第3章:臨戦者の道理(12)
閉館の時間を向かえたクワトロホテルは、内部のパーティー会場を除けばシーンと静まり返っている。
しかし、警備する面々に油断の色は見られない。
展示品はまだ搬出されていないし、中にいる要人達も殆どが一泊する為、警備の仕事はまだまだ続いていた。
ある者は仕事に対してのプロフェッショナルな意識を、ある者は上司に対するアピールを、ある者は危機察知能力の鳴らす非常ベルの音を、それぞれの胸に秘めつつ精神を研ぎ澄ませている。
(……そろそろ、か)
入り口を警備しているアウロスは、闇色の雲が光を覆う空をただ静かに眺めていた。
既に人通りは殆どなく、怪しげな気配もない。
時刻は23時を回り、そろそろ宴もたけなわと言ったところだ。
そして、アウロスはその時間に何かが起こると踏んでいた。
もし自分がこのホテルに侵入するなら――――そんなシミュレーションを脳内で作り上げる。
まずは目的。
当然狙うのは、展示品か要人。
その何れも会場内部にあり、手練の魔術士が警護に当たっている。
それらを狙うには、まず警備員をどうにかしなければならない。
その手段として最も有効なのは――――内通者を送り込んで混乱を来たす事。
外部から不測の刺激を与えても、その対処のノウハウはプロであれば心得ている。
しかし、それが内部の大きな失態であれば、平常心は保てず場は荒れる。
外に誘き寄せる事が出来れば尚良い。
誘蛾灯に選択した人間を人質に、と言うポピュラーな手段は敢えて用いない。
人質は最終的に必ず足枷になるからだ。
人目に付かない所へ隠蔽すると言う方法も、その過程で騒がれて事を荒立てられる可能性が高い。
自然に野に放ち、監視しつつタイミングを見計らうと言う方法が、最も波風が立たない。
(それを画策した奴らが間違いなく、いる)
予想よりかなり早く見つかって失敗に終わったようだが、その存在は既に察知していた。
そうなると、次の手は限られて来る。
先の手で使った駒を切り札に変えるか、それとも――――
「誰だ?」
アウロスの横で同じく入り口を警備していたグレスが、誰何の声を上げた。
その矛先は、外ではなく中。
玄関からフラッと出て来たその人物は、魔術士の証であるローブをまとっている。
顔を伏せつつよろめきながら、石畳を前進してくるその魔術士は、明らかに常軌を逸した挙動で前進して来た。
その顔が上がると同時に、グレスはその人物を認識する。
「ん? お前は確かフランブル隊の……」
「うう……あああああっ!!」
突如の咆哮。
まるで何かに取り付かれたかのような形相で、魔術を編綴し始めた。
「な……!? 何のつもりだ!」
「俺らをどうにかするつもりなんだろ」
男の代わりにアウロスが答える――――と同時に、球状の炎の塊が襲って来た。
【炎の球体】と呼ばれる、赤魔術で最もシンプルな攻撃魔術。
しかしシンプル故に使い勝手が良く、簡単な編綴で大きな魔力を込める事が出来る。
莫大な魔力量を持つ魔術士なら、大の大人がすっぽり包まれる程の大きい形状のものや、地面に大穴が空けられる程の威力を含有した球体を放つ事も可能だ。
男の放った【炎の球体】はそれ程の規模ではないが、まともに喰らえば大火傷は免れない。
「隊長、結界」
「言われなくとも張っている!」
とは言え、実戦慣れした魔術士にとっては大した脅威ではない。
グレスが瞬時に編綴した対赤魔術用の単面結界によって、あっさりシャットアウトされた。
「くそっ! くそっ! くそおおおっ!」
ヤケクソ気味に【炎の球体】を連発してくる。
が、グレスの結界に加え、コントロールの乱れもあり、アウロス達には掠りもしない。
「落ち着けバカ者! 一体何がどうしたと言うのだ!」
「恐らく……」
一人だけ何の昂ぶりも見せないアウロスが、右足をスーッと伸ばす。
それに何かが勢い良く引っかかり、派手に顔面から大地へとダイブした。
