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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第4章:偉大なる詐術者(15)

 夜明けと共に、アウロスは小屋の中に戻った。

 暖かな空気をゆっくりと吸い、それをゆっくりと吐き出す。

 すると、呼気と共に記憶がまるで亡霊のように身体の周りに広がり――――そんな錯覚に痛々しさを実感する。

 アウロスは余り過去の事を思い出さないようにしている。

 その理由は単純で、良い思い出が一欠片しかないからだ。

 そして、その欠片もまた、思い出したくない理由の一つだった。

(なのに、何故……)

 夢ならば仕方ない部分もある。

 防御壁がないのだから。

 しかし、無意識に過去の風景を見ると言う事は、最近ではまずない事だった。

「何呆けてるの?」

 そんな思考の乱れを見透かしたかのような鋭い声。

 眠りの魔女は既に目を開け立ち上がり、帽子もしっかり被っていた。

「起きてたのか」

「この状況で安眠出来る程、無神経じゃないから」

 寝起きではなかったらしいルインは柄でもない事を呟きつつ、背後の扉を目だけで見やった。

「居るのか?」

「例の殺気を放った人間……ではないみたいね。少し感じが違う」

 ルインの肯定は、アウロスにとって微妙なものとなった。

 ありとあらゆる負の要素を混ぜ込んだかのような、あの殺気の持ち主ではない――――それ自体は吉報だ。

 一方、他の追っ手から狙われている事は、決して歓迎すべき事態ではない。

 こちらは恐らく、教会の手のものだろう。

「唯の雑兵でもなさそうね。気配の絶ち方が堂に入っている。この辺りが街中だったら、私でも感知出来ないかもしれない」

 繰り返しになるが、アウロスは気配の察知を苦手としている。

 しかも現在の大学に来て以来、その苦手意識は増すばかりだ。

 思わず半眼でその元凶を見やる。

「何?」

「いや何も。それで、戦力までわかったりするのか? お前の超能力は」

「そんな大層なものでもないから、人数くらいよ。恐らくは6名」

 十分に超能力だった。

「夜が明けても見逃してはくれない粘着っぷりから察するに、相当なモチベーションで狙われてるんだな、俺ら」

「賞金首の辛いところね」

 重大事実がコロリと落ちて来た。

「……だからさ。そう言う事はもっと早く言っておいてくれ。何だよ賞金首って」

「別に。私の首には90000ユローくらいの値札がぶら下がってる、ってだけ。私の通り名を聞いた瞬間、薄気味悪い笑みを浮かべたあの男は当然それを知っているでしょうね」

