第44話 純情乙女、熟練仲人
今宵の星のまたたきは、どのくらい繰り返されているのだろう。
アーデルハイトは、宿屋のベッドの中、なかなか寝付けないでいた。
キースは、私のことを気遣って言ってくれたんだと思うけど……。
「そんな、気にすんなよ」、あのときのキースの一言が小さなとげのように、アーデルハイトの心に引っ掛かっていた。
あれから――。二人の距離が縮まったかといえば、そうでもない。やっぱり変わらない。今までと、同じ――。
寝返りを打つ。すぐそばの妖精のユリエは、小さな寝息を立てていた。
キースは、私のことをどう思ってるのかな……? 旅の仲間……? 友だち……? それとも……?
ふと、考える。考えても、わからないことなのだけど。
もしも、と思う。
もしあのとき、あのまま唇と唇を重ねていたら、どうだったのだろう……?
夜の広がる部屋の中、時を刻む音だけが、やけに響く。
たとえキスをしていたとしても――、それでもきっと、キースは謝ってから「気にすんな」って言うんだろうな――。
体を丸めて縮こまる。アーデルハイトの唇から、ため息が漏れた。
だとしたら、やっぱり、おでこでよかったんだ……。
探るよう、そっと、手を当ててみる。自分の額に。
キース……。キースは今、なにを想っているの……?
キースの心が知りたい――、そう考えた瞬間、アーデルハイトの中で閃きが起きる。
占い……! 気持ちを探る占いがあったっけ……!
魔法学校の学生時代、占術の授業もあった。
でも私、あまり占術は得意じゃないんだよなあ……。
もう一度、寝返り。ユリエは起きる様子もない。自分もおとなしく眠ろうかと思う。でも、いったん気になりだすと、どうしても止まらない。
ちょっと、やってみようかな……。授業外では、やったことなかったけど……。
どうせ、自分の占いは当たらないだろうと思った。でも、なにもしないより、もしかしたらモヤモヤとした気持ちが落ち着くかもしれない。気分が変わるかもしれない。波立つ気持ちさえ落ち着けば、すぐに眠れるかもしれない、そう考えた。
私の体調を考えて、せっかく宿に宿泊することにしてくれたんだ。早くすっきりさせて、ちゃんと眠ろう。
アーデルハイトは、眠り続けるユリエを起こさないよう、ベッドを抜け出しテーブルの前に座る。
学校で習ったのは水晶を使う占術。しかし実際に水晶を使わなくとも、占いの精度は落ちるが、想像の水晶でも可能だった。
アーデルハイトは心の中、透明な水晶球を思い浮かべた。
水晶よ、キースの、今の気持ちを教えて……!
強く、問い掛ける。
たちまち、イメージの中の水晶が明るい光を放つ。
強い輝きが収まってくると、水晶の中に言葉が浮かんできた。
『おなかいっぱいー』
おなかいっぱい……!?
水晶が伝えてきたのは、「おなかいっぱいー」だった。
キースは、おなかいっぱいなの……? それがキースの今の気持ち……?
おなかいっぱい――、アーデルハイトは、そこでハッとした。
もしかして、私のこと、「おなかいっぱい」、つまり、もういいって思ってるの!? キースは、私との関係は、これ以上のものは望んでいないということなの……!?
ちょうどそのころ、キースはおなかいっぱいになる夢を見ていて、寝言を呟いているところだった。実は、アーデルハイトの占いには重大な欠陥があった。「キースの気持ち」の質問に、「私に対する」という極めて重要な一言を付けていなかったのである。
水晶の占いは、驚くべき正確さでキースの今の気持ちを言い当てていた。そしてアーデルハイトは、驚くべき深読みをしていた。
もう、これ以上の進展は、望めないの……?
アーデルハイトのエメラルドグリーンの瞳に、みるみる涙があふれ出す。
自分の占いは当たらない、そもそも魔法学校で習う占術は、術者の腕が優れていなければ、結果に術者の不安や恐れや期待が反映されることもある不確実なもの、そうわかっていても涙が止まらない。
どうしよう……! 私のこと、もういいって……! もしも、もしも私のことうざいって思われてたら、どうしよう……!
胸がぎゅうっと締め付けられた。
アーデルハイトは、今までのキースとの会話を思い出していた。キースに対する強烈なツッコミの数々も思い出した。
私、全然かわいくなかったよね……。キースのこと、グーパンしたリ手刀をお見舞いしたり……。これじゃ、好きになってなんて、もらえないよね……!
