後書き
黒い海の向こうにあるもの
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
この物語は、少年と犬の物語として書きました。
けれど同時に、少年と犬だけの物語ではありません。
李海生と老白は、たしかにこの物語の中心にいます。貧しい海辺の町で、祖父と暮らす少年。捨てられた白い老犬。二人が出会い、少しずつ寄り添い、やがて互いにとって最後の家族のようになっていく。その部分だけを取り出せば、これは昔からある「少年と犬」の物語です。
しかし、私が本当に書きたかったのは、その周囲にある社会の仕組みでした。
この作品では、悪人らしい悪人をできるだけ出さないようにしました。もちろん、冷たい大人や身勝手な人間は出てきます。けれど、彼らは自分を悪人だとは思っていません。役所の人間も、養殖場の経営者も、病院や町の代表者も、学校や相談窓口の人間も、多くは「自分の仕事をしている」だけです。
そこが一番怖いところだと思っています。
人は、悪意で人を傷つけることもあります。
しかし現代社会では、悪意がなくても人を傷つけられる。
むしろ、悪意がないからこそ、責任の所在がぼやける。
「基準にありません」
「検査項目にありません」
「正式な手続きではありません」
「商品としては安全です」
「業務妨害になる可能性があります」
「身元不明者相当です」
「人道的な措置です」
「家庭でできることから始めましょう」
どれも、単独で見れば乱暴な言葉ではありません。むしろ、整った言葉です。きれいで、常識的で、社会を回すために必要そうな言葉です。
けれど、その言葉が積み重なった時、一人の子どもが消えていく。
この作品の中で何度も出てくる「紙」「番号」「基準」「商品」「記録」は、社会を便利にするためのものです。紙がなければ契約は残りません。番号がなければ管理はできません。基準がなければ安全確認もできません。商品という形がなければ、遠く離れた人々に食べ物を届けることもできません。
だから私は、紙や基準や制度そのものを否定したかったわけではありません。
むしろ逆です。
制度は必要です。
基準も必要です。
検査も必要です。
記録も必要です。
ただし、それらは人間を守るために作られたはずです。ところが、いつの間にか制度の方が主人になり、人間の方が従者になってしまうことがある。基準に合っていれば安全。検査項目にないものは問題にできない。記録に残らないものは存在しない。責任者がいなければ、その人間は書類上で薄くなる。
その瞬間、制度は人間を守る道具ではなく、人間を消す道具になります。
海生は天才少年ではありません。
彼は、完璧な科学者でもありません。
ナノプラスチックの危険を完全に証明できたわけでもありません。
彼のろ紙では小さな粒を捕まえられない。温度の記録は天気や風に乱される。魚の形の変化と黒い粒の関係を、彼一人で証明することはできない。
ここは、この物語でとても大事にした部分です。
この作品は、「ナノプラスチックがこの病気の原因である」と断定するための物語ではありません。そう書くこともできたかもしれませんが、それでは逆に弱くなると思いました。私が描きたかったのは、もっと手前にある問題です。
まだ証明されていない。
しかし、見ないでよいわけではない。
まだ基準がない。
しかし、存在しないわけではない。
まだ因果関係が分からない。
しかし、放置してよいとは限らない。
この「まだ分からないもの」を社会がどう扱うか。そこに、現代の怖さがあると思っています。
海生は、見たものを見なかったことにできませんでした。
形の変わった魚。
浜に残る黒い粒。
溶けた氷の水。
強くなる臭い。
輸出される魚。
箱についた番号。
すり身になれば消える形。
彼の記録は未熟です。
けれど、未熟だから価値がないわけではありません。
多くの異変は、最初は未熟な違和感として始まります。誰かが「変だ」と思う。誰かが「前と違う」と気づく。誰かが、数値になっていないものをノートに書く。その段階では、まだ証拠とは呼べないかもしれない。けれど、その違和感を全部切り捨てた社会は、いつか本当に危険なものを見落とします。
この物語の中で、大人たちは何度も海生に言います。
「証拠はあるのか」
「正式な検査なのか」
「誰が責任を取るのか」
その問いは、間違ってはいません。
しかし、それだけで終わる社会は冷たい。
本当なら、大人の社会はそこでこう言わなければならなかったはずです。
「では、どうすれば確かめられるか」
「子どもの観察を、正式な調査につなげるにはどうすればいいか」
「基準にないものを、基準に上げる仕組みはあるか」
「この不安を、誰が引き受けるのか」
けれど、誰もそこまでは行かない。
なぜなら、そこから先は責任が生まれるからです。
第19話以降で描いたのは、その責任の問題です。海生は名前を持っています。家もあります。祖父もいました。学校もあります。小雨への手紙もあります。老白もいます。それでも、署名する者がいない、費用を負担する者がいない、引き受ける者がいないとなった瞬間、彼は「身元不明者相当」に近づけられていきます。
「相当」という言葉は便利です。
完全にはそうではない。
しかし、そう扱える。
