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流れゆく川の水を両手で掬い取り、手の平から溢れないように啜る。
久しぶりの清涼感が口から喉へ、そして身体中に駆け巡る。
「美味い。水はやっぱり美味いな。モンスターの血はもう勘弁だ……」
トレントとの遭遇から既に1ヶ月経っている。
その間、水場を見つけることは出来なかった。
正確には飲める水場は無かったということだ。
一ヶ月の間、色々なモンスターの血を啜り、食してきた。
モンスターの定番であるゴブリンにオーク。
人間の赤ちゃんくらいの大きさで、カブトムシの姿をしているレインビートル。
どれも食べるには勇気が必要だった。
特にキツかったのは、レインビートルだ。
虫は前世から無理だったが、レインビートルの黒くテカった羽が奴を思い出させた。
大学で食わされかけた時から、俺のトラウマになっている奴に。
それでも食ってやった。
心に誓ったものがあるなら、トラウマも乗り越えられるようだ。
レインビートルは、見た目に反して繊細な味をしており、海老みたいな味がした。
それからはトレントと並んで、俺の好物になっている。
今日までで、ゴブリン15体、レインビートル6体、トレント2体、オーク1体を倒ている。
このペースは想定の中で最悪クラスだ。
出会ったモンスターは全て倒しているが、中々モンスターと出会うことが出来ていない。
まぁ、Cランクのオークとか、Dランクのトレントが二体以上出てきたら逃げるしかないけど。
疲れた体を癒しながら、次の行動方針について決める。
取り敢えず、川の流れに沿って移動していこう。
これが一番人里に出る可能性が高いと思う。
んで、集めておいた魔石と物々交換で剣をゲットだな。
ただ、この首輪がどう出るか……。
休憩を終えた俺は、川の下流に向けて歩き出す。
しばらく歩くと遠くの方で、緑色の物体が森から出てきたのが見えた。
「昼ご飯だ!」
急いで地面に落ちている手のひらサイズの石を手に取り、全身に魔力を張り巡らして、逃げられないように全力で走り出す。
近づいて行くと、ゴブリンが木の枝を引きずりながら川の方向に向かっている。
俺が一歩踏み出すごとに、地面の砂利が飛び散り大きな音を立てる。
「ゴブ?」
残り50m切った所でゴブリンがこちらに気付き、慌てて木の枝を構える。
ゴブリンを捉える俺の目は、捕食者の目をしていた。
俺の勢いと、ギラギラとした目にゴブリンは怯えたのだろうか?
「……ゴギャ」
情けない声を出して、背を向けて逃げ出そうとするがーー
加速した状態で腕を振り上げ、ゴブリン目掛けて石を投げつける。
ーードガッ
鈍い音と共に、後頭部に投石を受けたゴブリンは倒れこむ。
一瞬だけ身体強化を最大にしてゴブリンに近づき、喉を切り裂く。
この世界では油断は禁物だ。
刺激臭を漂わせながら、緑色の血が流れ出る。
その血を見ながら思わず感慨深くなる。
この血をもう飲まなくて済むんだな……。
ゴブリンの体に切り傷を入れて血を抜いていく。
血抜きをすることで、口に入れた瞬間臭くて気絶する程の臭いを格段にマシに出来るのだ。
血抜きをせずに、初めて食べた時は逝ってしまう寸前だった。
それほど臭い緑色の血を、目を虚ろにながら啜り続けてきたのだ。
リーズの森では動物を殆ど見たことがないので、モンスターを食べるかどうかは死活問題なのだ。
動物が殆どいないのはこの森の何処かに魔力溜まりがあって、そこを中心に大気中の魔力密度が高いせいで、動物が棲息できない環境になっているのだと本に書いてあった。
本当かどうか分からないが、確かにこの森に入ってから魔力の回復速度は速くなっている。
ここ数日、これだけモンスターばかり食べていると、いつか自分もモンスターになるのでは?
ーーと錯覚してしまいそうになる。
実際、ゴブリンを食べ始めてから体臭が出てきた。
一ヶ月の間、体を洗ってないのも有るかもしれないが。
今日は久しぶりに体を綺麗に出来そうだな。
ゴブリンの血抜きの間に川で洗っとくか。
そうと決まれば直ぐにズボンを脱いで、川に向かって駆け出す。
冷たい川の水が、この暑苦しい季節と相まって途轍もなく気持ち良い。
ゆっくりと身体中の垢を取って川から出ようかという時、森の奥から人の声のようなものが聞こえてきた。
こんな場所に人間が?
