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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第5章:乖離(16)

【ウェンブリー魔術学院大学】の二階の一室――――ミスト教授室に人の気配が常在するようになったのは、ごく最近になってからだった。

 その部屋の主は各方面への挨拶回りを終え、暫くの間は腰を落ち着かせる事すら出来なかった。

 無論、研究者としての本分など、果たせる筈もない。

 しかし、それは当然の事でもあった。

 教授と言う地位に立った以上、研究を自ら行う事は殆どない。

 後進の指導が主な大学内での仕事となる。

 無論、アイディアは出す。

 新たな魔術の開発、魔術同士の統合、別の使い道。

 或いは、魔術そのものの在り方。

 アプローチは無限にある。

 その中から、何かしらのテーマは選択しなければならない。

 とは言え、筋道を立ててしまえば、後は部下に舵を任せる事になる。

 それが指導であり、同時に教授職の勤めでもあった。

「……」

 ミストは、教授の感触を確かめるかのように、無言でその椅子に深く身を委ねていた。

 その前でセーラが、溜息混じりに苦笑する。

 手には、先日提出されたアウロスの報告書がある。

 決して粗雑に扱う事なく、指で触れる部分は常に何も記していない欄外。

 それが、セーラの評価をそのまま物語っていた。

「……大したものね」

 後衛術科の彼女にも、アウロスの研究の進行速度の異常性は直ぐに理解出来る。

 その感想を、ミストは無表情で聞いていた。

「あの男は私の想像を超えて、研究者としての密度を高めている。驚嘆に値するよ」

 それは唯の褒め言葉ではない。

 これまでミストは、アウロスに対し幾度となく賛辞の言葉を送ってはいた。

 だが、それはあくまで目的に対する必要性を加味してのもの。

 本心である必要はない。

 しかし、今は違う。

「正直に言おう。私は当初、彼に論文を評価している旨を伝えたが、半分以上が嘘だった。無論、完成すれば前衛術の革命になるだけの技術である事に疑いはないし、可能性を感じたのは事実だ。だが、成果に関しては然程期待していなかった」

