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第六話 罪が統べる世界


 誰かが泣いている。

 実際に見えている訳ではないが、そのすすり泣く声は確かに耳に届いていた。真っ暗闇に目立って響くその声に、私は問いかける。どうして泣いているのと。

 声は答える。辛いの。そう答えて泣き続ける。次第に私も悲しくなってきて、泣かないで、泣かないでと慰めていた。

 暗闇で自分自身の体も見えないというのに、その時自分の手に何かが触れた感じが確かにした。人間の手の形に似ている何かだ。その指先に自分の指を絡めると、そこにいた何かがすすり泣く声の主だと分かった。指先から彼女の――どうして「彼女」だと思ったのかは謎だが――とめどなく溢れる感情が伝わる。悲しみと愛しさだった。自分の中に入り込む他人の感情に困惑しながらも、私は大丈夫だよと励ます。


 クルシイ、クルシイ。痛みを訴えて暗闇に溺れる声は、絡めた指をぎゅっと握り返すとそこにいた私に囁く。コポリと暗闇に気泡が浮かんで消えていくのと同じようにして、言葉は闇に浮かんで儚く消える。


(×××を、助けて)



***



 体の窮屈さに違和感を感じて目を覚ました。体には青いひも状のものが数列と一緒に巻きついている。どんなに体を動かしてもそれが緩まったり壊れることはない。頭と腕はズキズキと痛み、朦朧としていた脳みそが次第に働いてくる。

 周辺を見回すと屋上のようだった。下の方にセントラルシティの繁華街の光が見える。上を見上げると、薄い防護膜のような結界が張られていた。透明で出来た膜は、降っている雨を遮断している。

「助けを呼んでも無駄だ。結界プログラムで外からは普段の屋上として以外何も見えない」

 カツン、と音を立てて男は私の前に現れた。金髪のニヤケ面は私の威嚇にも動じず指を鳴らす。すると首筋にひやりとしたものが宛てがわれた。見上げると海神隊(トリトン)の隊長が少し曇った顔つきでこちらに槍を向けている。私は仕方なく黙り込む。

「あまり挑発的な行動はしない方が自分の為だよ。それにしても、君のアバターネームはおかしなものだね。aaaa(ああああ)?」

「エイコよ!」

「まあ、君の名前が何だろうが興味はないのだかね。僕の目的はあなたなのだから」

 ハロルドはぐるりと私に背中を見せる。屋上の一番奥で十字架に(はりつけ)にされているカミサマの姿 がそこにあった。

 カミサマは苦しそうな声を上げながら私を見ると、ほっとしたように微笑んだ。

「良かった。まだその体は生きているようだな」

「ほう、神は自分のことよりレディを気にされているのか。随分と余裕ですね」

「フン、貴様如きに捕らえられて慌てるものか」

 強気に応戦するカミサマは、両腕に力を入れて磔からいとも簡単に逃れてみせた。感心したように拍手するハロルドは、予想したことのように流石だと褒め称える。

「神を捕らえるには、やはりこんなチャチな磔柱ではいけないな」

「僕を捕らえるなんて出来ないぞ、ハロルドよ。それに貴様は何度も僕を捕獲しようとしていただろう。僕は何度も貴様の手下の追跡を撃退してきた。それを貴様が知らないはずがないだろう」

「ふふ、その通り。僕は神を捕獲する為に大量の資金と時間を投入してきた――――が、一度もあなたを捕らえることは出来なかった。悔しかったですよ。この僕に手に入れられないものがあるなんてと思う度、腸が煮えくり返って仕方なかった!」

 ぞくり、と背中に悪寒が走る。目の前の金髪の男の狂気地味た笑い声。出会った時の穏やかな物言いが嘘だったとはいえ、だんだんと剥がれてきたこの男の本性に恐怖を感じる。

 神が欲しい、と叫ぶ男はゆらりとこちらに視線を寄越した。

「しかしね。僕は見つけたんだよ。神を捕らえる唯一の方法を。どんなトラップも、ウィルスも効かないネットの海の神様を捕らえる『箱』を!」

 ハロルドが両腕を天に掲げる。重たく垂れこめた雲がギラリと光ると、稲妻のように閃光が屋上に落ちた。衝撃で吹っ飛びそうになるのを槍術士の女が襟首を掴んでくれたお陰で事なきを得る。隊長さんをもう一度見上げると、やはり表情はどんよりとして暗い。それを不思議に思いながらカミサマの方を見ると、そこには先程の倍はある大きさの十字架に磔にされた少年が苦しそうにしていた。

