第六十話 放課後の秘密の写生会 前編
第六十話 放課後の秘密の写生会 前編
陽菜のお墨付きが出でしまったので、本日の放課後に俺が美術部のモデルをやらされることになってしまった。
ため息交じりに教室に戻ると、早速早智とホイケルに質問攻めに遭ったが、モデルのことは秘密にしておきたかったので、適当な理由を付けて、黙っておくことにした。こいつらに話をしたら、絶対に尾ひれを付けて、校内に広めるに決まっている。そんなことになったら、美術室に冷やかしの生徒が押し寄せるに決まっている。
早智とホイケルの追及は取り調べを行う警察並みにしつこく、俺の口を割ろうと食い下がってきたが、ちょうどいいタイミングで、先生が教室に入ってきたおかげで、強制的に中断された。
弥生からは、部活が終わったらメールをするから、それまで待っていてくれとのことだった。授業が終わってから、しばらく待っていたが、一向にかかってこない。そりゃそうか。部活だものな。そんなすぐに終わる訳がない。同じく俺と一緒に待つことになっている陽菜と話そうとしたが、彼女の姿はどこにも見えない。こちらもしばらく待っても、姿は現さなかった。仕方がないので、一人さびしく屋上でふて寝して、時間を潰すことにした。
元々、寝付きは良い方なので、屋上のコンクリートの上でも、横になってすぐに眠ることに成功した。
時折、鼾をかきながら、夢の世界に邁進する中、時間が流れていく。どれくらい時間が経ったのだろうか。弥生からのメールの着信音で目を覚ました。
大きな欠伸をしながら体を起こすと、空が暗くなり始めていることに気空いた。
美術部は遅くまで頑張っていたらしい。他の部活に勤しんでいた生徒も帰っているらしく、グラウンドも校内も人はまばらだ。時折、聞こえて来る「さようなら、また明日ね」といった別れの挨拶が、妙に哀愁を誘う。
「ごめんね。遅くまで待たせちゃって」
美術室に入ると、俺を待ち構えていた弥生に頭を下げられた。
「いいよ、寝てたし」
美術室を見回すが、中にいるのは俺と弥生の二人だけ。陽菜はいなかった。
「美咲さんはまだ来ていないけど、早速モデルになってもらっていいかな?」
挨拶もそこそこに、弥生は俺にポーズを取るように要求してきた。
「ああ、さっさと終わった方が、都合が良いしな。陽菜が何か言ってくるようなら、俺が上手く言うよ」
「じゃあ、そこの長椅子に腰かけて。ポーズはね、両手を机において、右足を左足の前で組んで……」
かなり細かくポーズについて指示してきた。見栄えは良いのだろうが、慣れないポーズなので、この体制のまま、動かないで長時間いるのは正直かなりきつい。
「これで良し! それじゃあ、これから絵を描くから、終わるまで動かないでね」
「なるべく早く終わらせてくれ。同じ態勢のまま長時間いるのはきつい」
今更ながら、モデルをしている人たちのことをすごいと尊敬した。中には過酷なダイエットをしている人までいるからな。俺には分からない世界だよ。
弥生が絵を描き始めて二十分。弥生は紙の上で、筆を忙しく動かしているが、モデルの俺はすることもなく、ただじっとしているだけ。とめどなく訪れる欠伸を顔に出さずに抑えるのに、四苦八苦していた。恐らく、直前まで居眠りをしていなかったら、今頃夢の世界に旅立っていたことだろう。
「お待たせ~!」
美術室のドアがノックもなく開いた。人気のない校内に響き渡る明るい声の主は陽菜だった。何が楽しいのか、小躍りするように室内へ入ってきた。
「あ、美咲さん。こんにちわ」
「もうこんばんわの時間だよ!」
「え? ……本当だ。もうこんな時間」
授業が終わって部活が始まってから、ずっと集中していたのだろうか。時間が忘れるほど熱中しているとは。人間の集中力は四十五分しか持続しないという話も聞くのに、たいした集中力だ。
「ちなみに今日遅くなることは家族には伝えてあるのか?」
ふと不安になったので、聞いてみる。高校生に向かって聞くことではないが、夢中になるあまり、気が付いたら学校に泊まっていたということも、弥生には考えられない話ではない。
「大丈夫です。私、絵に熱中するあまり、学校に遅くまで残って、頻繁に午前様になっていますので」
全然大丈夫じゃなかった。娘が、日付が変わるまで部活をしているというのに、親は何を考えているのだろうか。顧問も顧問だ。弥生の周りは放任主義の集まりか?
