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棺に花  作者: きくらげ
2/7

ハッピーエンドは夜明けから

年に三回の発刊に合わせて、作中の季節も決められています。基本的にすべての作品に共通のテーマと個別のテーマがあり、執筆方法もそれぞれ制約を課して変化をつけるようにしていました。

 生物には役目があるのだという。使命があるのだという。

 私の主の使命は、殺されることだった。正確には「正義の礎となり、勇者の剣に身を貫かれよ」だったと思う。そんなどうでもいいこと、忘れてしまったが。

 人間は放っておくと同族で争い合う。神はそれを嘆いた。そして人間が団結するために、全人類共通の敵を作られた。

 それが魔物だった。そして、それを統括するわれらが主、魔王様だった。

「すぐそこの町に到着したらしい。どうする? 」

 夕焼け空を臨みながら、偵察班が現状を冷たく告げる。彼方へ飛ばしていた意識を拾い集め、思考をまとめる。すぐの街ということは、ここへは一週間と掛からずに到着するだろう。

「魔王様には私から報告しておく。貴方は自分の仕事に戻りなさい」

 そう言って踵を返し、廊下を進み階段を上る。城の窓からは森へ沈む夕日が拝めた。自身から生えた黒い尻尾が揺れ、赤いリボンの飾りが細く衣擦れの音を立てる。

 最近はいつ勇者が来てもいいようにと、自室よりも謁見の間におられることが多くなった。調子が悪いのに無理をなされて、先日も倒れられたばかりだというのに。近頃はふらつく回数も増えた。当然だ。彼は殺されるために生まれた存在。もともと神は、彼に生きるための体を与えなかった。彼の体はただ滅ぶためだけに造られた、欠陥だらけの体なのだ。

「魔王様、エクスです」

 ようやく長い階段を登り終えて、三つ首犬のドアノッカーの音を響かせ、意味もなく重厚な扉を開ける。巨大な部屋の真ん中に、赤い椅子がポツンと夕焼けにさらに赤く照らされていた。魔王様はその無駄に豪勢な椅子の裏に回り、窓から森を見下ろしていた。

「勇者がタウミエルの町に到着しました」

「おそらく五日後の新月の日に到着するだろうね。魔物の強さと月の関係は向こうに知れ渡っているだろうから」

 そっと振り向いて、魔王様は言葉を紡ぐ。顔に当たる部分は、仮面に隠されて見えない。仮面の下に顔面はく、ただれた皮膚があるのみだと聞いている。人間のできそこないだと、笑っていらしたのを覚えている。以前、何処でものを見ているのか聞いたとき、魔王様は心で見るのだと仰っていた。心で心に語りかけ、心で声を聴くのだと。

「皆はどうしている?」

「決戦に向けて、各々準備を行っております」

 魔王様が存在しない顔で、笑ったような気がした。逆光がまるで後光のように煌めく。少しだけほつれの見えるマントが、木枯らしにユラユラと揺れた。これ以上お体に障らないように、お傍に行って窓を閉める。魔王様はいかにも不服だというような雰囲気を出すが、意に介さず彼の背をそっと押す。

「冬の風も良いものだよ」

「私は嫌いです」

 冬は生命の枯れる季節だ。それにかこつけて人間たちは、自然の摂理にも関わらず冬の寒さや生命の眠りを魔王様のせいにする。やれ寒さで人間が死んだ、やれ作物が皆枯れたとまくし立てる。全部魔王様のせい。これだから人間ってやつは。神も何故人間が好きなのだろうか。元人間のこの身すら、今は憎々しい。

 近くの町タウミエル。その前身、ケテル村はかつて私の故郷だった。

 死にかけの私を拾い、魔物の力を授けて下さった魔王様に一生ついて行くと決めてから、もう十年近くになる。純粋な魔物ではないと最初は私を忌み嫌っていた周りも、今では魔王様の側近として信頼してくれている。

 生粋の魔物たちは、魔王様が勇者に殺されることに疑問など持たない。魔王様が円滑に憎まれ、円滑に死ぬために神が作り出したのだから当然だといえば当然だろう。神は魔王様を愛してなどいない。

