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旅男!  作者: 吉岡果音
第六章 未来へと続く過去
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第34話 台所で迎えるひとは――。

 見慣れた台所の入り口に、立っていた。


 あれ。


 アーデルハイトは、ぼんやりと台所を眺める。

 家族の歴史を刻み続ける白壁を、差し込む陽の光が優しく照らしていた。


 ことことこと。


 ハーブや野菜の香りが漂う。大きな鍋に、誰かがスープを煮込んでいるようだ。


 姉さんだ。

 

 後ろ姿でわかる。ちょっと懐かしい光景、と思った。


「姉さん……」


 呼び掛けてから、戸惑う。


 あれ? どうして結婚して家を出たはずの姉さんが……? それに、私、たしか――。旅に出ていたんじゃなかったっけ――。


「姉さん。どうしたの? 今晩はごちそうだね」


 疑問がわいていたが、アーデルハイトの口をついて出たのは、なぜかごく自然な普通の会話。

 フライパンや鍋、ボウルの中には、料理上手の姉がこしらえた手の込んだ出来立ての料理が、皿に盛りつけられるのを待っている。

 振り返った姉は、優しく微笑んでいた。


「今日は結婚記念日だから、ちょっと頑張っちゃった」


 ふうん。そうか。お義兄さんの好物ばかりだもんね。


 そう思いながらアーデルハイトは、ぼんやりとどうして今、自分が姉と台所にいるのか考える。


 ああ。そうか。これは夢なんだ。


 やっと気が付いた。

 柔らかなオレンジの陽光。アーデルハイトは、これは夕がたの設定かな、なんてことを思う。


「姉さんの料理は、ほんとおいしいもんね。お店ができるよ」


「アデール。あなたもそのうち、大切な人のためにご馳走を作るようになるわよ」


 姉は、アーデルハイトのことを「アデール」と呼んでいた。小さなころから、それはずっと変わらない。


「私は、たいしたもの作れないしなあ」


 アーデルハイトは肩をすくめる。料理の腕前は、まあまあといったところだった。


「彼は、どんな料理が好きなのかしらね」


 彼……? 彼って、誰のこと……?


 台所の中は、ごちそうの香りでいっぱい。


「ただいまあ」


 誰か帰って来た。


 あれ……? お義兄さんの声じゃ、ない。


「ほら。『彼』が帰って来たわよ」


 姉は、にっこりと微笑んだ。


 彼。彼って……?


 もちろん、クラウスの声ではない。


「うわー! ご馳走だなあ! ありがとー! お腹すいちったー!」


 いつの間にか、姉はいなくなっていた。

 そして、なぜか自分が鍋の前にいる。スープを作っているのは、アーデルハイトに変わっていた。


 あれ……? 彼って……。


「ごっはんー、ごっはんー!」


 キース!?




 そこで、目が覚めた。


「おはよー! アーデルハイト!」


 妖精のユリエの、元気いっぱいの声が耳に飛び込んできた。


「変な夢……。見ちゃった……」


 アーデルハイトは、ゆっくりと上半身を起こしたあと、ぼうっとしたまま呟いた。


「アーデルハイト! 顔が赤いよー?」


「えっ!? そお!?」


 アーデルハイトは、金色の長い髪を振り、勢いよくユリエのほうを見る。


 くらっ。


 あれ? なんか……。


 めまいがした。景色が揺らぐ。


「熱、あるんじゃない!?」


 ユリエが小さな手のひらを、アーデルハイトのおでこにつける。


「ああっ! 熱いよ! アーデルハイト、熱があるよ!」


「えっ!?」


 あれ……。なんか、ほんと、だるいし、寒いし……。気分も、悪い……。


 アーデルハイトは、ベッドに倒れ込んだ。


「大変! アーデルハイト!」




「……かぜですね。馴れない長旅で、疲れが出たのでしょう」


 宿屋に駆け付けた町医者が、穏やかな声でそう診断した。


「お薬を飲んで、ゆっくり休んでください」


「はい……」


 アーデルハイトは、ベッドに腰掛けた状態で、こくり、とうなずいた。

 熱があったが、そんなにひどいかぜではないらしかった。しかし、長旅の中の体調不良、無理は禁物である。

 町医者の隣にいた宿屋の主人の奥様が、にっこりと微笑んだ。


「よかったですねえ! かぜで済んで。まあ、とはいえ、油断してはだめですよ!」


「すみません……。かぜなんかひいちゃって……」


「うちのことは大丈夫ですよ! 入院するほどではないそうですから、この宿でどうぞ休んでいってください」


 とても親切な宿屋だった。この宿での滞在を、自ら勧めてくれた。


「あなたも動くのはお辛いでしょうし、他のお客様にうつる心配もないように、お食事はお部屋にお運びしますね」


「お心遣い本当にありがとうございます。お手数をお掛けしてしまうことになって、本当に申し訳ありません」


「あら! なあに、旅人さんにはよくあることなのよ! あなたは気にしなくっていいから、元気になることだけ考えなさい」


「本当にありがとうございます……」


「お医者様、宿屋さん、本当にありがとうございましたーっ!」


 一緒にいたユリエが、勢いよく、ぺこんと頭を下げた。




 ユリエからアーデルハイトの容態を聞いたキース、カイ、宗徳、ミハイルは、一様に安堵のため息をついた。

 アーデルハイトの体調が整うまで、この宿に滞在できるということも聞き、皆さらに明るい顔になった。


「親切な宿屋さんで、本当によかったですね」


 ミハイルの感想に、しみじみとうなずきあった。

 

