第30話「チーム昼飯」集結!
それは、突然だった。
つい先ほどまで、刷毛で描いたような白い雲が流れ、鳥のさえずりが響いていたはずの、空。
その空に、ありえない異変が生じていた。
青空から、巨大な「手」が現れていたのだ。褐色の肌の肘から下の手の部分だけが、ただ空に浮かんでいた。滑らかな輪郭や長い爪の美しい指から、女性の手のように見えた。
なにかを掴み取ろうとしているかのように、「手」は地上へ向けられている――。
「うわっ! なんだあれは!」
魔法など特殊な能力を持たないキースでも、降りてくる巨大な「手」は見えた。
「きゃああああっ!」
通りを歩く人々の目にも、同様に見えていたようだった。恐怖のあまり、叫び逃げ惑う人々。
不気味な「手」は、宙をかき回すように蠢く。
「キース!」
キースの名を叫んだあと、カイが、剣の姿に戻る。キースは「滅悪の剣」をその手に構える。
「魔物め……!」
宗徳も、キースと同時に刀を抜いていた。
「あれは……! きっと、あの『目』の持ち主……!」
アーデルハイトにはわかった。この「手」は、空に唐突に現れた巨大な「目」と同一のものだ、と。
キースと宗徳が、空の手に向かい駆け出した、そのとき――。
「闇の者よ、地の底へ帰れ!」
空気を震わすような大きな声がした。若い男性の、はっきりとした声だった。言葉の内容や迫力から、呪文だ、とキースは気付く。
「ミハイル!」
キースは、思わず叫ぶ。「手」に向かって呪文を発したのは、小柄な青年、ミハイルだった。ミハイルは、童顔のかわいらしい顔をしているが、「手」に立ち向かおうと呪文を唱えたその姿は、とても凛々しく堂々と気迫に満ちていた。
「大気の精霊、風の精霊、禍々しき者を清い風にて吹き払え!」
ダンッ!
ミハイルは呪文を唱え、手に持った大きな魔法の杖の先で強く大地を打ち鳴らした。
瞬間、魔法の杖から同心円状にまばゆい光があふれ出す。
ごうっ、と強い風が巻き上がった。
強い風が「手」に向かって吹き荒れる。しかし、「手」はミハイルに向かっていく。
「くっ……」
ミハイルの顔に苦悶の色が現れていた。
俺が、斬る……!
キースが宙高く飛び上がりながら、滅悪の剣で巨大な「手」に斬り掛かった。滅悪の剣は強い青の光を輝かせ、空に大きな弧を描く。
宗徳も、大地を蹴って高く跳び上がり、「手」に一太刀浴びせていた。
「手応えがねえっ!」
着地すると同時に、キースが叫んでいた。確かに斬りつけたはずなのに、どういうわけか手応えを感じなかったのだ。
「キース殿も、そうお感じか……!」
宗徳も、同様の感想を抱き、戸惑っているようだった。
しかし、二人の感覚とは裏腹に、「手」は強い風に巻かれながら輪郭を失っていく。ミハイルの魔法の風が吹き続ける。
そして――、謎の「手」は、完全に消えてなくなった。
まるで今までの現象は悪い夢か幻だったかのように、広がる青空。
「キース……!」
ミハイルが、キースと宗徳のほうを驚いた顔で見つめる。ミハイルの息は、術を使ったため少し乱れていた。
「ありがとうございます……! あなたがたの力強い援護がなければ、僕は負けていたかもしれません」
「でも手応えが……、なかった……」
キースが呟き、宗徳もキースの言葉を肯定するようにうなずいている。ミハイルの言葉に二人とも納得できないでいた。
ミハイルは、俺と宗徳をねぎらうために、あるいは謙遜して、そう言ったのだろうか?
そんな考えが浮かんだが、ミハイルの大きな瞳は青空のように澄んでいた。
「あれは、実体ではありません。どこか別のところに本体があるのでしょう。あなたがたの感覚で手応えがない感じがするのはそのためです。しかし、あなたがたのあの攻撃のおかげで助かりました」
ミハイルの呼吸はもう整っていた。ミハイルは改めてキースと宗徳に礼を述べた。
「そうか……」
キースは、ミハイルのハシバミ色をした大きな瞳を見つめる。
「そんなことより……! ミハイル! ミハイルじゃないかーっ!」
キースが嬉しそうにミハイルの背中をばんばん叩く。
「『そんなことより』!? あんな強力な魔物が現れたのに、『そんなことより』!?」
ミハイルは口をあんぐりと開けた。
「あんな恐ろしいものと戦ったのに、そのことより僕と再び出会ったことのほうがすごいとでも……!?」
ミハイルは速攻で、キースに問い掛けていた。
「すごいな! ミハイル! かっこいいじゃん!」
キースはミハイルの問いをさらりと聞き流し、満面の笑みだった。
「か、かっこいいって……」
ミハイルは、あぜんとしているようだった。
「こんな非常事態、まずお互い色々訊くことや話すことがあるだろうに、優先されて出た言葉が『かっこいい』って――」
小さく首を左右に振り、ちょっと呆れているようでもあった。
「キース! 宗徳さん、カイ! それから、ええと、ミハイルさん……! 大丈夫……!?」
アーデルハイトも妖精のユリエも、とても心配そうにキースと宗徳、そして滅悪の剣となったカイ、それからミハイルと、全員の顔を見つめていた。
「大丈夫だ。カイも平気だよな?」
キースは、アーデルハイトとユリエに笑顔を向ける。カイは剣の姿のままで、少し迷っているようだったが、少しの時間のあとミハイルの前で人の姿に変身した。
「大丈夫です。アーデルハイトさん。ユリエ」