「でしょうね。特別なチームを組むでもなく、割と自由にさせてたみたいだしね」

「私が彼に見た大きな価値は三つ。実戦経験者である事と、魔術士としての才能が最低である事。そして【ヴィオロー魔術大学】に在籍していた事」

 ミストはセーラの目をじっと眺めつつ、指を折る。

 その目は確かに眼前の女性を見据えている――――筈だった。

「戦える者を部下に持てば、私の研究理念に説得力が生まれる。才能のない者を拾い、見捨てずにいる事で、劣等感を持つ人間に好意的な目で見られる。単純だが、大切な事だ」

「【ヴィオロー魔術大学】在籍、って言うのは?」

「あの大学にはウェンブリー教会の司祭の親族がいる。彼の元上司だ」

「え? 教会関係者の血縁者が大学の……? それって良いの?」

「当然、公表はしていない。大学と教会の癒着など御法度だからな。あの程度の大学だからマークも薄い。教会にとっては格好の情報収集の場だったのだろう」

 大学上層部の情報は、いかに教会と言えど、そう簡単に得られるものではない。

 規模の大きな大学でなくとも、横の繋がりは多く、そこに拠点がある事は大きなメリットとなる。

「喧嘩別れとは言え、繋がりがあった事は紛れもない事実だ。それを逆手に、向こうからコンタクトが来る可能性もある。私は出来るだけ繋がりを広く持ちたいのでね」

「はあ……」

 セーラは感嘆を越えて唖然とした面持ちを浮かべていた。

 大学における内政は、とかく閉鎖的になりがちな傾向がある。

 教会の目もあるし、何より外に出る意味がない。

 大学の教授職に甘んじるのであれば。

 無論、そうでない場合は例内には収まらない。

 それ故に、ミストにとっては必要な事だった。

「とまあ、メリットと目論んでいたのはその程度だった。しかし、あの男は良く働いてくれている。厄介な程にな」

 呟きつつ、ミストの視線が強くなる。

 元々鋭い眼光が更に険しさを増していた。

「厄介?」

「私は臆病でね。想定外の事態は歓迎だが、度が過ぎれば問題になって来る。例えば……」

 表情、姿勢、仕草、口調、鼓動――――何一つ変えずに、ミストは眼前の女性に視線を向けた。

「行き過ぎた間諜行為、もな」

「……っ!」

 セーラの表情が、まるで絶叫をあげたかのように引きつる。

 それでも尚、ミストの表情は変わらない。

「私との会話を上司に報告する程度なら多めに見ていたが……こちらのナイーブな部分にまで入り込んで貰っては、な。特に『地下』に興味を持ったのは、良くなかった」

 淡々と。

 まるで、昨日の夜に食した肉が堅過ぎて辟易した、やはり肉は高級品でなければ価値がない食材だ――――等と言う日常会話を話すかのように。

「警告はしたつもりだ。あれは、君に対する礼儀でもあった。その時に引いたラインの中ならば自由にさせてやっても良かったのだがな。君は少々、節度を誤った」

「……そ、それは」

 狼狽を隠せずにいるセーラを涼しい顔でいなしつつ、ミストは指を鳴らした。

 それを合図に、扉が微かな音と共に開く。

 暫時の後――――死霊のように生気を失った顔の男が、教授室にゆっくりと入って来た。

「カルロ!?」

 その顔を見たセーラからも、みるみる血の気が引いて行く。

 彼女にとって、それは絶望の序曲だった。

「君の『本当の』恋人だ。後衛術科のホープらしいな。そう言う名前とは知らなかったが……彼から事情は全て聞いた」

 ミストの動向を探っているのは、前衛術科の人間だけではない。

 それを自覚しているミストは、全ての学科に自分の息を吹き掛けている。

 そして、度が過ぎた行為に関しては、それなりの対応をするよう心掛けている。

 身嗜み。

 若き野望家には、それが必要だ。

「その結果、問題とせざるを得ない、と言う事になりました」

 扉の前に、もう一つ人影が増える。

「愛する者の為に、価値のある情報を集める……それだけなら美しい話です。しかし、何事も限度と言うものがあります。地下水路まで足を運んだのは失敗でしたね」

 仮面を被っている男のくぐもった声が、鎌のように鋭く喉元に突き付けられる。

 その様子に、セーラの顔が一層危機感を増した。

「ミスト、聞いて。彼は……」

「ぼ、僕は頼まれてやっただけです!」

「……!」

 序曲は終わる。

 セーラに待っていたのは、余りに在り来たりな末路だった。

「本当なんです! ミスト教授の事を知りたいなんて、僕は言ってないんです! 地下水路にだって、行きたくて行った訳じゃない! それに、まさかあんな"もの"が大学に……」