「全然……。気が付かなかった……」


 ぽつり、とキースは呟く。


 枕投げなんて、してる場合じゃなかった……。


 キースは、昨晩の騒ぎを悔いていた。

 ミハイルと宗徳は、宿屋のご夫婦に改めてお礼を伝えるために部屋を出て、ユリエはアーデルハイトに付き添うため、アーデルハイトの休んでいる部屋に戻った。

 カイが、暗い顔のキースを見上げる。


「気付かなくても、仕方ないと思いますよ。ユリエも気付かなかったようですし」


「うん。でも――」


 長旅の疲労で、と医者は言っていたらしい。無理をさせてしまったのだろうか。アーデルハイトは、女性だ。頑丈な体の俺とは違う。もっと気を付けるべきだったんじゃ――。


「キースは、大丈夫ですか」


「え」


 思いがけないカイの質問に、少しうなだれていた顔を上げる。


「キース。あなたも人間です。自分の体調も、ちゃんと心配してあげてくださいね」


「俺は、この通り元気で――」


 枕投げで、はしゃいでいたくらいである、元気いっぱいに違いなかった。しかし、カイは包み込むような笑みを浮かべていた。


「よかった。キース。でもたぶん、ちょうど疲れが出るころなんですよ。休みを入れるべきときだったんですよ」




 夕食後、キースたちの部屋にユリエが来た。


「アーデルハイト、ちゃんとごはん全部食べたよー。だいぶ熱も下がったみたい」


 ごはんは、おかゆっていうものにしてもらって、量も少なめみたいだったけど、ゆっくりおいしそうに食べてたよ、とユリエは付け足した。ユリエは、ひとことひとこと力を込めて、やたらはきはきと話していた。


「そうか」


 キースは、ユリエの全力の詳細報告に、微笑みで返す。ユリエはどうやら、今アーデルハイトの最新情報を知っているのは自分だけ、キースたちが安心するように、なるべく細やかに説明する義務が自分にはある、その責務を全力で果たすのであります、そう決意しているかのようだった。


「キース」


 ユリエのまっすぐな瞳が、キースを見つめていた。


「心配でしょ、顔に書いてある」


 笑顔を浮かべていたつもりだったが、やはり心配する気持ちが表情に出てしまっていたようだ。


「ちょっとお見舞い、するー? アーデルハイトもキースと早くお話したいだろうし」


「え」


「うん、そうしなよ。アーデルハイトも、きっとみんなが今どうしてるか知りたいはずっ」


 キースがみんなの代表ね、とウインクするユリエに促され、アーデルハイトとユリエの滞在する部屋を、キースだけ訪れることになった。


「アーデルハイトー、キースが来てくれたよー。ちょっと今、いいー?」


 ユリエがとんとん、と扉をノックする。少しだけ間があってから、


「どうぞ」


 と、中からアーデルハイトの声がした。

 一歩部屋に入ると、ベッドの上に腰掛けるアーデルハイトの姿があった。


「横になっていなくて、大丈夫か?」


「うん。もうだいぶ落ち着いたから」


 アーデルハイトは、自分の髪を撫でるような仕草をしていた。髪が乱れていないかどうか、気になっているようだ。


「……キース」


 アーデルハイトの、戸惑いがちな視線。


「ん……?」


 アーデルハイトは、意を決したようにキースを見つめた。


「ごめん……。私のせいで、足止めしてしまって……。カイにも――」


「謝る必要なんてない。カイだって、今休みを入れるタイミングだって言ってた。だから、気にしなくて大丈夫だよ」

 

 カイの言葉を急いで伝えた。アーデルハイトが自分自身を責めているのを感じたから。


「……ありがとう」


 アーデルハイトの表情が、ゆっくりとほどけていく。


「アーデルハイトは、なにも心配しなくていい。カイのことも、この宿のことも」


「うん……」


「アーデルハイト。こちらこそ、ごめん。全然、気付かなくて――」


 アーデルハイトは、少し驚いた顔をした。どうしてキースが謝るのだろう、と思ったようだ。


「疲れるだろうから、じゃあ」


 アーデルハイトに背を向け、部屋を出ようとした。


「キース」


 後ろから、呼び止めるアーデルハイトの声。


「ありがとう。声が聞けて、よかった」


 熱っぽいせいだろうか、アーデルハイトの頬は染まり、瞳は潤んでいた。


「俺も、声を聞けて顔を見れて、安心した」


 なんだろう、と思った。


 ほんの数時間、離れていただけなのに。すごく久しぶりみたいだ――。


 あたたかな思いが、胸に広がる。

 にこにこと、キースとアーデルハイトを交互に見つめる、ユリエ。

 

「じゃあ、おやすみ」


「うん。ごめんね。おやすみ」


 アーデルハイトが横になるのを見る前に、キースは部屋を出た。


「キースが来てくれて、よかったね!」


 扉の向こう、ユリエの弾む声が聞こえた。




 アーデルハイトは、ゆっくりと眠りについた。

 懐かしい、自分の家。庭の花々が、そよ風に揺れている。

 玄関の扉を、誰かがノックする。


「ほら。アデール! 『彼』が、来たわよ!」


 夢の中で、姉さんが笑っていた。

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