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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
114/381

第6章:少年は斯く綴れり(8)

 翌日早朝――――料理店【ボン・キュ・ボン】一階。

「……予約? そんな事しに行ってたの?」

 開店前であるにも拘らず、五人もの人間がテーブルを取り囲み、パンとサラダと珈琲を食している。アウロスも二日振りの朝食を取りつつ、クレールの疑問の声にゆっくりと頷いて見せた。

「ああ。何でも、当日はやたら込むって言うから、早めに馬車の予約をしとこうと思って。そしたら、隣の隣のそのまた隣の街まで行かないと無理だって言われて、えらく時間掛かった」

 しれっと言い放つアウロスに、それ以外の全員が頭を抱える。

 実際には――――その話は真実の一部だった。

 本当に馬車の予約はしているし、それが目的だった事は確か。

 ただ、この二日の失踪は、それだけではない事も確かだった。

「貴方ね……」

 しかし、そんな事は微塵も表面に出さない少年の涼しい顔に、クレールをはじめ、その場の全員が呆れつつ睨む。

「いや、皆、落ち着いて。言いたい事はあるだろうけど、ここは私に任せておくんな」

 それを代表しているつもりなのか、年少者の癖にやたら偉そうな物言いで、ラディが場を制する。

 皆が疲労と眠気で活力も判断力も乏しい中、無駄に気力ばかりが充実した小娘は、アウロスに向けて弾劾を始めた。

「やいやいやい!」

「あ、これ御土産。名産品だとさ」

「やーん、あいがとー。お土産ってさ、やっぱり真心と真心の架け橋よね。貰って嬉しい、あげて嬉しい。うふふ、何かなー? うふふふふ。うふふふふふふふ……こ、これは……この、何に使うのか想像する事すら許さない、まるで路傍に転がってる石ころのような物体は一体……これがお土産だと言うの……私の渇望したお土産だと……」

 懐柔にて寸劇は終了。

 その様子を眠そうな目で見ていたウォルトが、小さな笑みを漏らす。

「それなら一言くらい……心配したよ、本当に」

「悪かった」

 席を立ち、一礼。

 特に場の空気が悪かったり緊張していたりした訳ではないが、それでこの件は収束となった。

「ま、元気で何よりよ。今後の事はどうするの?」

「って言うか、あんたクビになったんでしょ? 発表会行ってどうすんの」

「コラ! メッ!」

 土産物の単なる石を睨みつけながらのラディの暴言を、クレールが子供を叱る様に諫める。

 しかしアウロスは特に気にするでもなく、平然とした顔で聞いていた。

「俺の論文は連名者が発表する事になるだろうから、それを聞きに行こうかなと」

「連名者って事は……ウォルトくんがやるの?」

「えっ……?」

 寝耳に水。

 眠そうだった顔が、一気に冷や汗で染まる。

「ぜ、全然聞いてないよ……? と言うか、無理だよ? 僕、そう言うのは向いてないって言うか……」

「多分ミストがやるだろな」

 アウロスの言葉に、ウォルトの心からの安堵の息が落ちた。

「にしても、良くそんなの聞きに行けるねー。私だったら悔しさでイ~ってなるって絶対。今みたいに。熱望して熱望してやっと実現したお土産の授与式で、その辺の石ころ渡された今の私みたいに」

「最低な依頼人なんでな。それに見合った物を送ったつもりだ」

 しれっと根に持ちつつ、アウロスはちょっとだけ舌を出す。普段は絶対しないその仕草は、アウロスなりの、場の空気に対する配慮だった。

 かつては――――このような事は、考えもしなかった。

 それが、今は自然に出来る。

 成長なのか、或いは俗化なのか、判断に迷うところだった。

「で、発表がされたとして……アウロスくんの名前は、論文製作者として残るの?」

 クレールの疑問に対し、アウロスの首は横へと振られる。

「そう……どうにかならないのかな」

「って言うか、それあり得なくない? いくらクビっつっても、作ったのは殆どロスくんな訳だし。クビだからって、そこを消去するのは筋じゃないって言うか、何でクビになったの? そもそもクビになる事を何でクビって言うんだろね。あー、クビが痛い」

