第一話 またここか
またここか。
そう思ったあとで、俺はぞっとした。
どこにも来た覚えなどないからだ。
女神は、白い部屋の中央で微笑んでいた。
床も、壁も、天井もない。ただ白だけがどこまでも続いている空間。その中に、彼女だけが輪郭を持って立っている。
長い銀髪。淡い金の瞳。人間が安心する角度を計算し尽くしたような笑み。
次に彼女は、こう言う。
なぜか、そう分かった。
そして女神は、俺に向かって言った。
「あなたには、第二の人生を差し上げます」
その瞬間、背中に冷たいものが走った。
初めて聞くはずの言葉だった。
そうでなければおかしい。俺は死んだ。どう死んだのかは、うまく思い出せない。駅のホームだった気もするし、病院の白い天井だった気もする。雨の匂いだけが、妙に鮮明に残っている。
なのに、知っていた。
女神が次に少し首を傾けること。
右手を胸に当てること。
この白い部屋のどこかで、鐘のような音が一度だけ鳴ること。
カァン、と。
鳴った。
「……っ」
「どうかなさいましたか?」
女神は微笑んだまま尋ねた。
その声も、知っている気がした。
「いえ。ちょっと、既視感が」
「死の直後は魂が混乱します。前世の記憶が断片化しているのでしょう」
よどみのない説明だった。
説明というより、処理だった。
「あなたのお名前を確認します」
女神が宙に手を滑らせる。
白い空間に半透明の板が浮かび上がった。そこには俺の名前が表示されている。
レン。
前世の名字は、なぜか黒く塗りつぶされていた。
「あなたは前世で大きな未練を残しました。ゆえに、新たな世界、レグナリアで生きる機会を与えられます」
やっぱりだ。
知らないはずなのに、単語の形だけが胸の奥に引っかかる。
レグナリア。
聞いたことはない。なのに、懐かしい。
「転生に際し、あなたには一つ、固有スキルを選んでいただきます」
女神が手をかざすと、俺の前に三つの光が並んだ。
選択可能スキル
【剣聖の器】
剣術習得速度に極大補正。戦闘経験を効率よく蓄積する。
【万能鑑定】
対象の名称・状態・価値・危険度を視認できる。
【聖癒の手】
傷病・毒・呪いを癒やす。信頼度の高い対象ほど効果上昇。
剣聖、鑑定、治癒。
分かりやすい。
分かりやすすぎる。
三択なのに、妙な圧があった。好きなものを選べと言われているはずなのに、最初から正解が決まっている感じがする。
「おすすめはありますか?」
「【聖癒の手】でしょう」
即答だった。
「理由は」
「あなたは、誰かを救うことに強い適性があります」
胸の奥が小さく痛んだ。
いい言葉だ。きれいで、正しくて、否定しにくい。
だから嫌だった。
「じゃあ、【万能鑑定】で」
女神の笑みが、一瞬だけ止まった。
本当に一瞬だった。瞬きよりも短い。けれど、俺は見逃さなかった。
「……よろしいのですか?」
「はい」
「【聖癒の手】は、あなたに最も適合するスキルです」
「だから嫌なんです」
女神は静かに俺を見た。
「誰かを救う力が嫌なのですか?」
「救う力が嫌なんじゃない。救うしかなくなるのが嫌なんです」
「救わなければよいのでは?」
「それができる人間に【聖癒の手】を勧めますか?」
女神は答えなかった。
白い空間が、少しだけ冷えた気がした。
「今度はまず、見たいんです。俺が何に巻き込まれようとしているのか」
「……なるほど」
女神は目を伏せた。
「あなたは、観測を望むのですね」
観測。
普通なら「調査」とか「理解」とか言いそうなところで、彼女はその言葉を使った。
その単語だけ、部屋の白さに溶けず、耳の奥に残った。
「では、【万能鑑定】を授けます」
三つの光のうち、中央の光が俺の胸に吸い込まれた。
熱くはない。痛くもない。ただ、何かが内側に刻まれる感覚だけがあった。
「レン。あなたの第二の人生に、女神エルシアの祝福がありますように」
エルシア。
女神の名を聞いた瞬間、頭の奥で何かが軋んだ。
白い部屋が遠ざかる。
足元が抜ける。
最後に見えた女神の顔は、やはり微笑んでいた。
けれどその笑みは、最初よりも少しだけ、作り物に見えた。
◇
目を開けると、青空があった。
鼻先を草がくすぐっている。風が頬を撫でた。遠くで鳥の声がする。
俺はしばらく仰向けのまま空を見ていた。
異世界。
レグナリア。
女神に与えられた第二の人生。
「……本当に来たのか」
起き上がると、そこは街道脇の草地だった。森が近い。道の先には、小さな町らしき影が見える。
服装は粗末な旅装に変わっていた。腰には小さなナイフ。荷物袋の中には干し肉と水袋、それから銅貨が数枚。
ずいぶん親切な初期装備だ。
親切すぎて、逆に信用できない。
「ステータス」
試しに口にしてみる。
目の前に半透明の板が浮かび上がった。
名前:レン
種族:人族
職業:未設定
所有スキル
【万能鑑定】
【救済衝動】
【周回記録】
俺は三秒ほど黙った。
それから、もう一度見た。
表示は変わらない。
「……いや、待て」
おかしい。
俺が選んだのは【万能鑑定】だけだ。
【救済衝動】なんて選んでいない。
ましてや。
「【周回記録】?」
その文字に意識を向けた瞬間、視界が揺れた。
ステータス画面の奥から、古い紙をめくるような音が聞こえる。
【周回記録】一部復元。
現在の周回数:閲覧不可
前回選択スキル:【聖癒の手】
前回職業:【勇者】
前回死亡原因:閲覧不可
現在の中心重力:【救済依存】
警告。
あなたは今回も、同じ軌道に入ろうとしています。
風が止まった。
いや、止まったように感じただけかもしれない。
喉が乾く。心臓が嫌な速さで鳴っている。
前回。
周回。
勇者。
救済依存。
そして、俺が選ばなかったはずの人生。
知らない言葉ではない。けれど、俺の人生に出てきていい言葉ではなかった。
俺は空を見上げた。
白い部屋はもうない。
女神の笑顔もない。
それでも、どこかで彼女が見ている気がした。
「女神様」
俺は、誰もいない青空へ向かって呟いた。
「俺、この転生、初めてじゃないんですか?」
次話、選んでいないスキルの中身が少し見えます。