 でも、私は間違っていると思った。神など滅べば良いとさえ思ってしまった。魔王様が死ぬことで多くの人間が生きるのなら、多くの人間を殺してでも魔王様に生きていてほしかった。魔王様の側近としておそばにいる私だけが、そんなことを考えていた。

 おそらく、たぶん、きっと。私は勇者を殺すだろう。たとえそれが、魔王様を裏切ることになっても。

 この世界は私に優しくなかった。魔王様だけが私に優しくしてくださった。魔王様に拾われる前に、私は死ぬ運命だったのだ。その運命を魔王様が捻じ曲げたのなら、私だって魔王様の死の運命を捻じ曲げても良い筈だ。



 新月まで残り四日、勇者撃退用に設置した罠の最終確認をしていく。

 魔王様は常に悪者でいなければならない。それが神との約束であり、存在する意味らしい。それなら宝箱など設置しなければいいのにとは、勇者のスキルアップのために行わせてきた旅の道中でも常々思っていた。

 途中で力尽き無いように、と魔王様は魔物と一緒に宝箱も設置するようにしている。勇者たちは何の疑問も持たずに宝箱を開けていく。馬鹿の集団なのだろうか。実際、宝箱に罠を仕掛けたこともあったが、その宝箱だけは開けられずに放置された。神の加護だろうか。憎たらしい。

 宝箱の中身は様々だ。薬の場合もあれば、武器の場合もある。今設置した赤縁の宝箱には、剣が入っている。魔王様を殺すための武器を設置していると思うと今すぐ破壊したくなる。

 魔王様が勇者に殺されることを望んでいると思うと、勇者が憎く、おこがましい事に、羨ましくすら感じてしまう。

 魔王様は、勇者を待っているのだ。さながら勇者を待つおとぎ話の御姫様のように、勇者がやってきて自分を殺すことを、心待ちにしているのだ。



 新月まで残り三日。魔物たちに出会うたびに、警備の配置を確認する。妖鳥(ハーピー)は渡り廊下に。石の廊下に泥人形(ゴーレム)を、西階段には蜘蛛女(アラクネ)を。

 これも魔王様の命令により、いきなり強い敵に会わぬようしかし甘過ぎぬよう、全て計算しつくされて配備されている。勇者の生まれ故郷には最弱の魔物しか送り込まれなかったし、この城の周りは強い魔物で囲っている。大きすぎる集団を作らないように、グループ分けも徹底されていた。

 城の作りも、魔物たちの寝所などの生活空間は、全て表からは見えないようになっている。そこまでして魔王様は、徹底的に悪役をこなしていた。攻め込まれる事が前提の、見せるための作りなのだ。故に城としては脆弱としか言いようがなく、まさしく張りぼてだった。

「この階段は向こうからでも周りこめるから、もしかしたら勇者は来ないかもしれない」

「分かったわ、でも気は抜かないようにするわね。貴方はどこにいるの?」

 動揺を悟られないように、慎重に言葉を選びながら話す。尻尾の赤いリボンを、左手でそっと触る。そうすると落ち着く気がして、つい癖で触ってしまう。

「私は……謁見の間に上がる階段の前に」

「りょーかい。あと三日かー。楽しみね!」

 そう言ってアラクネは笑う。下半身が蜘蛛、上半身が人間の彼女は、笑うと少しだけその赤い八つの目が細くなる。なにが楽しみなのだろう。私は今日のまま時が止まってしまえばいいとさえ思うのに。勇者を殺したいと願うのも、一生こなければいいと願うのも、本心でしかなかった。



 新月まで残り二日、最古の魔物が死んだ。魔物には珍しく、寿命で。最後まで勇者の安否を確認していたこのブネという龍は、まさしく神の使いと言っていいだろう。

 彼は神によって作られた七十二の魔物の二十六番目だった。その魔物たちが今の魔物を増やしてきた。彼らが今の魔王軍を育んだと言っても過言ではない。七十二の魔物の最後の生き残りだった彼は、皆に見守られながら光となって消えていった。

