第八話 地下壁外へ
巨大な窓はガラス製の壁にさえ思えた。壁にべったり手をくっつけて外を見ると、遠くにセントラルシティの中央部――――メインシステム課の高層ビルだったものが見える。
今は街の象徴でもあった青い高層ビルも、ビルの外壁データが殆ど削げ落ちどす黒く淀んだ色をして、以前の形を忘れ去っていた。勿論それはビルだけではなく、街全体が同じような状態か、それ以上の壊滅的被害を受けている。住居の構成プログラムは食い荒らされ、保存されていた各企業の商品データは跡形も無い。
廃墟と化したと言っても過言で無い状況の中、淀んだビルの頂だけ煌々と光っている。目を凝らしてみれば、それが四角い何か…。風と光を纏う一冊の分厚い本であることが分かる。大きい口を開けるように本はガバリと開いて、ドルフィンからプログラムやデータを吸収していた。
「あれをどうにかしないと、この世界は終わってしまうね」
「この世界は、じゃねえ。アイツがもしドルフィン以外のツールへ移動出来るようなものなら、全てのネットが終わりを迎えちまう」
オズワルドさんの言葉を上書きするように言い直すのは、久しぶりに見たナナシさんだった。闇色のロングコートが目立つその男は、窓の外をじっと睨んでいる。私ももう一度外へと視線を戻し、彼の言うことの危機感をぎゅっと噛み締めた。
話は一時間前に遡る。
パスワードを入れ、私はエイコとしてドルフィンへ戻った。
パスワードから侵入した先は、ウィザード社が建てた安全区域内にある小さな隙間。その隙間を自称凄腕ハッカーのナナシさんが見つけ掌握、プログラムの書き換え専門のオズワルドさんがスペースをウィザード社側に発見されないよう書き換えミラージュさせたらしい。
私が到着した時には既に彼ら二人とサトウさん、そして何故かあのお好み焼きの店主である女のアバターが待っていた。
「ああ、エイコさん。良かった、来てくれたんですね」
「サトウさん。手紙、ありがとうございました」
「いえ! こちらこそ、無理を言って申し訳ありませんでした」
サトウさんはぎゅっと私の左手を握る。そうして私の無くなった右手を見て顔を曇らせた。右腕はハロルドの攻撃を止める時切り落とされてしまった。オズワルドさんに診てもらったところ、ネットダイブ失敗によるアバター破損はもう見られないが破損が進行していた時のダメージは残ってしまっているらしい。つまり右腕は元に戻らない。右腕データの再構築を試みたが、どうやっても私のアバターに新しい右腕がくっつくことはなかった。
「気にしないで下さい。右腕なんかなくても私は動けますし」
私らしくやってみせますよ。つとめて明るく言う。
「お前らしく、ねえ。やれんのか? ネット初心者が」
数週間ぶりのナナシさんは、ハロルドの一件があった後というのにけろりとしていた。私に嫌味を言えるくらい余裕がある彼の足をげしっと踏んで挑戦的に笑うと、その顔を歪めて口元をにやつかせる。
「言うじゃないですか、ナナシさん。私の右腕を犠牲にしたのは、あなたのためだったんですよ」
「俺様は助けてくれなんて頼んでねえからな。でもま、今回の活躍は評価してやるよ」
「ほんとカワイクない」
素直にありがとうって言えばいいのに。心の中で呆れながら笑う。
ただ、黙って頭をわしゃりと撫でられたのは、不思議と嫌ではなかった。
改めて部屋を見渡し、あのお好み焼き屋の店主と目がかち合う。そういえばなんであの人がいるんだ、と不思議に思っていると、和服の女性は肩に乗せた猫を撫でながらサトウさんの隣に立った。
「はじめましてやないけど、一応自己紹介や。ウチはバラ。こっちのデジタルペットはもんじゃ。シュガーの元同僚で、おもろいことが大好きなイケイケお姉さん。好きなものはお好み焼きともんじゃとシュガー! ってことでよろしゅうな」
