寝言のように言ってみる
一同は山の中に降り立つ。昼食と休憩のためである。町があれば、町に立ち寄りたかったのだが、ずっと山並みが続いており適当な集落が見当たらなかったのだ。
「なんか、暗い感じの山だなあ」
そこは、昼でも薄暗い不気味な山だった。
「ちょっと……。降りる場所を間違えたかもしれません」
ミハイルが辺りを見回しながら呟く。
木々は気味悪くねじ曲がり、うねるように生えている。じっとりと、漂う空気も湿っているようだった。足元の草が足に絡みつく。
「ここは、魔の気配が……」
退魔士のミハイルがそう言いかけたときだった。
「ミハイル! お前昨夜、おなかいっぱいになる夢、見てただろー!」
急に思い出したのか、キースが笑いながらミハイルに話しかける。
「えっ! どうしてわかったんですか!?」
ミハイルは、どきっとした。まさに昨晩、おなかいっぱいの夢を見ていたのだ。
えっ!? おなかいっぱい!?
隣にいたアーデルハイトも、どきっとしていた。「おなかいっぱい」といえば、アーデルハイトの占いで、水晶が導き出した言葉だった。
キースの気持ち……、「おなかいっぱい」って占いに出てた……。
アーデルハイトは昨晩の自分の占いを思い出す。
「ミハイル! お前、思いっきり寝言言ってたぞ! モロに『おなかいっぱい』って!」
キースはミハイルを小突きながら笑う。
「えっ! ほんとですかっ! 僕、そんな寝言言ってたんですか! 恥ずかしいっ!」
ミハイルは頬を赤くした。寝言を言っていただけでも恥ずかしいのに、内容が内容である。
「ははは! まだまだミハイルも修行が足りんな!」
「ミハイル殿がそんな寝言を! 意外だな! キースのほうが言いそうなのに!」
隣にいた宗徳も笑った。しかし、キースは覚えていないし、ミハイルも宗徳もカイも聞いていなかったが、実際はキースもしっかり同じ寝言を言っている。
「んん? そーいや、そーゆー宗徳も寝言言ってたな! もう一杯お代わり出来る、って言ってたぞ!」
宗徳も、はっきりと寝言を言っていた。キースは宗徳の寝言も思い出して、思わず吹き出す。
「ああ! 言われてみれば確かにそんな夢を見ていた気がするな。もう一膳いけそうな気がした」
宗徳がうなづきながら笑う。「もう一膳いけそうな夢」とはいったいどんな夢なのだろう。
「ははは! お前らが変な寝言言うから、俺もおなかいっぱいになる夢見ちまったよ!」
そう言って、キースは愉快そうに笑う。自分だけ寝言など言っていないと信じながら。
「えっ!」
アーデルハイトが、驚いた顔でキースを見つめた。
「ん? どーした? アーデルハイト」
「キ、キース……。それで、昨晩『おなかいっぱい』って……」
水晶に映し出された言葉、キースの気持ち――。
キースを見つめるアーデルハイト。その瞳は熱を帯びていた――。
「ん? まさかアーデルハイトも、おなかいっぱいの夢でも見たのか!?」
だから、熱を帯びた目で激しく同感してるのか、とキースは思った。
「……ユリエちゃんっ!」
アーデルハイトは、キースの問いには答えず、隣にいた妖精のユリエをぎゅうっと抱きしめた。
「ユリエちゃん! ユリエちゃん!」
よかった……! キースは、ほんとにおなかいっぱいだったんだ……!
アーデルハイトは、満面の笑顔で小さなユリエの手を取り、くるくると楽しそうに回った。
「どうしたの? アーデルハイト……?」
ユリエは戸惑いながらも、アーデルハイトの動きに合わせてダンスを踊るようにくるくる回る。
「ユリエちゃん……! よかったああ!」
アーデルハイトは弾けるような笑顔。
よかった……! 「おなかいっぱい」は、キースの私に対する思いじゃなかったんだ……! キースは、私に対してうんざりしてたわけじゃなかったんだ……!