 朝日を浴びた森の中、遺体のない葬儀が行われていく。魔王様の代理の私が、粛々と事を進めていく。配下たちのすすり泣く声があたりに響いていた。

 魔物が死んだとき、遺体が残る事はない。幾数億の光の粒子となって、神の元へと帰っていく。そして、また新たに生を受けるのだ。私と違って。

 私が光の粒子になる事はないだろう。魔物の力を授けていただき、形だけ魔物になったところで、私が元々人間であることに変わりはない。私が死ねばその醜い遺体は神の元に帰る事はなく、あくまで人間として死んで行くのだろう。

 午前中の葬儀を終え、太陽がもうすぐ真上につくころ、子どもたちの様子を見にいく。城の裏手へ回り、少しだけ坂を登ると、白い壁と青い屋根の小さな建物が見えてきた。親が討伐されてしまった子どもたちは、この孤児院で親代わりの魔物に育てられる。

「エクスだ!」

「あそぼー」

「残念、今日はお話の日だよ。さあ、みんなを集めて」

 週に一度、子どもたちに色々な人が色々な話を聞かせる。先人の知恵を学び、生きていく術を得た上で、子どもたちは八歳の日に成人するのだ。

 年初めの一日目、成人した子どもたちは初めて魔王様に謁見する。ここにいる幾人かの子どもたちも、あと少し経てば魔王様にあえる手筈だった。子どもたちも魔王様も、その日を心待ちにしていたのに。

「エクス、みんなきたよ!」

「よし、ここに座って……。じゃあ今日は、私の故郷の話をしよう。私の故郷ケテルは、今でこそ『善人の町』だなんて呼ばれている。けど、ケテル――昔のタウミエルは、『悪人の町』と呼ばれていた」

 子どもたちを見回し、全員の目を順番に見つめる。

「自分の飯は他人から盗むのが当たり前、周りはみんな敵だった」

 子どもたちの目が怖い、恐ろしいと訴えてくる。彼らは皆、親を人間に殺された。そう思うのも無理はない。

「両親の顔も知らず、物心ついた時には教会の孤児院にいた。教会は知っているか? 人間が神に祈る場所だ。神父は子どもらを年齢順に、アルファベットで呼んでいた。よく言われたよ、『F、さっさと金をとってこい。何のためのナイフだ』とね」

 誰かのしゃくりあげる声が聞こえる。近くにいた魔物がその子のそばに行って、そっと頭を撫でた。

「子どもは育つと食べる量が増えるから、座った神父より目線が高くなると、皆捨てられた。私もそうやって捨てられたよ」

 ふと違和感を覚えて下を見ると、私の袖を小さく握りしめている子がいた。私はその子の手から袖を離させ、代わりにそっと手を繋ぐ。

「子供が一人で生きていけるほど、優しい世界ではなかった。神父のそばにいたときはすごく逃げ出したかったのに、その時は神父のもとに戻りたいとすら思った」

 思えば、逃げようなんて考えたこともなかった。虐げられるのが当たり前で、それだけが私の世界だった。

「そうして、路地裏で死にかけているところを見つけてくださったのが、助けてくださったのが、魔王様だった」

 子どもたちから小さく歓声があがる。握りしめた手に力が入った。子供たちの顔を見まわしてから、そっと口を開く。

「そうして私は魔王様に拾われ、魔物になったんだよ。丁度、八歳くらい……君たちと同じ年くらいのことだ」

 魔王様が、私の世界を変えた。魔王様がやってきたからこそ、あの町も変われた。共通の敵を前に団結し始め、善人の街とまで呼ばれるようになった。それこそ、神の思惑通りに。

「まおうさま、かっこいい!」

「人ってこわーい」

「そうだね、人は恐ろしい生き物だ。怖がりで、強情で、同族以外を愛せない。しかし魔王様は、そんな人ですら、愛しているのだよ」

 さあお話は終わり、と子供たちを自由にする。わあ、と遊びに行く子もいれば、私の膝の上に乗ってくる子もいた。魔王様に関する話がそこかしこで聞こえてくる。

 春がくれば成人した子どもたちは魔王様に謁見し、大人として働き始めるはずだったのに。そんな心を隠すように、ひたすらに笑顔を浮かべる。

 子ども達に勇者の来る日取りを教えないと決めたのは、魔王様だった。まだ年端もいかない子供たちに、使命を押しつけたくない、と。彼らに余計な心配を与えぬよう、その日が来れば戦わない魔物たちと共にこの建物でジッとしておくことになっている。