 私は焦り震えながら叫ぶ。

「カミサマ!」

「ぐぅっ。一体なんだ、この柱は……。この僕の力が抜けるなんて」

「ふっ、ふははははは! 力が抜ける? それは本当です? ははははっこんなに愉快なことはない! 僕は神を捕らえたのだ!」

 本当に抜け出せないのか、カミサマは磔にされたままもだもだと動くだけで、先程のように柱を破壊することが出来ない。

 高らかに笑う男をキッと睨みつけて、少年は悔しそうに「何をした」と言った。その言葉に、男は満足そうにニヤリと口元を歪ませる。

「このドルフィンには不思議な話がありましてね。『神は体を持たない故にネットの海では自由である』。これは昔ウィザード社にいたある研究員が言った言葉らしいのですが、僕はそれに非常に感銘を受けまして。神であるあなたをどうして捕らえられないのか考えた時、僕は思ったんです。僕らの体と、あなたのカラダは違う造りなのだと」

 カミサマが眉を顰めるのを見て私は尋ねる。

「違う、造り……? ねぇカミサマ。あなた、普通のアバターとやっぱり違うの?」

「レディは本当に頭が悪いね。それじゃあ彼の中身を見せてあげよう」

 これをはじめに見た時は、僕も目を疑ったがね。

 そう付け加えながら男は両手で大きなスクリーンを出現させる。そこに映し出されたカミサマの体は、だんだんと薄くなりアバターの中身が解析されていった。

楽しげにする男とは反対に、カミサマは唇をギリギリ噛みながらやめろと呻く。まさかハロルドがそれで止めるはずもなく、解析が終わると画面上に結果が表示された。その表示に、私は開いた口を閉じることが出来なかった。


アバター解析:結果

『解析不能 アバタープログラム破損:破損度百パーセント』


 カミサマの体の3D映像が映ったスクリーンには、真っ赤に染まった体が表示されている。私はこれと似たようなものを見たことがあった。オズワルドさんに自分の腕を修復してもらった時の映像だ。


(そういえば、昔破損度が百なのに動いてるアバターがいる! なんて怪談があったりしたなぁ。そんなアバター幽霊以外ないってのに)


 あの時の言葉が瞬時に頭に再生された。つまり、カミサマのアバターはこの世界を生きる為の身体を要していないということ。

 じゃあ、そこにいるものは一体何?

「驚くのも無理はない。神の身体はこの世界で存在する為のものではないのだからね。その身体はいわば器のない液体と同じ。液体を捕まえるのは素手では不可能だ。だから僕はあなたを捕獲し、この世界の頂点に立つ為に――――器を探した。中身のない空っぽな……そう、特殊なアバター。その中に液体()を詰めるのさ」

 その柱は、空っぽなアバターを分解して作った、神を拘束する人柱というところかね。ハロルドは柱を愛おしそうに指先でなぞる。

 つまり、その柱は元はアバターで。生きている人間で。カミサマは、アバター無しに動ける思念体、みたいなものってこと?

(頭がばくはつしそう……)

「ハロルド統括! 我々を騙したんだな!」

 突然怒り叫ぶ。槍は既に私の首下ではなく、ハロルドに向けられていた。風よりも速いスピードで金髪男の懐に潜り込み、長い槍の先を突きたてる。びゅんっと槍は空気を裂いて突くが、ハロルドがしなやかにバク転で避けてしまう。

隙が出来た槍術士へ向けて不敵に笑う男。指をパチリと鳴らすと空間が捻じ曲がったようにぐにゃりと動き、女騎士を結界の外、ビルの屋上から空中へ弾き飛ばし落下させた。空中へ飛ばされた槍は青い光の粉になって瞬時に消える。

「イレブンさんっ!?」

「ナンバーイレブン。あの女と海神隊(かいじんたい)は本当に使えた駒であったよ。僕の命令を忠実に聞き、そして僕が唱えたドルフィン内のゴミデータ一掃計画にひたむきに取り組んでくれた」