バラと名乗った黒髪の女性は軽いノリで両手をピースにしてポーズをとる。シュガーとは一体なんだ、とも聞けず、当たり障りがないようお辞儀をした。
「えっと、私はエイコです。お店でお会いしたことあると思いますが、よろしく。というか、何であなたがここに? 元同僚って?」
「それはな! ウチとシュガーはドルフィンで働いてた時の仲間やねん。ウチは辞めて店はじめたんやけど、今回の事件シュガーが原因知っとるっていうんでついて来たんよ」
「ちょっとバラ、あんまりシュガーって連呼しないで! そのあだ名嫌いなのよぉ」
猫耳OLが顔を真っ赤にして訴えた。なるほど、可愛らしいニックネームだ。
「……オホン。ごめんなさいエイコさん、ナナシさん。バラは無関係者ですけど、能力でいえば現役ウィザード社員のあたしより出来る人なので断れなくて。バラはドルフィンの空間構築に詳しいんです。空間移動のクリスタルを開発したのも彼女ですし」
「こことセントラルシティのクリスタルを繋いで自由に転送出来るようすることもやれまっせ! ま、外があんな状態じゃ行くに行けないだろうけど」
バラさんは窓の外を指差す。恐ろしい勢いで数字や画像、データの隅々まで食い尽くされていく風景を見て背筋が凍った。データが一度散り散りにばらけた細かな状態で取り込まれていく。アバターもあんな風に取り込まれてしまうなんて。バラバラにされる感覚なんて想像したくない。
「ウィザード社はあの本がどこから来たものか知らない。または対処法を知らない」
ナナシさんは立ち上がって窓の外を睨む。
「だが、俺達は知っている。あの本の出所を。神様だか何だか知らねえが、あのガキが言っていた真実ってのを知らなきゃいけねえ。あの怪物本を止めるぞ」
――――そうして冒頭のキャスケット帽の台詞へ繋がる。
「そうはいっても、どうやって本を止めるん? ウィルス除去プログラムでもあるん?」
「いや、無い」ナナシさんはきっぱりと否定した。即答か。
「おいおい、じゃあどうやって止めるんだよ」
「そもそもありゃウィルスじゃねえ。あれは自称神様って奴が持ってたシロモノだからな。一体何なのか、俺様にも分からん。近くに寄って調べるでもしない限りは」
「自称神様の秘密道具、ってところでしょうか……」
「そこでだ。なあ、エイコ」
ナナシさんはツカツカと私の前まで早足でやって来た。真っ赤な紋章入りの瞳が見つめてくる。
「お前、あのカミサマについてなんか知ってるだろ。吐け」
「吐け、って……。刑事ドラマじゃないんだけど」
いいから、と急かされて、少しむすっとしながらも彼のことを知っている限り話した。
ネットダイブに失敗した時に訪れた世界のこと。そこに彼がいたこと。彼が私を落ちてきてしまった世界からドルフィンへ戻してくれたこと。彼がハロルドに狙われていたこと。有人アバターではなく、データだけの存在だったこと。そして、ハロルドと対峙した時に貰った銀色の鍵のこと。
話終えると、みんな目を丸くしていた。無理もないよね、私だってそうだもの。
「まさか都市伝説みたいな存在が本当にいたなんてね。これは面白い」
「で、でも普通人間がドルフィンを使用する時はメガネを通して意識をネットに繋げるんですよ。つまりアバターはネットを歩く為の〝体〟であって、意識をそこに閉じ込めるからあたしたちはドルフィンを歩けるんです。それなのに、その話じゃ……」
「まるで、むき出しの意識体がドルフィンを闊歩していた、ってことやろ?」
サトウさんはバラさんの言葉に沈黙した。それがどれだけ異常なことか、私なんかよりシステムに詳しいサトウさんたちの方が理解出来るのだろう。
「あいつの存在について今更あーだこうだいっても仕方ねえ。もう奴はいないんだしな」
それよりもだ、と極めて冷静に、ナナシさんは私に向き直った。
