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07 ホットケーキはまだ私だけのもの



 いってらっしゃいのちゅーは、不本意なことに習慣化してしまった。

 不本意って言っても、別に嫌なわけじゃないんだよ。心臓がいくつあっても足りないってだけで。

 毎回、ケイトが出て行ってからひとり身悶える羽目になるのに、やめてとは言えない。言いたくない。

 どれだけ恥ずかしくたって、ケイトにさわってもらえるのは……うれしいから。


 思わず今朝のキスを反芻してしまって、私は激しく首を振る。

 今、私は町中にいる。奇声を発したりゴロゴロ転がったりしたら完全な不審者だ。

 それでなくても、ケイトのことを考えるだけで百面相になるのに!

 自分じゃわからないけど、変な顔ってよくケイトに笑われるから、外では気をつけないと。


「あ、お姉さん、こんにちはー!」


 道の先にいた顔見知りに声をかける。

 お姉さんこと古本屋の店主さんは、お店の前の掃き掃除をしていた。


「あらコハナちゃん、旦那さんは?」


 旦那さん! 旦那さんだって!

 何度聞いても慣れなくて、照れやらうれしさやらで頬がゆるんでしまう。

 ケイトは今、私の旦那さん。

 二人旅のための偽装だと思ってたけど、どうやらケイト的にはそれだけじゃないみたいだ。へへへ……。


「ケイトはまだお仕事! 私は納品ついでにお散歩です」


 右も左もわからない異世界のひとり歩きは、何もなくてもとっても刺激的。

 24時間ケイトと一緒にいられるわけじゃないから、習うより慣れろってことで、空いた時間は比較的自由に動き回ってる。

 ケイトに近づいちゃいけないって言われたところは避けてるし、絶対安全装備の腕輪があるし。

 そもそもが最初の滞在場所としてケイトが選ぶくらい治安のいい町だから、それほど心配していない。


「なるほどね。そのあとは旦那さんのお迎えかしら? ラブラブねぇ」

「ううん、来るなって言われてます。荒っぽい人もいるから危ないよって」


 誰かに聞かれたときのために、と事前にケイトが考えておいてくれた理由を答える。

 まるきり嘘でもないけど、本当は、それだけじゃない。

 どうやって突き止めたのか、つい数日前からあの怪しい魔法使いがご飯を食べに来るようになってしまったらしい。

 一店員でしかないケイトは、お客さんとして来ている彼を追い返すわけにもいかない。もちろん話しかけてきたら応えないといけない。

 どうにか適当にいなしながら裏方に回ったりしているらしいけど、最近のケイトはちょっとお疲れ気味だ。

 そんな状態だから、現在は完全に入店禁止令が出てしまった。


「あらあらあら、ラブラブねぇ」


 お姉さんは上機嫌に笑いながら、さっきと同じことを繰り返す。

 本当にラブラブに見えてるならうれしいけど、お姉さんの場合はただそう言いたいだけなのかもしれない。


「暇ならちょっと見ていかない? ちょうど新しい本が入ったところなの」

「わぁ、ありがとうございます!」


 お姉さんに誘われるままに、私はお店にお邪魔することにした。

 元の世界ではそんなに本を読むほうじゃなかったけど、娯楽の少ないこの世界では読書は大事な趣味の一つ。

 それに、こっちの文字に慣れるための教材にもなってくれる。

 自由に使えるお小遣いにはまだ余裕があるし、本当に見ていくだけになったとしてもお姉さんは怒ったりしない。


 そんな軽い気持ちで入った古本屋さんで、私は運命の出会いをすることになる。



  * * * *



 とある大陸、とある国に、わるい魔法使いがいました。

 わるい魔法使いは、世界は自分のものになるべきだと思っていました。

 白い雪の島。緑の森の島。赤い山の島。青い湖の島。金の光の島。

 強大な力を持つという精霊の領域へ、わるい魔法使いは無遠慮に踏み込みます。


『ケケケ、オレに力を貸せ。さもなくばこの森ともども燃やしてやるぞ』

『どうかお許しを。力ならばお貸しします、我らが王』


 脅された精霊たちは泣く泣く力を貸し、わるい魔法使いはさらに力をつけていきます。

 このままでは世界がわるい魔法使いのものになってしまいます。

 血も涙もないわるい魔法使いに支配されれば、どれだけ苦しい日々が待っているかしれません。

 今日はまだわるい魔法使いに支配されていないと安堵し、いつわるい魔法使いが自分たちを脅かすのかと怯える日々が続きました。


『わるい魔法使いめ。もうお前の好きにはさせない!』


 そう言ってわるい魔法使いの前に立ちはだかったのは、金の髪を持つ、勇者と呼ばれる者でした。



  * * * *



「わるい魔法使いのはなし?」


 帰ってきたケイトに、私は真っ先に衝動買いした絵本を見せた。

 じゃじゃん、と私が掲げた絵本のタイトルを読んで、ケイトは目をぱちくりとさせた。


「これね、ケイトが載ってるんだよ!」


 精霊を脅して世界征服を企むわるい魔法使いを、勇者がこらしめるお話。

 昔話でよくある、いたってシンプルな勧善懲悪だ。

 でも、その主人公のモデルが大好きな人なら、それだけで最高の物語に思えた。

 興奮しながら語る私とは対照的に、ケイトは涼しい顔を崩さない。


「ああ……これか。これなら俺が勇者やってた時代にも似たようなのあったよ。もちろん、モデルは俺じゃない」


 私から受け取った絵本を、ケイトは大して興味なさそうにペラペラとめくる。