 まるで汚いものの処分を終えたように両手を叩く。その姿を睨み、すぐさまイレブンさんが吹き飛ばされた方へ駆けた。

「僕の研究にゴミデータはサンプルとして必要だったが、あまり数がなくてね。ゴミを処分するより僕にサンプルとして提供してくれた方が有効活用出来ると言ったら簡単に従った。お陰で僕は昇進、海神隊も活躍を認められ一層僕の命令に従うようになったのさ」

 縁から真下を覗く。暗くて下に落ちた彼女がどうなってしまったのか確認できない。こみ上げてくる燃えるような怒りと悲しみで私は振り返る。男は陳腐な映画の悪役みたいに手で顔を覆い、腹の底からおかしいと大声で笑い散らしている。とても、気分が悪い。

「あなた、狂ってるわ……!」

「狂ってる? どこが。僕はただ、神と融合したいんだよ。そこにいるバケモノと!」

 ハロルドが覆っていた手をどけると、あのニヤケ面がぐちゃぐちゃに歪んでいた。私欲にまみれた、ヒトの顔。気に入らないものは排除する。排他的な思考のそれを、私は知っている。遠い昔に。あの、水の中で。

「彼らは本当に愚かな奴の集まりだった! 僕がネットダイブに失敗したアバターがネットのゴミに成り果ててしまうとデタラメの情報を言っているのにすっかり信じて! そのアバターを持ってくるよう命令すればすぐに実行した! お陰で研究はスムーズだったよ。空っぽのアバターにイリーガルデータを閉じ込める方法を何度も試行錯誤した。サンプルはいくらでもあるから何度でもやり直せる。そして僕は神を収める器を作り出したのだ!」

 気が触れたらしい男はダイナミックにぐるんぐるんと身体を回転させながら磔のカミサマの太ももに指を這わす。不快そうに、でも抵抗できない彼はこれまでにない程怒りで満ちた表情を奴に向けた。それすらも嬉しそうに受け止めるハロルド。やっぱり狂っている。

「どうして……こんなこと」私の声は嫌になる程震えていた。

「どうして? レディは正真正銘の愚か者だね。無知は本当に愚かだ」

 教えてやろう。

 金色の髪をかきあげ、男は知識をひけらかすように大げさに振る舞いながら言う。

「ネットダイブに失敗した者達の末路は、ネットの海に消えることだ」

 冷たくこちらを見つめる瞳に、私は言葉を失ってしまう。


……消える、って。


「一度接続(ダイブ)に失敗すればアバターの中にある人間の意識もろともデータの破損が始まる。それを回避する方法はないのだよ。まぁ、解放される手段とすれば、リアルの君が付けているだろう我が社の『メガネ』を外すことだがね。そのメガネを外した奴らは皆意識不明となり病院で寝たきりになる。僕は意識がなくなり中身が空っぽになった、いわばそこにいる神と真逆の状態になった彼ら〝エンプティデータ〟を有効活用しているのだよ。地球に優しいエコ活動よろしく、僕は世界(ドルフィン)に優しいエコな活動をしているのだ。ゴミとゴミで研究し、そして自分の欲するものを手に入れる。なんて僕は天才! 自分が恐ろしいと思うよ!」


 絶望の淵に突き落とされた感覚だった。

 回避する方法がない。残された道は、ネットの海の藻屑になるか、意識不明への道を進むか、どちらか――――。

 自分の両腕をぎゅっと抱くと、右腕からぼろりと電子の粒が零れた。右腕のモザイクは最初に見た時より進行している。いつかこのモザイクが全身に回り、ボロボロ電子の屑になってネットの海に消えてしまうというのか。

「……それでも、あなたに誰かのアバターを勝手に使う権利なんてないわ」

 半分強がりで言った言葉だ。本当はすぐにでも助けを請いたかった。でも、私の意地がそうさせない。こんな男にすがって助かるなんて、万に一つ方法があったとしてもやらないだろう。善悪を判断することなんて、私は当の昔に知っている。

「僕は選ばれし人間だから許されるのだよ、エイコ君。僕は何をしても許される」

「選ばれし人間?」

 ハロルドは左の指先を鳴らして複数の画面を作り出す。画面に映し出されたノスタルジックな絵柄の紙芝居。一つは男の影があくせく働く映像。次に男が何かに迫害される画と逃げ出して新天地に向かう画。最後に、新しい世界で頂点へ立ち、まるで動物のような多くの命を操る映像だ。それを見せると、男は一瞬だけ苦しそうに目を細めた。


