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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
アフターストーリー「大陸編」
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後日譚:忘却の綴り(40)

「……総当たりって、あの数の論文を全部ですか?」


 一旦場を離れていたレゼリアが小脇に書類を抱えて戻ってくる。その口調は驚きよりも呆れに近いが、それも無理のない話だ。


 研究論文を隅から隅まで読むとなると、速読では到底不可能。それは文章量の問題ではなく情報量の問題だ。


 論文はその一冊で完結する物ではない。そこに記されている考察や示唆は数多の参考文献によって理論を強化しているが、その多くは独自の解釈や私見に基づいている。中には理解に苦しむ見解も多く、一筋縄ではいかない。


 そして往々にして価値のある論文ほど解釈が難しい。嫌でも時間を消費させられる。


 それを100冊以上読むともなれば、到底数日で終わる作業ではない。


「それは流石に無謀では」


「……」


「いや別に責めてる訳じゃないんですよ? けど研究論文って一冊読むのにも相当な時間が……」


「……」


「……ロスト先輩、私また余計なこと言っちゃいました?」


「さあな。正論を余計なお世話と感じるかどうかは人それぞれだ」


 サニアがどのタイプなのか、アウロスはよく知らない。少なくともこっちの人格のサニアに関しては全く把握していないし、それは接する時間が短かったからでもない。


 世の中には努力だけでは知りようのないことがある。それだけの話だ。


「とりあえず好きにさせてみればいい。一応、問題行動を起こすような人間じゃないのは保証する」


「わかりました。もし論文を焼却処分されたらロスト先輩のせいってことで」


「……」


 論文の清掃とやらがどのように行われるのか知らないアウロスにとって、レゼリアの冗談は冗談に聞こえなかった。故に仕方なく釘を刺す。


「……好きにして貰って構わないが、あまり乱暴なことはしないで貰えると助かる。デウスに賠償を請求しなきゃならなくなるからな」


「ほう。貴様、デウス師の知り合いか?」



 不意に――――人格が豹変した。



 そしてその口調は、アウロスが最もよく知るサニアの人格だった。


 とはいえ再会の挨拶はできない。彼女にとっては初対面なのだから。


「……一応な。生憎、向こうは俺のことを覚えちゃいないだろうが」


「そうかな? デウス師は相手の格で覚える人物を決めるような俗物とは訳が違う。貴様が記憶に値する人間ならば覚えている筈だが」


「確かに、そういう性格だな」


 決して『分け隔てなく』というタイプではない。勿論謙虚とは程遠いし選り好みもする。しかし身分や冨で接する相手を決めるような人間ではない。


 前教皇ゼロス=ホーリーの息子であるデウス=レオンレイは、その肩書きなど不要なほどの圧倒的な魔力を有している。


 魔力量の史上最高値を叩き出した天才魔術士。故に彼は自分も他者も格付けしない。する必要がないからだ。


「デウスは元気にしてるか?」


「身体は健康のようだが、心は果たしてどうかな。あ奴がいつまでも塞ぎ込んでいるとも思えぬが」


「塞ぎ込んでたのか?」


「御子息がマラカナンを離れて旅に出たのでな。自分の元を離れたくてそうしたのだと嘆いておったよ」


 デウスにはマルテという隻腕の息子がいる。訳あって長らく離ればなれになっていたが、決して子供を見捨てていた訳ではない。寧ろ子供のために教皇にまでなろうとした大馬鹿者だった。


 アウロスの加勢もあって、わだかまりのあった二人は多少なりとも親子としての縁を取り戻した。だがマルテにとってデウスは雲の上の存在であり、その存在は毒になることはあっても薬にはならない。嫌でも自分の才能と比較してしまうからだ。