左手のひらをぐっと握り締めると、あの時の鍵がふわりと手の中から出現した。
「エイコちゃん、それがその鍵ってやつ?」
「はい。でも、どこの鍵だか見当がつかなくて」
「……オズワルド。地下壁外ってことは有り得ないか?」
オズワルドさんだけでなく、バラさんやサトウさんまでもがその単語にはっとした。私だけがナナシさんの推測に首を傾げる。
「アンダーウォールって何です?」
「簡単に言えば、ドルフィンのゴミ捨て場。ただし認知されることは決してない。ウィザード社のシステム課ですらコントロール出来ない、ドルフィンを作った時のバグみたいな空間で、要は今のこの部屋みたいなもの。存在してるんだけど、プログラムの地下深くにあって更に誰も入れないようにミラージュされてる。ハッカー達の間ではそこに辿りついたものは伝説になれる、なんて噂もあったりしてね」
「ほぼ都市伝説みてーなもんだと思っていたが、実際に行ったやつらがいるなんてことも言われていたし、今の二人の反応からして存在はしてるんだろうな」
ナナシさんは顎で和服女と猫耳女を指した。二人は苦々しげな表情をつくる。
「……ありますよ、実際に。ですけど、行くことは不可能と言われています。今から見せるものは機密事項なので、他言無用でお願いしますね?」
サトウさんは両手を大きく広げ、ドルフィン全体の地図を表示させる。丸い球体が浮かぶ中に、もうひとつ球体が浮かんでいる。そして中のものを守るように小さな点線が中の球体を囲んでいた。三重の円を眺めていると、サトウさんはどこからともなく指差し棒を取り出し、点線部分を指した。
「簡単な図ですが、現在のドルフィンと地下壁外の間には障壁がある為に別個の存在として確立しています。障壁がある為に、一般ユーザーは基本的に地下壁外の存在を感知することも行くことも不可能でした。これまでウィザード社側が地下壁外を黙認してきたのは、こちら側に干渉してこないからという大本こそあれ、実際にはこちらから手を出せない場所だから黙認してきたんです」
「ようは、そこへ行くためにこの点線である障壁を破壊するっちゅーことが出来へんから、放置しとったっちゅーことやね」
障壁なら空間干渉で道をこじ開ければいいじゃないか。オズワルドさんが眼鏡をくいと上げながら提案するが、サトウさんは首を横に振った。
「単純な組織構築じゃないんです。空間干渉でこじあけようとしてもはじかれてしまう。外部からのアクセスにとても敏感なプログラムで作られているようで……」
「自社のネットツールに意味不明な欠陥があるっていうのに、絶対に破れないなんて随分と負け越しなんだな。それとも、そこに隠したいものでもあったってことか?」
「わかりません。ただ、もしここへネットダイブに失敗したエイコさんが行ったとするなら、この障壁を突破するのはネットダイブに失敗することにヒントがあると思うんです」
サトウさんが言い終わる前に、オズワルドさんが私の左手首に手を這わす。手の甲に描かれた紋章が薄く光り、彼のアバターがぶつぶつと単語を呟いていく。もう片方の手では過去の私のプログラムデータらしい数字と、別の何かを照合している。
「シュガーちゃん。その障壁ってこれのこと?」
「はい、多分。基本的にドルフィンのどこからでも障壁は発見出来ます」
「コインの表と裏、みたいなもんやね。ウチも現役時代は障壁突破出来ないか色々試したけど、だめやったわ」
「何してるんですか?」
私が尋ねると、オズワルドさんはにっこりと笑顔を見せる。
「外部アクセスに敏感なら、内部アクセスに切り替えるだけってことさ。て、ことで今見つけた障壁と、エイコちゃんのネットダイブ失敗時のアバターデータの照合」
「へあっ!?」
思わずへんな声が出た。ちょっと、ナナシさんめ笑わないでよ!