 ドキリ。

 私の胸の奥で、何か得体の知れないものが跳ねた。


「さぁ、もう質問はないかな。君には僕と神が融合しこの広いネットの海を支配するショーを見ていて貰いたかったけど、生憎席がないようだ。――WEAPONスキル展開」

 四角い電子の粒が固まりになり、男の手に金色の拳銃が握られる。

「僕はドルフィン(ここ)を豊かにするよ。すべての命が生きやすい海にするのさ」

 頭の中で煩いくらい警報が鳴り響いてる。このままじゃ死ぬ。アバターを消されてしまう。消されたら私はどこにいくの。死んだらどこへ行ってしまうの。

 一瞬目の前が真っ白になって、目に痛いその白い世界に声がいくつも交差する。罵声、嘲笑、けたたましい叫び声。

 水音がする。波間に響く悲鳴。水泡が言葉をかきけして。沈んでいく。あの姿は、泳げない魚に似ている。

やめて、やめてくれ。無意識の中、耳を塞いで呟いていた。



(わたしがしねばよかったのに)


 これは、何の記憶?



 銃口がこちらに照準を合わせた時、屋上のドアと密接していた結界部がひび割れた。ドアの奥から赤い弾丸が猛スピードで発射され、ハロルドがトリガーを引いた拳銃から飛び出した弾丸を甲高い音で跳ね返す。

辺りに衝撃で発生した電子の歪みにハロルドは一旦距離を置いた。一方ドアの中から現れたのは、いるはずのない白髪男――――ナナシさん。

 その男の姿を見て、あれだけあの男に楯突いて生意気なことを言ったのにほっとしてしまった自分がいた。情けないことに、張り詰めていた緊張が一気に解かれて倒れてしまう。

 ナナシさんと見知らぬ女性は、目の前の状況を見て何かを察したか、すぐにこちらに駆け寄った。ナナシさんに抱き起こされて、私は何とか身体を支え起きた。

「おい、無事か」

 ナナシさんは私の手を握って、大丈夫だと力強く言う。

「ナナシさん……。どうしてここに?」

「お前の腕に埋め込んでおいた探査プログラムを追ってきた。まさかお前がこの男と接触してるなんてな」

「はじめまして、エイコさん。あたしはサトウって言います。助けにきました!」

 はじめましてと返答する間もなく、バンと風をかっ切って鉛弾が三人の間を抜ける。

「これはこれは。『緋の目のハッカー』がここへ来るとは。ナンバーイレブンが報告していたことは冗談ではなかったのだね。それにしても、シュガーちゃんはどうしてそちら側にいるのかな?」

 僕との約束を破ればどうなるか、分かっているんだろうな。ハロルドの金色の瞳はサトウさんを射抜くように睨む。一瞬たじろいだが、サトウさんは腹を決めたように叫ぶ。「統括、こんなことはおかしいです!」と。

 続けて、ナナシさんが不敵に口角を上げた。

「統括さんよぉ。話は聞かせて貰ったぜ。ここのセキュリティが複雑だって安心しきってたみたいだが、イレギュラーな存在のエイコを〝電話〟代わりにされるとはあんたも思ってなかったろ?」

「……アバターのプログラムを書き換えて電話のマイクのようにしたという訳か」

「ビンゴ! こいつのアバターに埋め込んだ探査プログラムがあんた達の会話を全て拾い、俺達に聞かせてたってワケ」

「貴様……。自ら消去対象にされたいのか」

「仲間をかっ攫われたんだ。手段なんか選ぶ余裕なんてねーんだよ」

 いつの間にそんなハッキングをされていたんだろうと考えを巡らす中、サトウさんが一歩前に出て涙声で訴えた。

「統括、どうしてこんなことを。こんなの社内規則に……。いえ、モラルにもマナーにも、基本的な人間のあり方として間違ってます」

 サトウさんの必死の訴えも空しく、ハロルドは指を鳴らして無数のピストルソフトを出現させた。宙に浮いている銃口達は一斉にこちらに向き、まるで狂った音楽を奏でるように鉛弾を発射する。

