第33話 そういうことにしておきますか
一か月ほど前に遡る。
ここは退魔士ミハイルの故郷、リシアルド公国と呼ばれる、小さな国の神殿内。
「あ……!」
ミハイルは、思わず驚きの声を上げた。
「聖なる緑の宝玉が、割れている……!」
神聖な空気の中、純白の台座の上に祀られていた緑の宝玉が、まっぷたつに割れていた。
「お師匠様――!」
ミハイルは、傍らに立つ白髪の老賢者の顔を見上げた。ミハイルの師匠であるその人物は、リシアルド公国の最高位の退魔士である。
「これは……、この世界になにか恐ろしいことが起ころうとしている予兆――。強い『魔』の影を感じる――」
師は、険しい表情で不吉な言葉を告げた。
「お師匠様――」
ミハイルは、息をのんだ。
聖なる宝玉が割れるなんて……! これからいったい、どんな恐ろしいことが起きようとしているんだろう――。
「ミハイル……。そなた、旅に出よ」
師匠はまっすぐミハイルの瞳を見つめ、そう言い放った。
「旅……、ですか?」
「遠い北の国、ノースカンザーランドの北の巫女様は、おそらくすでになにかをお気づきになっていらっしゃるはず……。北の巫女様の尊いご神託を賜るのじゃ」
「北の巫女様のご神託……」
「この旅はそなた自身にとっても、よい修行の場となるはず。旅の中、己の精神と退魔士としての技を磨くことを常に心掛けよ」
「はい……! お師匠様……!」
ミハイルは、改めて姿勢を正した。
「……それから、そなたは旅の中で、かけがえのない大切な出会いも果たすであろう」
師匠は今までの厳しい表情を和らげ、優しい微笑みを浮かべた。
「苦しく険しいだけではない。わしにはそなたの笑顔が見える」
「僕の……、笑顔、ですか……?」
ミハイルは、ハシバミ色をしたその瞳を大きくし、師匠に尋ねた。
「ああ。そうとも。そなたはこの旅の中で、一生の宝となるような貴重な出会いを経験するであろう――」
「貴重な出会い……」
ミハイルは不思議な気持ちでいた。不吉な予兆を前にしているというのに、なぜか心は明るく弾んでいた。一生の宝となる貴重な出会いとは、いったいどんなものなのだろう、と。
「ミハイル。心を開き、輝く澄んだ瞳でたくさんのことを学ぶのじゃ……!」
「はい……! お師匠様! それでは行って参ります……!」
ミハイルは、深々と師匠に一礼をした。
そして、ミハイルはリシアルド公国を旅立った。
見上げる瞳いっぱい、青い空を映して。
「あ!」
ミハイルと宗徳は宿屋の部屋で、思わず顔を見合わせた。
「そういえば、いつの間にかキースのことだけ呼び捨てにしてる……」
ミハイルと宗徳は、ほぼ同時、同じことに気付く。
「やっぱり自然とそうなりますよね」
カイが、笑う。無理もない、と
「どーゆー意味だよ! それ!」
キースが少し不服そうな顔をした。
「キースは親しみやすいんですよ。いいことです」
カイが一応フォローしてみる。
「んー。いいことかあ。じゃあ、いっかあ!」
いいのか!? とミハイルと宗徳は叫んでしまったが、当のキースはとりたてて気にしていない。カイも楽しげな笑顔である。そういったわけで、キースの呼びかたはそれでよしとしよう、ということになった。
キースがベッドの上で、うーんと伸びをする。
「キース」
ミハイルが真剣な表情で問い掛けた。
「教えてください。いったい、なにが起こっているんですか?」
「え? なにがって、なにが?」
「もしかして……。あなたがたの旅は、この世界に忍び寄る、不穏な空気と関係があるんですか……?」
「この世界に忍び寄る、不穏な空気……?」
ベッドの上、体を起こし座り直す。
「はい。僕が旅に出た理由、それは、ひと月ほど前、僕の故郷で『魔』に関する不吉な予兆があったからです。きっと、これから遠くない未来、なにか世界に恐ろしい異変が起こる――。僕は、僕のお師匠様から、そのことに関して北の巫女様のご神託を賜るように託されたのです」
ミハイルの告白に、キースは膝を打つ。