「マルテは自分の力で人生を切り拓こうと頑張ってる。親なら寧ろ喜べと言ってやってくれ」


「伝えておこう。ロストという生意気な男がそう言っていたと」


 好戦的な笑みを浮かべながら、サニアはその獰猛な眼光をレゼリアの方に向ける。彼女はサニアの豹変を目の当たりにして以降、一言も喋らず呆然としていた。


「我のような人間が珍しいか? 好奇の目で見られるのは慣れているが――――」


「これが多重人格ですか。人格の切り替わる瞬間を初めて見ました。思った以上にスムーズなんですね」


 否。


 好奇心旺盛な自分を抑えるのに必死だった。


「でも、どうして急に切り替わったんですか? 確か殺気を感じたら出現する人格との話でしたけど」


「ほう……随分と我に詳しい奴がいるのだな。四方教会のサニアは第二聖地までその名を轟かせてしまったか。実に感慨深い」


 全くそのような感情を表さず、サニアはポキポキと指を鳴らす。その身に宿すのは紛れもなく――――


「殺気を浴びたのは、ここに着く前だ」


 覇気。そして闘志。


 サニアは既に体内で臨戦態勢を整えていた。


「……どういうことですか?」


「何者かに追われていてな。姿を眩まそうと雨の中突っ切ってきた。果たして逃げ切れたものか」


「ちょっ! ちょっと待って下さい! 殺し屋にでも狙われてるんですか!?」


 珍しく動揺するレゼリアに、アウロスが感じたのは――――『嘘臭い』の一言だった。


「どうにも嘘臭い反応だな。たかがこの程度のことで怯えるタマには見えんが」


 サニアも同意見だったらしく、普段の笑みを消してジト目でレゼリアを睨んでいる。


 彼女も数奇な運命を背負って生きてきた人間。洞察力は人一倍優れている。


「私なんてただの大学の魔術士ですってば。ですよね? ロスト先輩」


「そうだな。ただの 血を見ても眉一つ動かしそうにない 大学の魔術士だ」


 そんな皮肉を受け、レゼリアは割と本気でショックを受けたのか真顔で眉尻を下げた。


「レゼリアの人間性はともかく、本当に追われてたのか?」


「まあな。でなければもう一つの人格を演じたりはせんよ」



 ――――その述懐に、アウロスは思わず耳を疑った。



「……あれは演じてたのか?」


「うむ。最初の頃は中々上手くいかなかったが、最近は脱力のコツを掴んでな。ボーッとする際の身体に注目して欲しい。肩の下がり具合など絶品だぞ」


「それも大事なのかもしれないが、今は演じる理由を尋ねたい」


 以前のサニアを知るだけに、アウロスは困惑を禁じ得ない。少なくともサニアがもう一方の人格を真似るような素振りを見せたことは一度もなかったし、関心を抱いていた様子さえなかった。


「目的は、そうだな……」


「『人格の統合』への抵抗。そうでしょう?」


 それはサニアが現れた時と同じ、声が先行した介入。


 雨音が絶え間なく響いている影響もあって、人の気配を察知することが実質不可能な状況だからこその被りだった。


「多重人格の治療は『人格の統合』って言い方で治療が進められますけど、実質的には『主人格以外の消失』なんですよね。けど貴女は特殊で主人格が存在しない。どちらも副人格。だから、どちらが残るのかは生物学的にも興味深い話なんですけどね……」


「黙れ。誰が貴様のような胡散臭い輩に協力などするか。このストーカーめが」


「酷いなあ……僕にとってはこの第二聖地の方が馴染み深いんですよ。拠点に戻っただけでストーカー呼ばわりは傷付きますよ」


 その声にも、アウロスは聞き覚えがあった。だが最早関わりたい相手ではなかったため、知り合いだったことはあえて主張しない。ズブ濡れのその小さい身体に目を向けたりもしなかった。


「でも無理だと思いますよ? 一方の人格がもう一方の人格を演じたところで消失は防げません。時間が経って心が安定したら、どちらかが必ず消える筈なんです。それが自然な治癒なんですから。無理に抗うのは心身にとって不健康ですよ?」