 一番前にいたサトウさんが一撃目を足に食らうが、残りの攻撃はナナシさんが展開した魔法陣のシールドで弾き返される。それでも一つ一つの攻撃が重たく、攻撃が止んだ頃にはナナシさんも少し疲れた表情を覗かせた。

「予期せぬ邪魔が入ったが、僕の計画に狂いはない!」

「何が狂いはねえ、だ。俺があんたの計画をぶっ潰してやるよ」

「そう簡単に言ってくれるが、緋の目よ。お前のような若造より僕はいくつもの場数を踏んでいるのだ。そうやすやすとやられはしまい」

 そう言ったハロルドの言葉は凄味があった。男二人の間で飛び散る空間干渉と復元、そしてまた干渉して繰り出される攻撃の数々。手数は明らかにナナシさんの方が勝っているはずなのにハロルドはいとも簡単にそれを回避する。

 今のうちに、と私とサトウさんは磔柱に駆け寄り、意識を失いかけている少年を引き剥がそうと試す。青い拘束具に邪魔されて上手く動けない私は体当たりを試みるが、柱はびくともしない。

「カミサマ、しっかりして!」

「……君か。ああ、なんだか大変なことに巻き込んでしまったね。謝るよ」

 らしくないことを聞いて私は馬鹿、と少年を叱咤する。黒髪の少年が切なげに微笑んでみせたので、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 そんな顔、しないでよ。お願いだから。諦めた、みたいな。そんな顔……。

「弱気なこと言わないでよ。あんなやつ、あの本でどうにかしちゃって!」

「……ふっ、この本をあまり信用しない方がいい」

 腰に下げた分厚い本に触れ、カミサマは悲しそうに言った。

 その時、衝撃波が辺りを包み、私をはじめそこにいた全員が弾き飛ばされる。立っていたのは衝撃波を起こしたハロルドだけだ。ごろごろと床に転がったナナシさんはすぐに身体を起こすけれど、もうそのアバターは傷だらけで息切れもしている。

 それを見越して、男は攻撃の手を緩め右手で床に触れた。触れた部分がブツブツと沸騰して穴が空く。そこへ手を突っ込むと、何かを引き上げた。――人間の手が見える。

「器にするものは、一度リアルの人間を宿した『中古品』が良いらしくてね。だからこそダイブ失敗者を集めた訳だが、このアバターは非常に器として適している」

 嬉しそうに、愛おしそうに。得体の知れない感情をいり混ぜた表情でそれを引き上げる。


 白い、本当に白い肌のアバターだった。桃色の髪がふわりと浮いて、隠れていた顔を露にする。アルファベットをモチーフにした髪飾りが印象的だった。

 少女の形をしたアバターは薄く目を開けていたが、中身が空っぽの為か視線は下方を一点見つめたまま動かない。まるで白雪姫みたいな美しいアバターに息を呑む中、狼狽した声が向かいから聞こえた。

「ユキ……、なのか?」

 ナナシさんは表情を変えて目を見開く。その顔は絶望と希望を混ぜたものだった。

 ユキ。名前を呟く彼の緋色の瞳は明らかに動揺している。

「ナナシさん? どうしたの……?」

「さあ、神よ! あなたの行き場の無いカラダを! 情報を! この器に収める時です」

 そして私と融合し、全ての情報を渡すのだ。高らかに響く声に、カミサマは答える。

「僕は『神様』ではないし、ネットの情報全てを管理するなんて不可能だ。情報はこの世界を構築する部品で、歯車なのだ。その一つ一つは僕の手をすり抜けてスタンドアローンで存在している。神がこの世界を作り全てを管理していると思っているなら大間違いだ」

「貴様ァッ……! この期に及んでまだ楯突くか!」

「この世界は人間が作ったのだ。人間の意識の集合体がこの世界を構成し、生かしている。その人間の社会にある全ての情報は、誰のものにもならない海のようなものだよ」

 カミサマは不敵な笑みを浮かべて言い放った。その視線は奥にいる白髪の男に向かう。

「ユキ――――――ッ!!」

 ナナシさんが次の瞬間バネのように飛び出す。ハロルドの隣に立っていたユキと呼ばれた少女のアバターを勢いを付けてその場から奪うと、周りも気にせず女の子に呼びかける。

「ナナシさん! ちょっと、冷静になって!」

「ユキ、ユキ! やっと見つけた……!」

(声が聞こえていない!?)