「積年の恨みを晴らす勢いでクビクビ言うな」

 何故かラディは、満足気にその言葉を受け止めていた。

 しっくり来るらしい。

「理由はまあ、単純明快に言えば、元々俺には魔術士の資格がなかったってのが学長にバレたって事らしいが」

 実はもう一つ、ウォルトの一件での器物破損についても言及があったが、それを言う事はしなかった。

「何ソレ。今更じゃん」

「僕は全然知らなかったんだけど……本当なの?」

「ああ」

 その後、暫く資格を失った経緯に関する説明が続き――――

「……酷い話だね。明らかに悪意ありきじゃないか」

「そんなもんだろ、大学なんて所は」

 思うところがあったのか、ウォルトの顔は自分の事のように沈んでいた。

「でも、私はまだ信じられない。ミスト教授がそんな簡単にアウロスくんを切るなんて」

 クレールならではの発言だったが、アウロスは同意はせず、苦笑のみを返す。

「まあ、切られたもんは仕様がない。また別の道を考えるだけだ」

「前向きねー。幾ら何でもそこまで簡単に割り切れるもん?」

 ラディの尤もな指摘に、アウロスは苦味を取って笑う。

 しかし、その正面に座るウォルトは真顔のままだった。

「アウロスくん自身が納得してるとしても、僕には出来ない。あの研究には関わって来た人間として、一言ミスト教授に言いたい」

「私も……」

「止めとけ」

 ウォルトとクレールを制したのは――――それまで無言を貫いていたラインハルトだった。

 瞑目して腕組みをする筋骨隆々の男に、ラディは嘆息しながら視線を向ける。

「何よ部外者。この期に及んで」

「この期って……俺、そんな所まで追い詰められてるのかよ」

 脱力も一瞬。

 直ぐに真剣な顔付きに戻り、剣士は年長者の威厳を示すかのように、全員の顔をじっと見ながら口を開く。

「兎に角だ。お前らも良い大人だろ? いちいち他人の身の振り方に口挟んでんじゃねーよ。自分の事をちゃんとすりゃ良いんだよ」

 口調はラフだったが、重みはそれなりにあった。

「こいつの言う通り、俺の事より自分の仕事に邁進しろ」

「……わかった」

 本人の後押しもあり、二人は自重の返事をした。 

「でも、ま……ありがとうな」

 少し照れた感じのアウロスの礼に、穏やかな笑みが全員の顔に咲いたところで、解散となった。

 仕事のあるクレールとウォルトは大学へ向かう。

 そして、その必要のない三人は、その場で朝のまどろみに身を委ねる。

 柔らかい風が窓枠を擽り、陽射しがそれを優しく包み込む。平和な朝の風景だった。

「で、私はどうなんの? やっぱ契約終了?」

 ポツリと、ラディが呟く。

 実際、大学研究員でなくなったアウロスに、ラディとの仕事上の付き合いは見出せない。

「元々、今月で終了だったろ。俺の論文発表までだったんだから」

「そだっけ? はー、また暫くウエイトレスか……」

「情報売れよ」

「私みたいなペーペーに、そうそう顧客なんて回って来ないのよ。はー、また師匠んとこ行こっかな」

 背伸びしつつ、ラディも店を出る。

 男二人と言う、一気にむさ苦しさが充満する空間となった所で、ラインハルトが不気味な笑みを浮かべ出した。

「……んだよ」

「いや、良く頑張ってると思ってな」

 言動から、本人は暖かい顔のつもりだったらしい。

 上から目線のその科白に、アウロスが顔をしかめると、大人びた笑みを更に濃くして、剣士は肘をテーブルに付いた。

「これでもお前よりは結構長く生きてるからな。無理をしている事くらいはわかる」

「無理してるつもりもないんだが」

「今はな。だが、この二日間はそう言う訳には行かなかっただろう。二日でそこまで持って来れたのは立派だ」

 突然解雇を宣告される――――それは簡単に割り切れる事態ではない。

 大抵の場合、感情は乱れ、狼狽し、理由次第では激昂だってする。

 そんな様子を微塵も他人へは見せなかったアウロスに対する敬意が、ラインハルトの言葉には見えた。