「ええっ!? あなたは……!」
ミハイルは、ただでさえ大きな目をさらに大きくして、叫んでいた。目力、マックスだ。
「はい。カイです。俺は人ではありません。俺は、剣なんです」
「どうりで……! カイさんは、不思議な気配を持っているなと思っていました」
ミハイルも宗徳同様、カイについて人ではない気配を感じていたようだった。カイの変身を目の当たりにしたことには驚いたが、逆に剣だと知って腑に落ちた、そんな様子だった。
「宗徳といいミハイルといい、それからアーデルハイトもだが……、すげえな! なんかわかるんだな! 俺だったら、ぜんっぜんわかんねー! わかんねー度合としては、数学のテストよりわかんねーかもしれない」
キースが笑いながらそこまで言って、
「あ。待てよ。数学のテストのほうが、もしかしたら……」
と、腕を組んでうつむき、なにやらぶつぶつ言いだしていた。
「まったく難しいよな! 数学ってやつ! お菓子を五個ずつ配ると四個余り、七個ずつ配ると六個不足とか――、お菓子なら最初に人数確かめてから買えよって思うんだが!? てゆーか、最初に配り始めた時点で人数わかるよな!?」
キース、それ数学じゃなくて算数ですよ、それに計算式を考えさせる例題だし実際のお菓子配りの話じゃありません、と一斉にツッコミが入った。
「実際にお菓子配りする人は、この計算式を頭に思い浮かべているのだろうか」
「実際にお菓子配りする人は、初めから人数わかってます」
キースとカイが無益な会話をしたあと、沈黙が流れた。沈黙を破ったのは、ミハイルだった。
「キースさん、カイさん、アーデルハイトさん、ユリエさん、それから――」
ミハイルが一同の顔を見渡す。宗徳を見て、どこかで会ったような、というような感じで小首をかしげた。
「俺の名は、宗徳という。あのとき、俺もあの食堂でキースに昼飯をおごってもらった」
「ああ! やっぱり! 見覚えがあると思いました!」
たちまち、ミハイルの顔が輝いた。
「俺も、キースたちと一緒に旅をすることにしたんだ」
そう言って宗徳は、はにかみながら嬉しそうに笑った。
「ミハイルさん」
アーデルハイトが、ミハイルのほうに向き直った。
「あの『手』は、おそらく私たちを狙っていたの。前には『目』が現れたの――。でも、まだ向こうも明確に私たちのことをわかってはいないみたい。この辺りだろうと目星をつけ、手あたり次第に人を襲おうとした、そんな感じに見えたわ――」
「なるほど――。手あたり次第襲う、そんな感じはしましたね。でも、あなたがたを狙っていたんですか……? なにか心当たりでもおありなんですか――?」
「あるよ! 大ありよ!」
キースが大声で答えていた。
「間違いない! あいつの狙いは、俺だ!」
キースが声高に叫ぶ。
「え……。キースさんが……? どうして――」
「俺が、かっこいいからさ!」
すぱーん!
思わずカイが、キースの頭を履いていたブーツで叩いた。
「なんでっ!? なんでわざわざブーツを脱いで叩く!? その手間暇、そしてその素早さ、無駄過ぎないか!?」
キースが納得いかない、という感じで叫ぶ。叩かれたこと自体より、その方法が納得いかないようだ。
「さっきの算数の話より無駄じゃありません。でもここにスリッパがあれば、なおよかったんですけど……」
カイが残念そうに呟く。
「スリッパで叩くのがこの瞬間のベストチョイスだったのか!?」
「そうね。スリッパのツッコミ対応が正解ね」
アーデルハイトが、うんうんとうなずく。
「アーデルハイトまで!」
「キース。冗談を言ってる場合ですか」
カイがブーツを履き直しながらキースをたしなめる。「ブーツツッコミ」は、やはり手間だよなあ、ご苦労さん、とキースは心の中でカイをねぎらう。ねぎらう必要は、別にないのだが。
「魔物に狙われているんですか――」
ミハイルが呟く。キースとカイの一連のやり取りは、受け流すことにしたようだ。
「……ノースカンザーランドまで行く、とおっしゃってましたよね?」
ミハイルが全員の顔を見た。
「僕も、同行させてください――! もともと、僕は魔物を退治することで修行しているのですし、僕もノースカンザーランドを目指していましたし!」
「えっ!? ミハイル! いいのか――?」
思わずキースが訊き返した。
「はい! 僕は、退魔士です。必ず皆様のお役に立てると思います!」
「まさか、お前まで昼飯をおごった恩返しに、なんて言うんじゃないだろうなあ……?」
キースの質問に、ミハイルがにっこりと笑った。
「はい! その、まさかです!」
元気な声でミハイルは答えた。
「宗徳といい、ミハイルといい、みんな律儀だなあ!」
また一人、かけがえのない仲間が加わった。
「よろしくな! ミハイル!」
「よろしくお願いいたします!」
それぞれがそれぞれの顔を見合わせ、笑顔が花開いていた。
ミハイルまで……! 一人故郷の村で暮らしていたら、おそらく出会うことのなかった仲間たち――! 旅って本当にすごいな――!
爽やかな風が吹いた。心地よい風に包まれ、新しい力が湧いてくるように感じられた。
ミハイルが、空を見上げていた。
「あ。笑ってる。大気の精霊や風の精霊たち――」
ミハイルには、不思議な存在たちの、新しい旅立ちを祝う楽しげな笑い声が聞こえているようだった。




