純情乙女、熟練仲人
アーデルハイトも、なかなか寝付けないでいた。
『そんな、気にすんなよ』
アーデルハイトの心に、キースの一言が引っかかっていた。
キースは、私のことを気遣って言ってくれたんだと思うけど……。
アーデルハイトの変身を解くために、キースはおでこにキスをしてくれた。そのことを、キースは「気にするな」と言ったのだ。
アーデルハイトは、キースにキスをしてもらったのが嬉しくて、舞い上がるような気持ちだった。「気にするな」と言われたのが、まるで何事もなかったことにされたようで寂しかった。
それに、その後二人の距離が縮まったかといえば、そうでもない。
変わらない。いままでと、同じ――。
『そんな、気にすんなよ』
キースは、私のことをどう思ってるんだろう……?
仲間……? 友達……? それとも……?
アーデルハイトは枕をぎゅっと抱きしめた。
もしあのとき、あのまま唇と唇を重ねていたら、どうだったのだろう……?
あのとき、二人は唇を重ね合う「キス」を思い浮かべていた。実際、触れ合う寸前まで近づいた。「キスは、口じゃなくてもいいんだよ」、というユリエの一言で、急きょ「おでこへのキス」に変更になった。
たとえ、恋人同士のようにキスをしていたとしても――、それでも、やっぱり、キースは「気にすんな」って言ったんだろうな――。
想像して、アーデルハイトは落ち込む。
だとしたら、やっぱり、おでこでよかったんだ……。
アーデルハイトは自分の額にそっと手を当てる。
キース……。キースは今、なにを想っているの……?
キースの心が知りたい――、そう考えた瞬間、アーデルハイトは思い出した。
占い……! 気持ちを占う占いがあったっけ……!
魔法学校の学生時代、占術の授業もあったのだ。
でも私、あまり占術は得意じゃないんだよなあ……。
アーデルハイトは、ベッドの中で寝返りを打つ。おとなしく眠ろうかと思う。でも、いったん気になりだすとどうしても止まらない。
ちょっと、やってみようかな……。
どうせ、自分の占いは当たらないだろうと思った。でも、なにもしないより、もしかしたらモヤモヤとした気持ちが落ち着くかもしれない。気分が変わるかもしれない。気持ちが落ち着けば、すぐに眠れるかもしれない、そう考えた。
アーデルハイトは、隣で眠っている妖精のユリエを起こさないよう、そっとベッドの上に正座する。
水晶を使う占術だったが、手元にないので頭の中に強く水晶をイメージする。実際に水晶を使わなくとも、成績トップクラスで卒業したアーデルハイトの魔術は、想像の水晶で充分だった。
彼の、キースの、今の気持ちを教えてください……!
アーデルハイトは強く念じた。
たちまち、イメージの中の水晶が明るい光を放つ。光り輝く水晶。
強い輝きが収まってくると、水晶の中に言葉が浮かんできた。
『おなかいっぱいー』
おなかいっぱい……!?
水晶が伝えてきたのは、「おなかいっぱいー」だった。
キースは、おなかいっぱいなの……? それがキースの今の気持ち……?
おなかいっぱい――、アーデルハイトは、そこでハッとした。
もしかして、私のこと、「おなかいっぱいー」、つまり、もういいって思ってるの!?
キースは、私との関係は、これ以上のものは望んでいないということなの……!?
ちょうどその頃、キースはおなかいっぱいになる夢を見ていて、寝言を呟いているところだった。実は、アーデルハイトの占いには重大な欠陥があった。「彼の気持ち」の質問に、「私に対する」という極めて重要な一言が付いていなかったのである。
水晶の占いは、驚くべき正確さでキースの今の気持ちを言い当てていた。そしてアーデルハイトは、驚くべき深読みをしていた。
もう、これ以上の進展は、望めないの……?
アーデルハイトのエメラルドグリーンの瞳に、みるみる涙があふれ出す。
自分の占いは当たらない、そもそも占い自体、結果に術者の不安や恐れや期待が反映されることもあるあやふやなもの、そうわかっていても涙が止まらない。
どうしよう……! 私のこと、もういいって……! もしも、もしも私のことウザいって思われてたら、どうしよう……!