アーデルハイトの不安は、まるで雲が晴れたように消え去り、心は喜びであふれていた。
「なんかよくわかんないけど……、よかったね! アーデルハイト!」
アーデルハイトのきらきらとした笑顔につられ、ユリエも思わず笑顔になる。
「な、なんだお前ら?」
キースはわけがわからず、きょとんとした。カイもミハイルも宗徳も、なにがなにやらわからないが、楽しそうなアーデルハイトとユリエの姿に思わず笑みがこぼれる。
ついでに、ペガサスのルーク、ドラゴンのゲオルク、ドラゴンのオレグ、翼鹿の吉助も、よくわからないけど、お祭り騒ぎはいつでも大歓迎、楽しそうな雰囲気にまざりたい! とばかりにアーデルハイトとユリエの周りで楽しそうに飛び跳ねてはしゃいだ。
「んー。輪になって踊る乙女と妖精と聖獣たち。ファンタジーだねえ! よし、俺たちも踊るか!」
キースは意味不明にカイの両手を取る。そしていきなりカイを振り回し始めた。
「なんで俺と踊るんですかーっ! そして、踊るっていうより、ただ振り回してるだけじゃないですかーっ!?」
「ははは! 遠心力、遠心力!」
カイをぐるぐる振り回し、キースもご機嫌である。
「……他人のふりしますか」
宗徳にささやくミハイル。
「うむ。火の粉が降りかからんうちに、そっと離れよう」
宗徳とミハイルは、キースのターゲットになる前に、そっと歩き出した。
賢明な判断である。
一連の騒ぎで、山の不気味な雰囲気について誰も気に留めなくなった。
山道に、いきなり矢印の書いてある看板があった。
「なんだこの怪しい看板! 矢印だけかよ!?」
白地に黒い矢印が一個だけ。怪しさ満載だった。
「その先にもありますよ」
ミハイルが指差す方向に、同じ看板らしきものがたてられていた。
「こんな人気のない山の中に……、妙だな」
矢印の看板通りに歩いてみる。
「なにかの罠に違いない」
キースが呟く。看板はいざなうように点々とたてられている。
「それでも乗ってみるんですか?」
カイが尋ねる。
「ああ。他の旅人が惑わされないよう、危険かどうか確かめなくては」
「で、危険な魔物だったら、退治するんですね」
カイがわかっていますよ、と微笑む。
「……カイは、飯を食わないから、おなかいっぱいの夢は見ないんだろうなあ」
「……急になにを言うんですか」
キースは突然話題を変えた。
「つまらんなあ」
「なにがつまらないというのですか」
「カイも寝言を言って欲しかった」
「おなかいっぱいだけが寝言じゃないでしょう」
むしろ、少数派である。
「カイも寝言言うのかなあ」
「剣の状態では話せません。人間の姿で寝るときは、自分ではわかりません。夢は見ませんし、たぶん人間の姿でも言わないでしょう」
「今度、カイが人間の姿のまま寝るときは、じっくり観察してみよう」
「なんのために」
「翌日、それをネタにからかおうと思って。明日のための準備ってやつだな!」
「……俺をからかうために、心血注がないでください」
「明日のために今日種をまく! 大事だねえ!」
「わけわかんないんですけど。俺、たぶん寝言言いませんよ」
「そこをなんとか!」
「お願いして言うもんじゃないでしょう」
「どうしても言わないかなあ。じゃあ試しに今、寝言言ってみな?」
「『寝言は寝てから言え』」
くだらなすぎるやり取りをするうち、建物が見えてきた。
「なんだこりゃ!」
お菓子の家だった。ビスケットそっくりの壁、チョコレートそっくりの屋根、ゼリーのような窓、扉はガムだろうか、煙突はバームクーヘン。
「なんだこのわかりやすすぎる罠はーっ!? こんなのに引っかかるやつ、いるのかあ!?」
思わずキースが叫ぶ。その横で、
「お菓子のいええええ!」
ユリエが絶叫した。
「お菓子の家、イエーッ」
興奮しながらお菓子の家に突入しそうになるユリエを、キースはひょいっと捕まえた。
「こらこら。言ってるそばから引っかかってんじゃない」
「だってだって! 美味しそうだよ!? すごいよ!? ファンタジーだよ!? ダイナマイトだよ!?」
「これは絶対、魔物の罠だよ。近づく者を捉えて食うんだ」
「たぶん、そうでしょう」
退魔士のミハイルもうなづく。
「しっかし、ほんと、わかりやすすぎだよなあ!」
ガチャ。
お菓子の家から、女性が現れた。
「旅のかたがた、お疲れでしょう? 私の家でどうぞ休んでいってくださいまし」
胸元の大きく開いたドレスを着た妖艶な美女だった。ドレスの裾には、深いスリットも入っており、美しく長い脚もあらわに見える。
「ダイナマイト!」
キースが叫んだ。
そして、次の瞬間――。
「我は扉を開く! 魔の者よ! 汝の住まう魔の国へ帰れ!」
間髪入れず、アーデルハイトが呪文を叫んでいた。
「えっ!?」
妖艶な美女、キース、ユリエ、カイ、ミハイル、宗徳が一斉にアーデルハイトのほうを見た。皆驚いて、二度見した。
ゴゴゴゴゴゴ!