お、やっぱり。私の間抜け声を気にすることなくオズワルドさんはそう言うと、待っているナナシさんに頷いた。それを見て、ひとつだけある大きな社長椅子にどかりと座り、リーダー格の男は私を鼻で笑う。
「少しは役に立ったようだな!」
「どういうこと?」
「これ見て」
オズワルドさんが小さなデータ項目を渡す。羅列された数値は右と左でほぼ合致していた。一緒に覗いて見た猫耳と和服は、おお、と感嘆を漏らす。
「障壁とエイコさんのデータが合致しています。ネットダイブに失敗した破損データは、この障壁をすり抜けられるか、破壊が出来るのかもしれません。スゴイですオズワルドさん!」
サトウさんが歓喜の声を上げてオズワルドさんに飛びつく。突然抱きしめられたことに目を丸くするも、キャスケットの男は悪くなさげにふふんと鼻を鳴らした。
「ふふ。外部データを全てはじくプログラムなら、その障壁と同じアクセスコードを持てば内部に干渉して堂々正面突破出来るんじゃないかな、って思ってね」
「イイカッコしぃが」
がつん、と物音がした。直後にオズワルドさんが蹲り、バラさんが大声で笑っていた。
大人三人は置いておいて、改めて図を見直す。この障壁を乗り越えれば。
「では、その破損データがあればアンダーウォールにいけるんですね!」
手に握る鍵が求める鍵穴。それがそこにあるかもしれない。
しかし全員が顔を曇らせた。そこで自分もはっとする。ハロルドの一件で、サポセンのビルは倒壊してしまっている。あの地下にはハロルドが集めたネットダイブ失敗者の亡骸が保管されていたが、そこにはもう行けない。
(どこから破損データを持ってくれば……)
「打つ手無し、振り出しに戻る、ってとこかね」
うなだれるオズワルドさんに誰も否定を口にすることが出来なかった。ただ一人を除いては。その男は窓の外を一瞥すると、その窓ガラスをコツンと叩いた。
「振り出しになんて戻させやしねえ。俺様に任せろ」
ナナシさんはそう言うと、大部屋の奥にある彼専用の作業部屋に入っていった。心当たりがなくみんなお互いを見つめ合う中、私は一つの予感を胸に彼を追う。
破損データがみんなネットダイブ失敗者であれば、もう一人――――いたはずだ。
「ナナシさん……!」
部屋に入ると、薄暗い穴蔵のようで足元に注意しながら奥へ進んだ。オズワルドさんの店にあった宇宙船みたいな部屋に似ていて機械ばかりが並んでいる。その他はすべて書架で、古いものから新しいものまで、様々な文献が雑多に並んでいる。読みかけなのか、開きっぱなしの書物には『仮想現実での事故の実態』などというタイトルが付けられていた。
部屋の主は、今はそれに目もくれず、男は傍のベッドに横たわる少女に視線を落としている。雪のように白い肌と桃色の髪の毛が印象的なその女の子は、口も目も閉じ、完全なスリープ状態になっていた。
私はそっとベッドの傍に寄り、ナナシさんの横で彼女を覗き込んだ。白雪姫みたい、なんて思いながら息を飲んだ時、黙っていたナナシさんが口を開いた。
「こいつはお前と同じ、ネットダイブに失敗したアバターだ。ただしもう中身はない。このエンプティデータなら障壁をどうにか出来るだろ」
「出来るって……この人のアバターを使うんですか!?」
驚いてつい声を荒げてしまう。