 辺りを見回しても、衝撃波の影響で気絶してしまっているサトウさんと磔にされているカミサマしかいない。かろうじて立てる私も、両腕を拘束されてしまっている。

 ……それでもやるしかない。

 腹立たしげにナナシさんに近付いていくハロルドの手には再び銃が握られている。足音は確かに響いているのに彼は一ミリも気付きはしない。

私はすっくと立ち上がると、瞬きするのもやめて真っ直ぐに駆け出した。


 怖い。怖い。口の中が乾いて仕方ない。

 それでも私の身体は動く。刀の刃先が研がれていくみたいに、だんだんと身体が鋭敏になっていくのが分かる。

 脳裏にフラッシュバックが鮮明に映った。はじめて出会った時のこと。見ず知らずの私を助けてくれたこと。罵倒を浴びせて生意気言って。でも危険な時はちゃんと助けてくれた、まるで兄みたいな人。



(繋いだ手は温かかった。この手を迷わず引いてくれた。きっとこれは、忘れちゃいけない感覚)


ああ、兄という存在がもしいたのなら。こんな風な感覚なのだろうか。



「エイコ!」カミサマが何かを叫ぶ。魔法みたいな呪文だ。複雑な数列とアルファベットが手裏剣のように舞い、腕の拘束具を断ち切る。そのまま私は右腕を伸ばした。

 ――――届け、届けっ!

 耳に劈くような銃声が轟く。ほぼ同時に、右腕の感覚がぶちりと消えた。

「あぐっ」

 ドシャッ。私を含め三人が地面に転がった。顔を少し上げると、突き飛ばしたユキというアバターもナナシさんも無事だった。ほっと胸を撫で下ろすと右腕に気絶しそうな程の激痛が走る。

「エイコ! お前、無茶しやがって。馬鹿野郎!」

「ナナシさん……あなたこそ、バカですよ。その子が大切な人ならちゃんと守らなきゃ」

 見れば右腕は完全に無くなっていた。脆くなっていたのではじけ飛んでしまったらしく、モザイクの腕だったものは無残に転がっている。痛過ぎて気絶しそうなのに、駆け寄ってきたナナシさんの顔が面白くて痛みを忘れて笑ってしまった。

「私の声、聞こえない程動揺するなんて。いつものナナシさんらしくないですよ」

「……うっせ」

「ねえ、ナナシさん。私思い出したの。ナナシさんに出会って、たくさん迷惑かけたけど。それでもナナシさんは助けてくれた。どうしてだか分からなくて困ったこともあったけど、でもそんなことはいいの。助けてくれたことが、嬉しかった」


だから、私もあなたみたいになりたい。

〝昔みたいに〟。


「困っている人を助けたい。……その第一号」


 目の前の男を指差すと、ナナシさんは馬鹿野郎ともう一度呟いて立ち上がる。表情は見えなかったけれど、白髪から少し覗く耳がほんのり朱色に染まっているのが見えた。彼は背後で待っていたハロルドに再度対峙する。

「器を返して貰おう」

「嫌だね。これは俺の探し物だ。お前の私利私欲のために振り回すなんてさせねえ」

「―――ナナシ、こちらだ!」

 少年の指示が飛ぶ。振り返ると、カミサマは先程の衝撃波でヒビの入った磔を示す。間髪入れずナナシさんは真っ赤な瞳を輝かせ、紋章と同じマークの魔法陣を磔柱の下に描いた。

しまったと表情に表れるハロルド。なすすべもなく、魔法陣から放たれた空間干渉により崩れた柱からカミサマが降りてくる。

「――――くそおおおおっ!」

「きゃ……!?」

 油断していた。ぐいと引っ張られ、体をホールドされてしまった。

「エイコ! てめえっ、エイコを人質にするつもりか!」

「煩い……煩いぞ愚民共! 大人しく僕に従えばいいんだ。神も私の前にひれ伏せ! 抗うことさえしなければこの娘は返してやる。器に入り、僕のアバターと融合しろっ!」

 頭に鉄の塊が当てられる。どうにか振り切りたいのに、腕の痛みで思うように体が動いてくれない。

 お荷物は嫌だ。ぼやける視界を瞬きしながら見据えると、緋の目のハッカーは空を仰いで右手を天空に掲げた。

「俺様に指図するんじゃねえ。俺は、誰にも屈しない!」

 俺様は、俺様が決めた道を進むんだ!