「最初はきつく言われましたが、何度も繰り返しているうちに、私の熱意を認めてくれて何も言わなくなりました」
それはただ単に相手にされなくなっただけでは。弥生の家族に対して、他人事ながら真剣に心配してしまう。妹のゆずちゃんも苦労しているんだろうな。
「でも、顧問の先生は未だに時々様子を見に来てくれますね」
「そりゃそうだ」
放っておいて、弥生にもしものことがあったら、責任問題だからな。そうでなくても、弥生は年頃の女子だ。夜の学校で良からぬことをしないとも限らない。
俺が物思いにふけっていると、陽菜が振り返って、美術室の外に向かって叫んだ。
「ほら! あなたたちもさっさと入ってくる!」
陽菜が誰かに向かって、来室を促した。観客でも連れてきたのだろうか。連れてきたのが早智やホイケルでないことを全力で祈りつつ、視線をドアのところに移した。
横には光と日向も立っていた。使用人の二人が、ご主人に付き従うのは珍しいことではない(光は度々別行動を取っているが)。問題なのは二人の姿だった。光がメイド服を、日向が魔法少女なんとかの服を着ていた。
「光と日向の格好は何だ?」
「見ての通りだよ!」
いや、一見して分からなかったから聞いたんだけど。
「まさか、その恰好で校内を練り歩いてきたのか?」
いくら放課後で生徒の数が少なくなっているとはいえ、コスプレしたままでの移動は拷問だ。
「うん。更衣室から歩いてきた!」
唖然として、言葉も出ない。
要するに、この間のデートの件の報復か……。放課後、姿が見えなかったのは、この衣装に着替えさせていたからか。二人とも、恥ずかしそうに全身をちぢこませている。無理もない。慣れていない人間にすれば、場合によっては全裸よりも恥ずかしい格好だ。
「み、見ないでえぇぇ~~!」
俺と目が合った光は、涙ながらに懇願した。
慌てて視線を横にそらすと、今度は日向と目が合った。
「……見ないで下さい」
光ほど取り乱してはいないものの、日向も頬を赤らめて見ないように懇願する。見ないでと言われてもこれ以上は視線をずらせない。あまり動くと、弥生に動くなと鋭い声で注意されてしまう。
「コスプレさせるのがお前の芸術なのか?」
「違う、違う! 私の芸術はこれからだよ!」
そう言って、陽菜は鞄からデジカメを取り出した。何をする気なのかは、よく分かった。光と日向の二人に思わず同情してしまう。
「そのデジカメで撮影するのか?」
「イエス❤」
聞くまでもないと思ったが、念のため聞いてみると、やはり予想通りだった。
「……そういえば、グラサンのお兄さんはどうした? まさか猫耳をつけて登場するとかないよな」
考えてみれば、あの人も陽菜の報復の対象になっているはずだが、あの人にコスプレさせてはいけない。そんなものを見た日には、世界中の罪のない人々が心臓麻痺を起こして死んでしまう。
「あの人にはね、メイド服と魔法少女の服を買ってきてもらったの!」
「は?」
あの殺し屋にしか見えない外見のお兄さんに、コスプレイヤー御用達のファンタジーな世界で買い物をさせたというのか。カウンターに少女用の服を二着持って行って、「これを下さい」というお兄さん。うわ……、ギャップがあり過ぎて、店の人間が全員ドン引きしている姿が想像できるわ。買い物をするお兄さんにしても、筆舌に尽くしがたい屈辱だわ……。光と日向に課せられた罰が可愛く見えてくる。
「陽菜……。お前って、俺が思っていたより、怖い女だな」
「え? そんなことないよ」
将来、尻に敷かれるくらいなら構わないが、それ以上のことをされそうな気がして、どうしようもない不安に襲われた。
俺は不安を掻き消そうとやや強引に、弥生に作業の開始をせがんだ。
「は、陽菜も来たことだし、早く描き始めてくれよ。あまり遅くなると、先生に怒られる」
「その心配はないです。顧問の先生には了承も貰っていますので」
「顧問から許可を貰っているのか?」
「? はい」
美術室を使うんだから、事前に断っておくのは当たり前だろうとでも言いたそうな顔で、きょとんとされた。こういうところは常識的だった。弥生のことだから、未申告も十分に考えられたので意外だ。
「じゃあ、こっちも始めちゃおうか」
「……ひゃい」
「……」
光と日向のブルーな気分が見るまでもなく、伝わってくる。光に至っては、放心のあまり、発音すらままならない状態だ。俺はモデルのため、弥生が絵を描いている間、動くことは許されないが、視線を動かすまでもなく、陽菜の撮影会の様子を見ることが出来る位置にあった。
弥生とは対照的に、陽菜はかなり際どいポーズを二人に取らせていた。そして、嬉々としてデジカメに収めている。あの画像がある限り、あの双子は一生陽菜に逆らえない訳だ。これから待ち受けえるだろう過酷な運命を考えると、涙が出そうになる。
今回の話を書いた後に読み返したら、陽菜が結構ひどいことをしているという事実に気付きました。みなさんに嫌われないか不安です。念のために言いますが、陽菜はとっても良い子ですから! たまたま妙なテンションになっているだけですから!




