出会いから今に至るまで
東雲茜といえば、その名を知らない男子はいないだろう。「しののめ」という、一見ではまず読めない名字に加え、彼女の姉の知名度は全国区だ。茜の、姉によく似た目鼻立ちは、当然男子の関心の的になった。
茜は物静かな女子だった。誰かと一緒にいるより、一人でいる方が気楽そうだった。そんな性格だから、男子に告白されても断っていたし、女子に嫌がらせされてもじっと耐えていることが多かった。
町で不良にからまれていた彼女を助けたのは、彼女のためじゃない。
それだから、彼女にものすごく感謝されたとき、僕はどんな顔をしたらいいかわからなかった。そのときは、名前も名乗らないヒーローみたいに立ち去ってお茶を濁した。当然、僕らは同じクラスだから、お互いの名字くらいは当たり前のように知っていたのだけれど。
次の日から、僕と彼女の間はぐっと縮まった。僕は何も変わらない。変わったのは彼女の方だった。
わざわざ僕の席までやって来て時候の挨拶をし、『昨日は本当に、本当にありがとう』と顔を真っ赤にして大声で言えば、それはもちろん軽い騒動だ。
またたく間に、僕らは噂になった。僕はその噂をうっとうしく思ったけれど、彼女はちがったらしい。
それから、彼女は事あるごとに僕に話しかけてきた。最初は驚いたけれど、彼女との会話はテンポよく、楽しかった。
彼女に初めて告白されたのはもう二ヶ月も前になる。
告白を断ったとき、彼女は傷ついていない顔を取り繕った。
――本当は、僕も好きなんだ。
そう言いたかった。でも言ったら彼女を苦しめるだけになる。
臆病な僕は、自分のことばかり考えていた。
それから一昨日まで僕らの接点はまるでなくなった。
急に接点が無くなったから、クラスのみんなは僕がフられたのだろうと早合点していた。
それでいいと思った。その方が、あの人が余計な勘ぐりを入れずに済むから。
けれど突然だった。一昨日になって、彼女は僕に提案してきた。いつの間に調べたのか、彼女は僕の秘密を知っていた。後で問いただすと、どうやら僕の友人から話を聞いたらしい。そいつだけは、僕が彼女をフったのだと知っていたし、僕“ら”のこともよく知っていた。
『あきらめるなんて、それでもあなた私の妹なの、って発破をかけられたんです』
晴々しい笑顔で、彼女はそう言った。二ヶ月前の、花も恥じらうか弱き乙女像はまるで遠い幻のようだった。
『二ヶ月間、ずっとあなたのことを考えていました。あなたのことを忘れようと思った。でも、忘れようとすればするほど、あなたは私のなかで大きくなっていった』
沈んだ彼女の表情に、たしかな決意の色が浮かんだ。
『あなたの本当のことを知って。それで、私がフラれた理由がわかって。もう一度だけ、挑戦してみようって、そう思って』
僕は、まっすぐな彼女の瞳を受け止める資格があるのか、本気で悩んだ。
『今はまだ私のことが好きじゃなくてもいい。私のことを好きになってほしいんです。大丈夫、私はくじけません。何が障害になっても、簡単にあきらめはしませんから』
彼女の一言、一言が僕の中に染みこむようだった。
僕は彼女に甘えた。その提案の先に待っているものがどんなに危険で毒を孕んでいたとしても、それがどうしたという強気な気分になっていた。
一方で僕の脳裏には常に姉の姿が浮かんでいた。
姉は僕を偏愛していた。