目が覚めたらそこは、ブラックな神界でした
「――おい、起きろ。クソガキ、仕事の時間だ」
バッシャアアアア!!
「ぶっはぁぁぁっ!? ゲホッ! ゴホッ……な、なんだよ……っ!?」
容赦ない冷水の洗礼に、床に突っ伏していた少年ーカイは悲鳴を上げて跳ね起きた。
目前で空のペットボトルを傾けていたのは、プリンヘッドでタレ目の三白眼、胸元をだらしなくはだけさせたアロハシャツの男。そいつは煙草を燻らせながら、ニヤニヤとこちらを見下ろしている。
「お、生きてたか。……あまりにも動かねーから死んでるのかと思ったわ。って、既に死んでるヤツにいうのも変な話か」
「な、誰なんですかあなた……!? っていうか、死んでるって……どういう」
ひっひっひ、と一人ツボに入った様子でバカ笑いする男をよそに、少年は濡れた自分の身体に視線を移した。サイズが合っていないブカブカの作業用ツナギ。胸元には赤黒い斑点――血のような痕がべっとりとこびりついている。だが、ぱっと見、傷はないし、特に痛いところもない。
ふと、自分が右手でくしゃくしゃになった一枚の紙片を握りしめていることに気づく。慌ててそれを広げると、そこには怪しいフォントでこう書かれていた。
『【高時給!未経験者・フリーター大歓迎!】人手不足につき急募! 魂を異世界へ飛ばすだけのカンタンなオシゴトです! アットホームな職場であなたの限界に挑戦してみませんか? ――神界特命物流「ハッピー・ベネディクション」』
(……なんだこれ? 僕、バイトに応募しようとしてたのか……? うっ、頭が……)
記憶の糸を辿ろうと、頭の奥を探った瞬間――。 内側からかき乱されるような激しい痛みが脳髄を揺らした。 それと同時に、断片的な記憶がフラッシュバックする。――制服姿で机に向かう自分、「受験」という焦燥感。 バイトをしている暇などないはずの日常が脳裏をかすめるのに、どうして今ここにいるのかがどうしても繋がらない。第一、こんな怪しいチラシに応募する動機なんて微塵もないはずなのに――。
(――ここは、どこだ……?)
雑然と物が散らかった狭苦しいオフィス。そして、目の前で不敵に笑う、この場に似つかわしくない柄の悪い男。 直近の記憶がすっぽりと抜け落ちているという現実を前に、カイが狼狽しながら立ち上がり、おそるおそる辺りを見回したその時――。
背後のドアが、音を立てて勢いよく開き放たれた。
「ちょっとワタリ! あんたまた何かやらかした!?」
カツカツと苛立たしげなヒール音を鳴らして部屋に飛び込んできたのは、水色の髪を雑にお団子にしたメガネの女性だった。年齢はぱっと見20代後半〜30代前半といったところか。 カジュアルなスーツの上からくたびれた白衣を羽織り、右手にはエナジードリンクの缶、左手には山積みの書類とバインダーを抱えている。 胸元の名札には『神界特命物流 転生第3課長 ミドラー』とあった。 ……なんだか、彼女の頭上にはうっすらと天使の輪っかのようなものが浮いている気がするが、きっと何かの最先端コスプレに違いない。というか、そう思いたい。
ふと、隣の男の「死んでる」という言葉が一瞬脳裏を掠め――もちろん冗談だとは思っているが――カイは念のため自分の頭上をそっと手で払ってみる。 ――よし、何もない。よかった。
その時、ミドラーの肩のあたりから「ぽむっ」と柔らかそうな何かが宙に浮き上がった。 ピンク色の毛に覆われた球体に、ウサギのような耳と短い手足、額にはツノが生えている。 うん、きっとこれも今流行りのやつだ。肩に乗せるタイプの高性能ペット型ロボットか、もふもふ型ドローンの類に違いない。今の技術はすごいなぁ。
「ぷぎゅーっ! 課長、またワタリがサボってるっピ!」
それは甲高い声を上げると、パタパタと短い手足を動かしながらプリンヘッドの男ーワタリの頭の周りを旋回し始めた。男はそれを鬱陶しそうに払い除ける。
「うっぜえな、さぼってねーよクソ毛玉」「まったく、人の苦労も知らないで……!」
女性は山積みの書類とエナドリ缶を、部屋中央のデスク――すでに書類やら空き缶、錠剤のシートなどが散らばっている――のわずかな隙間に無理やり押し込むと、ツカツカとワタリに詰め寄った。
「あんたの問題行動のおかげで上からは怒鳴られるし、もう胃も予算も限界なのよ!わかってるわよね?!」
「まーそう怒んなって。ミドラーちゃんよぉ、せっかくの可愛いお顔にシワが増えるぜ?」
ワタリは怒られ慣れているのか、ジャージのポケットに手を突っ込んだまま軽口を叩く。その様子からはまったく反省の色は見えない。きっと日常茶飯事なのだろう。 ミドラーは呆れたように息を吐き捨てると、ワタリを無視してカイに向き直った。
「あ! あなたが今日の派遣のクーリエさんね! 無遅刻無欠勤、今月の残業も0、勤務態度も良好――全く、誰かさんにも見習って欲しいものね」
ミドラーが、ため息混じりに呟いたのも束の間、彼女の頭上に浮かぶ天使の輪が激しく明滅し始めた。
「って、やばい! 次の『祝福』までもう時間がないじゃない!」
「ほうほう、これが今日の相棒さんですっピ? よろしくですっピ!」
慌ただしいミドラーをよそに、ピンクのウサギが宙に浮き、カイを上から下までじろじろと見回す。
「へ? ……あ、僕、クーリエじゃなくてカイ――」
「細かいことは後! 詳しい業務内容はワタリから追って聞いてちょうだい!」
ミドラーはカイの言葉を遮るやいなや、有無を言わせず肩を掴んでくるっと方向転換させた。
「ほら、とっとと現場に直行! ワタリ、道すがらちゃんと説明するのよ! ナビラビも案内よろしく!」
「了解ですっピ!」
「へいへ〜い」
ミドラーが指を鳴らすと、何もない空間に光が弾けた。一人分ほどの大きさで発光し明滅する輪。その中心が歪んで、先の見えない暗闇を覗かせる。
(さっきから一体どうなってるんだ――夢だと言ってくれ……)
「オラ、ボーッと突っ立ってんな! さっさと行けや!」
「わっ……!?」
呆然とするカイの背中を、ワタリが容赦なく蹴り飛ばした。不意を突かれてバランスを崩したカイは、そのまま光の渦へとまっさかさまに転がり落ちる。
「いってきまーすっピ!」
ワタリが続き、ナビラビもその後を追う。
遠ざかる視界の端には慌ただしく去っていくミドラーの後ろ姿が映っていた。
事務所の景色が歪み、視界は一気に真っ白な空白へと塗り替わっていく――。