そこに制度の抜け道があります。
人間は、ある日突然消えるのではありません。
少しずつ薄くされます。
名簿にない田。
補償対象ではない家。
父の事故ではない事故。
商品として安全な魚。
業務妨害になり得る記録。
身元不明者相当の少年。
美談になった犬。
この物語では、何度も「形が消える」場面を入れました。魚はすり身になれば形が消える。人間は項目の束になれば名前が薄くなる。老白は死んだあと、町に都合のよい忠犬の話へ変えられる。海生の記録も、町にとっては危険な記憶ではなく、命の大切さを語る美談へ加工されてしまう。
この「加工」が、作品全体の裏テーマです。
食べ物だけではありません。
人間も加工される。
記憶も加工される。
罪も加工される。
責任も加工される。
そして、加工されたものは、元の形を失います。
だからこそ、老白という存在を置きました。
老白は、制度の外にいます。救急車には乗せてもらえない。書類にも残らない。犬の忠義は検査項目にない。犬の善意は基準値にない。犬の愛は証明書にならない。
けれど、老白だけは海生を見捨てませんでした。
役所の前で待つ。
図書館の外で待つ。
加工場の外で待つ。
廟までついていく。
最後には、魚を咥えて海生のもとへ戻ろうとする。
この物語で、老白は「証明できないもの」の側にいます。
言葉にならないもの。
紙に残らないもの。
基準に入らないもの。
けれど、たしかにあるもの。
それが老白です。
タイトルに「黒い海」と「老白」を置いたのは、そのためです。黒い海は、汚染だけを意味していません。見えないものを飲み込み、責任を薄め、遠くの消費地までつながっていく社会そのものです。老白は、その黒い海の中に残った白さです。完全な善ではありません。救済の天使でもありません。ただ、最後までそばにいる存在です。
この作品は『フランダースの犬』へのオマージュとして書きました。
けれど、同じものを書き直したかったわけではありません。原作の悲しみは、貧困、階級、芸術、無理解、信仰、救済の物語でした。私が書きたかった現代版では、少年と犬を追いつめるものは、もっと見えにくいものです。
貧困はあります。
無理解もあります。
けれど、それだけではありません。
現代では、子どもは紙で処理されます。
環境リスクは基準で処理されます。
食べ物は商品として処理されます。
病気は生活習慣として処理されます。
死は美談として処理されます。
昔より社会は豊かになりました。
制度も増えました。
安全確認も増えました。
相談窓口も増えました。
人道的な言葉も増えました。
それなのに、なぜ誰かが救われないのか。
この問いを、物語の形で出したかったのです。
最終話で、明月の子どもに症状が出ます。そこで相談員は、スマホ、睡眠、生活習慣、家庭でできることを語ります。それらは、どれも大切です。スマホの使いすぎも、睡眠不足も、子どもの健康に関係するでしょう。だからこそ、その言葉は強い。完全な嘘ではないからです。
けれど、完全な嘘ではない言葉が、本当の原因から目をそらす道具になることがあります。
魚はどうなのか。
海はどうなのか。
空気はどうなのか。
長い時間をかけて体に入ってきたものはどうなのか。
買う者が黙っていた魚は、どこへ流れたのか。
それを問わないまま、家庭の管理へ戻す。
それが、最終話で描きたかった社会の姿です。
責任は、いつも弱い場所へ戻されます。
家庭へ。
母親へ。
子ども本人へ。
貧しい者へ。
声の小さい者へ。
すでにいなくなった者へ。
この物語を読んで、「重い」と感じた方もいると思います。
それでよいと思っています。
ただし、私は絶望だけを書いたつもりはありません。
海生のノートがあります。
祖父の言葉があります。
小雨への手紙があります。
明月が分けた卵焼きがあります。
呉伯の記憶があります。
老白の白い背中があります。
社会はそれらを消そうとします。
あるいは、美談に加工しようとします。
それでも、読者の中に残れば、完全には消えません。
この後書きまで読んでくださった方には、ひとつだけお願いがあります。
この物語を、ただ「かわいそうな少年と犬の話」として閉じないでください。
かわいそうだと思うことは大切です。
けれど、そこで終わると、社会はまた同じことを繰り返します。
誰が得をしたのか。
誰が負担したのか。
誰が責任を取らなかったのか。
どの言葉が現実を隠したのか。
どの基準が何を見なかったのか。
どの美談が何を消したのか。
そこまで見ていただければ、この物語を書いた意味があります。
黒い海は、遠くの海ではありません。
どこかの町だけの話でもありません。
私たちが買うもの、食べるもの、捨てるもの、見ないことにするもの、その全部の先にあります。
そして老白も、遠くの犬ではありません。
誰かを最後まで待つもの。
紙に残らなくても、そこにいたもの。
証明できなくても、確かにあったもの。
そういう白さが、私たちの世界にもまだ残っているのか。
この物語は、その問いで終わります。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました
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