40 セット禁止
俺はカウンター越しでエプロン姿の結衣さんを見つめていた。
「えっと……今日はよろしくね、拓海くん」
結衣さんはいつも通りの優しい声で微笑む。もうそれだけで、俺の心臓は軽く跳ね上がる。
「よ、よろしくお願いします!」
「何照れてんのよ、拓海くん。あんたが指導役でしょ? このままじゃ“動揺3位”から“殿堂入り”になるわよ?」
佐々木さんが、例の“お仕置きメモ帳 Ver.2.0”をパチンと鳴らしながら、容赦ない毒舌を放ってくる。
「す、すみませんっ!」
「ふふっ、拓海くん、そんなに緊張しなくていいのに」
結衣さんが優しく微笑むだけで、俺のHPはゼロになる。いや、もうこれ反則だろ……。
「じゃあ、まずはお客さんへの挨拶からお願いね。結衣さん、あんたの“ラッキーオーラ”見せてもらうわ!」
「はい、頑張ります!」
結衣さんはふわふわのクマのぬいぐるみを店長に預け、「見守っててね」と優しく声をかける。
「おぉ、守護神が増えたねぇ」
真中店長は相変わらずのマイペースっぷりでぬいぐるみをカウンターに鎮座させた。
最初に入ってきたのは、常連の老夫婦。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなものをお召し上がりになりますか?」
結衣さんの声は、まるで春のそよ風のように柔らかくて心地よい。
「まぁ、なんて可愛らしい店員さんなのかしら」
「これならコーヒーもさらに美味しく感じるなぁ」
「今日は深煎りのブレンドがオススメですよ。香りが豊かで、コクも深いんです♪」
「じゃあ、それをお願いしようかねぇ」
結衣さんは優雅にお辞儀して、軽やかにカウンターへ戻ってきた。
「す、すごい……」
俺は思わず感動の声を漏らしていた。
「くっ……やっぱり彼女、天性の接客スキル持ちね……」
佐々木さんは、メモ帳に「結衣、接客スキル Sランク」と殴り書きしている。
次に入ってきたのは、ちょっと気難しそうなサラリーマン。
「い、いらっしゃいませ。お疲れ様です。今日はホットコーヒーと一緒に、甘いスイーツなどいかがですか?」
「あ、じゃあ……モカとチーズケーキで……」
「かしこまりました♪ 少々お待ちくださいね」
完全にペースを持っていかれたサラリーマンは、狐につままれたような顔で席に向かっていった。
「おい、何だこれ!? 完全に“結衣さんワールド”に引き込まれてんじゃねぇか!」
「これはもはや“癒しの魔法”よ……」
佐々木さんは震えながらメモ帳に「結衣、顧客満足度:天井知らず」と書き込む。
その後も、結衣さんは次々とお客さんの心を掴んでいった。
常連のマダムには「肌寒い日にはカモミールティーがオススメです」と優しく提案し、若いカップルには「ラテアートでハートを描きましょうか?」と粋なサービス。
店内の空気は、まるで高級ホテルのラウンジのように心地よく、穏やかに満たされていた。
佐々木さんはメモ帳をバシバシ叩きながら興奮している。
「これ……もはや人間じゃねぇ……! 天使だ……!」
「ふふっ、拓海くん、私、うまくできてるかな?」
「は、はいっ! 結衣さんの接客完璧です!」
「ふふっ、拓海くんが教えてくれたからだよ」
「ぐはっ……!!」
俺の理性が再び崩壊した瞬間だった。
「いちいち撃沈してんじゃないわよ! 結衣さんの奇跡の接客スキル、しっかり見て学びなさいっての!」
佐々木さんがメモ帳の角で俺の背中をグリグリ押してくる。
「すみません、もう一杯いただけますか?」
「私も! 今日はゆっくりしていきたいわ」
次々とリピート注文が入り始めた。
「な、なんなのこれ……!」
佐々木さんが戦慄する中、俺はなんとか冷静さを装いながら、結衣さんに向き合った。
「えっと……次はドリンクの提供の仕方をお教えしますね」
「うん、お願いします、拓海くん」
その柔らかな声に、心臓がまた跳ねる。やばい、これ完全に俺のHP削りにきてる。
「では、まずはコーヒーカップの持ち方からですね。取っ手をこうやって指でしっかり支えて……熱いので指先に注意しながら、お客様の正面から優しく置くんです」
「なるほど……やってみるね」
結衣さんがカップを手に取り、慎重に持ち上げる。
「そ、そうです! その調子です!」
結衣さんは、まるでガラス細工でも扱うかのように慎重に歩き出す。
しかし——
「えっと……あれ? どこに置くんだっけ?」
「あっ、あそこのお客様の席でございます!」
慌てて指差す俺。
「そ、そっか!」
結衣さんは一瞬焦ったものの、柔らかな笑顔でお客様のテーブルへ向かう。
しかし途中で、こはるんが「ポンポンパワー全開☆」とか言いながら、通路を軽快に跳ねて通過。
「きゃっ!?」
結衣さんは驚いて一歩踏み出した拍子に、カップが少し揺れる。
「お、おっと!」
俺は反射的に飛び出し、結衣さんの手にそっと手を添えた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「わっ、ありがとう拓海くん……」
結衣さんは手を添えられたまま、少し照れたように微笑む。
「くっ……!」
俺の理性が粉砕される音が聞こえた。
「てめぇら、カップ一つで青春ドラマ始めてんじゃねぇ!!」
佐々木さんが“お仕置きメモ帳”で俺の背中をバシンッ!
「す、すみませんっ!!」
「もういいわ! あんたたちはセット行動禁止!! 結衣さん一人でやらせなさいよ!」
「ひ、ひどい……」
結衣さんはシュンとしながら、再び歩き出す。
「い、いらっしゃいませ。お待たせしました。コーヒーでございます」
「おぉ……なんて丁寧な接客なんだ……」
お客様は感動しきり。
「ふぅ……やっと無事に提供できたわね」
「はい……ありがとね、拓海くん」
「ぐはっ……!!」
「だから気絶すんなっての!!」
佐々木さんの怒声が、今日も店内に響き渡るのだった。