振り返れば、バイオレンス。涙とともに、想いがあふれ出す。
キースの屈託のない笑顔、優しい青の瞳を思い出す。
キース! キース……! 私はキースが好き……! ごめん、キース……! こんな旅のメンバー、うざいだけだよね……。
アーデルハイトは、結局眠れず一夜を明かした。
「アーデルハイト! どうしたの! その顔!」
ユリエは、泣きはらしたアーデルハイトの顔を見て仰天した。
「……おはよう。ユリエちゃん……」
「大丈夫!? また具合でも悪くなっちゃったの……!?」
「ううん。なんでもない」
「なんでもなくなんてないよ! どうしたの!? 気分は? 熱は? 痛いところは?」
泣き続けた目と、心が痛いよ、アーデルハイトは心の中で呟いた。
「もしかして……。泣いてたの……?」
ユリエの言葉に、ただ、唇を噛んだ。
「どうして!? アーデルハイト! どうしたの!?」
ユリエの澄んだ瞳がいたたまれず、うつむいてしまった。
「……クラウスのこと? クラウスのこと考えてたの?」
「……違うよ」
「じゃあなんで……!? アーデルハイト、話してみて! 一人で悩んでたらわかんないよ!」
ユリエは必死でアーデルハイトに問い掛ける。ユリエの、宝石のようなピンク色の瞳も、涙で潤んでいた。
「ごめん……。ユリエちゃん。心配掛けて……」
「ごめんじゃないよ! アーデルハイト! 私じゃ役に立たないかもしれないけど、教えて! 辛いこと、悲しいこと、一人で抱え込まないで……! いったい、どうしちゃったの……?」
「……私……」
「なに? アーデルハイト!」
小さなユリエは、アーデルハイトの胸にしがみつき、アーデルハイトの顔をまっすぐ見上げた。
「驚かないでね……。ユリエちゃん……」
「私、驚かないよ! だから、話して!」
心から心配するユリエ。潤んだ瞳を見ていると、黙っているわけにはいかない、とアーデルハイトは思った。
「……ユリエちゃん……。あのね……。私……。私……、キースのこと……。キースのこと、好きになっちゃったの……」
「えっ!」
そうだよね。一緒に旅をしている仲間のこと、そんなふうに言ったらびっくりしちゃうよね……。めんどくさいよね……。
「ごめんね。ユリエちゃん。驚かして。びっくりしちゃったよね」
「ううん! 今更なに言ってんのって思って、びっくりした!」
「えっ!?」
今度は、アーデルハイトがびっくりした。
「いま……、さら……?」
今更って……?
「そーだよー! アーデルハイトの気持ちは、バレバレだよー!」
「バレバレ!?」
し、しかも……、バレバレ、とな!?
アーデルハイトは、後頭部から殴られたような衝撃を受けた。目の前に、星が飛ぶよう。またたく、星。まさか、バレバレとは思っていなかったのだ。
「なーんだ! そのことだったんだ! でも、なんで泣いてるの……?」
「え……。なんでって、だって……」
「キースがどう思ってるか、不安になっちゃったの?」
ズバリ、とユリエが核心をつく。
「うん……。キースは全然、出会ったときと変わらないから……」
むしろ、出会ったころのほうが、積極的で、冗談ながら男女の関係を提案するようなところさえあった。最低、ではある。
「安心して! アーデルハイト! 二人は両想いだから!」
あっさりと、ぶちまけるユリエ。
「えええっ!?」
「二人の気持ち、知らないの当事者の二人だけだから!」
言葉の破壊力。アーデルハイトは、ベッドから転げ落ちた。
知らないの、当事者の二人だけ……?
