奇談散歩【72】九尾の狐
≪ 九尾の狐または九尾狐・九尾狐狸は、中国に伝わる伝説上の生物。9本の尾をもつキツネの霊獣または妖怪である。中国の各王朝の史書では、九尾の狐はその姿が確認されることが泰平の世や明君のいる代を示す瑞獣とされる。『周書』や『太平広記』など一部の伝承では天界より遣わされた神獣であるとされる。Wikipedia「九尾の狐」より ≫
―― というわけで、もともとの「九尾の狐」は瑞獣で、ありがたい動物とされていました。
『呉越春秋』によれば、
古代中国の伝説上の聖王、夏王朝の始祖・※ 禹が、30歳で未娶だった頃、塗山( 現河南省嵩県付近 )で九尾の白狐が尾を揺らすのを見て、これを祥瑞と取り、塗山氏の娘・女嬌を娶ったと伝わっています。
( ※ その後、禹は五帝の一人・舜の禅譲を受けて位につき安邑 ( 山西省 ) に都し国を夏と号した )
また『白虎通』では、皇帝の徳が高い太平の世に出現する瑞獣とされ、『山海経』( 南山経 )にも以下のような九尾の狐の記述があります。
「( 青丘山には )獣がいる。外形は狐のようで、尾は九本。鳴き声は嬰児のようで、よく人を食う。( この獣を )食べた者は蠱毒( あるいは邪気 )を退ける」
『山海経』では、ほかに海外東経・大荒東経に名称の記述があり、九尾の狐は人を食べると記されていますが、霊験、効能として邪を退ける性質があるとされ、瑞獣としての扱いとなっています。
そして「九尾」という身体的特徴にも意味があるとする説も散見されます。
「中国では「九」という数字が「永久」の「久」と同音であり、陰陽思想における陽の最高の状態を表し、子孫繁栄を示し、最高の陽数を持った瑞兆を示す霊獣であるという」
偶然か偶々か、禹王は天下を九州に分けて貢賦 ( みつぎものと賦税 ) を定めました。
そして、日本でも九尾狐は瑞獣とされ『延喜式』の治部省式祥瑞条には「九尾狐」の記載があり「神獣なり、その形赤色、或いはいわく白色、音嬰児の如し」とあります。
14世紀に成立した『神明鏡』に、鳥羽院に仕えた玉藻前という官女の正体が「妖狐」であったという物語はすでに見られますが、室町時代の『玉藻物語』では尾が二本ある七尺の狐とされ、物語内に「九尾」という記述はありません。
「玉藻前=九尾の狐」となったのは、傾国の美女・妲己の正体が九尾狐であるという設定を玉藻前の物語に組み込んだ江戸期以降だと考えられており、それが定着したのは、読本作家の高井蘭山が著した読本『絵本三国妖婦伝』(1803年~1805年)や岡田玉山『絵本玉藻譚』(1805年)などの物語が江戸後期に出版されてから、と考えられています。
―― そんな こんなで、
この魅力的な九尾狐の物語に江戸の読本作家が食指を動かさないワケがなく、
山東京伝は『糸車九尾狐』で三浦介に退治されたことを恨んだ九尾狐が三浦介の子孫の母に憑いて復讐しようとする話を書き、
曲亭馬琴も『殺生石後日の怪談』で、帝に玉藻をそれと知らずに勧めた人物・師妙を主人公に、今にいうスピンオフを書いています。また、人気作『南総里見八犬伝』にも九尾の狐を登場させていますが、こちらは「政木狐」という善玉で登場。
馬琴は九尾の狐の悪玉としての表象は『封神演義』などに影響された近年のものとして創作に採用せず、史書を活用し、九尾の狐は瑞獣であるという考証を自身の作品や随筆のなかで述べています。
本来は瑞獣だった「九尾の狐」が、魅力的な悪女「妲己」と結びつき、それらの創作群が面白く、好評を博して定着し、九尾の狐=悪玉と定義されて現在に至る ……
という事の次第、の様ですね、
「九尾の狐」さま、濡れ衣にプンプンしているのでは?
── んで、ですね、
九尾の狐と玉藻前は超人気登場人物だったので、
当然、いろんなパロディも創作されました。
式亭三馬の『玉藻前竜宮物語』は、日本に来ても悪事がちっとも上手くいかない玉藻前が「そうだ竜宮へいこう!」と竜宮で悪事を働く話で ……
玉藻前が乙姫に成り代わり竜王を誑かして、竜宮の魚たちを喰いつくそうとします。
ムツが正体を見破り「煮つけ」にされ、
忠臣の鯛が竜王を諫めますが、不興をかって鯛の子供が塩漬けにされ、
と、多くの惨劇が ……
( 美味しそう… と思ってしまう私をお許しください )
その後、玉藻前=九尾の狐は海の生き物たちによって成敗され、閻魔王を誑かすために地獄へ逃亡します。
いやこれ、閻魔様に返り討ちにあって、しこたま怒られるルートなのでは ……
他にもパロディは沢山あって、中にはえちえち♡なものもございました。
こういうところは、昔々の御先祖さまの頃から変わってないなぁ 日本人。




