奇談散歩【73】怪談乳房榎
『怪談乳房榎』(かいだんちぶさえのき)は、三遊亭圓朝により創作された怪談噺、新聞連載後、1888年(明治21年)に出版され、後に舞台化・映像化されている。
南蔵院
住所:〒171-0033 東京都豊島区高田1丁目19番16号
最寄り駅:荒川線 面影橋駅( 直線約200m )副都心線 雑司が谷駅( 直線約620m )
御府内八十八箇所霊場29番札所・豊島八十八箇所霊場41番札所。
初代三遊亭円朝の『怪談乳房榎』のモデルになった杉戸があったというが、現存せず。『怪談乳房榎』では菱川重信がここで天井画を描いている時に磯貝浪江がおきせと関係を持ったとされている。
寺伝では、開山は室町時代の ※円成比丘、御本尊の薬師如来は、円成比丘が諸国遊化の折に入手した奥州藤原氏の持仏といわれ、奉持して当地に草庵を建て安置したのが開創と伝わる。
正徳6年( 1716 )の「高田絵図」には、境内部分に薬師堂、南蔵院の文字の他、山門、薬師堂と思われる建物が描かれている。また、江戸時代の地誌にも紹介され、『江戸名所図会』や『新編武蔵風土記稿』では、徳川三代将軍家光が、よく訪れたと記される。
【 怪談乳房榎、あらすじ 】
人気絵師の「菱川重信」と美しい妻の「おきせ」、生まれて間もない息子「真与太郎」は柳島に住んでおりました。
ある日、おきせが泥酔した侍に絡まれて困っていたところを、浪人「磯貝浪江」に助けられます。このことが縁となり磯貝浪江は菱川重信の内弟子となりましたが、浪江は美しいおきせに横恋慕して邪な恋慕の情を募らせておりました。
重信は南蔵院本堂の天井画に雄龍・雌龍を描いて欲しいとの依頼を受け、南蔵院に通うことになって留守がちとなり、留守宅に通い詰めていた浪江は、南蔵院に重信が泊まり込んだ夜に、おきせに言い寄り関係を迫ります。おきせは「殺されても……」と拒みますが、ついに浪江は「息子がどうなってもいいのか」と脅迫して思いを遂げます。
それだけでは満足できない浪江はおきせを独占するため、重信殺害を企て、断れば殺すと下男の正助を脅して仲間に引き入れます。正助は気分転換にと、重信を蛍見物に誘いだし、重信は待ち伏せしていた浪江に殺されます。
一部始終を見ていた正助が南蔵院に逃げ戻ると、たった今、殺されたはずの重信が本堂で絵を描いています。絵を完成させ落款を入れると、ふっと、重信の姿は消え、後には、まだ乾かぬ絵筆の後も生々しい天井画が ……
四十九日も終わった後に、浪江は何も知らないおきせと夫婦になりますが、今度は息子の真与太郎が邪魔になり、正助に真与太郎の始末を命じます。
弱みを握られている正助は真与太郎をつれだし、十二社権現の滝に投げ入れましたが、滝つぼからは 亡き重信が現れ「真与太郎を助けて、仇討ちをせよ」と正助に告げます。
そして、浪江と夫婦になったおきせは浪江との間に子をもうけますが、乳房に腫物が出来て狂死してしまいます。
その頃、故郷の板橋赤塚村に戻った正助は松月院の門番をしながら真与太郎を育てています。不思議なことに松月院の榎の瘤から滲む白い滴りは乳の代わりとなって、まだ赤ん坊の真与太郎の空腹を満たし、真与太郎はすくすく成長します。
その五年後、二人の行方を突き止めた浪江が現れ、真与太郎を亡き者にしようと襲い掛かります。
しかし、重信の霊が乗り移った正助の助成もあり、幼い真与太郎は見事、両親の仇討ちを果たします。
『怪談乳房榎』は、幕末~明治期に活躍した初代三遊亭円朝が創作した怪談噺で歌舞伎の演目としても有名です。
この噺の舞台といわれているのが、板橋区赤塚の松月院や赤塚氷川神社近くの「赤塚乳房大神」ですが、円朝の落語噺のモデルは諏訪神社参道入口の「こぶ欅」と言われていて一般にはこちらが通説とされているようです。どれが本当のモデルか、今となっては分かりませんが、どの場所も、往時の姿が偲ばれる佇まいを残しており、歴史を感じる散策場所となっています。
赤塚の周辺地域には、これらの大木のこぶを乳房に見立てて乳の出が良くなることを祈願する民間信仰があったことから、「乳ノ木様」とも呼ばれ、多くの女性の崇敬を集めていました。これらの民間信仰が創作の下敷きになったのかもしれません。