「静かにしなさい」

 ミストの声は、殺気を帯びていた。

 実戦などまるで縁のない人にでも伝染する、絶対的な恐怖。

 正面に立つ男の全身が、一瞬にして硬直した。

「残念だが、君にこれ以上口を開かせるつもりはない。向こう10年は発言の自由がないと心得ておきたまえ」

「この人は見かけ通り怖い人ですから、逆らわない方が身の為ですよ」

「ひっ……」

 絶句。

 それが全ての回答だった。

 ミストが目で退室を促すと、転がるように教授室を出て行く。

 明らかに場違いな人間が消え、空間は浄化された。

 しかし淀みはそのまま残り、分離状況を色濃くしている。

「君には似合わない男だ。残念ながら、男運には恵まれていなかったようだな」

 ミストの言葉は直接的な表現を避けた、紳士的なものだった。

 が、必ずしもそれが優しさとは限らない。

 誰でも知っている事だ。

「中々に絶妙な性格設定だった。私の好みを理解しつつ、そこに媚びない。今まで私に近付いて来た女性は数名いたが、君が最良だったと言っておこう」

 褒め言葉と受け取る気はないらしく、セーラの顔に生気は戻らない。

 無論、今しがた裏切られたばかりと言う状況が、何よりも大きいのだが。

「……私は、これからどうなるの?」

 それでも、自身の未来への憂慮が自然と口から漏れる。

 悲しき性。

 研究員として、常に未来を目指していた者が、突然その道を閉ざされれば、実質盲目になったようなもの。

 無理もない事ではある。

 あるが――――

「好きにすれば良い」

「……」

 ミストの目に、既にセーラは映っていない。

 それで全てを悟ったセーラは、沈黙のまま、足音も虚ろに退室した。

 赤く焼けた空から落ちた一欠片が、窓を透過して床一面に降り注ぐ時間。

 それは、人が物思いに耽る最適の刻。

 心が美しさを求める刹那の暇。

 そんな中では、雑食性の鳥の鳴き声も、何処か愁いを帯びた唄に聞こえる。

 ミストの耳には、それが――――昔聞いた唄のように聞こえた。

 詩など影も形もない、雄叫びに等しい男達の声。

 炎を取り囲み、火の粉と共に踊る戦士達の笑顔。

 赤く染まる部屋は、その光景を稀に呼び起こす。

 輝いていた、その日々を。

「あのヘタレ男、スナイデル教授のお気に入りだそうですよ。これまた良くある話です」

 その時とは違う、くぐもった声が室内を浸す。

 ここが現実である事の証明だった。

「彼女にとって、貴方は必ずしも単なる情報源ではなかった。貴方自身を利用してでも、彼女は貴方と並びたかったんですよ。届かない所まで行ってしまった貴方と」

「もう必要のない人間だ」

 非情――――しかし、それは真実でもある。

 実際、セーラがミストの人生に関わる事は今後もうない。

 全ては過去の遺物となった。

 そして、それは大筋においてミストの脚本通りでもある。

「それよりも、準備は万全なのか? わざわざ専念出来る環境を選んだのだから、問題があっては困るぞ」

「誰に言ってるんですか?」

 仮面の表情通りの不敵な笑い声が漏れる。

 ミストは特に表情を崩す事なく、黙って聞いていた。

「機は熟しました。貴方も丁度、公務が一段落ついたようですしね」

「当日の行動は予定通りだ。後は『計画』に合わせて動くのみ」

「計画ですか」

 歪みにも似た笑みが室内を蹂躙する。

 ミストは苛立ちを抑えつつ、静かに目を閉じた。

「……何がおかしい?」

「気に障ったのなら失礼。少しばかり昔を思い出しまして」

「昔……か」

 先程、一瞬だけ脳裏を過ぎった光景が、再び蘇る。

 余り良い傾向ではなかった。

「貴方は変わりませんね。元々とんでもない老け顔だから、歳を重ねても老いが目立たない」

「お前程ではない」

 ミストは両肘を突き、両手で口元を隠すような姿勢で淡々と言葉を連ねる。

「本来なら、お前とはもう関わりたくないのだがな」

「そんなつれない事を言わないで下さいよ。僕みたいな人間がいなければ、繋がり一つ取っても一苦労でしょう?」

「困った世の中だ」

 言葉通りの表情をしつつ、ミストは机の中から書類を取り出し、それを眼前の男に手渡した。

「首座大司教宛てだ。丁重に扱え」

「はい、確かに受け取りました。問題なくお届けしますよ」

 鷲掴みしたそれを無造作に折り曲げ、鞄に押し込む。

 仮面は付けたまま。

「では、僕は用事がありますので、この辺りで」

「……」

 踊るような仕草で部屋を出て行くその姿に重なるように、レヴィが扉を開け入って来た。

 眼鏡の先の鋭い目は、横切る仮面の人物を追ったが――――特に触れる事なく、ミストの方に視線を移す。

「失礼します」

 そして、深々と一礼し、扉を閉めた。

 再びミストの方に向けられたその顔は、普段のレヴィのものとはかなり違っている。

「あの、例の件ですが……」

「どうだ?」

「……」

 沈黙による回答。

 ミストは予想を決して裏切らない彼の姿勢に満足しつつ、表情なきその顔をレヴィに向けた。

「そうか。では引き続き頼む」

「あの!」

 弾けるように、レヴィが叫ぶ。

 それは、今まで一度も発した事のない、ミストに対する意見への序論だった。

「私はその、こう言う事は余り……」

「ん?」

 しかし、それは本論に辿り着く事を許されない。

 ミストの顔は微動だにしていないと言うのに。

「……いえ。御期待に添えるよう最善を尽くします」

「宜しく頼む」

 レヴィの頬から冷や汗が伝うのを確認し、ミストは席を立ち、背中を向けた。

 背後から聞こえて来る、扉の閉まる音がやけに小さい。

 それすらも、予想通りだった。

「いよいよ、か」

 教授室が必然的な静寂に包まれる中、ミストは一人満足感に浸っていた。

 切るべき時に切る。

 これもまた、上へ行くには重要な作業だ。

 余計な荷物は足枷となり、余計な負荷を掛ける。

 全ては目的の為に――――そんなミストの生き方は、教授となった今も変わる事はない。

(お前はどうだ? アウロス=エルガーデン)

 自分の中に克明に刻まれた名前を呼びつつ、窓の外の空を仰ぐ。

 そこからは、既に赤が消えていた。

 過去は消えた。

 そして。

 全てが闇に染まる時間が、今日もまた始まる――――

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