ずっと探していた人なんじゃないんですか。私の問いかけに彼は白い長髪を掻きあげ、項垂れる。バチリと天井に吊るされたむき出しの電球が音を立て明滅した。
「確かに俺は、ずっとこいつのアバターを探してた。妹の。ユキのアバターを。本当に探してたのはこいつを救う方法だってのにな」
妹さん。
私が呟くと、ナナシさんは少しだけ項垂れて、ははっと乾いた笑いを漏らした。いつも自信に溢れている俺様な彼が、今は引っ込んでしまっている。いや、これがもしかしたら本来のナナシさんなのかもしれない。
私の知らない、ナナシさんの秘めた部分に触れている。
「意識、不明……なんですか」
尋ねると、白髪男は顔を上げて眠る妹の前髪をパラパラと指に通した。
「コイツ、お前に負けないくらいのアホでな。ログイン途中でサイズの合わないメガネを落としちまったんだよ。メガネのベルトの部分、合わせとくのなんて事前にしとけばよかったのに、それを忘れちまってな」
「……私も、弟に叩かれてメガネを落としたのが原因でした。ちょっと似てますね」
「ははっ、そうだったのか? 本当にお前はアホだなあ。本当に、ユキみてえだ……」
ギシリ。ナナシさんの座る椅子が軋む。こちらを見上げた白髪の男は、切なそうに微笑んだ。
「ネットダイブに失敗したってのに、あいつはへらへら笑って。大丈夫だ、一度ログアウトする、って言って、それっきりだ。本当に、それっきり」
ナナシさんがこぶしをぎゅっと握るのが見えた。ぶるぶると震えるほど力強く握ったそれは、急にふっと解かれ、彼の膝の上で力なくだらけた。
「こいつのためにハッキングだって学んで、結構な危険を冒して大企業のデータバンク漁ったりしたのに、何の意味もなかったんだ。もう助からねえって決め付けて、最後にあいつの亡骸ぐらいは見つけてやろうとしてた時、ゴミ捨て場であんたに出会ったんだ」
ナナシさんの黒い目に私が映る。今は防護壁で見えない瞳の紋章。その代わり、夜の色をした目にはうっすらと悲嘆の色が浮かんでいた。その瞳に、私は息も心臓の鼓動すら囚われる。
「……あんたは、ユキに似てる」
切なげに、どこか遠くを思いやるような表情で彼は呟く。
「顔グラも、仕草も全部違う。当たり前だよな、中身が違うヒトなんだからよ。でも、やっぱり似てるんだ。あんたのその、空気が」
「くうき?」
「なんつーか。ほっとけねーんだよ。ふわふわ泳いで、どこかに流されたままいなくなりそうな感じが、クラゲみたいで」
クラゲ! 私が異議を唱えるべく声を上げると、その反応を待っていたようにナナシさんはくつくつ笑って肩を揺らした。そうしてひとしきり笑った後、私の頬に手を伸ばしてむにりとほっぺたをつねる。痛い。
「あんたに諦めるなって言ったよな。あれは俺自身に言ったようなもんだ。その時は無意識に言ったもんだが、あの時――ハロルドと戦った時、あんたが困ってる奴を助けたいって叫んだあの瞬間、俺も諦めたくねえってはっきり思ったんだ」
ユキを助けたいと思う自分を諦めたくねえ。力強く、何よりもはっきりとした色でそう思う。ナナシさんは頬をつねる手を離すと、握りこぶしをもう一度膝の上に作って言った。彼の言葉はいつも真っ直ぐだ。
それなのに、今の言葉は以前よりもっと鋭く洗練された刀のようだと感じる。無意識下にあった迷いや諦めが晴れたからなのか。思わず彼をじっと見つめてしまってはっとする。
気づかれないように視線を彼から逸らした。
