第23話:小さな喧嘩と、本音の距離
――それは、本当に些細なことだった。
◆
夜。
七海が帰ってきたのは、また遅い時間だった。
「ただいま」
いつも通り。
でも、どこか疲れている声。
◆
「おかえり」
俺はソファから軽く手を上げる。
◆
「ご飯あるけど」
「いらない」
◆
即答。
◆
少しだけ、間が空いた。
◆
「最近そればっかだな」
ぽつりと、口に出ていた。
◆
七海が、ピタッと止まる。
◆
「……何それ」
◆
「いや、別に」
◆
「言いたいことあるなら言えば?」
◆
空気が変わる。
◆
やばい、と思った。
でも――
◆
「いや、普通に」
◆
「会ってもすぐ寝るし、話もあんましないし」
◆
「なんか……」
◆
「一緒にいる意味あんのかなって」
◆
言ってしまった。
◆
一瞬。
時間が止まる。
◆
「……は?」
◆
七海の声が、低くなる。
◆
「それ、本気で言ってんの?」
◆
「いや、そういう意味じゃ――」
◆
「どういう意味?」
◆
鋭い視線。
◆
「私はさ」
◆
「仕事してるだけなんだけど」
◆
「それで文句言われる筋合いある?」
◆
正論だった。
◆
でも――
◆
「いや、文句じゃなくて」
◆
「ちょっとくらい……」
◆
「なんだよ」
◆
「こっち見ろよ」
◆
静寂。
◆
七海の目が、揺れる。
◆
でもすぐに、そらした。
◆
「……無理」
◆
「今は」
◆
その一言。
◆
それが、刺さった。
◆
「……そっか」
◆
俺はそれ以上、何も言えなかった。
◆
七海も、何も言わない。
◆
そのまま、寝室に入っていった。
◆
ドアが閉まる音。
◆
部屋に、静寂が残る。
◆
◆
翌朝。
七海はもういなかった。
◆
置き手紙もない。
◆
スマホを見る。
メッセージもない。
◆
(やらかしたな……)
◆
大学。
講義は頭に入らない。
◆
昼休み。
陸が声をかけてくる。
「どうした、顔死んでるぞ」
◆
「ちょっとな」
◆
「喧嘩?」
◆
図星。
◆
「まぁ……そんな感じ」
◆
陸は少しだけ笑う。
◆
「それ、普通だろ」
◆
「は?」
◆
「むしろ、喧嘩しない方がやばい」
◆
奏も頷く。
◆
「本音言ってる証拠じゃん」
◆
その言葉が、少しだけ刺さる。
◆
(本音……か)
◆
夜。
帰宅。
暗い部屋。
◆
でも――
電気がついた。
◆
「……え?」
◆
七海が、いた。
◆
ソファに座っている。
◆
「おかえり」
◆
いつもより、小さい声。
◆
「……おかえり」
◆
変な空気。
◆
沈黙。
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先に口を開いたのは――七海だった。
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「……ごめん」
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予想外だった。
◆
「え?」
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「無理って言ったの」
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「違う」
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「見たくなかっただけ」
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視線が、少し下を向く。
◆
「怖かった」
◆
その言葉。
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七海が、弱さを見せた。
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「会えない時間が増えて」
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「そのまま、離れてく気がして」
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俺は、何も言えなかった。
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七海が続ける。
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「だから、余計に」
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「ちゃんと向き合うの、怖かった」
◆
沈黙。
◆
俺はゆっくり近づいて――
◆
隣に座る。
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「俺も悪かった」
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「言い方きつかった」
◆
「……うん」
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七海が、小さく頷く。
◆
そして――
◆
そっと、手を伸ばしてきた。
◆
恋人繋ぎ。
◆
「ねぇ」
◆
「ん?」
◆
「ちゃんと続けるよ」
◆
「この生活」
◆
「何があっても」
◆
その目は、まっすぐだった。
◆
俺は、少しだけ笑って――
◆
「最初からそのつもりだろ」
◆
「うん」
◆
七海が、少しだけ近づく。
◆
「……ちょっとだけ」
◆
そう言って――
◆
肩にもたれてきた。
◆
それだけで、全部が戻る。
◆
小さな喧嘩。
でも――
◆
確実に、絆は深くなっていた。
――つづく
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