「……とまあ、屁理屈を重ねて我を追い続けている鬱陶しいガキがいてな。余りにも鬱陶しいから珍しく我自身が殺気を放ったようだ」


 それはつまり、今のサニアではない別人格のサニアが殺気を発したということ。それも別人格出現のきっかけになると初めて知ったものの、アウロスは特に意外とは感じなかった。


 サニアの場合、記憶の共有こそあるものの二つの人格は独立している。故に『もう一人の自分』とは感じていなくても不思議ではない。


「豪雨の中を逃げ回って上手く撒いたと思ったのだが……」


「逃がしませんよー。貴女みたいな人材はそうそう見つかりませんからね。隣国でも捜し回りましたけど結局ダメでしたし。さあ、大人しく僕に観察させて下さいってば。御礼もたっぷりしますよ?」


「黙れ黙れ! これ以上我に付きまとう気なら焼き殺すぞ!」


 そのやり取りに、アウロスは思わず眉をひそめる。ただし、かつての知り合いがストーカーに成り下がってしまったことに対してではない。


「さて、冗談はこのくらいにしておきましょう」


 この男――――リジル=クレストロイが何の目的もなく魔術霊園を訪れる筈がない。


 そんな下らない確信が、アウロスの精神を削っていた。


「申し遅れました。僕は……」


「自己紹介はいい。時間の無駄だ。ここへ来た本当の目的は何だ」


「……何処かでお会いしましたっけ?」


 明らかに面倒臭そうに会話を省略してくるアウロスに、リジルは先程までの不遜かつ不敵な態度を半ば強引に取り上げられた。


「まあ、確かにそうなんですけど」


「何? 我の多重人格への関心は全て嘘だというのか?」


「いえいえ。凄くありますよ? 僕にとって『統合』のプロセスは本当に重要なんです。これを失敗してしまったから完成できてない"モノ"もありますし」


「ドラゴンゾンビだろ。色々な生物を混ぜてるらしいからな」


「……えっと、貴方は一体何者なんですか? 僕のことを知り過ぎてますよね?」


「どうでもいい。早く核心に入れ」


 元々リジルとの会話をあまり好まないため、アウロスの対応は終始杜撰だった。


「……ま、まあドラゴンゾンビの研究をしてるのは事実なんですけど。暫くこの国を留守にしていて隣のエチェベリアで色々学んで、ようやく進化させられそうなんですよね。だからサニアさん、貴女の多重人格は興味深いですし、それ以上に――――この魔術霊園にはとても惹かれるんです」


「ミストと情報交換するつもりだったんだろうけど、あいつならさっきマラカナンに出発して暫くいないぞ」


「…………へ?」


 賢聖になり情報通になったため、アウロスはミストとリジルの関係について一通り把握していた。


「ついさっき出て行ったばかりだから、今から追えば追いつけるかもな」


「……またこの雨の中を走れってことですか?」


「ここに留まるよりはよっぽど生産的だろ」


 冷めた声で促されたリジルは、明らかにその好奇心旺盛な瞳でアウロスを捉えていたが――――彼の優先順位に変更はなかった。


「うーん……一応、名前とか聞いてもいいですか?」


「ロスト」

 

「本当に名前だけしか言わないんですね……まあいいです。次会うことがあれば、僕をそこまで理解している背景を知りたいですね」


「深い理由はない。そう教育されただけだ」



『僕は教育係ですから何でも教えて差し上げますですよ』



 思えば出会って間もない頃から既にわざとらしさがあった。如何にも幼く、曲者揃いの大学の中で純粋無垢な人生を歩んでいるぞと見せかけるような言動が多々あった。


「……だとしたら、その教育者には思いやりが足りませんね」


「全くだ」


 そんな過去を思い出しながら、アウロスはリジルの小さい背中を見送った。彼との再会を決して望むことなく。


「それじゃ、生きている論文とやらの話に戻そう」


「……ロスト先輩って、もしかして物凄く顔が広いんですか?」


 そんなレゼリアの指摘は平然と無視された。








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