何かが割れる音と潰れる音がして、同時に情けない悲鳴が上がる。
「こいつらの差し金だろ」
そこに倒れていたのは――――目の周りが割れたレンズによって血だらけになった、四角い顔の男だった。
「侵入者……!? と言う事は、これは……陽動か!」
「まだいるな。そことそこ」
アウロスが門の外に出ると、その指摘通り門の直ぐ傍で機を窺っていたと思しき男が二人立っていた。
アウロスの姿に怖気付いたのか、二人は一目散に逃げ出す。
その先に――――見回り中の長髪四天王の一人がいた。
「う、うわっ! 何だお前ら……ひゃああっ!」
情けない声を上げたのは、逃亡する不法侵入未遂の人物――――ではなく、警備を行っている筈の魔術士の方だった。
「そいつ等を捕まえろ! 侵入者だ!」
「え? そ、そんな急に言われても」
これまでのアウロスに対する態度はどこ吹く風。
横切る侵入者達を及び腰で見過ごすその姿は、動揺を通り越して戦慄すら露わにしている。
(これが金貰って警備してる人間の行う対応か……)
呆れるままにアウロスは息を漏らしつつ、指輪を光らせた――――が、逃亡者達は既に角を曲がっており、姿が見えなくなっていた。
「……」
そのあっけない幕切れと同時に、フランブル隊の魔術士が攻撃を止める。
腰が砕けたように座り込むその顔には、魔力の消費による疲労の他に、どこか安堵感のようなものが混じっていた。
「……仲間、って感じでもなさそうだな。急造の盗賊団って所か」
アウロスは再び門を潜り、鼻血を出して気絶していた侵入者の元に戻る。
「起きろ」
「ぎにゅっ! ふ、ふひぃっ!?」
そして、首を足で踏みつけて強引に意識を戻した。
「これからお前に幾つか質問する。俺が嘘だと判断したら即この首へし折るから、正直に誠実に素直に正確に確実に率直に間違いなくありのままに偽りなく答えろ。良いな」
そう脅迫するアウロスの目は、どこか遠くを見つめていた。
そこに在るのは――――人の死を明確に捉えた影像。
「は、はひっ」
グレスが意外そうにその姿を見つめる中、尋問は始まった。
―――――アウロスの見立て通り、男達は強盗を目的とした急ごしらえの三人組だった。
目的はレアメタル【高純度メルクリウス】の強奪。
その為にフランブル隊の一人を金で釣り、一般人の来客がなく誘蛾灯まで来てくれる三日目を狙い、計画を実行に移したと言う事だ。
「共謀者を使って総大司教の息子が外へ出て行くよう仕向け、中の警備員に彼の不在を通達。失態の漏洩を恐れ、内部で処理しようとする為、殆どの人員が捜索に躍起になり、場は混乱する筈だった……お前さえいなければ」
怨念の篭ったようなその声は、喉を押さえられているからではないだろう。
侵入者は無念や恐怖よりも、計画が失敗に終わった要因への呪いを優先させていた。
「で、最終的にはこんなお粗末な陽動作戦で侵入を試みた、と。そこまでしてあの石が欲しかったのか?」
「石だと……おいガキ! 例え無知であっても高純度メルクリウスを石呼ばわりなど許さ……んぐっ」
アウロスの足に全体重が乗る。
「口の利き方に気を付けろ犯罪者。焼死凍死溺死窒息死感電死、フルコースで味わいたいか?」
「ひぃぃぃっ、すいません興奮して調子コキました」
アウロスは疲労困憊の状態だと普段に増して口が悪くなると言う悪癖を持っていた。
「メルクリウスだか雌クリ売るだか知らんが、こちとらデスクワーク担当だってのにこんな所で何時間も突っ立って足がつりそうなんだよ。何でだと思う? お前らみたいなのがこの世に居るからだろうが。わかってんのかコラ。殺すぞ」
「ギャアアアアア! ギャアアアアアアアア!!」
ストレス発散の現場を嘆息しながら眺めていたグレスは、項垂れる魔術士に視線を移す。
その双眸には、同じギルドの人間に対する同情などまるでない。
「抵抗は止めておけ。容赦出来なくなる」