 決意の叫びと同時に彼の右手に粒子が集まり、形を形成する。それは見たことがある槍――彼女の槍の形をしていた。勝算に満ちた目で男はこちらに目掛けて長槍をぶん投げると、穂の部分から青いらせん状に炎が渦巻いて噴出す。真っ直ぐ、まるで自動追尾しているかのように的確に、槍は私を避けズブリとハロルドの腹に刺さった。

「ビンゴ! よっしゃ、エイコこっちだ!」

「う、うん……わっ!」

 一歩踏み出した時、髪の毛を掴まれて後ろに引き寄せられる。

「まだだ。まだ、終わらせないぞ」

 ハロルドはしぶとい。腹に槍が刺さったまま私を羽交い絞めにする。

 背中に感じる、アバターから漏れる電子の粒……この人の身体も限界なはずなのに。

「僕はこの世界で頂点に立つ。君らみたいな若造には分からんだろうが、既にリアルなど腐れ果てた過去の世界なのだよ。他者が他者を蔑み殺していく。殺し合いの世界だ。僕はそんなリアルを見限り、この世界に新たな美しい世界を作るのだ」

 まるで駄々をこねた子どもが泣き叫ぶような。そんな風に訴える。ふと胸の奥がチクリとして、頭の中で嫌な映像が素早く流れて消えた。

 罵声、嘲笑、嫉妬。その汚らしい感情が渦巻く世界が自分達の本当の世界。そんなこと、誰もが知っているはずなのに。

「お前にもないかね。リアルの自分を呪いたくなる瞬間が。緋の目にもあるだろう? 皆少なからずあるはずだ。あの呪われし現実よりも、この世界の素晴らしさ、可能性を信じることが」

「……私、は……」

 男の言うことを否定出来ず黙っていると、パラパラと紙がこすれる音が聞こえた。

「その男が言うことは正しいかもしれない」

 カミサマの身体が白く光り、足元にナナシさんのものとは比べられないくらい巨大な魔法陣が描かれる。膨大な数式、記号。それを見てナナシさんは見たことない暗号だと呟いた。暗号と呼ばれた魔法陣は益々巨大になり、セントラルシティ全体を覆う程の大きさに成長する。巻き上がる風でページがバタバタとはためく本を、カミサマは指先で抑えながらハロルドを見据えた。

「リアルは薄汚れた人間の悪意で満ち溢れている。かつての僕(・・・・・)も、貴様の言う通りリアルを呪った。しかしこの世界とて万能ではない。罪深い人間が作ったものなのだから」

「神…一体何をしようと……」

「ハロルド。貴様は知らないようだが、何故〝アバターから中身の意識が消え去る〟と思う? これはドルフィンのシステムが起こすエラーではない。神が起こした罪そのものなのだよ」

 少年が薄く微笑む。暗く沈み込んだ雨空を背景に妖艶に笑う。

 パリンと天井から結界が破れていく。ガラスの破片のように細く砕かれた結界の欠片は雨のように私達に降り注いだ。

「僕は〝神〟ではないけれど、神と呼ぶ者がかつていたとするなら、それは罪だけを創り上げた」

「な……。どういうことだ……。お前は神ではないのか!?」

「僕はカミサマ。ドルフィンに災厄をもたらした罪深い神のコピーさ」

 


 さあ、ハロルドよ。カミサマはそう切り出し、指先で本のページを破り取る。

「神の罪に乗じ、器を作るべくアバターをみすみす殺していたことは世界への冒涜であるぞ。思い知るといい」

「く、クソガキィィィッ!」

 私は体を突き飛ばされ地べたに倒れる。そんな私をナナシさんが抱き起こしてくれたが、急いで振り返るとハロルドが自身の体から引き抜いた槍をカミサマに向かって突き立てていた。

 傷口からバッと吹き出すハロルドの構成粒子が雨に溶けていく。それなのに、同じように突き刺されたカミサマからはアバターの破損粒子は出なかった。代わりに、ジジジと彼の体にノイズが走る。今にも消えそうな激しいノイズに、カミサマは満足そうに自分の体を見つめ、次に私とナナシさんを見た。エイコ、と私の名を呼ぶ。

