうやって ――




 調査団は久しぶりに人の住む村に戻った。各地、各国から集められた調査団はその地で解散することになる。国外からやってきた学者たちはほとんど、そこから首都に戻るまで行動をともにするが、現地の案内役とはそこでお別れだ。

 ロドリゲスはすぐに次の仕事が待っているらしく、その地からまた新たな職場へと移動するのだそうだ。なんとも精力的な男だとフィルは感心した。


 森の遺跡からの帰路に一晩設けられた野営地で、フィルは鍛冶村を離れたカイの行く末をロドリゲスに語った。カイのビジョンをすべて見終えたあと、フィルの中に何かが沸き起こったのを感じたのだが、それをうまく表現できずにいた。いや、あまりにも漠然としたそれを、自分でもはっきりと捉えることができていなかったのだ。


 調査団の解散式が簡単に執り行われ、ロドリゲスはほとんど無いに等しい荷物を担いで、学者たちと握手を交わしていった。形だけの儀式を手早く終わらせて次のおいしい仕事にありつかなくてはと焦っているのだろうか。何とも素っ気ない態度がロドリゲスらしい。

 最後にフィルの前にやってきたときも、彼はその手を一瞬掴んですぐに力を緩めた。あれほど『語りつくした』仲だというのに、彼の態度はほかの団員とまったく変わらない。彼の意識はすでに次の新しい職場へと向かっているようだった。

 フィルは握手を交わす手に力を込めて、次の仕事へ向かおうとしているロドリゲスを引き止めた。すでに前に踏み出そうとしていたロドリゲスの身体が軽く仰け反って、彼は困ったようにフィルを見た。


「あんたと契約したい」


 そのまま非常に怪訝な顔になって一歩引くと、ロドリゲスはおかしなことを言い出したフィルを見つめた。


「今すぐにじゃない。何年後になるかは分からない。でも仮契約を結んでおきたいんだ」


 急にロドリゲスの顔が面白くてたまらないというように綻んだ。そのままフィルの話に耳を傾けている。


「カイはどこに『しるし』を残そうか、考え続けた。彼が辿り着いたのは老夫婦が交換する『土器』だった。大きな物から小さな物まで、あらゆる土器に彼は鍛冶村の『しるし』を絵付けした。『森』を知らない高原の人々を、その珍しい模様は魅了した。人々はカイの土器を進んで手に入れたがった。老夫婦とカイはさすらいながら多くの地でその土器を交換した。

 僕はカイの土器を探す。高原地帯には多くの遺跡が出土している。そんな遺跡の調査に進んで参加しようと思う。そしてもしもひとつでも『カイの土器』が見つかったときは、あんたを伴って森に戻ろうと思う。そしてあの石を掘り起こすんだ。大天使ガブリエルの刻まれたあの石を。

 だからそのときまでの仮契約を結んでおきたい」


 ロドリゲスが急に大声で笑い始めた。


「こいつは面白れえ。文明を探るんじゃなくて、ひとりの男の歴史を探ろうっていうのか! 俺はそういう変わった奴が大好きだ。その契約乗ったぜ。老いぼれになっても、俺が死ぬまではこの契約は有効だ!」


 契約書にサインする代わりに、ロドリゲスはフィルの手を両手で力強く握り締めた。フィルもその力に負けまいともう片方の手も添えてロドリゲスの手を力いっぱい握った。





 碧き樹海の中に、ひっそりと息づいていた人々がいた。密林はその彼らの営みをただ見守っていた。そして寄り添っていた。

 しかし彼らがそこから消え去っても、密林はふたたびそれらの営みの跡を飲み込んで沈黙するだけだった。

 雄大な時の流れと多くの自然の営みの中で、人の歴史など取るに足らないものなのだろう。誰も知らなければそれらは(つち)に還ってあらたな自然を育むに過ぎない。

 しかしその想いだけは自然に帰依することなく彷徨い続ける。


 もしもそんな想いを聴いてしまったら、そこに何が起こっていたのかを探りたくなるのが人の性なのだろう。いやもしかしたら、強い想いを遺した魂たちが彼らを引き寄せているのかもしれない。

 そしてその想いを受け止める存在を見つけたときに、その魂たちは大気の中に溶けていけるのだろう。


 そしてまたひとつ、密林の中にわだかまっていた小さな魂が、濃い大気の中に溶け込んでいった。苔むした『天使』の横顔を見つめながら……。



                                 

                                 FIN



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