 魔王様が討たれれば、魔物である彼らもまた、魔王様と共に消えてしまうだろう。私だけ、私だけが取り残される。わかっているのだ。忌々しいこの身は、魔王様と共に逝くことすら許されていない。

 ああ、それならいっそ、全て忘れてしまえればと、何度思ったことか。

 魔王様、貴方は何故私を助けたのですか。



 いよいよ明日が新月、そろそろ勇者もこの近くに来ていることだろう。森のトラップを見に行くと門番たちに伝え、城から出る。

 森には昼間にもかかわらず、城を覆い隠すように霧が立ち込めている。森全体が霧に包まれ、この中を進むには相当の労力を使うだろう。慣れていない人間ならすぐに迷子になってしまう。とはいっても我々魔物にとってはもはや庭のようなものなのだが。暗い森の中、尻尾のリボンだけが赤々と目立つ。

 森に住む魔物たちが勇者の潜んでいる場所を伝えてくれる。迷わずにどんどんと進んでいくと、まだ新しいたき火の跡。少し右折してさらに進むと、足音が聞こえた。身を隠し、息をひそめる。

「霧が痛いね。進む方向が分からなくなりそう」

「あらー、そんなこと言ったってアペガ。しっかり見えてたら、魔王城っぽくないじゃないの」

「スパイダーのアペガ用の高い声、キンキンします」

「なによキャタナイン、文句あるわけ」

「見てください、ユングフェルが超迷惑そうです」

「ユングフェルはただ歩いてるだけでしょうが!」

 いた。男が二人に女が二人。アペガと呼ばれたのが勇者だろう。残り三人は見たことがある。稀代の女魔女、黙々と歩いているのが戦士、そして一番小さいのが僧侶。歴史に名をはせるような人間が、神に選ばれただけの凡人に従っているとは、片腹痛い光景だ。今すぐ彼らの首を胴体から切り離してやりたい。そういうわけにもいかないことは分かっている。彼らには魔王様の望み通り、城までたどり着いて貰わなければならないのだ。

 敵の姿は確認した。事前の情報とも間違ってはいない。

 あれが、魔王様を討つ勇者。

 なんて没個性的。なんて平凡。

 あんなのに魔王様は討たれるのか。

 私ではなく、あいつが魔王様の最期を看取るのか。

「そんなの、認めない」



 その日の夕方から、城は騒がしかった。最期が近いという事で皆の気が立っているのを察した魔王様は、城の食糧庫を解放して宴を催した。すでに酒樽は五つが空になっている。魔物は飲んでも酔う事はないのだが、それでも皆酒は大好きだ。

「エクスは飲まないのー?」

「私はちょっと……」

 そっと大広間を出てテラスへと向かうが、夜風を浴びる者たちが占拠していた。仕方がないと、廊下に出る。夕焼けが地平線間近なのだろうか、森が燃えているかのようだ。

「どうしたんだい? エクス。君には少し騒がしかったかな」

「魔王様……そうですね。皆が楽しんでいるのを見るのは好きですが、彼らは皆体も声も大きいものですから」

 廊下には魔王様がいた。口のない魔王様に飲食はできない。だから、魔物たちが気後れしないようにと、こういう席にはいつも参加なさらない。魔王様がゆっくりと、私に背を向ける。

「私のことを、恨んでいるか?」

 窓際へ行かれた魔王様が、不意に問いかけた。突然の言葉に唖然としてしまう。そんなことない、そう言ったはずの声が、ひどくしゃがれていた。

「十年前、君はまだ年端もいかぬ少女だった。世界のすべてに絶望したとでも言いたげで、しかし目だけは生にしがみついていた」

 魔王様にであったとき、私は魔王様の鳩尾あたりの身長だった。世界の全てが敵だと思っていた。

「私は君に、死にたくないかと聞いた。君は、生きたいと答えた。どんな手段を使ってでも生き延びて見せる。そんな気概を受けて、私は君に魔物の力を与えた」

 そう、私は貴方に助けてもらった。人間としての人生を捨てて、貴方について行くと決めた。声帯を通しているわけでもないのに、魔王様の声は震えていた。少しかすれた声で、精一杯思いを伝える。