まさか、とアーデルハイトは思った。カイも、ミハイルも、宗徳も、知っているというのか!? とアーデルハイトはまたまた衝撃を受ける。
ちなみに、ドラゴンのゲオルクもオレグも、ペガサスのルークも翼鹿の吉助にも、バレバレだった。彼らは、二人を「人間のつがい」と認識している。
「大丈夫!? アーデルハイト!」
「なにそれーっ!? ど、どういう……」
顔が、熱い。
りょうおもい、りょうおもい、りょうおもい……。
「両想い」という単語が、ぐるぐるとアーデルハイトの頭の中を駆け巡る。
『いやあ、今日は大漁だなあ』
アーデルハイトの脳内に、突然現れる、架空の漁師。
『網が、重くてなあ!』
架空の漁師は、大漁が嬉しいらしく、網を引きながら、がっはっは、と日に焼けた顔を崩す。
漁、重い……。
そこまで考えて、大急ぎで頭を左右に振った。現実逃避している場合では、ない。
「えと……、あの……、その……、どうしてユリエちゃんはそう思うの……?」
「見てたらわかるよー!」
ユリエが明るい声で笑う。
「だから、アーデルハイトは泣かないで? 不安にならなくても大丈夫だよ!」
「でも……。でも……。ユリエちゃんがそう思っても……」
「二人はいつも仲よしでラブラブじゃないー!」
らぶらぶ……。
どこかの世界で、ラブラドールレトリバーという犬種があるらしい、とアーデルハイトはぼんやり思い出す。
らぶらどーるれとりばー……。
駆け抜ける、茶色の犬。嬉しそうに、走る。一頭、また一頭、アーデルハイトの脳内、大型犬が駆け回る。
ハッとし、また頭を左右にぶんぶん振った。わんこの幻影を見ている場合では、ない。
「でも……。数日前まで仲よしでも、人の心は次の日、急に変わってしまうかもしれないよ……」
クラウスが突然別れを告げたように……。
クラウスと自分は永遠の愛を誓った、とアーデルハイトは信じていた。しかし、ある日突然、クラウスは別れを告げた。ある日突然、自分の世界からクラウスは姿を消した。
キースも、もしかしたら……。
「さっき、アーデルハイト、自分で『キースは全然、出会ったときと変わらない』って言ったじゃん!」
「あ……!」
「大丈夫! キースは急に心変わりしたリ、築いてきたものを簡単に壊したりするような人じゃないから! そんな人じゃないって、アーデルハイトが一番わかってるでしょ?」
「……うん……」
そうだ……。キースは、クラウスとは違う……! 全然違うんだ……! キースは、キースなんだ……!
「もーっ! ばかだなーっ! アーデルハイト!」
ユリエはぎゅーっとアーデルハイトを抱きしめた。サイズが小さいので、「抱きしめた」というより「抱きついた」という感じだが。
「アーデルハイトは、もっと自分に自信を持って!」
「自信……?」
「うん! みんな、アーデルハイトのこと大好きなんだよ! 絶対嫌いになったりしないんだよ! そして、キースはアーデルハイトのこと、きっと大好きを通り越して、もー、愛しちゃってるんだよ!」
「あ、あい!?」
どこかの世界に、「アイアイ」という原猿がいるらしい。
遠ざかりそうな意識の中、謎の猿が木から木へと飛び移る。謎の猿は、一匹、また一匹と増えて――。
「さあ! アーデルハイト! 顔洗って! そんな顔してたら、またみんな心配しちゃうよーっ!」
キースが私のことを……? キースが……?
アーデルハイトの頭の中には、美しい花畑。陸に上がった漁師とラブラドールレトリバーとアイアイが、手に手を取り合い輪になって歌い踊る。
ぼんやりと支離滅裂な想像世界に浸るアーデルハイトを、ユリエが洗面台へ連れ出す。
「ああっ! ほんとだ! ひどい顔!」
鏡で自分の顔を見て、現実世界に戻る。そして即座にアーデルハイトの「乙女スイッチ」が入った。そのスイッチの名は、「好きな人から、かわいくみてもらいたいスイッチ」である。
「大変! なんとかしなくちゃ!」
急いでアーデルハイトは顔を洗い、化粧をした。それから、魔法まで使って顔色をよくする工夫をした。
「もー。アーデルハイトは世話が焼けるんだから!」
ユリエはまるで、凄腕の「お見合い仲人のおばちゃん」のようにそっと微笑んだ。なんだろう。このベテラン感。
「あれっ!? アーデルハイト! 顔がむくんでないか!? もしかして、二日酔いか!」
アーデルハイトを見たときの、キースの第一声である。
ユリエが飛んできて、キースに飛び蹴りをくらわした。
「なんでっ!? なぜユリエが飛び蹴り!? ユリエの初飛び蹴りじゃないかっ! 今日は『飛び蹴り初めの日』か!?」
「鈍感は、乙女の敵っ!」
ユリエはキースに初チョップもお見舞いした。
キースには、さっぱりなんのことかわからない。