「道理で。今頃目を輝かせて吉報を待ってるんだろな」

 追っ手の目的まで把握する事が出来たものの、それが逃亡劇の一助となる可能性は、殆どない。

 厄介事はいよいよ具現化してきた。

「どうする?」

 嘆息するアウロスに、ルインは悪戯な瞳を向けて抽象的に問い掛けて来る。

 その口元は少し綻んでいた。

「私を差し出せば、貴方は無傷で帰して貰えるかもしれない。寧ろ、上手く事を運べば恩を売る事も可能でしょう」

 誇りか、優しさか――――ルインの言葉は、皮肉を含みつつもアウロスの保身を促すものだった。

 要するに、賞金首の自分を手土産に、許しを請うと言う案だ。

 しかし、その言動はともかく、表情は明らかに作り物だった。

 如何せん、彼女は笑顔が上手くない。

 それを何となく愉快に思いつつ、アウロスは腰を上げた。

「冗談はそこまでにしとけ。さっさと対策を練るぞ」

「……」

 或いは本心だったのか――――アウロスの反応にルインは真顔で沈黙した。

 いずれにしても、アウロスに真摯に受け止める気はなかったが。

「6対2、更に増援の可能性あり。こう言う状況では、まず逃走経路の確保が第一だな。無駄に戦う意味はない」

「……この辺の地理は全くわからないけれど、逃げてはいけない方向はわかっている」

「そだな。敵の本拠地に突っ込んでも仕方ない。反対側に向かって走るしかないだろう」

 ルインが話に乗ってきた事で内心ホッとしつつ、会話進行。

「取り敢えずちょいと捻った感じの封術でここは塞いでるから、今の所は踏み込まれる心配はしなくて良い。ただ、出た瞬間の集中砲火は免れないだろう」

 殺気が正確に感知出来ると言う事は、それだけ近距離にいると言う事。

 既にここに隠れている事は知られていると判断して間違いない。

「対処法は?」

「ただ単に結界を張るだけでは難しいな。6人も居るんじゃ、2人の結界では手に余る。敵の裏をかく必要がある」

 魔術士の綴る結界は万能ではない。

 6種類の魔術を防ぐには、6種類の結界が必要――――と言う程に融通が利かない訳ではないが、基本的には個々の攻撃魔術に対応した結界でなければ完璧には防げない。

 熱に弱い結界もあれば、風圧に脆い結界もある。

 それに、範囲の問題も無視出来ない。

 360°対応の結界は魔力の消費が激しく、防御効果自体も弱い。

 仮に囲まれてしまった場合はあっと言う間に魔力が底を突いてしまう。

 特にアウロスのような燃料の少ない魔術士であれば、尚更だ。

 以上の理由から、この小屋の出方には気を使う必要がある。

「投降した振りとか?」

 ルインは口の端を吊り上げつつ、そんな提案をしてくる。

 無論、冗談のつもりらしい。

「命狙われてるのにそんな事してどうすんだ……要は、一斉攻撃をさせなきゃ良いんだ。タイムラグさえあれば何とでもなる」

「何とでもなるの?」

「ま、何とでも」

 ぶっきらぼうだが、淀みはない。

 それを感じ取ったのか、ルインは疑惑の視線を止めた。

「それじゃ、具体的な作戦について俺の意見を述べる」

 窓から差し込んでくる日光が明るさを増し、床に落ちている埃が徐々に視界に入って来る。

 アウロスは暫くそれを見つめ、視線をルインの目へ向けた。

「分担作業だ。お前は退路を見つけろ」

 ルインの眉が微かに動く。

 それを確認し、続けた。

「俺は敵を足止めする。市街地なり公道なり、退路になりそうな所を見つけたら、頃合を見て音か何かで合図してくれれば良い」

「……それは、貴方が囮になると言う事?」

「ああ。俺はお前のように気配は消せないから、2人同時に逃げるのは得策じゃないし、二手に別れても同じ事だ。ならお前に逃げる方向を検索して貰って、その間に俺が撹乱する。それが一番効率が良い」

