第9章 探偵の視線
宮本誠は、リビングの隅のソファに腰を下ろし、静かに人々のやり取りを観察していた。
笑い合う声。交わされるささやかな言葉。そこにあるのは、確かに“生きている人間の姿”だった。
悟が冗談を言えば、翔子が照れたように笑う。光輝は苦笑しながらも会話に加わり、塩谷夫妻はまるで孫を見るような眼差しを向けていた。
ほんの数日前まで「死を選んだ者たち」としか見えなかった彼らが、今は小さな共同体を築きつつあるように思えた。
――これでいいじゃないか。
心の奥でそんな声が響いた。依頼のことさえ忘れれば、彼らがここで過ごす時間は、むしろ救いになっているのではないか。
だが同時に、誠の探偵としての直感が強く告げていた。
――何かが裏で動いている。
夜、廊下を歩くと、部屋のドアに小さな印がついているのに気づいた。赤い丸、青い線、緑の点。まるで何かの符号のようだ。職員が目印として付けているのだろうが、その意味は分からない。
「入居者の状態を示している……か?」
誠はノートに符号を写し取り、部屋番号と照合した。
不思議なことに、数日前まで元気に談笑していた入居者の部屋が、今では“空き部屋”になっているケースがいくつもあった。
「処置が行われた後、すぐに片付けて次の志願者を入れる……。まるで宿泊施設の回転率を上げるみたいだ」
死が「効率」で管理されている。そう考えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
さらに不可解なのは、夜の囁き声だった。
ある晩、廊下を曲がった先で確かに耳にした。
「……次は……若い子だ」
立ち止まっても誰の姿もない。冷気が漂い、窓ガラスが小さく震えていた。
――幻聴か? それとも。
誠は息を潜め、廊下の奥を見つめた。だが暗闇の先には、ただの静寂しかなかった。
翌朝、リビングで志願者たちの輪に加わったとき、誠は努めて自然に振る舞った。
「いい雰囲気だな。ここに来るまでは、もっと重苦しい場所だと考えていたよ。」
悟が笑って答えた。
「俺もそう考えていたよ。でも……案外、ここでは人間らしく話せているんですよ」
翔子も小さく頷いた。
「学校より、ここにいるほうが安心できます」
その言葉に、誠の胸は締めつけられた。
本来なら彼らはまだ社会の中で生きられるはずだ。だが社会がそれを許さず、この施設が代わりに受け入れている。
――この構造そのものが、最大の不正なのかもしれない。
夜、自室に戻ると、机の上に一枚の紙が置かれていた。
《調べすぎるな》
震える文字で、ただそれだけが書かれていた。
誠はしばらくその紙を見つめ、唇を固く結んだ。
「やはり……この施設は何かを隠している」
依頼人の娘を探し出すこと。そして、この施設の裏側を暴くこと。
それが探偵・宮本誠に課せられた使命だった。