聞き間違えかなんかだろうかと思ったが、また声が聞こえてくる。
その声は少しずつこちらに近づいてるように感じた。
とっさに最悪の状況を想像し、手元に武器がないことに気が付いた。
急いで川から上がり、ナイフとズボンを手に持つと、声のした方向とは違う方向の森に入り、木の陰で息を殺し、身を潜める。
遠い声が段々と鮮明に聞こえてくる。
「今日攫った女たち、楽しみですねハンスさん」
「ギャッハッハハ。本当に今日はついてるな。上玉二人も手に入るなんてな」
「たまには良いことないと駄目っすよ。こんなモンスターだらけの森なんて、楽しみなんか何も無いっすからね」
「こんな森だからこそ、俺らも生き残れるんだよ」
複数の男の下衆な会話が俺の耳に届く。
四人か?
あの会話の内容からして盗賊か?
ダグラス辺境軍かと思ったが違うかもしれないな。
複数の男たちが砂利道を歩く音が聞こえてくる。
俺は木の陰から少し顔を出し、男たちの風貌を覗き込む。
本当に今日はついているな。
思わず頬が緩む。
男たちの数は見える限りで全部で5人。
皆武装しており、剣を持っているのが4人。
大きな斧を肩に担いでいる男が1人。
防具はここからではハッキリとは分からないが、全員革系の鎧を着込んでるようだ。
念願だった剣があちらからやって来たのだ。
男たちの姿を見た瞬間から、俺の頭の中では既にどうやって剣を奪うかを考えていた。
殺るか?
奪うなら殺るしかないな。
奪っておいて、中途半端に生かしておくのが一番危うい。
まだ仲間が居るかもしれないし、どんな奴らかも分かっていない。
逃げられずに皆殺しーー出来るか?
剣さえ最初に奪えればいけるはずだ。
ベストは何人か行動不能にして、尋問出来るようにしておきたいな。
俺は初めて人を殺したことを思い出す。
俺にとって決して良い記憶では無い。
自分が簡単に人を斬りつけ、そして殺す。
あそこまで淡々と、そして冷酷になれた自分に何度も苦悩した。
日本にいた頃の自分にはこんな一面は考えられなかった。
いや、これが本来の俺が持っていた本質なのでは?
という考えがどうしても頭から離れなかった。
あのまま日本に居れば、簡単に人を殺していたかも知れないと自分に恐怖もした。
心の平穏を保つ為に、あの時の俺はリネイラを助けたい一心だったから、いつもの自分とは別人だったんだ。
そんな風な言い訳をして自分を誤魔化そうとしていた。
だが、この森に来てから俺はこの悩みを誤魔化すのでは無く、受け入れることにした。
俺は冷酷に人を殺せる人間だと、受け入れたのだ。
この世界で生きていくには、その冷酷さが必要な場面は幾らでも出てくるはずだ。
その冷酷さが今、必要とされているのだと理解した。
w
俺が頭の中で計画を練っていると、男たちが騒ぎ始める。
俺が殺したゴブリンの死体を囲んで何か言ってるようだが、声がハッキリとは聞こえてこない。
これで警戒されたかもしれないな。
って、あいつら俺の昼ご飯に汚い手で触るなよ!
男たちがゴブリンの体を触り始めたので、昼ご飯を奪われる危機感に襲われるが勘違いだったようだ。
男たちはしゃがみこんで、ゴブリンの体に刻まれた傷を確認しているようだ。
ったく、紛らわしいんだよ。
あの傷跡だと刃物で切られたのが直ぐに分かるだろう。
下手に動けないな。
あいつらの出方を見るか。
男たちは、ゴブリンの周りでしばらく会話をした後、斧を持った奴を中心にして森の中に帰っていく。
クソッ、あいつら戻るつもりか。
どうする?
付けていくか、それともここで仕掛けるか?
でも、これはもしかしたら罠かもしれないぞ。
俺が躊躇している間にも、男たちは森の奥に入っていく。
迷ってる暇はない。
後ろから付いて行って、機会があれば不意打ちで襲撃する。
罠っぽかったら全力で逃げよう。
ゴブリンの死体に後ろ髪を引かれながら、俺は男たちの後ろを付けていくことにした。