「あいつらはあいつらなりに、それぞれ気ぃ使ってたな。敢えて空気を和ませたり、親身になったり、真剣に案じたり……良いなここは。人間関係が潤っている」

「最初からこうだった訳でもない。まして、俺は他人を信用しちゃいけないから」

「信用とは即ち、思考の傾倒。頑丈かどうか定かじゃない壁に寄り掛かるのは、危険ですからね」

 予告もなく――――勝手に話に割り込んでくるその声は、二人の直ぐ傍から聞こえて来た。

 気配を消す能力は、ルインや聖輦軍の追跡担当にも引けを取らない。

 アウロスは少し呆れ気味に、ぶしつけに入って来たリジルの姿を視界に入れた。

「流石に落ち込んでいるかと思いましたが……どこまでも予想を裏切る人ですね、貴方は」

「何処にでもいるな、お前」

「ははは。やっぱり似てます、ミスト教授と」

 大学を辞めて以降、リジルの口調は少し変わった。

 こちらが本性である事に疑いの余地はないと感じていたアウロスは、その一方で奇妙な違和感も抱いていた。

「名前を残すんでしたよね、アウロス=エルガーデンの。まだ可能だと信じていますか?」

「厳しくなったのは確かだけどな。もう俺を引き取る研究所はないだろう」

「ミスト教授も可能な限り妨害しそうですしね」

 どこか憂い気に溜息を吐いたリジルが、今度は毅然とした面持ちで、アウロスを正面から見据える。

「僕と手を組みませんか?」

 そして、突然の誘い。

 アウロスの中にある違和感は、更に強くなる。

 眼前の男の本当の顔は、どこにあるのか――――それが未だ、見えて来ない。

「お前はミストの仲間なんだろ?」

「いえ。敵です」

 その謎に満ちた男はそう言い切り、アウロスとは違うテーブルの椅子に座る。

 厨房の方では、来客かと思ったらしきピッツ嬢が顔を出していた。

 アウロスはそれを手で制しつつ、リジルの話に耳を傾ける。

「僕の目的をお教えします。僕はバランサーなんです」

「バランサー? 何だそれ」

 十分な説明のないまま、特定の人間にしかわからない固有名詞を使い、興味を誘う。

 普通のプレゼンとしては、余り褒められない手法だが、好奇心が旺盛な人間に対しては有効だ。

「僕は、魔術士と【トゥールト族】の混血児なんですよ」

「へえ」

 そんな小細工が若干鼻に付いたので、アウロスは衝撃の事実を適当な返事で濁した。

「……で、幼少時代は魔術士として過ごしまして。まあ、当然のように苛められましたね。地獄でした」

 ややテンションを落としながらも、リジルは続ける。

「だから、【トゥールト族】として生きようと決意し、生物兵器の製作に携わったんですが……こちらでも見事に裏切られました」

 今度は無視出来ず、アウロスは眉をひそめる。

「まさか、その身体は……」

「察しの良さも相変わらずですね。その通り。この病は、生物兵器の投与に因るものです」

 人体実験――――自身も体験した、その非人道的行為が、アウロスの脳裏に過ぎる。

 吐き気を催す程に、忌々しい過去。

 これには、以前と何ら変わらない拒否反応を身体が示し、思わず溜息が漏れた。

「結局、どちらの血も僕を受け入れてはくれませんでした。別の国に行く事も出来ずに、僕は孤独のまま、この身体で生きて行く事になりました。あれはそう、十五年前の……」

「要点だけ話してくれると嬉しいんだが」

「……つまり、僕は魔術士も【トゥールト族】も滅ぼしたいくらい憎んでるって事です」

 少しいじけつつ、素直に応じる。

「最初からそう言えば良いじゃねーか」

「説得力が違いますから」

 一方、ラインハルトの苦情は一切受け付けず、リジルの語りは続いた。

「でも、実際問題、僕一人で一つの種族を滅ぼすなんて無理でして。そこで考えたんです。滅ぼせないなら、せめて栄えさせないようにしようと」

「栄えさせない……?」

「あ、やっと関心持ってくれましたね」

「チッ」

 何故かラインハルトが舌打ちした。

「要は、どっちも調子付かせないようにしようと。魔術士に勢いがある時は【トゥールト族】や魔術士に仇をなす国について、【トゥールト族】に力が付いて来たら今度は逆で、と」

