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逃げ出した妃  作者: ひまわり
第2章
39/43

教えてほしいんです

 王宮に入ってから二週間、シアン様はちょこちょこ顔を見せるようになった。

 と言っても、いつも執務を抜け出してきているようで、少し話をしていると般若のような顔をしたラウドさんが連れ戻しにくるんだけど・・・。

 でもあまりに度々抜け出すせいか、このたび、ついにラウドさんが折れ、夜は執務から解放されることになったようだ。

 昨日から晩餐は家族三人でとれるようになった。

「でね、でね、とうさま、かあさま!厩に、かわいい子馬がいたの!」

 シアン様がいて嬉しいのか、リアムのおしゃべりもいつにもましてノっている。

 シアン様は優しい顔で相づちを打っている。

 二人とも離れていた三年間を埋めるかのように、よく話す。

 引き離す原因となった私としては、申し訳なさ半分、でも仲良くしてくれて嬉しさ半分。複雑な気持ちだ。

 晩餐の後、私はリアムを寝かしつけ、小さく欠伸をしながら自室に戻った。

「シアン殿下が中でお待ちです」

「わかりました。ご苦労様です」

 部屋の前で近衛兵に告げられる。

 中にはいると、シアン様が窓際においたソファに腰掛けていた。

 室内は、ランプの明かりと月明りで仄明るい。

「遅くなりました。・・・どうかなさいましたか?」

 声をかけると、シアン様は視線でソファの前に置かれた机を示される。

 近寄ってみると、そこにあったのは一枚の絵だった。

「シアン様・・・これ、どうして・・・」

「コルビッツ男爵に使いをやった。ニナに関わるもので、なにかこちらに持ってきておいたほうがいいものはないかと思ってな」

 それは、確かに我が家にあった母様の肖像画だった。

 父様はちっとも似てないと言っていたけど、私の中の母様はこの顔だ。だって覚えてないんだもん。

 私は食い入るように肖像画に見入った。

「これは、母君のものだったんだな」

 そう言ってシアン様が指でなぞるのは、母様の首元を飾っているペンダント。

 ついで、自分のポケットから同じ物を取り出した。それがしゃらりと音を立てて、机の上に置かれる。

「忠誠をあなたへ」

 シアン様が囁かれた言葉は、私があの日、あのシンシアさんの実家から逃げ出した日に、殿下へ残したメッセージだ。

 ベアトリーチェ様やシンシアさん宛ての置き手紙と一緒に、誰宛とは書かずにただ一言の手紙と形見のペンダントを残してきた。届くかどうかわからなかったけど、ちゃんとシアン様へ渡っていたようだ。

 自分は姿を消すが、誓った忠誠だけは消えないというシアン様へのメッセージ。

 あとは、まぁ、自分ながら乙女な思考だと汗をかいてしまうが・・・単純に殿下を好きだったのだ、と今ならわかる。当時は無意識に考えないようにしていたけど。

 だってあのペンダントは父様が母様に、婚約のおりにプレゼントしたものなのだ。母様の前は、父方のお祖母ばあ様が持っていたという。お祖母様はやはり、お祖父じい様からもらったのだという。

 私がもっていた物の中で一番価値のあったのは、おそらく父様からもらった短剣だろう。宝飾も見事だし。

 でも私は、母様のペンダントをシアン様に残すものとして選んだのだ。

「・・・なにかを・・・シアン様に残していきたかったんです。自分から逃げ出すくせに勝手ですよね」

 苦笑しながら、ペンダントに手を伸ばす。その手がシアン様の手に掴まった。

 不思議に思ってシアン様を見ると、私を見上げるシアン様の瞳が月の光を受けて静かに煌めいている。

「これを、俺から贈らせてもらえないか?」

 すっと立ち上がったシアン様がペンダントをつまむ。

「ニナからもらったものを、ニナへ贈るというのも変な話だが・・・」

 シアン様は珍しく頬を赤くしている。

 不思議なもので、いつもはシアン様から紡がれる甘い言葉に翻弄されているばかりの私だが、先に照れられるとなぜか余裕が出てきた。

 物珍しさから、私はシアン様をまじまじと観察してみる。

 顔を覗き込むと、赤い顔をしたシアン様は途端に心配そうな顔になった。

「やはり、変か?怒ったか?」

「いいえ。つけていただけますか?」

 私は笑いながら、殿下を見上げる。

 シアン様は頷くと、慎重に私のうなじでペンダンを留めた。

「これを受け取ったとき、ニナは必ずこの手に戻ると思った。・・・根拠はないがな」

 シアン様は悪戯っぽく笑いながら、私のほつれた髪を指に絡めた。

 シアン様は再会してから一度も私を責めない。

 再会当時はそれに安堵していたのに、最近の私はそれが少し切ない。

「シアン様。なぜ、そんなに私に・・・こんな、一度はシアン様から逃げ出した私などを・・・」

 ついぽろりと私の口から、ずっと心におさめていた問いが零れた。

「・・・俺がなぜ自分にこだわるのかが不思議か?」

 シアン様が青い瞳を細め、見下ろしてくる。

 なんだか言いようのない感覚に包まれて、ぞくりと背中を震えが走る。

 な、なんか、いやな予感・・・?