「私は、後悔していません。貴方と共にあれて、幸せです」

「……ありがとう。私も、エクスと過ごせて幸せだった」

 過去形の言葉に下唇をかむ。糸のような月が雲に隠れて、夕焼けが沈んだ。同時に足元へ伝わる衝撃。聞こえていた騒ぎが一瞬にして消え去り、辺りが一瞬の静寂に包まれる。

「魔王様、勇者たちが攻めてきました!」

「総員すぐに配置につけ!」

 伝令の言葉に、魔王様が珍しく声を荒げる。何故、どうして。新月を狙ったのではなかったのか。そんな答えのない疑問ばかりが浮かんできた。壁を叩く音が響く。見ると、魔王様が壁を殴った様子だった。しばらくそうした後そのままふらつく体を意に介さず、まっすぐに前を見つめ、背を向けて歩きだされた。尻尾のリボンを握りしめ、キュッと結び直す。

「私も衰えたものだな、読み間違えてしまうとは。エクス、君も行ってくれ」

「……魔王様、私の配備位置は謁見の間のすぐそこです。そこまで、お供いたします」

 そう言って、ふらつく魔王様の後ろに立つ。魔王様は此方に顔を向けた後、何も言わずに歩きだされた。空は暗幕を下ろし、星と月の小さな明かりだけが城を照らしていた。



 謁見の間からのびる階段の最後の踊り場で、魔王様の背中を見送る。完全にその背が見えなくなったことを確認し、剣を構えて待つ。踊り場の窓ガラスに、剣先から光が反射する。謁見の間へ向かうには、必ずこの階段を通らなければいけない。

 更に下る階段から、魔物たちが戦う音が聞こえる。勇者以外のものが邪魔をしないよう、勇者の仲間は階下で足止めする計画になっていた。ここへ辿りつけるのは勇者のみ。

 つまり、ここなら何が起きても誰も手出しできない。

 軽い、お花畑でも走っているのが似合いそうな足音が聞こえる。尻尾についた赤リボンを再度括り直し、深呼吸をして目を瞑った。

「そこ、どいて貰うわよ」

「ようこそ、勇者」

 足音が止まり、剣を抜く音が聞こえる。そっと目を開くと、そこには昼間見た女――勇者アペガが立っていた。

 右肩から袈裟懸けに斬りかかる。バックステップで避けられたところをすかさず追撃するが、とっさに剣で受け止められた。お互いの力が均衡し、刃が嫌な音を立てる。

 お互いに一度離れると、今度は向こうから仕掛けてきた。低い姿勢で放たれた直線的な一撃を、勇者ごと飛び越えてかわす。そのまま通り抜けた勇者が背後に立ったのを、回し蹴りで下り階段の方向へ吹き飛ばした。

 壁にぶつかり痛みをこらえる勇者。剣を構え直し、今度はこちらが正面から斬り込みにかかる。右手の剣を横向きに構え白刃一閃、首筋目掛けて斬りかかる。勇者は頭を打ったのか、呻きながら構えられた剣は鈍い。

 今なら殺せる。

 両断しようと振りぬこうとした剣が、歪な軋み声をあげた。刀身にひびが入っている。勇者の剣にはじかれた拍子に折れ、彼方へ飛んでいく剣先。振りぬいた剣は勇者に届く事はなかった。つくづく神様は意地悪だ。人間ばかりを愛して、こちらのことなど気にも留めない。

 神に背くことをしない魔物ではなく、忌々しい人間であったこの身なら、もしかしたら勇者を倒すことができるかもしれないと思ったのに。その時初めて、人間であるこの身に感謝したのに。

 腹を貫かれる感触。時が止まったかのような錯覚。ひと思いに引き抜かれた剣が、私の血で染まっている。結局神に愛された人間に、見捨てられた私が、勝つことはできなかったのだ。膝から崩れ落ちる。視界がかすみ始める。