静かにそう告げ、続ける。
「お前の行為はギルドへの裏切りに他ならない。諮問会議にかけられ、厳重な処罰を下されるだろう。覚悟しておけ」
「……はい」
この男が何故金の為にギルドを裏切ったのか、グレスが問い質す事はなかった。
それは自分の役目ではないし、必要性もない――――それがグレス隊の隊長として示した判断だった。
「隊長、時間です……あれ? 一体何が……うわ」
外回り担当のもう一人がアウロスの剣幕にビビリまくる中、グレスは戦闘態勢をここでようやく解く。
「もうそんな時間か。少年! そこまでにしておけ。声が出ないようにされても困る」
「チッ」
アウロスは舌打ちしつつも、隊長命令に従い足を退ける。
その下では、記念すべき一人目の展覧会来訪者が拘束の必要がない程ズタボロになっていた。
「こいつはオレが連行……運搬するとしよう。それでは、二人とも頼むぞ」
「は、はい……」
グレスに返事しつつも、長髪二人の怯えた視線はボロ雑巾とアウロスの双方に向けられている。
この場面を持って、アウロスに対する彼らの態度は再び豹変を遂げた。
「……何か輩を見る目で見られてたような」
「お荷物よりはマシだろう」
大人一人並のボロ雑巾を軽々と抱えて通路を歩くグレスが、ここぞとばかりにほくそ笑む。
しかし、気の緩みに繋がると感じたのか、直ぐに顔を引き締めた。
「実戦慣れしているな、お前は」
「そう言うリクエストの元選ばれた筈だが?」
「まあな。だが所詮は机の上が主戦場の研究員――――そんな先入観から、期待は全くしていなかった。寄こされたのが体力も魔力量もない、礼儀知らずの生意気な少年と来れば尚更だ」
随分な言われようだったが、ほぼ事実なのでアウロスは反論出来なかった。
「まさか、あの状況であれだけ落ち着いて対処出来るとはな。情けない話だが、オレの部下ではああは行かない」
心底口惜しげに、しかし前を見据え、グレスは自分の隊へ苦言を呈した。
実戦経験の希薄さを懸念し、予行練習を多めに行ってはみたが、効果はないに等しい。
魔術の技法や実戦の心構えは教える事が出来ても、実際に敵と対峙した時の心の揺れを制御する術は、自身にしかわからない。
自分で掴むしかないのだ。
「……お前、歳は幾つだ」
「? 17だが」
「17か……」
併行している17年しか生きていないこの少年は、既にその術を知っている――――その事実がグレスの自尊心をかき乱す。
どう言う教育をすれば、このような人間が出来上がるのか。
部下を持つ人間としての責任感とギルドに身を置く者としての誇り、そして過去に袂を別った盟友への対抗心と憧憬が、グレスの喉を通り口の外に出る――――寸前で止まった。
言葉になれば、余りに醜いであろうその想い。
他人に向けて発するべきではないと言う、高等で虚しい自制だった。
「にしても、妙だな」
グレスが己との対話にかまけている中、アウロスがポツリと漏らす。
「何がだ?」
「今回のその男もそうだが、こう言う展示会には危険人物が出没する可能性がかなり高い。非公式だが、魔術士殺しとか言う危険人物も近くに出没してるらしい」
「ああ、俺も聞いた。物騒な話だが、だからこそ厚めの警備を要求したんだろう」
「だったら、どうして総大司教が……」
――――刹那。
「っぎゃああああああああああ!!」
「!」
尋常ではない音量の悲鳴が、二人の鼓膜を遠慮なく揺すった。
その絶叫から声の主を判断するのは難しいが、状況は読める。
「侵入者……!? さっきの連中が戻って来たのか!?」
「あんな連中にそんな度胸があるか。戻るぞ」
吐き棄てつつ、アウロスは身体を翻して疾走した。
グレスもそれに続く。
尚、ボロ雑巾は無造作に放り投げられ、どこぞに転がって行った。
(この悲鳴は生命の危機に瀕した人間の発する類のもの――――襲撃者の戦力は――――数は――――標的は―――――!)