胸がぎゅうっと締め付けられた。ベッドの中で、アーデルハイトは声を殺して泣いた。
アーデルハイトは、今までのキースとの会話を思い出していた。キースに対する強烈なツッコミの数々も思い出した。
私、全然かわいくなかったよね……。キースのこと、パンチしたリチョップしたリ……。これじゃ、好きになってなんて、もらえないよね……!
涙とともに、想いがあふれ出す。
キースの屈託のない笑顔、優しい青の瞳を思い出す。
髪を撫でてくれた大きな手を、抱きしめられたときのたくましい胸を思い出す。
キース! キース……! 私はキースが好き……! こんなに好きなのに……!
アーデルハイトは、朝まで泣いていた。
「アーデルハイト! どうしたの! その顔!」
ユリエは泣きはらしたアーデルハイトの顔を見て驚いた。
「……おはよう。ユリエちゃん……」
「大丈夫!? 具合でも悪くなっちゃったの……!?」
「ううん。なんでもない」
「なんでもなくなんてないよ! どうしたの!? 気分は? 熱は? 痛いところは?」
泣き続けた目と、心が痛いよ。
アーデルハイトは心の中で呟いた。
「もしかして……。泣いてたの……?」
「…………」
「どうして!? アーデルハイト! どうしたの!?」
「…………」
アーデルハイトはうつむいた。
「……クラウスのこと? クラウスのこと考えてたの?」
「……違うよ」
「じゃあなんで……!? アーデルハイト、話してみて! 一人で悩んでたらわかんないよ!」
ユリエは必死でアーデルハイトに問いかける。ユリエのピンク色の瞳も、涙で潤んでいた。
「ごめん……。ユリエちゃん。心配かけて……」
「ごめんじゃないよ! アーデルハイト! 私じゃ役に立たないかもしれないけど、教えて! 辛いこと、悲しいこと、一人で抱え込まないで……! いったい、どうしちゃったの……?」
「……私……」
「なに? アーデルハイト!」
小さなユリエはアーデルハイトの胸にしがみつき、アーデルハイトの顔をまっすぐ見上げた。
「驚かないでね……。ユリエちゃん……」
「私、驚かないよ! だから、話して!」
心から心配するユリエ。潤んだ澄んだ瞳を見ていると、黙っているわけにはいかない、とアーデルハイトは思った。
「……ユリエちゃん……。あのね……。私……。私……、キースのこと……。キースのこと、好きになっちゃったの……」
「えっ!」
そうだよね。一緒に旅をしている仲間のこと、そんなふうに言ったらびっくりしちゃうよね……。めんどくさいよね……。
「ごめんね。ユリエちゃん。驚かして。びっくりしちゃったよね」
「ううん! 今更なに言ってんのって思って、びっくりした!」
「えっ!?」
今度はアーデルハイトがびっくりした。
「いま……さら……?」
今更って……、もしかして、ユリエちゃん、気付いてた!?
「そーだよー! アーデルハイトの気持ちは、バレバレだよー!」
「バレバレ!?」
し、しかも……、バレバレ、とな!?
アーデルハイトは、後頭部から殴られたような衝撃を受けた。まさか、バレバレとは思っていなかったのだ。
「なーんだ! そのことだったんだ! でも、なんで泣いてるの……?」
「え……。なんでって、だって……」
「キースがどう思ってるか、不安になっちゃったの?」
ズバリとユリエが核心をつく。
「うん……。キースは全然、出会ったときと変わらないから……」
むしろ、出会った頃のほうが、積極的で、冗談ながら男女の関係を提案するようなところさえあった。
「安心して! アーデルハイト! 二人は両想いだから!」
あっさりとユリエが言い切った。
「えええっ!?」
「二人の気持ち、知らないの当事者の二人だけだから!」
アーデルハイトはベッドから転げ落ちた。
知らないの、当事者の二人だけ……?
