七海は昔を語らない
あれから二年。世界は今も絶望の只中にあり、人類はなおも救済されてはいなかった。
体に害がないというのが売りの電子タバコを吹かしながら、少年――黒崎迅人――は授業終了のチャイムには早い時間に、体育館の裏に一人でいた。
元々、学校になど来るつもりはなかったが、とある用ができてしまったため、やむなくきた次第だった。しかし、その用事も終わってしまい。今は、晴れて暇を持て余しているというわけである。
出勤時間はとうに過ぎているというのに、学校の周りを走るうるさい車の音。どこかのクラスが体育館で授業をしているようで、足音や楽しそうな声が聞こえてくる。ざっくばらんとした平穏に、迅人はどうしてか、ため息を吐いた。
そんな様子で十数分。そろそろ動き出す覚悟をした頃に、彼女はやってきた。
「やっと見つけた。かくれんぼは今日も私の勝ちかな?」
「……別に、お前とかくれんぼをしていた記憶はねーよ」
長い黒髪。全てを見透かされそうなのに、どうしてか目が離せない黄金色の瞳。用もないのに話しかけてきたというのに、何一つ迅人に嫌な思いをさせない話し方。その全てを知っている迅人は、やってきたのが望月七海だと認識した。
吹かしていた電子タバコをしまうと、迅人は自分を探していた思われる七海に、愛想のない態度で声を掛けた。
「皆勤賞の真面目ちゃんが、こんなところでおサボりとはな」
「そう思うんなら、わざわざ私に探させるようなことしないでよね」
「別に、探してほしいなんて言ってないだろ」
「口にしなきゃ伝わらないような関係でもないでしょ?」
七海の減らず口に、迅人は息を吐く。
そして、しまったはずの電子タバコをもう一度取り出すと、静かに吹かし始めた。視線は七海から外し、会話もそこで打ち止めるように、体ごと七海からズラした。
その行為に呆れを覚えた七海は、ズカズカと近づくや、吹かしていた電子タバコをもぎ取ってしまう。
「……なんだ?」
「なんだじゃない。私を無視すんな、バカ」
「口にしなきゃ伝わらないような関係じゃないんだろ?」
「むぅ~!! バカ! バカ!! 大バカ!!」
まるで語彙力という言葉すら感じられない七海の言動に、対して迅人はふわっと煙を吐き出す。
どうあっても無視するという意志が感じられ、七海は怒りをピークにさせて、もぎ取った電子タバコを地面に叩きつけた。
「人のもんなんだから大事にしろよ。んで、ほんとにここにいていいわけ?」
「そう言うんなら、授業に出てよ! 迅人を探すために学校中探し回ったんだけど!?」
「そうかい。残念だけど、俺はこのまま帰るぞ?」
「はぁ!? ちょっと、どういうこと!?」
「俺も暇じゃないってこと。まあ、用を思い出したのは今なんだけどな」
言うなり、迅人の上に通常の3倍はあるかと思われる大きいカラスが滞空する。猛烈な風に、七海はスカートが捲れないようにするため、強く押さえた。そのままの状態で、七海の瞳は滞空するカラスを見た。
烏羽色のカラスは、足が三本生えていた。くちばしもかなり短めなところを見るに、カラスは野生動物ではないという予想がたった。
「その子……人間?」
「さすが、《縛神の巫女》さまだ。やっぱり分かるのか?」
「関係ないよ。ただ……」
「勘違いすんなよ? 八咫烏は俺の仲間だ。無理強いさせてるわけじゃない」
どうして、人間だったら無理やり連れ回してるのではないかという質問に、事前に答えられたのか、など。もはや口にするまい。
なにせ、口にしなくちゃ伝わらない関係ではないと言ったのは、七海本人だったのだから。
八咫烏と呼ばれたカラスは、話が終わったかと思ったらしく、迅人の体にまとわりついた。迅人も、本当に急ぎの用があるようで、それを拒みはしなかった。強制的に話を切り上げられそうになって、七海は叫ぶ。
「ちゃんと授業に出ないと、いけないんだよ!」
「良いじゃないか、いけないこと。これはこれで楽しいぞ」
「そういう人が犯罪者になるって、この前テレビでやってたよ!」
「おいおい。んなこと言ったって――」
迅人の体にまとわりついた八咫烏が、姿を変えて大きめのコートになった。そして、これは八咫烏の能力なのだろう。まとわりついた者に飛翔の恩恵を与えたようだ。強い風がもう一度起きる。次の瞬間には、迅人は地面からわずかに飛翔を始めていた。
あえなくスカートから手が離せない七海は、乱れ始めた髪をそのままにずっと迅人を見ていた。
たぶん半年前に七海が手入れしてから全くの手付かずであろう髪。どこかに大切なものを置いてきてしまったかのような雰囲気。見慣れたはずの迅人の姿が、どうにも遠くに行ってしまいそうで、七海は目が離せなかった。
気がつけば、もう五十センチほど飛翔していて、行こうと思えばいつでも出発できる体勢なのだろう。けれど、迅人は出発せずに、最後の言葉を七海へと向けた。
「俺は《魔王》。これ以上にない、犯罪者の称号を持ってるんだぜ?」
その言葉を最後に、最後に強風が吹き荒れる。思わず目をつぶってしまったが最後、次に光を見たときには、目の前から迅人の姿はきれいに無くなっていた。
探していたはずの人がいなくなり、今回も踏みとどまらせることができなかったことを悟ると、七海は少し力なく息を吐いた。
もう戻ろうと、足を進めると。空からゆらりと、黒い羽が舞い落ちる。それを手に取って、七海は訝しむ。
「カラスの……羽?」
どうやら八咫烏の羽のようだ。飛び立っていくときに抜け落ちたのだろう。
だが、羽が一枚あったところでどうすることもできない。念の為ポケットにしまうが、やはり追跡は不可能だと考えて、迅人が消えてしまった空を眺めながらつぶやいた。
「それでも、私は昔に戻りたいよ、迅人」
七海が思う昔とは、一体いつのことなのだろうか。
いつからか昔を語らなくなった七海は、消えてしまった迅人に向けてつぶやいたのだ。