新たな悲鳴が何度か上がる中、エントランスに辿り着いたアウロスはその光景に最悪の事態を想定した。
内部を警備していたと思しき魔術士が数名、赤い液体を流し倒れている。
何者かが襲撃して来たのは誰の目にも明らかだ。
階段の踊り場で倒れている者もおり、その方向に襲撃者が向かったのは想像に難くない。
仮に内部のものの謀反なら、もっと多くの悲鳴か急追の足音で騒がしい筈だ。
「少年! お前は外を見て来い!」
ほぼ同時に到着したグレスはその状況を確認するや否や、アウロスを安全な方へと追いやった。
それに対し、アウロスは首肯して理解を示す。
こう言った状況下での背信や逡巡は即、誰かの命を冥界へと誘うからだ。
「……!」
全力疾走で玄関を出たアウロスの目に飛び込んで来たのは、入り口を警備していた二人の正常ではない姿だった。
一人はうつ伏せに倒れ、もう一人は蹲ってガタガタと震えている。
アウロスは間髪入れずに倒れている男に駆け寄った。
「おい! 意識はあるか!」
声を掛けつつ身体を起こし確認する。
髪に隠れていた顔が土気色になっており、意識はない。
(脈は……)
あった。
偶然か必然か、絶命には至っていない。
人並みに安堵の顔を浮かべ、改めて負傷箇所の確認を行う。
(右肩から左の脇にかけて一閃……刀傷と見て間違いない)
致命傷ではないが、このまま出血が続くと絶命の可能性もあった。
そう判断するや否や、アウロスは魔術の編綴を始める。
「……! お前、何を……!」
その光景に異質なものを感じ取ったのか、蹲っていた男が震える唇で声を上げた。
それもその筈、魔術に傷を治したり人を生き返らせるような効力のものはない。
ならば、考えられるのは――――
「か、火葬するつもりか!? 止めろ! せめて親御さんに……」
しかし、アウロスはそんな訴えを気にも留めず続ける。
次の瞬間、炎の塊がアウロスの掌の上に発生した。
そしてそれを、負傷した男の身体にそっと宛がう。
「ひっ!」
肉を焼く焦げ臭い匂いと、そのエグい光景に、傍観者から悲鳴が上がる。
3秒、4秒――――
「……よし」
約10秒程焼かれた上半身の傷口が凝固され、血が止まっていた。
その様子に狼狽しきっていた男の口から、ようやく安堵の息が漏れる。
「火葬じゃ……ない……?」
「勝手に人を葬儀屋にするな」
アウロスは心中で嘆息しつつ、再び編綴に入る。
空中に9つの文字が躍り、今度は低温の青い光が掌の上に現れた。
それを焦げた皮膚に当て、熱を逃がす。
「で、一体何があった?」
少しゆとりが生まれた所で、期待薄ではあるが状況の把握に努める。
「きゅ、急に何者かがズカズカ入って来て……そいつにカンビアがいきなり斬られて、倒れて……そ、それくらいしか覚えてない」
予想通り、長髪四天王の一人の名前が判明した事くらいしか収穫はなかった。
その収穫も微妙だが。
「そうか。ところで最寄の施療院の場所知ってるか?」
「え? い、いや……」
「なら探せ。外回りの2人を見つけて3人で聞き込みでも何でもして探して、こいつを診て貰え」
「い、生きてるのか? カンビアは助かるのか?」
「助かるから言ってる。さっさとしろ」
仲間の生死の確認すらしていなかった男に対し、アウロスは怒鳴るでもなく淡々とそう指示した。
「わ、わかった!」
役割を担った事、仲間が生きていた事にエネルギーを貰ったのか、弾けるように飛び出して行く。
それを見届けたアウロスは青魔術を打ち切り、カンビアの身体を寝かせ、無言のまま視線をホテル玄関の方へ移した。
外を見て来いと言う命令は、既に実行した。
グレスの気遣いを無視すれば、これからの行動は自己判断に委ねられる。
(さて、と)
アウロスは何の躊躇もなく、襲撃者の待つクワトロホテル内部へと向かって走り出した。
怪我人を放置する罪悪感など欠片もない。
この状況で担うべき役割は、負傷者を勇気付ける事ではない。
そもそも、そう言った術をアウロスは知らなかった。
(……こいつも、か)
中に入り、改めて倒れていた魔術士の生死を確認する。
エントランスに2名、二階へ続く階段の踊り場に1名、その全員が生きていた。
(敢えて殺さなかった、と見るべきだろうな。となると……厄介だな)
攻撃力を有する複数の敵を全て殺さずに無力化させると言うのは、非常に困難で面倒な行為だ。
確かな信念と圧倒的な実力差の両方がなければ、到底成し得ない。
目的の為に手段を選ぶ力を持った襲撃者――――それがこれから対面する敵だと想定したアウロスは、疲労によって熱と激痛を伴っている身体を引きずるようにして、二階へ向かった。