「だから、ユキの助かる方法を探すために、まずはこのドルフィンを救ってやる。そのためにこの仮初の体を使うことくらい、ユキは許してくれるだろ」
真っ直ぐだ。彼の真っ直ぐさに、私は手を引いてもらってきた。
その決意に寄り添いたい。そう、強く思った。
「……私も探します。ユキさんを助ける方法を」
ナナシさんが空っぽのアバターの前髪にそっと触れる。そうして頷くと、私に向き直って「お前は俺様の下僕だからな、働いてもらうぜ」といつもの調子に戻って笑った。
ユキさんのアバターを媒介にして障壁を破壊する作戦はすぐに始められた。オズワルドさんが地下壁外への侵入点を特定し、サトウさんとバラさんがユキさんのアバターのデータを少しずつ分解、侵入点に溶け込ませていく。
エンプティデータである少女の身体は青白く発光し、分解されたアバタープログラムは室内に現れた赤黒い侵入点に浸透していく。
先の見えない侵入点が、やがて透明度を増し闇の奥にあった道が露になっていく。道が見えてくるということは勿論少女の身体は障壁を破るために消耗しているということで、ユキさんを見つめるナナシさんが一瞬だけ苦々しい表情を浮かべた。
あと少しで障壁が完全に破れる。そう一瞬油断した時だった。大きな地響きが建物を揺らす。何かが建物を破壊しているのだ。即座に猫耳をピンと立て、サトウさんが現状把握に画面を動かす。
「皆さん大変です! ウィザード社の緊急対策本部が攻撃を受けたようです」
「どういうことや?」
「つまりこの建物を守る壁が崩れて直接攻撃を受けてるってことです! いくらここが本部をハッキングして作った不可視場所だとしても、根本の本部が崩れればここも安全じゃありません!」
ピッ、という小さな音が私の耳に届く。嫌な予感がして頭上を見上げると、次の瞬間天井がごそりと紙くずのようにバラバラになって消えた。
「こいつ……! 分断しやがった!」
「分断!?」
「この場所はウィザード社の安全区域エリアに寄生して作った隔離エリア、要は電話の親機と子機のようなもんだ。外からじゃ見えないよう細工してたんだが、あの怪物、安全区域エリアとこの場所を結ぶ線をぶった切りやがったんだ! これじゃあの本からもウィザード社からも俺達の居場所が丸見えだ」
ピピッ。細く黒い光線が窓ガラスを突き破り室内を通り抜ける。光線が通った場所は一瞬にして細かい粒子となり、外へ吸い込まれていく。あの本の食い物にされていくところが遠くに見え、私はひゅっと息を呑む。
まずい。あの光線がユキさんに当たってしまうと、ユキさんが持っていかれてしまう。
たった一つの希望を繋ぐ架け橋となり得る存在を失ってたまるか。ぐっと決め込むと私はユキさんに覆いかぶさった。ビュンビュン飛んでくる光線にぎゅっと目を瞑る。
「エイコちゃん! くっそ……! シュガーちゃん、これで耐えながら障壁もう少しそぎ落とせる!?」
オズワルドさんが両腕の紋章を輝かせ、猫耳と和服の女の足元に数式を展開する。防御壁の高位式で覆われた二人は頷いて、中断していた作業に戻る。それでも次々飛んでくるデータ破壊のビームに、この部屋自体が悲鳴を上げ始めていた。
光線に当たり身体のあちこちを破損させていく仲間達をよそに、私はいつまでもやってこない痛みに不思議と顔を上げた。
(攻撃が、私を避けていく? ううん、元から狙われていない?)