目の前に巨大な漆黒の扉が現れた。
「貴様、いきなり、な、な、なにをする!?」
妖艶な美女が顔を歪めて叫ぶ。
ゴアッ!
漆黒の扉が開いた。風が巻き起こる。
「貴様―っ! 対処が早すぎるのではないかーっ! 卑怯だぞ!?」
謎の美女は謎のまま、叫びながら扉に吸い込まれていく。抵抗する暇もないようだった。
「封印!」
バタン!
アーデルハイトが叫ぶと扉は閉じた。そしてすぐに、漆黒の扉と謎のお菓子の家は、煙のように消えていった。
「ア、アーデルハイトさん……!」
ミハイルは絶句した。ここは、自分の活躍の場面ではなかったのか。なぜ、アーデルハイトさんが……、とミハイルは戸惑う。
それに、今の技は、強い集中力とその場の気を整えるための時間が必要なはず……! こんな「魔」の磁場の強い場所で、あんなに素早くそれをやってのけるなんて……! 今の魔物は、ごくごく弱い魔力の者だったけど、それにしても、すごすぎる……!
「ア、アーデルハイトさん……。今の技……、退魔の術、完璧でした……」
「『退魔の授業』で習ったから! 『占術』は苦手だけど。、『退魔』は得意だったから!」
早口で、アーデルハイトは言い切った。
「そ、そうですか……。お見事です」
退魔士にもなれますよ、とミハイルが言おうとしたが、もうアーデルハイトは歩き出していた。
「さあ! 行きましょう! お昼ごはんになるもの、探すんでしょっ!?」
怒ってる……。
アーデルハイトとキース以外の全員が、空気を読み取った。アーデルハイトの揺れる長い金の髪が、ピンと伸びた背筋が、必要以上にキビキビとした足取りが、怒りを物語っていた。
怒ってる! アーデルハイト! キースが美女に見とれたからだ!
「なんだあ!? アーデルハイト! すげーこと出来んじゃん! 美女をもうちょっと拝みたかった気もするけど、解決してよかった、よかった!」
あああ! キース、余計なことを……!
アーデルハイトとキース以外の全員が、そう思った。
「ああ! あの木の実、食べられるやつね!」
アーデルハイトは、木の実がなっている木を見つけた。美味しそうな大きな黄色の実が、たわわに実っている。
ズバッ!
ドサドサドサッ!
アーデルハイトが木の実に向かって、素早く空気を切るような仕草をするやいなや、木の実は全部落ちた。
あらい! あらっぽいよ! 仕事が!
アーデルハイトとキース以外の全員が、そう思った。
怒ってるよー! ヤキモチだよ! アーデルハイト!
アーデルハイトとキース以外の全員が、そう思った。
「さあ。食べましょう。みんな」
振り返って微笑むアーデルハイト。その微笑みは、キース以外の一同には、空恐ろしいものに感じられた。
「わーい! いっただっきまーす!」
キースだけが、無邪気に喜んだ。
おなかいっぱいです……。
なんとなく、ミハイル、宗徳、ユリエはそう思った。
「……なんで、一番気が付かなきゃいけない人が気付かないんだろう」
カイが呟く。
「案外、恋ってそういうものかもしれませんね……」
ミハイルが呟く。
「おなかいっぱいです……」
カイも寝言のように言ってみた。