「君をすっかり巻き込んですまなかった。もうじき君はこの世界から解放される」

「何を言ってるの……?」

 カミサマはトレードマークの本を見せた。分厚い本は既に持ち主を離れ、空に浮かんで黒い煙と電流を放つ。バカな私でも、その禍々しさは理解出来た。

「それと同時にこの世界は神と呼ばれた男の罪で覆われるだろう。僕が管理していたこの本は、僕の消失と同時に本来の姿に戻る。犠牲者がどれくらい出るか僕でも分からない」

「何なんだよあんた。言ってることがワケわかんねえ。俺様に分かるように説明しろ!」

「ネットダイブにどうして失敗すると思う? ハロルドはその仕組みまで知らなかった。ただ結果として中身が空っぽになる現象を利用しただけだ。本当の真実はこの先にある」

 さあ、時間だ。

 カミサマの声に呼応するようにドルフィンを覆う青白い魔法陣が明滅する。本から放たれる煙は空を包み、雨は次第に止んでいく。同時に地響きが鳴り出した。縦に揺れるそれは激しくなり、ついに地面を構成していたデータから破損と決壊が始まる。

 ビルの縁から乗り出して下界を見下ろす私とナナシさんは驚愕した。まるで世界の終わりのようだ。繁栄していた電子の街はあちこちから粒子をまき散らしながら崩壊していく。私達が通った繁華街も、大通りも全てプリズムで出来た光の粒みたいに光って消える。それを見ていた瀕死のハロルドは、私と同じに口をぶるぶる開けて叫び散らした。

「ああ! この世の終わりだ……! 神の世界が消えていく……!」

「違う。これから始まるのだよ。〝彼〟が創った罪が、我々の世界を蝕んでいく様がね」

「……カミサマ……。どうしたらいいの? このまま消えちゃうの? そんなの」

 嫌だ。口の中でそんな単語が生まれる。

 カミサマはノイズに侵される体で私の前まで歩み寄ると、そっと手を握った。温かい手。まるで本物のような温度に、私は目を見開く。

「君がもし、心の壁を乗り越えて真実を知りたいと思うのなら。僕を探して」

 チャリン。手の中を覗くと、小さな銀色の鍵が収まっていた。不思議な重みがあるそれをきゅっと握り締めると体に溶けて消えてゆく。それを見届けると、カミサマは頷く。

「大丈夫。君は僕に祝福された。このカミサマである僕にね。だからそう不安そうな顔をするな。それに、僕と出会った時よりも多くの仲間に迎えられているじゃないか」

「仲間……」

 ぼふっと頭に降ってきた手のひら。黒い破れかけの手袋に包まれた大きな手のひらは髪の毛をわしゃわしゃ掻き回す。

「何だか訳わかんねーが、コイツは最後まで俺が面倒みる。俺の探しモンも、ある意味こいつが見つけたようなもんだしな」

「ナナシさん……」

 ほらな、とカミサマは微笑むと、目を閉じて空を仰ぐ。黒い髪の毛がノイズ混じりに半透明になっていく。

「――――それでは、この世界は一度終幕するとしよう。次に会う時は、罪が統べる世界で」

 カミサマは丁寧にお辞儀をする。

 あの透明に近い白い肌がついに本物の透明になって激しくノイズで乱れた時。ドルフィンは激震と暴風に包まれた。飛ばされそうになる体をナナシさんが支えるが、片手に意識不明のアバターを抱えているせいか私まで支えきれなかった。風に巻き上げられて空高く飛んだ私の体は、おかしなことに空へ落下するようにひゅるりひゅるりと落ちていった。

 地上であの俺様男が私の名前を叫ぶ、そんな声が耳の奥で何度も響いていた。エイコ、エイコとあの安易でへんてこな名前を叫び散らす。

ああ、私の名前はそんなんじゃないのに。……それじゃあ、私の名前は、何? 本当は一体なんて名付けようと思ったんだろう。



(×××を助けて)



 その名前を。思い出せたら。



意識が闇に飲み込まれていく。空色の水に沈んでいく。水の中で、自分のアバターが潤った唇で言葉を紡いだ。その言葉を、私はあと少しで思いだす。


to be continue...



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