「面倒臭い人生だな」

「そんな総評されたの初めてですよ……ちょっとショックです」

 そう言いつつも、リジルの表情は何処か嬉しげだ。

「で、結局のところ、それがアウロスとお前が手を組むのに、どう言う因果関係があるんだ?」

「簡単ですよ。今現在、魔術士界に一人の天才がいて、彼を野放しにしておくと非常に宜しくないって事です」

 それが誰を指しているのか――――二人の間に具体的な名称は必要としない。

 そこまで話したところで、リジルが目の光を強くした。

「アウロスさん。彼に一泡吹かせて下さい。その為の席は僕が用意します」

「遠慮する」

 即答。

 圧倒的な即答だった。

「……え?」

 三十年以上生き、少々の事では動じない胆力を身に付けた男であっても、それには狼狽を隠せない。

 リジルは、これまでに見せた半分おふざけの驚きの反応とは違い、明らかに全力で驚愕していた。

 冷や汗すら滲み出ている。

「だから、遠慮する。お前と手を組む気はない」

 ほぼ部外者であるラインハルトも、アウロスの対応にたじろいでいた。

「い、良いのか? 千載一遇ってヤツじゃねーのかよ、これ」

「ああ。もう席は取ってあるからな」

「……!」

 アウロスがこの二日間で何をしていたのか、何を仕込んだのか――――それは、その一言に集約されていた。

 流石のラインハルトも、それには気付かざるを得ない。

「お前、落ち込んでたんじゃなかったのかよ」

「そりゃ落ち込んだに決まってる。でも、幸か不幸か、それより嫌な出来事が事前にちょいちょいあったから、それに比べりゃな。ちなみに、馬車の予約も嘘じゃない」

 仕事で小さなミスを犯したり、大事にしていた食器を割ってしまったり、友人との約束をすっぽかしてしまったり――――そんな些細な日常の失敗を語るような物言いで、アウロスは答える。

 無論、それは強がりだ。

 今もまだ、消化し切れない思いが、胸中で渦巻いている。

 アウロスはこの地に来て以来、何人かとの係わりを経て、以前程は客観的視点で自分を捉えられなくなっている。

 感情に、痛みや苦味が伴ってしまっている。

 喜怒哀楽に神経が通っている。

 それは即ち、弱みを作る要因――――アウロスは、それを全力で忌避して来た。

 目標へ進む道のりを探す上で、障害となるからだ。

 それを乗り越えて、真の強さや価値観を手に出来る程、アウロスは優れてもいないし、恵まれてもいない。

 にも拘らず、麻酔とも言える感情の封殺が切れてしまった今、どうするのか。

 答えは単純。

 痛みに耐えるしかなない。

 実際、そうやってやり過ごした。

 それだけの事だった。

「……ふふ……ははは」

 リジルが笑う。

 その笑みは、感心や敬意を通り越し、呆れをも飛び越え、純粋に楽しそうだった。

「ミスト教授に聞かせてあげたいです。それ」

「どうせ涼しげな顔で聞き流すだろ」

「彼にとって、貴方はそんな軽い存在じゃないですよ」

 個人での取引を断られた格好になったが、リジルの顔に不満はない。

 寧ろ、嬉々としている。

「発表会には僕も行きます。楽しみにしてますね、ミスト教授の顔が歪むのを」

 そして、晴れ晴れとした顔で席を立った。

「では、八日後」

 振り返る事なくリジルは去る。

 その背中から早々に視線を切ったアウロスに、ラインハルトが首を捻りながら近付いた。

「何かよくわかんねーけど、結局お前、八日後に何すんだ?」

 アウロスは浅く息を吸った。

 多くの言葉を出す気はないと言う事だ。

「今から考える。まだ時間もあるしな」

 それだけを答え、冷め切った珈琲を口に含んだ。

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