「はい」

 ちょっと怯えながら、ペンダントヘッドをぎゅっと握り、私はシアン様をまっすぐに見つめた。

「・・・はじめてニナと会った日。あの日から俺はずっと君が好きなんだ」

 へっ?

 出会った日ということは、シアン様が十歳、私が十三歳の時、つまり今からもう十一年前のことだ。

 そんな昔から!?

「あの日から、俺は君以外ほしくない。ただそれだけだ」

 シアン様はきっぱりと言い切ると私の両頬を掌で包む。

 近すぎる熱い視線に、じりじりと焼かれるようだ。

「ニナは他の誰よりも傍にいてくれた。最初は姉上のような感じだったが、すぐに違うことはわかった。ニナがどんどん綺麗になっていくのも嫌だったし、近衛たちと話しているのも嫌だった。ニナを見るのは俺だけでいいし、ニナも俺だけを見て、俺のことだけ考えていればいいと思っていた」

 思わぬ告白に私は、目を瞬かせた。

「君に褒めてほしくて、認めてもらいたくて、そのために勉学もがんばった。すべて、君のためだった」

 シアン様、言ってる内容が・・・重い!怖い!!

 でも顔をつかまれているので、動けない・・・。

「君がキースと付き合いだしたと聞いたと時には、気がおかしくなるかと思った。俺が子供だったばかりに君を得られないのかと、他の男に出し抜かれるのかと・・・。それでも君が幸せそうに笑っていたから。だから、どんなに苦しくても一度はあきらめようと思った」

 当時を思い出しているのか、シアン様の表情がこわばる。

 あの時、そんなことを考えられていたなんて全然気がつかなかった。

「なのに、君はすぐに哀しそうな顔をするようになった。まるで姉上と同じように・・・姉上も身分の壁に阻まれて愛を失った。君も・・・」

 キースの両親・・・。

 キース自体に未練も何もないし、もう過去のことになっているけど、キースの両親のことは思い出すといまだに不快感がせりあがってくる。

「君を守らなかったキースに腹が立ったし、身分なんてものにも、それで人を見下す者にもますます嫌気がさした」

 瞳を伏せ、吐き捨てるようにシアン様は言う。

 だが、次にこちらを見た時にはシアン様の表情は昏く笑っていた。

「君が哀しそうな顔をしているのに、俺はそれを悦んでしまった」

 なんだか、まずい気が・・・。この表情はすごくまずい・・・。

「これで君が手に入るかもしれない。千載一遇のチャンスが来たと。ニナが涙を流してる間そんなことを考えていた」

 ついばむような口づけが、私の瞼を閉じさせる。

「ニナが無邪気に俺を慕っているという度、俺は自分の欲望と戦った。あの日、宝樹の上で君が俺のものになると承諾してくれた日、あの日ほど嬉しかった日はない」

 目を開けると、シアン様がうっとりと私を見下ろしていた。

 あぁ、この目は・・・四年前のあの目だ。私を実質、軟禁状態にし囲っていた時の・・・。

「これで誰にも、君にも、遠慮することはない。ニナは俺のものなんだと思ったら、歯止めが利かなくなった」

 やっと、あの四年前の状況に陥った理由の一端がわかった気がする・・・。

 がっくりと膝をつきたい気分だが、あいにく顔をつかまれているのでそれもできない。

「四年前は俺の望むまま行動して、君を傷つけてしまった。反省している・・・でも」

  シアン様に深く口づけられるとやがて思考もまわらなくなってくる。

「ニナは麻薬のようだ。一度手に入れてしまったら、際限なくほしくなる」

 口づけの合間にささやかれる。

 どっちが麻薬よ!?

 シアン様こそ麻薬のようだ。口づけられるたび、耳に甘い言葉を吹き込まれるたび、じわじわと自分が侵食されて冷静な判断ができなくなってしまうのに!!

 夜着に着替えていなかったので、かっちりと着込んだドレスが鼓動の早い胸を締め上げて苦しい。

 ぼんやりした頭でそんなことを考えていたら、不意にそれが楽になった。

 ゆるんだ胸元を、これまたぼんやり潤んだ目で見下ろすと、ペンダントが月光をはじいていた。

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