第31話 忠誠
魔族の住む魔界。そして、その魔界の中でも、暗く寂しい辺境の森の中に、ひっそりと佇む屋敷の一室。
ビネイアは、長椅子に力なく横たわっていた。額に手を当て、苦しげな表情を浮かべている。
「ビネイア様!」
扉をノックするやいなや――無礼にならないようわずかな間を置いてはいたが、それももどかしいといったような勢いだった――すぐに響いた男性の声。
「……ギルダウスか……。入れ」
ビネイアがゆっくりと顔を上げ、声の主の入室を促す。美しい額に、うっすらと汗がにじんでいる。
「ビネイア様……、大丈夫ですか!? 失礼ながら、ご様子が……」
ギルダウスと呼ばれた男は、背が高くがっしりとした立派な体格をしていた。モスグリーンの軍服に身を包み、高位の階級を示す階級章を付けている。闇夜のような黒い髪に黒い瞳、そして真面目そうな端正な顔立ち。一見、魔族ではなく普通の人間に見えるが、「魔」の気配を強固な意志で律しているだけで、その鋭い漆黒の瞳の奥には底知れぬ恐ろしい力が秘められているようだ。
「大丈夫だ……。少し、疲れただけ……」
ビネイアは、けだるそうに答えた。声にも、疲労の色が現れていた。
「予想外だった……。退魔士までいるとはな……。少し甘く見ていたようだ」
「ビネイア様……」
「まあいい……。それでこそ戦いがいがあるというもの……。ふふ……。北の巫女の予言の者め、面白い者どもを味方につけたようだな――」
「ビネイア様! 私が行って連中の息の根を――」
ビネイアは片手を挙げ、ギルダウスを制する仕草をした。
「ギルダウス。よい。そなたはこの辺境の森と、皆を守っていてくれればそれでよい」
ビネイアはギルダウスに微笑みを向けた。魔族の、冷たい氷の微笑み――、しかし、その中に精一杯の優しさ、思いやりが込められていた。
「ビネイア様……」
ギルダウスはひざまずき、深く一礼をした。
頭を深く下げたギルダウスに、ビネイアは呟く。
「わが国の再興は我々の悲願――」
「ビネイア様! 私はそのためにこの身を捧げる所存です――!」
「私は、クラウス様と共に、光の大地に新しいわが王国を築くのだ――!」
ビネイアの口からクラウスの名を聞き、頭を下げたままのギルダウスの顔はほんの少し曇ったようにも見えた。
「私は――、命を掛けてビネイア様をお守りいたします――!」
ギルダウスはさらに深く頭を下げ、忠誠を誓う。
「魔界であろうと、光溢れる大地であろうと、どこまでもビネイア様に付き従い、お守りいたします。この命の炎が尽きるまで――!」
きびきびとした動作で立ち上がり、一礼してから退室するギルダウスの背を、ビネイアは見送る。
ふう、とため息ひとつ。ビネイアは、瞳を閉じた。
ギルダウス。すまぬな――。
目を閉じて思い出すのは華やかだった城、父王や母君、大勢の忠臣たち。今では辺境の地、そしてギルダウスと数人の家来のみとなってしまった。
いつか、また豊かな国を――!
知らず、握りしめる手に爪の先が食い込む。力なく、首を振る。
今は、まだだ――。焦ることなく、ただクラウス様についていくのだ……。
クラウスを、心に思い浮かべる。美しい金の髪を、静けさに包まれた湖のような瞳を。
そして、心地よい闇に身をゆだねた。
「うわあ! すごいですね! 『翼鹿』ですね! ペガサスも珍しいですが、『翼鹿』も珍しい!」
宗徳の乗ってきた動物を見て、ミハイルは大きなハシバミ色の瞳を輝かせた。翼の生えた鹿である「翼鹿」は、非常に珍しい動物だった。
そういうミハイルは、金色に輝く美しいドラゴンを連れていた。
「ミハイルさん。この子はなんていう名前なの?」
アーデルハイトが尋ねる。
「オレグ、といいます」
オレグは大人のドラゴンのようだった。まだ子どものドラゴンであるゲオルクより一回り以上大きく、落ち着いた佇まいである。
ペガサスのルーク、ドラゴンのゲオルク、そして翼鹿の吉助は、ドラゴンのオレグと親しげに挨拶を交わした。
「オレグ、よろしくね!」
妖精のユリエもにこにこと挨拶をする。皆の歓迎を受け、オレグは嬉しそうに目を細めた。
「ゲオルクも、だんだん脱皮の時期ですね」
そう言いながら、ミハイルはゲオルクの首の辺りを撫でてあげていた。
「え……? そうなの?」
主人であるアーデルハイトも気付かなかったようだ。
「たくさん食べて、たくさん眠りますよ。そして、脱皮します」
「そういえば……! 旅に出てからゲオルクは、食事の量も睡眠の時間も増えているわ! たくさん飛んでいるからと思ったんだけど……」
「ふふ。楽しみですね」
ミハイルが爽やかな笑顔を向ける。
「へえーっ! そうなんだあ!」
キースが驚きの声を上げた。ゲオルクの顔はどこか誇らしげに見える。僕はもっと大きくなるんだ、すごいだろ、と言っているようだ。
「脱皮って……。脱皮した皮は、どうなるんだ?」
キースもゲオルクの頭を撫でてあげる。ゲオルクは、嬉しそうに頬をすり寄せている。
「脱皮した皮は、ゲオルクが自分で食べちゃいます」