 ガガーン、と私はショックを受けた。


「えっ、だって金髪だし! 目も茶色っぽいし、似てるよ!?」

「目は茶色っていうかただの点でしょ、これ。髪型なんかは偶然の一致。それにこの髪は女神の祝福でこうなったんだから、たぶん勇者は全員金髪だよ」


 ケイトは自分の髪をつまみ上げながら至極冷静なツッコミを入れる。

 言われてみれば、デフォルメされてる勇者はそれほど目立った特徴があるわけじゃない。

 勇者といえばケイト、っていう私の偏った認識のせいで似てるように見えてしまっただけらしい。


「この絵本はただの勇者賛美で、俺個人とはまったく関係ない。化け物って恐れられて、最後は罪人扱いの勇者を、後世に語り継いだりしないでしょ」

「そ、そっか……」


 きっぱり言われてしまえば、そういうものだって納得するしかなかった。

 反論できる要素が見つからなくて、スカートの裾をぎゅっと握り込む。

 勝手に舞い上がって、当の本人に指摘されて。

 まったく何やってるんだろう。


「落ち込んでるの? 絵本読んであげようか?」

「また! また子ども扱い!」

「だって、実際こんな子ども向けの本買ってくるし」


 ケイトは言いながら手に持った絵本を軽く振る。

 表紙の勇者は、ケイトによく似たきれいな金髪の少年で。

 自信満々に、俺が勇者だぞって顔で、笑っていて。

 もしかしたら、過去のケイトもそんな顔をしていたのかもしれないって思ったら、たまらなくなった。


「……ごめん」

「どうして謝るの?」

「いやなこと、思い出させて」


 仲間の、愛した人の裏切りは、深く深くケイトを傷つけた。

 救ったはずの国に切り捨てられた過去は、ケイトから生きる意味を奪った。

 もう200年も昔の話かもしれない。

 でも、決してなかったことにはならない。


「別に、小花ちゃんが気にすることじゃないでしょ。過去は過去で事実は事実。あのときの人間なんてもう誰も生きてないんだから、今さら傷ついたりもしないよ」


 ケイトの声音からはなんの感情も読み取れない。

 もしかしたら、本当に今の彼にとってはどうでもいいことなのかもしれない。

 過去は過去だってしっかり割り切れているのかもしれない。

 でも……。


 だったら、なんで。


 ケイトはこの世界に馴染もうとしないの。


 私を守ることにだけ力を尽くして、私の進む道を整えることにだけ心を砕いて。

 今の自分は私のためだけに存在してるみたいに振る舞って。

 本当に過去がただの過去なら、今を生きている人たちと、もっと交われるはずなのに。

 私にばっかり執着しないで、もっと、自分のことを大事にできるはずなのに。


「……勇者やってたケイトが、ちゃんと認められてたなら、うれしいなって思ったの」


 そしたら。

 過去のケイトのしたことにも意味があったって、思ってもらえたら。

 ケイトはもっと、自然に笑ってくれるんじゃないかって。

 自分のために生きてくれるんじゃないかって。

 考えなしにも、そんな期待をしてしまったんだ。


「小花ちゃんは本当に性善説で生きてるよね。自分の利益のためならいくらでも汚くなれるのが普通の人間だよ。おばかな小花ちゃんにはわからないかもしれないけど」


 そんなことない、なんて言えなかった。

 自分じゃ想像もつかないようなひどい人が現実にはいるんだって、頭ではわかってる。

 わかってるつもりでいるだけなんだって、こういうときに思い知る。

 ケイトは実際に経験した。信じていた人たちに裏切られて、絶望を知って、人の愚かさも醜さも嫌というほど見せられた。

 私だけが生きる意味だって言い切ってしまえるケイトは、もう絵本の表紙みたいに少しの陰りもなく笑うことはできないのかもしれない。


「……くやしい」


 思わずそうこぼすと、大きな手が頭の上に振ってくる。

 ひどく慎重に頭を撫でる手の優しさが、切なくて。

 こみ上げてきたものの止め方がわからなくなってしまった。


「泣かないで、小花ちゃん」


 その言葉に顔を上げると、ケイトは途方に暮れたような表情を浮かべていた。

 まるで、迷子の子どもみたいだなって思った。

 私もケイトも、ふたりして迷子なのかもしれない、なんて思った。

 そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。

 もう、どんな言葉をかければいいのか何もわからない。

 ただたまらない気持ちのままに、私はケイトに抱きついた。


「こはな」


 しっかりと受け止めてくれたケイトは、私の耳元で名前をささやく。

 心臓の中心を揺らすような、切実な響きで。


「俺には、君がいればそれでいいよ」


 ああ、ケイト、違うんだよ。

 私が欲しいのは、そんな言葉じゃないんだよ。


 彼はきっと、私を慰めようとしてくれたんだろう。

 100パーセント私を思っての言葉で、100パーセント混じりけのない本心で。

 それがわかっちゃったから、余計に涙が止まらなくなった。

 たぶんケイトも違うってわかってる。わかっていても他になかったんだ。

 ケイトはもう、私に嘘をつけないから。



 ほかほかしたホットケーキ色の瞳が、私以外なんにも見ようとしないのが。

 そんなケイトにしてしまった、この世界が。


 やっぱり寂しくて、くやしかった。







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