「そうか! それでミハイルは北の巫女様にお尋ねしたいことがあるって、前に言ってたのかあ!」
以前会ったときにミハイルが話していたことを、キースは思い出していた。
「はい。北の巫女様なら、なにかご存知かと……」
ミハイルの言葉に、キースとカイは顔を見合わせた。
「そうだな……。俺たちの旅は、おそらくその予兆とやらに関係ある――」
「やっぱり……!」
「どこから話そうかな……」
どこから話すべきか。やはり、アップルパイの話も必要かな、いかがわしい雑誌の袋とじを開けるのにカイを使わないという俺の固い決意も話すべきか、などなど、キースがいらないことばかりを思い浮かべているのを、カイはなんとなく感じ取ったのか、
「俺が話します」
今までのことを説明する話し手に、カイ自ら名乗りをあげた。正しい決断である。
カイは、遠い昔の北の巫女の予言、そしてカイ自身とカイのきょうだいの話、それからキースが北の巫女の予言の救世主であるということ、クラウスという人物が北の巫女が予言した、世界を破滅へと導く魔法使いであるということ、あの「手」の魔物は、おそらくクラウスの配下のものであろうこと――、それらのことすべてをミハイルと宗徳に説明した。
しかし、カイはひとつだけ語らなかった。クラウスが、アーデルハイトの元恋人であるという事実だ。
「あれ? カイ、アーデルハイトとクラウスの関係は、言わないのか?」
「えっ……」
カイは、言葉に詰まる。
「それは、ええと、まだ、俺が打ち明けるべきでは――」
カイは、そこまでのデリケートな情報を伝えるのは適切ではないと判断したようで、言い淀んでいた。
が。
「さっきカイの言った通り、俺たちは、クラウスの暴挙を阻止するために、旅に出ているんだ! で、クラウスってやつは、アーデルハイトの幼なじみで恋人でもあった男なんだ! でも、そのことはアーデルハイトの気持ちを考えて、絶対に触れないでおいてくれ!」
なんの迷いもなくキースがあっさり全部言ってしまったので、カイは床に突っ伏してしまった。
「あれ? カイ。どした?」
「い、いえ……。なんでも……。そうですね。そういった事情も今後のことを考えて、話しておくべきなのかもしれませんね」
キースが言った「触れないでおいてくれ」という部分は、真剣な思いが強く込められた声になっていた。キースは、知らないことから生じる不要な会話のやり取りで、アーデルハイトが傷つくのを避けたかったのだ。
「……アーデルハイト殿は、キースの奥方なのか?」
思いがけない宗徳の質問に、カイとキースはその場に突っ伏した。カイ、本日二度目の突っ伏し。カイ史上、突っ伏し最高記録。
「な、なんだそりゃ!?」
キースが真っ赤な顔になる。
「ああ。そうですね……。そういえば、キースとアーデルハイトさんが旅の途中で出会ったということは話してませんでしたね」
肩を震わせ、あきらかに笑いをこらえながら、カイが言う。
「……僕は、お二人が恋人同士なのかと思っていました」
「ミハイルまで……!」
キースは耳まで真っ赤になっていた。
「だって、お二人は並んでいるのがとても自然だから」
「とてもお似合いですよね」
宗徳とミハイルはうなずき合う。
「ま、ま、ま、まさかっ……!」
キースが大きな声で叫んだ。どう言葉を選んだらいいかわからない、キースは慌てていた。だが、その様子で逆に宗徳とミハイルは、なにかわかってしまったようだ。
あたたかい微笑みを、キースに向ける。始まったばかりの柔らかな恋を見守るような――。
「お、俺が誰かのものになっちゃったら、そりゃあ世界中の美女が嘆くだろーなあ!」
いたたまれずキースは、顔を赤くしたまま心にもない戯言をほざく。
「そういうことにしておきますか」
カイが小声で呟き、いたずらっぽく笑った。
「はくしょんっ!」
アーデルハイトが、くしゃみをした。
「アーデルハイト! 大丈夫!? かぜ!?」
妖精のユリエが、心配そうな顔でアーデルハイトを見つめる。
「ううん……。誰か……。噂でもしてるのかな?」
当たりである。