「へー! すげーな! 見たいな! ドラゴンの皮!」
「財布に入れると、金運が上がる、といわれています」
「なにっ!?」
キースが、ちらり、とゲオルクを怪しい目つきで見る。
「ゲオルク……」
「きゅ……?」
ゲオルクが、小さく鳴いた。
「脱げーっ!」
「きゅうっ!?」
ゲオルクは、思わず逃げ出す。
「ははは! 脱げー! ゲオルク! 脱いだ皮、お財布にちょっとだけ分けてちょーだい!」
「きゅーっ!」
木漏れ日の中、逃げ回るゲオルク、追うキース。太い木の幹の周りを、ぐるぐるしていた。
「こらーっ! キース! 服みたいに簡単に脱げるわけないでしょーっ!」
見かねたアーデルハイトが、キースを叱りつけた。
「はははは! 待て待てーっ! ゲオルクーッ!」
「きゅー!」
ゲオルクが、どたどた逃げる。ゲオルクは、キースがふざけて言っているのがすっかりわかっているようで、楽しそうに大騒ぎする。
ミハイルと宗徳は、呆然と大の大人がふざけてドラゴンを追い掛け回している様を眺めていた。
「……キース殿」
宗徳は、目が点になっていた。あの鮮やかな剣さばきを見せつけた男が、まるで子どものように、と呟きつつ。
「まるで別人だな」
先ほどの、恐ろしい敵との戦いが嘘のようだ、と腕組みした。
「いえ。こっちが素のキースです」
カイが若干頭を抱えながら、返事をした。
「……もしかして、いつもこんな感じなのですか?」
ミハイルも呆気にとられつつ、カイに尋ねる。
「はい……。いつもこんな感じです」
なんとなく、カイは頬を赤らめうつむいた。うちの主人がすみません、などと言い添えかねない様子だった。
「あれっ!? ゲオルク、背中にファスナーみたいなのがあるぞ?」
そうこうしているうちに、キースがゲオルクの背になにかを見つけた。
「そんなわけないじゃないっ! 服を着てるんじゃないんだからっ!」
アーデルハイトが、キースの報告を全否定した。
「でも、これ……」
ちー……。
キースは、そのゲオルクの背のファスナー状のものを引っ張ってみる。
ぱかっ!
「ああっ!」
一同思わず声を上げる。
綺麗に、まるで服を脱ぐようにゲオルクの皮がむけてしまった。
そして器用に皮を脱いだゲオルクは、一回り大きくなっていた。
「きゅー!」
ゲオルク、誇らしげに、一声。
「ええーっ!? ドラゴンの脱皮って、こんな感じなのっ!?」
アーデルハイトが驚きのあまり叫ぶ。
「い、いえ……。通常はこんな感じではないと思いますけど……」
ミハイルも、目を丸くしていた。
「すごいぞっ! ゲオルク! よかったなあ! 大人になったんだなあ!」
キースが満面の笑みで称える。
「きゅう!」
嬉しそうに返事をしたゲオルクは、すぐに自分の皮をもぐもぐと食べ始めていた。
「よかったねえ! ゲオルク!」
妖精のユリエも、笑顔でゲオルクの周りを飛び回り、祝福してあげた。
「きゅー……」
皆が見守る中、ひとしきり食べ終えると、ゲオルクは皮をいくつかの欠片にして、口にくわえた。
ゲオルクは、キース、アーデルハイト、宗徳、ミハイルとそれぞれの前、順番に立ち、小さな皮の欠片を一枚ずつ渡す仕草をする。
「ゲオルク……、まさか……」
「これを、お財布に入れろって、言ってるの……?」
綺麗な、透明な欠片。ゲオルクの成長の証。
「きゅう……!」
キースとアーデルハイトの問いに、元気よくうなずいた。
「ゲオルクーッ! お前、なんていい子なんだあ! お母さんは嬉しいぞ!」
キースが叫んだ。そして、ひし、とゲオルクの首に抱きつく。
「キースはお母さんじゃ、ないじゃない!」
うっかり感動のシーンになるところだったが、容赦なくアーデルハイトがツッコミを入れる。
「きゅう!」
「ドラゴンに、気を遣わせてしまった……。かたじけない……」
宗徳は皮をもらうと、深々と一礼した。皆も口々に、ゲオルクに礼を述べた。
「すごいねっ、ゲオルク!」
ユリエが、ぱちぱちと拍手をした。
その後、入店した店で、アーデルハイトは来客数一万人記念として、多額の商品券と記念品をもらってしまった。
宗徳は、その店の福引で特賞に当選し、高額の現金を手にした。
ミハイルは、ずいぶん前を歩いていたおばあさんの落とした財布を、走っていって拾ってあげたところ、めちゃくちゃ感謝され、礼金を渡された。ミハイルは丁重にお断りしたが、その対応がまた嬉しい、そして孫みたいにかわいくていい子だねえ、と大いに感激され、礼金はさらに上積みされ、大金をもらってしまった。辞退すればするほど、受け取れませんと断れば断るほど、おばあさんは礼金を上積みしようとするので、ありがたく頂戴することになってしまった。
キースは、石につまずいて盛大にこけたところ、温泉が噴き出し、土地の所有者から謝礼として莫大な現金をもらってしまった。
ドラゴンの皮、恐るべし。
命の炎が尽きるまで、アーデルハイト様や皆様にお仕えするのだ――!
そうゲオルクが思ったかどうかは、定かではない。




