後日譚:忘却の綴り(41)
「我が貴様に素性や情報を話す理由など何処にもないが……そうだな。先程の気色悪い男の情報と交換でいいのなら、話せる範囲で話そう」
「ありがたい申し出に感謝する」
珍しく、アウロスは自分の意志でサニアに深々と頭を下げた。何しろリジルについて知っていることを話した所でデメリットが一切ない。アウロスにとっては最高の展開だった。
「では何から聞きたい?」
「そうだな……まずは論文の清掃とやらを詳しく教えて欲しい」
その問い掛けに、サニアより先にレゼリアが反応する。
それもその筈。ミストの先刻の説明を全く信用していないと言っているに等しいのだから。
「叔父様が嘘をついていると思ってます?」
「嘘は言ってないだろうが説明は不足してるだろうな。近々隠居する予定でもない限り、あの腹黒教授が手の内を全て見せるとは思えない」
何より、今の自分がミストから全面的に信用される要素が何処にもない。ならば当然、全てを明かすような真似はしない。ミストを深く理解しているからこその断定だった。
「……本当に叔父様の推理通り、叔父様と近しい立場だったんですね」
そしてレゼリアもまた、そんなアウロスを一切非難せず賛同の意を示した。
「この魔術霊園の論文は原則、もう世に出ない研究を保管してある筈だ。それをあえて清掃と表現して選別することに一体何の意味があるのか。清掃係が知らない訳がないよな?」
「我はこの仕事に就いてまだ日が浅い。貴様の知りたいことを知っているとは限らんぞ?」
「そんな杜撰な仕事はさせないだろ。少なくとも俺の知っているデウスなら」
――――そのアウロスの発言を契機に、サニアの様子は一変した。
「……先程から気になってはいたが、デウス師に対して随分と軽んじる物言いをするではないか」
そしてその様子は、アウロスの良く知る四方教会の一面。デウス至上主義とまでは言えないが、デウスに心酔している面々で構成されているのだから彼への言動には当然のように過敏になる。
その中でサニアは比較的寛容だったが、あくまでも比較論に過ぎない。知らない男がデウスに対し馴れ馴れしい発言をしていれば、怒りを露わにするのは必然だった。
もっとも、アウロスにはデウスにもサニアにも配慮する理由がない。彼等に対し恩を売った意識はないが、気を遣う必要性も全く感じていない。それだけの労力を彼等には捧げている。
「軽んじているつもりはない。ただ、俺は別にあの男を崇拝してる訳じゃないからな。俺が懇意にしてるのはマルテだ」
「……成程。御子息の方か」
そう言いつつもサニアは納得した顔はしていない。そしてアウロスもまた、彼女が納得していないことに納得していた。
デウス本人は、崇拝されることを決して望んではいない。頼れる兄貴分くらいに思って欲しいのが本音だ。だが彼が何を言ったところで今更根っこは変わりようもない。人間とはそういうものだ。
「気が変わった。先程の気色悪い男の情報はいらん。代わりに貴様と勝負させろ」
そして人は時に、理不尽な要求をする。それが不毛だと知りながらも。
「脈絡なさ過ぎませんか? 勝負って……」
「貴様は無関係だろう。大人の会話に口を挟むものではない」
サニアにとっては、皮肉でも嫌味でもなく感じたままの発言でしかなかった。だがそれは――――レゼリアの逆鱗に触れる一言だった。
「……私が子供だと言いたいんですか?」
ミストに似て、常に余裕綽々の態度を見せてきたレゼリアが露骨に顔をしかめている。それも明らかに憎しみを込めて。
これにはアウロスも流石に若干の驚きを禁じ得なかった。
「そうですね。確かに私は典型的な大人の女性と比べると少しだけ幼く見えるかもしれません。そう誤解されることは多々ありますし今更その程度の誤認に怒りを覚えるほど子供ではありませんが」
「激昂してるようにしか見えないが」
「ロスト先輩は黙っててくれませんか? これは私の戦争なんです」
既にレゼリアの中では開戦していた。
「ふむ……気を悪くしたのなら謝罪しよう。だが我は別に貴様の容姿だけを見て子供と判断した訳ではない」
「……言動から未熟さが滲み出ていると仰いますか?」
「今度は正しく伝わってようで何よりだ」
そしてサニアも、その認識を共有していた。
好戦的な人格のサニアが、売られたケンカを買わない理由はない。
「ロスト先輩が出るまでもありません。私がこの鬱陶しい喋り方の女をわからせてやります」
「面白い。大学で温々と頭の体操をしている魔術士如きに我が倒せると思っているのなら、その稚拙な幻想を燃やし尽くしてやろう」