 勇者は刀を鞘にしまい、肩で息をしていた。折れた剣が勇者の脇腹をかすっていたらしく、薄く血がにじんでいる。一矢報いたような誇らしい気持ちと、今すぐ吐きだしたいような憎たらしい気持ちの二律背反に陥る。体を何とか仰向けにして、ゆっくりと階段に向かって歩き出した勇者の背中に待て、と声をかけた。

「とどめを……さしていけ……」

「その必要はないわ」

 そう言ってまた、春風のように軽い足音が去っていく。東の窓の外がほんのりと朝を迎え始めているのが見えた。

 日は昇る手前が最も暗い。この時間が大嫌いだった。人々に希望をもたらす朝日も大嫌いだった。

「まおうさま……」

 魔王様に愛されている人間が憎かった。

 魔王様に待ち望まれている勇者が羨ましかった。

 魔王様の最期に寄り添える彼女が妬ましかった。

「まおう……さま……」

 最期の力を振り絞り、壁に寄り添って何とか立つ。階段へと脚を進め、一段一段を踏みしめるように、しかし急いで登る。階下の騒ぎが少しずつ聞こえなくなってくる。

 階段の境目が見えなくなってきて、足を踏み外した。崩れ落ちる四肢に鞭を打ち、血の帯を作りながら歩み続ける。

 もしかしたら私は、勇者になりたかったのかもしれない。唯一、魔王様と同等である地位。唯一、魔王様と対になる存在。そして、おそらく唯一、魔王様が心から待ち望み、一番に愛して下さる存在。

 魔王様の愛は平等だ。きっとその枠から外れているのは、魔王様自身と勇者くらいのものだろう。私は所詮、大多数の一部でしかないのだ。私には魔王様が必要なのに、魔王様は勇者以外必要としていない。

 三つ首犬のドアノッカーを無視し、意味もなく重厚な扉を縋りつくように開ける。傷口からボタボタとこぼれていく血を見て、私の血は赤かったのかと今更なことを思う。

 やっとのことで開いた隙間に体をねじ込んだとき、空気が震えた。ドアの軋む音が静かに響き渡る。

 本来首があるべき場所から、剣先が飛び出ている。柄にはまった宝石がきらめき、勇者が横なぎに剣をひきぬいた。先ほど私を貫いた剣が、魔王様の首を引き裂く。

「やった……」

 魔王様が完全に地に伏したのを見届け、勇者から声が上がる。足元がふらつきながらも、魔王様の元へ歩み寄る。勇者は私を一瞥した後、扉を抜けて振り返ることなく去って行った。おそらく仲間の元へ行ったのだろう。すれ違いざまの足音は、どこまでも軽やかだった。

 城の崩落が始まる。それはつまり、魔王様の死を意味していた。魔王という存在のために維持されていた城は、魔王様がいなくなればともに消え去る。地響きが鳥の囁きのように小さく聞こえる。自分の呼吸が、嫌に耳に響く。

 物語が、終わる。

 きっと、城のあちこちから光の粒子が上がっているのだろう。夜が明けてほんの少しだけ覗いた朝日が、階段上に取り付けられた窓から謁見の間を照らしていた。

 もはや体の感覚などない。それでも何とか、魔王様のそばに行く。魔王様の体も崩壊が始まっていた。そっとその頭の横に座る。彼の頭を太ももへ乗せ、仮面を外し崩れた御髪を整える。彼が苦しくないように、そっと抱きしめた。彼の血と私の血が混ざり合う。

 やっと、触れることができた。

「最後まで、一緒に」

 言葉として発したそれは、もはや形になってはいなかった。窓が割れ、朝日が更に強くさす。

 彼の亡骸が残らないのだとしても、醜く私の体だけが残るのだとしても、最期の最後までお傍を離れたくなかった。抱きしめた手にそっと力を込める。



 その日全ての魔物と、一人の少女が死んだ。


魔王様が初めて肉眼で見たのは、朝日でした。人の営みに感動し、美しい世界に感動し、それらのために死ねる自分に誇りすら持っていました。

もっとも、世界を美しく感じることなど魔王様には許されていなかったため、世界を見る目など必要ないだろうと、朝日に焼かれて全て失ってしまうのですが。

それでも、魔王様は美しい世界も、生きようともがく人間も、みんな大好きでした。

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