まさか、とアーデルハイトは思った。カイも、ミハイルも、宗徳も、知っているというのか!? とアーデルハイトはまたまた衝撃を受ける。
ちなみに、ドラゴンのゲオルクもオレグも、ペガサスのルークも翼鹿の吉助にも、バレバレだった。彼らは、二人を「人間のつがい」と認識している。
「大丈夫!? アーデルハイト!」
「なにそれーっ!? ど、どういう……」
アーデルハイトの顔は真っ赤になっていた。
りょうおもい、りょうおもい、りょうおもい……。
「両想い」という単語が、ぐるぐるとアーデルハイトの頭の中を駆け巡る。「りょうおもい」という語感から、なんとなく巨大な重い魚を釣り上げる漁師を想像した。「漁重い」。
「えと……、あの……、その……、どうしてユリエちゃんはそう思うの……?」
「見てたらわかるよー!」
ユリエが明るい声で笑う。
「だから、アーデルハイトは泣かないで? 不安にならなくても大丈夫だよ!」
「でも……。でも……。ユリエちゃんがそう思っても……」
「二人はいつも仲良しでラブラブじゃないー!」
らぶらぶ……。
「ラブラブ」、という単語が頭の中をぐるぐる巡る。ぐるぐるしすぎて、アーデルハイトの頭の中には、なんとなくラブラドールレトリバーの群れが尻尾を振りながら花畑の中を走り回る映像が浮かんでいた。ラブラブ……。
「でも……。数日前まで仲良しでも、人の心は次の日急に変わってしまうかもしれないよ……」
クラウスが突然別れを告げたように……。
クラウスと自分は永遠の愛を誓った、とアーデルハイトは信じていた。しかし、ある日突然、クラウスは別れを告げた。ある日突然、自分の世界からクラウスは姿を消した。
キースももしかしたら……。
「さっき、アーデルハイト、自分で『キースは全然、出会ったときと変わらない』って言ったじゃん!」
「あ……!」
「大丈夫! キースは急に心変わりしたリ、築いてきたものを簡単に壊したりするような人じゃないから! そんな人じゃないって、アーデルハイトが一番わかってるでしょ?」
「……うん……」
そうだ……。キースは、クラウスとは違う……! 全然違うんだ……! キースは、キースなんだ……!
「もーっ! ばかだなーっ! アーデルハイト!」
ユリエはぎゅーっとアーデルハイトを抱きしめた。サイズが小さいので、「抱きしめた」というより「抱きついた」という感じだが。
「アーデルハイトは、もっと自分に自信を持って!」
「自信……?」
「うん! みんな、アーデルハイトのこと大好きなんだよ! 絶対嫌いになったりしないんだよ! そして、キースはアーデルハイトのこと、きっと大好きを通り越して、もー愛しちゃってるんだよ!」
「あ、あい!?」
アーデルハイトは卒倒しそうになった。頭の中を「あい」という単語が駆け巡る。頭がくらくらしていた。不安から喜びへの差が激しすぎて、脳が現実逃避を始める。思わず、原猿の「アイアイ」という動物が森の中を輪になってダンスする様を想像していた。愛愛……。
「さあ! アーデルハイト! 顔洗って! そんな顔してたらまたみんな心配しちゃうよーっ!」
キースが私のことを……? キースが……?
アーデルハイトの頭の中は花畑。漁師とラブラドールレトリバーとアイアイが手に手を取り合い輪になって歌い踊る。
ぼんやりと謎の想像世界に浸るアーデルハイトを、ユリエが洗面台へ連れ出す。
「ああっ! ほんとだ! ひどい顔!」
鏡で自分の顔を見て、現実世界に戻る。そして即座にアーデルハイトの「乙女スイッチ」が入った。そのスイッチの名は、「好きな人からかわいくみてもらいたいスイッチ」である。
「大変! なんとかしなくちゃ!」
急いでアーデルハイトは顔を洗い、化粧をした。それから、魔法まで使って顔色をよくする工夫をした。
「もー。アーデルハイトは世話が焼けるんだから!」
ユリエはまるで、凄腕の「お見合い仲人のおばちゃん」のようにそっと微笑んだ。なんだろう。このベテラン感。
「あれっ!? アーデルハイト! 顔がむくんでないか!? もしかして、二日酔いか!」
アーデルハイトを見たときのキースの第一声である。
ユリエが飛んできて、キースに飛び蹴りをくらわした。
「なんでっ!? なぜユリエが飛び蹴り!? ユリエの初飛び蹴りじゃないかっ! 今日は『飛び蹴り初めの日』か!?」
「鈍感は、乙女の敵っ!」
ユリエはキースに初チョップもお見舞いした。
キースには、さっぱりなんのことかわからない。