どうして。私の疑問を無視して、光線は私を通り過ぎ仲間に狙いを定め放たれる。
その不思議な現象に目を丸くしていると、ゲンコツが脳天に降ってきた。
「いっ!?」
「エイコ、てめえなんて無茶しやがる!」
黒い手袋をはめなおすように手首をくるくる回す白髪男は一喝する。
「だ、だってユキさんを守らないと目的が果たせないじゃないですか!」
「だからって無茶して飛び出していいなんて誰もいってねえぜ」
痛みで涙目になりながら彼を見上げると、不適に笑った。目の防護壁が薄れ、黒から緋色に変化する。燃えるような瞳の中に紋章が浮かび上がると、彼は自信たっぷりに叫ぶ。
「俺様に任せな!」
漆黒のコートが翻る。足元、そして空いてしまった天井と、上下それぞれに大きな赤い魔法陣が浮かび上がり、ゆっくりと時計回りに文字列が回る。地面に描かれた陣はナナシさんが左足でガツンと踏み込むとパアッと光を放ち、小さな箱部屋を覆い包む。途端に敵の攻撃がぱたりと止んだ。キンキンと音を立てビームは赤いバリアで跳ね返されていく。
それに満足したように口元を歪めると、今度は頭上に展開したもう一つの陣に座標を組み込み発射した。轟く銃声。魔法陣からはオレンジ色の炎のような弾が次々と発射され、敵のビームと相打ちになっていく。
自分の組んだ魔法陣に納得の表情を浮かべると、男は振り返った。ニヤリと笑う男の白い歯が眩しくてイラつく。
「伊達にハッカーやってないからな。敵を殲滅する陣くらいお手の物よ」
「自慢されると、感謝したくなくなりますね」
「なんだとエイコ! もっと俺様を敬え! 超ウィザード級ハッカー様だぞ!」
「おいナナシ。この陣もってどれくらいだ?」
オズワルドさんが切羽詰った調子で訊く。おちゃらけた表情から一転、ナナシさんは深刻な顔をして答えた。
「もって一時間だな。迎撃プログラムでビームを撃墜させてるとはいえ、全部撃墜するのは無理だ。被弾数を逆算しても、防御壁はそんなにもたないだろうな。あとはウィザード社の奴らがここを嗅ぎ付けて抑えにくるだろうが、まあ奴らもそれなりにダメージを食らってるはずだしすぐじゃないだろ。その間にこの部屋ごとどっかの建物に融合させて隠れた方がいいだろうな」
「……分かった。それは俺がやっておこう」
「オズワルド、お前空間転移なんて専門じゃねーだろ、分かるのか?」
「空間転移ならウチがおるさかい、任せとき」
バラさんが自分の胸をドンと叩く。次にサトウさんが、「私もサポートします」と自分を奮い立たせながら主張した。二人と顔を見合わせて、オズワルドさんが最後に口を開く。
「もう時間が無い。完全な障壁の破壊を待ってちゃこの場所が壊れてしまう。だからナナシ、エイコちゃん。君達だけで地下壁外アンダーウォールへ行ってくれ」
そんな。私の言葉は声にならなかった。ここに残るなんて危険なことさせられるわけがない。しかしナナシさんはしっかりと縦に頷くと、私の二の腕を掴んで引っ張った。私はイヤイヤと首を横に振る。
「ナナシさん! 三人を止めないと!」
「待て。オズワルドの言う通りこれ以上時間をかけるのは全滅を招く。鍵を持ってるお前と、その護衛に俺が行くのは必然なんだよ」
大丈夫。あいつらは俺の陣が守る。
ナナシさんの言葉に、私は唇を噛みながらもこくんと頷いた。
今までだって彼の技術は私達を守ってくれた。それを信じて、前に進むしかない。
不安が心に陰る中、オズワルドさん達三人がこちらを振り返った。準備オーケーと言わんばかりにニッと笑うキャスケットの男は、ナナシさんの右手に手を合わせる。力強く握られたそれに応えるように、ナナシさんは友人の背中を叩いて豪快に笑った。
「吉と出るか凶と出るか。わからねーが、ひと仕事やってきてやるよ」
「皆さん、どうか無事で!」
目の前に開いた小さな穴。奥はすっかり透明になり道が続いているのが分かる。緊張で息を呑み、私はぎゅっと左手のひらを握った。
(この奥に、真実があるの?)
カミサマが言った、探すべき真実が。そこに彼はいるのだろうか。
震える身体を隣に立つ青年が支える。一人じゃない。
小さく呟くとまるで魔法のように私の身体に浸透していった。
to be continue...