 穏やかに説くアウロスに、ルインは冷たい笑みを浮かべた。

「それなら、私が囮になる方が貴方には都合が良いでしょう?」

 冷たい瞳。

 冷たい微笑――――

「私が一人出て行けば、連中は貴方の事など眼中から外す。標的は私なのだから。幾ら気配を悟られても、そうなれば貴方は確実に逃げられる筈」

 決して暖かではない口調で紡いだ言葉の内容は『自分が足止めをするから貴方は逃げて』と言う、古典的な自己犠牲論だった。

 尤も、このような事態に巻き込んだ事への落とし前としては、こちらの方が正論ではある。

 ルインにとって、アウロスの提案はある意味屈辱的だったのかもしれない。

「お前、複数の敵と戦り合った経験はどれくらいある?」

 しかしアウロスは、そんなルインの意見を跳ね除ける為の作業に取り掛かった。

「それはもう。星の数程の……」

「嘘吐け」

 再びバッサリと否定。

 すると、ルインの顔に微かな狼狽が浮かんだ。

 正確には、アウロスにはそう見えた。

「殺し屋は滅多に多人数で行動しない。徒党を組む事はあっても、仕事を行う際には単独を好む。特に暗殺者は一人でなければ何かと行動し難い」

 殺し屋の精神は、ほぼ例外なく故障ないし欠落している。

 死の概念を把握出来ていない者、常日頃標的の亡霊に怯える者、そして悦楽を覚える者――――いずれにせよ、隣に仲間を置けるような人間ではない。

「そんな連中を狩って来たのなら、当然一対一が主な戦闘状況だった筈だ。よって多対一には余り慣れていない。違うか?」

「……貴方は慣れていると言うの?」

 疑問を疑問で返す。

 通常は会話のペースを乱したり主導権を奪う為の手法だが、それは裏を返せば攻め込まれている事の証。

 アウロスは事実上の肯定と判断した。

「何十人もの敵の中に突っ込んで、1人でも多く道連れにする。それが俺の戦闘経験の大半だ」

 そして、作業を進める。

 それはアウロスにとって、余り気持ちの良い告白ではなかったが、それでも必要な事だった。

「道連れ……には、ならなかったけど」

 目を伏せながら、呟くように。

「そう言う訳で、合理性の見地から囮に適任なのは俺。わかったか?」

「わからない」

 再び顔を上げたアウロスに、ルインは吐き棄てるように反論する。

 その表情は、苛立ちや不愉快さがありありと見て取れた。

「そりゃ、戦闘の専門家相手に俺の力を信用しろとは言えないが……」

「そう言う事ではないのよ!」

 突如。

 鋭さのない叫びが、アウロスの鼓膜を圧迫した。

「何故貴方は率先して危険な役割を担おうとするの? 女性崇拝家を気取っているのなら、それは大いなる勘違いよ?」

 言葉は相変わらず攻撃的。

 だが、そこに魔女と恐れられ【死神を狩る者】と畏怖される女性の顔はない。

 それは意外でもあり、当然でもある。

 アウロスは彼女の事を良く知っている訳ではないのだ。

 であれば、今見ている彼女の方が風評や普段の外面からのイメージよりも本質に近いと言う可能性は、決して低くはない。

「……それこそ大いなる勘違いだ」

 少々言葉に詰まりつつ、アウロスは作業を続ける。

「それなら尚の事!」

「良く考えてみろ。狙われてるのはお前。しかし飛び込んで来たのは標的ではない方の男。この場合、敵はどう動く?」

 丁寧に言葉を探して、確かめる。

 ルインは徐々に、感情を表に出し始めた。

「それは……」

「連中にとって、俺の首には何の価値もない。適当に人数を割いて、残りはお前の方を追うだろう。しかし、お前は気配を消す達人だ。幾ら相手が追跡のプロでも、視界が限定される森の中でお前を見つけるのは困難な筈。初動が遅れれば、更に追いつける可能性は低くなる」

「……」

 その感情は、主に狼狽。

 ただ、アウロスにとってはそれ以上の把握は難しかった。

 何故なら、アウロス自身もまた、少なからずこの提案には緊張を覚えていたからだ。

 洞察や人間観察に頭を働かせる余裕は、ない。

「まず俺が出て行く。相手は肩透かしを喰らいつつも警戒する。警戒しつつ、お前の所在を探るだろう。恐らく俺には1人か2人しか付かない。だが、その1人2人で負担は一気に減る。そうなれば退路は見つけ易い。退路さえ確定すれば、逃げるのは難しくない。重要なのは、多対一の数的不利を出来るだけ回避する事だ。お前が囮として飛び込んで行ったり2人同時に逃走したりしたら、それが困難になる。簡単な理屈だ」

 感情論を排除した、機能的な理論を極力呼吸をせずに連ねた。

 ルインは反論こそしないが、納得出来ていない様子でアウロスを睨んでいる。

「反論がないならこれで行くぞ」

 アウロスはその視線を振り切るように、半ば強引に作戦会議を打ち切り、扉の前に立って指を光らせ、施していた封術を解いた。

 これで小屋は材質のみの防御力になる。

「そっちに回った敵が追い付いて来た場合は、自力でどうにかしてくれ。油断するなよ」

 敢えて挑発的に問う。

 その意図に沿うように、ルインは表情を変えた。

 いつもの彼女に近いそれに。

「言われなくとも、自分の身くらい自分で護れるのよ、私は。これまでもそうして来たんだから」

 昨日の言葉同様、彼女のこれまでの生涯を表す発言。

「……そうか」

「ええ」

 ある意味剥き出しとも言えるその物言いに、アウロスは今度は表情を崩す事なく受け止めた。

「じゃ、行ってみようか」

「集中砲火の件はどうするの?」

「それに関しては、考えがある。敵の大体の位置を教えてくれ」

 アウロスの問いに、ルインは扉の少し右の壁を指差す。

 それを見たアウロスは小さく頷き、指輪を光らせた。

 宙に舞う滑らかな文字。


 逃走準備、開始――――

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