両者、歪んだ笑みを浮かべながら睨み合う。
この一連の流れを傍観していたアウロスは頭に『同族嫌悪』という言葉を思い浮かべたものの、口にしても損するだけと判断し代わりの言葉を探した。
「殴り合うのは構わないが、先に情報だけは話しておいて貰いたい。時間が勿体ないからな」
「ほぉーう。この我がそこの胡散臭いガキに負けて口も開けなくなるかもしれないと言いたい訳か? 随分嘗められたものよ」
「面倒臭がってます? 私が戦っている間に帰ろうとしてますよね? 私、ロスト先輩のために牙を剥いてるんですよ?」
結局、自重した意味はほぼなく両名から睨まれてしまった。
「……まあ良かろう。貴様はご子息と親しいという情報を我に貢いだ。ならばお返しせねば我が名が廃る」
如何にもサニアらしい理屈。要は借りを作るのを極端に嫌う。その点に関してはアウロスも昔から共感していた。
「先程の質問に応えよう。魔術論文の清掃とは、単に生きている論文と死に論文の選別するだけではない。前者の洗浄を意味する」
「洗浄……資金洗浄と似たような意味ですか?」
「賢しいな小娘。まさしく資金洗浄から派生した隠語に他ならん」
小娘と言われ目を吊り上げるレゼリアを無視し、サニアは愉快そうに語り続ける。この時点でアウロスは、サニアがここへ来た目的は彼女自身ではなく別にあると確信した。
「資金洗浄は犯罪で得た金の出所を有耶無耶にして一般市場で使える資金にすることだが……魔術論文の洗浄も根本的には同様。論文の出所を特定できないようにした上で魔術学会や闇市場へ送り出す。この魔術霊園の場合は――――」
「出所がウェンブリー大だとわからなくする偽装か」
「その通り」
そこでようやく、アウロスは自分も決して無関係ではないことを悟った。
アウロスがウェンブリー大で完成させたオートルーリングの論文は、ミストによってファーストオーサーを書き換えられた。その上で、ミストはその論文を直接ではなく闇市場に流す形で教会へ上納しようと目論んだ。教会と大学が直接的な関わりを持ってはならないという法律上の問題をクリアするためだ。
闇市場を介せば、論文の出所は一旦白紙になる。まさしく論文洗浄のプロセスだ。
つまり、かつてミストはオートルーリングの論文を洗浄することで教会進出の足がかりにしようとしていた。その洗浄を行っていたのがこの魔術霊園ということになる。
「大学との関わりが禁じられている立場や組織に向けて魔術研究を上納する場合、或いはデ・ラ・ペーニャとの取引や交渉を行っていない国へ研究を売り込む場合などに利用されるのが通常だが、中には別の目的もある」
「それは簡単ですね。勿体振る必要もありませんよ」
サニアに対抗心を抱いているレゼリアが不敵に微笑みながら前に出る。特に止める理由もないため、アウロスは解答権を譲った。
「邪術に発展する可能性のある研究や犯罪利用されそうな魔術……要するに大学の名前で世に出せない危険な論文を洗浄する場合、ですね?」
「確かに、小童でも思い付く程度の浅慮な発想だの」
「……」
「そう睨むでない。考え方自体は合っておる。『大学の名前で世に出せない』の部分が間違いなだけでな」
そう答えた直後、サニアの足は論文が並ぶ本棚の前で止まった。
「最初から大学の名前で発表する予定などない、研究者のエゴのみで行われた研究。その類の論文だからこそ、とてつもないお宝が眠っている可能性がある。師はそう言っておった」
「……やっぱりか」
サニアがわざわざ第二聖地で仕事をしている理由。それがデウスのためなのは、四方教会をよく知るアウロスには明白だった。
「デウス師は先の教皇選挙の折、重傷を負っておる。幸い一命はとりとめたが、臨戦魔術士としての全盛期はその怪我で潰えた」
「その怪我を治す魔術を探してるんですか? でもそれは……」
「わかっておる。治癒を可能とする魔術の研究は古代から行われているが、実用化の目処はまるで立っていない。この魔術霊園にその萌芽が存在するとも期待していない」
「だったら……」
「我が欲しているのは、どちらかと言えば呪いの類だ。自分の負傷を他人に肩代わりさせる……そんな魔術を必要としている」
サニアが目を細め、己の左鎖骨を右手で包み込む。
それが何を意味しているのか、アウロスは瞬時に理解した。
「呪術と魔術の融合。それを熱心に研究していた魔術士がこの第二聖地にいたと知ってな。ここならばと思い清掃係とやらになった次第よ」
呪術と魔術の融合――――
それは奇しくも、アウロスが忘却病の可能性の一つと考えている術式だった。




